旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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「浮世真ん中の内=おきなわ日々記」

2013-03-01 03:14:00 | ノンジャンル
※「花の輪・人の輪・三線の輪」
 1月=日本一早咲きの桜。2月=椿、コスモス、ひまわり。3月=つつじ。それらの花々を連れてきたのは、RBCiラジオ主催「ゆかる日まさる日さんしんの日」の三線の音。
 もうすぐ北風も南へまわり、駆け足で春がやってくる。

 ※「魅せられて」
 東京都葛飾区高砂の石母田竜二さんは、都内某駅の駅員。地上を走る乗り物は平気だが飛行機恐怖症だった。その彼が已むを得ない事情で空路沖縄入りした。その際、カーラジオで耳にしたのはRBCiラジオの番組「民謡で今日拝なびら=月~金・午後3時」。沖縄方言と島うたで構成される1時間に、なぜか魅せられた。以来、島うたのCDやDVDを買い込んで接するうちに(自分でも三線を弾き歌いたい)と思い立ち、遂に三線を手に入れた。10年ほど前のことだ。
 4年前。自宅近くの公園で三線を弾いていると、ひとりの女性に声をかけられた。
 「私、フルートをやっています。即興になりますが、ジョイントしていいですか」。
 彼の否はない。しばし「ふたりだけの音楽会」になった。それが縁で再々逢ううちに「さんしんの日」にも二人して来沖。遂にその順子さんと結婚。昨年12月、長男が生まれ「竜生=たつき」と命名。そこまではよくある話だが、息子竜生の愛称を「三四郎」とした。「さんしんの日」と3月4日に掛けての「三四郎」。ここまでくると、しゃれを通り越している。イベントの仕掛け人としては(嬉しい限り)だが将来、三四郎クンは自分の愛称の謂れを知って、どう思うのだろう。こだわりなく(得心)してくれることを願うばかりである。

 ※「胴風・自己流のすすめ」
 習い事用語に「胴風=どぅふう」がある。自己流を意味する沖縄口だ。
 琉球放送に入社し、芸能番組を制作するようになり、それまで触れたこともなかった三線と深く付き合うようになった。(よしっ!師匠に就いて歌三線を習得しよう)との思い立ちは再三あったが、生来のずぼら性が災いしてそこまでは至らない。しかし、世の中うまくできたもの。番組制作を通して接する人たちは(歌三線)の名人上手ばかり。都度、三線に触れる機会があって、いつの間にか、それなりに弾き歌うことが出来るようになっていた。胴風・自己流の始まりである。つまり、「習うより慣れろ」を心得てしまった。
 「自己流のすすめ」をするのは、こうした経緯の体験から出た屁理屈。ただし、胴風・自己流では一流にはなれない。三流がいいところだ。そうではあっても私の場合、100節ほどは(楽しむ)ことができる。また、それを(よし)としている。それはまた、人さまが成す歌三線をよりよく鑑賞し、理解する基礎になっているのも確かで、私は胴風に満足している。
 しかしながら「習い事」は、上手になるに越したことはない。でも「それなり」であってもよいと思われる。「自己満足」の時間があってもよいではないか。
 唇に歌のない人生よりは、歌のある人生が、より快適であるのだから・・・・。
 ついでに。
 音痴のことを「左い喉ぃ=ふぃじゃい ぬーでぃー」と言う。
 まともな発声が「右の喉」から発せられるのに対して、反対の「左の喉」から出るものとしての言葉。私は決して「左い喉ぃーではない!」と、言い切っているが、さあ、こればかりは、、はたで聞く人が判断するもの。真偽は本人の主張が正しいかどうか。
 いやいや、音痴また結構。素人の歌の世界には、音痴もいなければ玄人の立場があやしくなる。カラオケの上達法はただひとつ。
 「はたの迷惑を考えないで歌うこと」と言うではないか。


☆3月上旬イベント情報

 ◇第31回 東村つつじ祭り 〈東村〉
  開催日:3月1日~20日
  場 所:東村村民の森 つつじ園

 ◇第21回 ゆかる日まさる日さんしんの日 
  開催日:3月4日
  場 所:読谷村文化センター鳳ホール〈読谷村〉

 ◇2013 全国やいまぴとぅ大会 〈八重山〉
  開催日:3月4日~10日
  場 所:石垣市

 ◇第13回 三板の日
  開催日:3月8日
  場 所:沖縄市民会館 中ホール



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