旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

琉歌百景・大昔節五節その③

2009-04-23 13:30:00 | ノンジャンル
★連載NO.389

 琉歌百景○49[大昔節五節その③長ぢゃんな節=なが=]
 ♪首里天加那志 十百とぅゆ ちょわれ 御万人ぬ まじり 拝でぃしでぃら
 〈しゅゐてぃんじゃなし とぅむむとぅゆ ちょわれ うまんちゅぬ まじり WUがでぃ しでぃら〉
 チラシ「伊集早作田節=はいちくてんぶし」
 ♪蘭ぬ匂い心 朝夕思みとぅまり 何時までぃん人ぬ 飽かんぐとぅに
 〈らんぬ にうぃぐくる あさゆ うみとぅまり いちまでぃん ふぃとぅぬ あかん ぐとぅに〉
 この歌詞については、3月19日号・昔節五節「ぢゃんな節」の項でもふれた〈参照〉。
 歌意を台詞風に書いてみよう。ある公的行事が御城内〈うぐしくうち〉で成され、国王がお出ましになったとき、家臣代表が国王に申し上げた。
 「国王様。いつまでもご壮健あらせられ、われわれ琉球の民に徳を賜りますように。さすれば、万民こぞって御奉公相勤めるでありましょう。
 これに対し国王は答える。
 「よくぞ申してくれた。そのように私も尽力する所存。例えるならば、蘭の匂いはなんびとも飽くことはない。そのような蘭の花ごころを朝夕持ち合わせて職分を果たせよ。そして、万民に支持されるよう、琉球国が何時までも平和に繁栄するよう努力してもらいたい」
 しかし「長ぢゃんな節」と「伊集早作田節」は、同時に詠まれたのではない。それを本歌の内容を、より濃密にするために宮廷音楽家たちは巧みに2節を同位置に置いた。この用法は他の本歌・チラシにも言える。
 琉歌には、こうした国王讃歌・君臣和睦の詠歌が多い。このことについて最近、古典音楽愛好家の間である会話がなされた。
 「琉球国王は、いわば日本の天皇の位置にあった。天皇讃歌は、いまや封じ込められた感があるが、琉球国王讃歌は今日的に歌われている。やはり、琉球音楽は独立している」
 国王制度、天皇制度を無理に結びつけることはないが、殊に戦後生まれの人たちには気に掛かることらしい。

 節名頭部に「長=なが」の付く節は他にも「長恩納節=なが うんなぶし」「長伊平屋節=なが いひゃぶし」「長金武節=なが ちんぶし」があり、いまひとつは「本部長節=むとぅぶ なが〈あるいは=なぢ〉ぶし」がある。この場合の詩形による「長」。
 八八八六の琉歌基本詩形に対して「本部長節」は、八八八 八八七の47音になっている。
 因みに西島宗二郎、知念松盛、宮平三栄、安富祖竹久、佐久本盛信、大城朝盛、伊波善雄、玉城宗吉、村山盛一、上地源照、花城康栄の各師匠監修による「琉球古典音楽野村流大全集=12枚組LP盤」に収録されている「長ぢゃんな節・伊集早作田節=歌三線上地源照、比嘉良徳。琴亀谷ウト」の演奏所要時間は21分26秒。


 大昔節とは関わらないが「長」繋がりで「本部長節」を記しておこう。
 琉歌百景○50[本部長節]
 ♪検査主司たり前 御取次じしゃびら 御主加那志めでぃ 夜昼んしゃびん あまん世ぬ しぬぐ 御許しみしょり
 〈ちんじゃすし たりめ うとぅいちじ しゃびら うしゅがなし めでい ゆるひるん しゃびん あまんゆぬ しぬぐ うゆるしみしょり〉
 歌意=検査主司=検者の文字もある。王府から地方に派遣され生産、財政、風俗習慣等一切の調査官。巡検使。
 *たり前=口語では、たーりーめー。年長男性や役人に対する敬称。
 *めでい=公事奉公。忠勤。
 *あまん世=天世。神の世。
 *しぬぐ=神祭の古称。古くは豊作祈願、豊年感謝祭、次年の豊作予祝の祭事だったが、時代とともに平民の男女の毛遊び〈もうあしび。野遊び〉になった。このことは「労働力を低下させ、風紀を乱す」として、尚敬王時代〈1713~1751〉に禁止令が出された。
 「本部長節」は巡検使が来た際、村人の「しぬぐ遊び解禁」の嘆願を村頭〈村長役〉が申し出たものと思われる。
 歌意=巡検使さま。村の者たちの願いをお取り次ぎいたします。これからは老若男女、昼夜問わず国王様の御為、琉球国繁栄の為、懸命に働きます。どうぞ、天の世、神の世から続いた「しぬぐ禁止令」を解いて下さいますよう伏してお願いいたします。
 なお、この歌の本歌は本部半島の地名を詠み込んだ次の1首。現在では「本部ナークニー」で歌われている。
 ♪渡久地から登ぶてぃ 花ぬ元辺名地 遊び健堅に 恋し崎本部[ナークニーでは「崎」を省く]
 〈とぅぐちから ぬぶてぃ はなぬむとぅ ひなぢ あしび きんきんに くいし さちむとぅぶ〉
 歌意=渡久地村〈むら〉を発って行けば、すぐに花のような女童の多い辺名地村。そして、若者遊びの盛んな健堅村を経て辿り着くのは、恋しい崎本部である。
 「恋し崎本部」を愛しい人のいる村とするか、単に生まれ所在とするか。三線に乗せて歌う場合の情況、気分しだいだろう。



次号は2009年4月30日発刊です!

上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com


最新の画像もっと見る