旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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女ごごろ・男ごころ・秋の空

2007-10-17 23:36:48 | ノンジャンル
★連載NO.310

 「キッ!クィーッ!」
 近くの雑木林の上を鷹が鳴きながら飛んでいる。宮古島には、すでにサシバが渡り、先日は900羽から1000羽が舞台に舞っていたそうな。秋めいてきた。
 サシバは、体長50センチ前後の中形の鷹。夏、シベリアや中国北部、日本では東北以南で繁殖。寒露<秋から初冬にかけて降る露>のころ、鹿児島県の佐多岬に集まり、北風の吹く晴れた日に群れをなして琉球列島沿いに南下する。そして島々で少し羽を休めた後、中国南部、インドネシア、フィリピン、ニューギニアなどへ渡って行く。かつては、沖縄県下いたる所で見られたサシバの群れも、殊に沖縄本島では、よくよく観察しなければ気がつかないほどに減少している。その年によって数に変動があるのは勿論だが、宮古島諸島の宮古島、伊良部島、来間島などでは数千羽、数万羽の飛来を確認した年もある。
 「長い夏も、もう終わりか・・・・」
 まだ半袖で十分な気温ながら、沖縄人は鷹渡ゐ<鷹の渡り>で秋がやってきたことを知るのである。
 このころは、大降りはしないまでも天候が変わりやすい。雨もまた、大粒のそれではなく、俗に言うこぬか雨。これを鷹ぬシーバイ<鷹の小便>と言い、不用意に濡れると風邪をひきやすい。鷹ハナフィチ<鷹風邪>と称するのがこれだ。昔から鷹渡ゐのころを大いに意識してきているのは、はっきりと季節の変わり目が認められるからだろう。

 「女ごころと秋の空・・・・か」
 いつもの溜まり場で、季節を感じながらそうつぶやいた私に、側からちょっと甲高いW女史の声が飛んできた。
 「何をおっしゃいます。それは女ごころではなく“男ごころと秋の空”ですよッ」
 W女史に何があったのだろうか。
 近頃は、女性に対して言葉を発すると平等・権利・セクハラ等々の意識がおぶさってくるのが煩わしく、目で笑って聞き流し言葉を継がなかった。W女子の目は、鷹の目になっていたに違いない。
 人間、心変わりすることは、ままあること。それを男が「女ごころ」と決めつけるのがW女史、得心がいかないらしい。心変わりは男・女平等に持ち合わせているモノ。鷹の目を光らせて訂正を求めるほどのことではあるまい。季節用語として「男女、一緒に楽しみましょうよ、秋の空を」と言ったら、それも男のエゴになるのだろうか。

 昔。ある王のころ。
 王には側室のほかに愛女がいた。沖縄女性にしては、稀なる色白美人。長く連れ添った渋扇ぬ色<しぶおうじぬ いる。浅黒い肌の意>の側室とは比べものにならない美形。王は溺愛した。
 彼女が(髪飾りが欲しい)と言えば、すぐにお抱えの金細工師<くがに じぇーく>に打たせて与え、飲みかけのお茶でも(国王さまぁ。飲んでぇ~)と、鼻にかかった甘い声で差し出されると王は(ああ、よしよし)と目を細めて飲む。また、彼女が城下の実家へ行くのに、国王専用の御輿<うくし。4人担ぎの駕籠>に(乗って行ってもいい~?)と言えば、それも許した。
 ところが、王の前にいまひとりの女性が現れた。世話役として召し抱えた女官である。これがまた、愛女の上をいく美形。王はすっかり心奪われ、日夜片時も彼女をはなさなかった。そうなると先の愛女が疎ましくなる。それどころか、それまでの愛は憎しみに変わった。
 「あの女ッ!身分不相応な髪飾りを勝手に打たせて私物化した。国王たるワシに、己の飲みかけの茶を飲ませおったッ。なんたる無礼ッ。その上、たかだか宿下がりに国王専用の御興を出した。許せんッ。即刻、島流しにせいッ」
 男に甘え過ぎた報いは下った。
 この昔ばなしは、溺愛、盲愛は真実の愛ではないこと。傲慢、贅沢は身を滅ぼす。このことを説いた小話。男も女も他愛もない感情で浮いたり沈んだりするということだろう。
(変わりやすい)のは「女ごころと秋の空」「男ごころと秋の空」いずれもよくなってきた。個人の有り様によりけりだ。
 んッ?またぞろW女史の声が聞こえる。
 「何を勝手に低次元の解釈をしているのよッ。女性の地位について真剣に考えてよッ」
 そんな空耳にギクッとしながら、サシバが連れてきた秋の日の中にいる・・・。

 胴一人物言い<どぅちゅい むぬいい。独白>=うちのカミさんなぞ、飲み物1口、菓子1口、かならず飲み、かじってから私に渡す。一家の主ながら、島流しにできないでいる自分。そこかしこに、人生の秋風が吹いている。




次号は2007年10月25日発刊です!

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