旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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敗戦・サイパン数え唄

2019-08-10 00:10:00 | ノンジャンル
 『聖戦、平和を勝ち取るための戦争・・・・。(いい戦争)などという言葉を幾度聞いたことか。(いい戦争)があるはずがない。戦争は、はっきり云って殺し合いでしかない。沖縄人はそのことをよく知っている。(生き残るのも地獄、死ぬのも地獄)を経験したからね』。
 老人はうっすら涙で目を赤くしながら、言葉をつづける。
『ワシが家族と一緒にサイパンを渡ったのは5歳。直ぐにアメリカ軍の上陸戦に遭う。日本の南進国策で(移民)という形でかの地を選んだことだが、自ら戦火の中に飛び込んだようなものだ。この時期、太平洋戦争唯一の(地上戦を強いられた沖縄)との報道を耳にするが、サイパンの地上戦も凄まじかった。(いい戦争)なぞ、この地球上にあるはずがない・・・・』。

 サイパン地上戦。
 米軍に捕虜とされた人びとは、日本兵と民間人に分けられ、別々の収容所に入れられた。日本兵は一定の数に達すると、まとめてハワイに送られたが、沖縄人をふくむ民間人はサイパンに残されて(雑用)を強制されていた。
 民間人が最初に命じられたのは『戦場掃除』と称する日本兵の死体収集作業。
 大きな穴を掘り、先端がカギ状になった鉄棒で遺体を引きずり(穴に放り込む)というもの。日本軍が最後に突撃したマタンシャ海岸では、あまりにも死体が多かったため、米軍はブルドーザーを出動させ、無差別に(穴)に埋めた。

 捕虜収容所を歌った「サイパン数え唄」がある。
 言葉を選ばず(実感)のみでつづられた歌詞・・・・。いま歌っても聞いても、惨めさと悲しみがつめ込まれている。まさに『生きるも地獄、死ぬも地獄』が伝わってくる。

 {サイパン数え唄}
 ♪一つとサーノエー
  広く知られたサイパンも 今はメリケンの旗が立つ~
  情ないのよ あの旗は~

 ♪二つとサーノエー
  双親はなれてもサイパンの 今はメリケンの牧場で~
  その日その日をおくるのよ~

 ♪三つとサーノエー
  見れば見るほど涙散る 山の草木も弾のあと~
  罪なき草木に傷つけて~

 ♪四つとサーノエー
  四方山見れば敵の陣 一日一日陣地を固め~
  情けないのよ 敵の陣~

 ♪五つとサーノエー
  いつまで苦労と思うなよ やがて助ける船がくる~
  お待ちしましょう 皆さまよ~

 ♪六つとサーノエー
  無理な仕事をさせられて 強い身体も弱くなる~
  情ないのよ 無理仕事~

 ♪七つとサーノエー
  なんと私がいばっても 日給はただの三十五仙~
  情ないのよ 三十五仙~


 ♪八つとサーノエー
  夜勤は私は嫌ですよ 嫌と言わせこの夜勤~ 
  情ないのよ この夜勤~

 ♪九つとサーノエー
  これから先はわれわれは 助けられたり助けたり~
  同じ日本の人だもの~

 ♪十つとサーノエー
  とう坂のぼる日の丸は 国の光を輝かす~
  なんで日の丸忘らりょか~

 ♪十一つとサーノエー
  いつも来るくる日本軍 来る時期早いかまだ来ない~
  お待ちしましょう 皆さまよ~

 書き終えて・・・・。溜息。猛暑のせいだろうか・・・・。


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