それにしても早い。
55年勤めている琉球放送が、2014年10月1日、創立60年を刻んだ。年の初めから、それを意識したせいかあれやこれやの番組企画、そして実施に追われる日々が続いたからだろう。あっという間の12月。(オレひとりで気張っているのでもないのに)。これに気付いて苦笑を禁じ得ない。 それにしても早い時間の流れだ。
また年の瀬は(区切り)をつけなければならない諸事が多く、その分、関わった人たちのことが思われる時期。このことは昔びとも同様だったらしく(人恋しさ)を詠んだ琉歌が、逢いたさ見たさの心情を三八六の詩形でつのらせて多々残っている。
◇便ゐ風あとてぃ かりくりぬ事ん 語ゐ聞ちぶさや 浜ぬ真砂
<たゆゐかじ あとてぃ かりくりぬ くとぅん かたゐちちぶさや はまぬまさぐ>
*便ゐ風=風の便り。沙汰。*かりくりぬ事=あれこれの事。諸事。
歌意=幼年の頃、兄弟のように親しんだ彼。青年時代を共有した彼女・・・・。時を経るにしたがって方々に散り、疎遠になっている。それだけに、せめて(風の便り)でもいいから、手掛かりがあれば文通でよし。これまでの諸事(あの事この事)を語り、また相手の近況も聞きたい。そのことは浜の真砂ほどあるのに・・・・。
時節柄、年賀状を整理していると、もう何年も対面していない古馴染みの顔が脳裏に浮かぶ。こうも心を揺らすのは、やはり(年の瀬)のなせる業なのだろう。早速、手紙を書いて送る。すると、まだ3、4日も経っていないのに(返信が遅い)と、何かあったのかと気にしてしまう。次の1首がそうである。
◇忘しる間や無らん 思みやすりどぅとぅん 便ゐある風ぬ 遅さありば
<わしるまや ねらん うみやすりどぅとぅん たゆゐある かじぬ うすさありば>
*思みやすりどぅとぅん=思いはあれども。
歌意=古馴染みのことは、折にふり忘れたことはない。この思いはあれども、相手にちゃんと通じてないのか、返信風が吹くのが遅い。何かあったのだろうか。こちらがせっかち過ぎるのか。またぞろ気になる。
この1首は、必ずしも古馴染みとは限らないほうがいい。
親子であっても兄弟であってもいい。手紙を送っても返信が遅いと、はたまた余計な気がかりを増幅させるものだ。筆者をしてからがそうだ。息子も娘も独立して、それなりの生き方をしていることは承知しているものの、電話ひとつない日が長引くと、ついついメールなぞしてしまう。それが直ぐに返信がないと、イライラしてしまう(まあ、向こうは向こうで忙しくしている)ことは分かっていて、安じているはいるが・・・・。これも年の瀬がそうさせるのか・・・・。いや、親なるものの(年のせいだろう)。
(年のせい)と言えば、正月を前に(光陰矢の如し)をこう詠んだ老粋人がいる。
◇若狭大道に 引ち止みてぃ置かな 空に行ち過じる 御月御太陽
<わかさ うぬみちに ふぃちとぅみてぃ うかな すらに いちしじる うちち うてぃだ>
*若狭大道=那覇市の西に位置する町の大通り。かつては那覇の中心をなしていた。そこには大ガジマルの木が立っていて若狭町の名物だった。年齢の「若さと町名若狭」を掛け言葉にしている。
歌意=月と太陽が東から西へと空を往復するから1日、ひと月、1年が刻まれて行く。そのせいで人は年を重ね老いてしまう。この際、どうだろう。月も太陽も那覇大網挽の大網で括って、名物の大ガジマルに繋いで置こう。そうすれば誰もが年を取らずにいられるではないか。
戦前までは「那覇大網挽」は、若狭大通りで催された。東西相譲らず、なかなか勝負がつかない折には、西側は大網の末尾を大ガジマルに括りつけて小休止したという挿話もある。
月や太陽がらみでいま1首。戦前那覇の市(マチ・市場)は若狭町にあった。つまり、商業地で、買えないものはなかった。なんでも買えた。そこで、
◇若狭マチてぃしや 名付きたるびけい 若さ買い戻す 人や居らん
<わかさマチ てぃしや なじきたる びけい わかさ こうい むどぅす フィトゥやWUらん>
*てぃしや=○○というのも。*びけい=ただそれだけのこと。
歌意=若さマチというのは、ただ地名として名付けただけのことではないか。何でも買えると聞いて来たけれども「人の若さ」は、売っていないではないか。また、誰ひとり「若さ」を買った人はいないではないか。
老齢に反発して狂歌をものにした御老体。気の持ち様は青春真っただ中!おそらく、人も羨む長命をなさったのではあるまいか。
さてさて。
月も太陽も宇宙の法則に基づいて不変の時を刻んでいる。ガジマル木にも恩納岳にも括りつけて置くわけにはいかない。されば筆者もその恩恵に浴しながら(午を末に)乗り換えることにしよう。♪もういくつ寝るとお正月・・・・早く来い来いお正月~♪とは、もう、歌えないまでも。
55年勤めている琉球放送が、2014年10月1日、創立60年を刻んだ。年の初めから、それを意識したせいかあれやこれやの番組企画、そして実施に追われる日々が続いたからだろう。あっという間の12月。(オレひとりで気張っているのでもないのに)。これに気付いて苦笑を禁じ得ない。 それにしても早い時間の流れだ。
また年の瀬は(区切り)をつけなければならない諸事が多く、その分、関わった人たちのことが思われる時期。このことは昔びとも同様だったらしく(人恋しさ)を詠んだ琉歌が、逢いたさ見たさの心情を三八六の詩形でつのらせて多々残っている。
◇便ゐ風あとてぃ かりくりぬ事ん 語ゐ聞ちぶさや 浜ぬ真砂
<たゆゐかじ あとてぃ かりくりぬ くとぅん かたゐちちぶさや はまぬまさぐ>
*便ゐ風=風の便り。沙汰。*かりくりぬ事=あれこれの事。諸事。
歌意=幼年の頃、兄弟のように親しんだ彼。青年時代を共有した彼女・・・・。時を経るにしたがって方々に散り、疎遠になっている。それだけに、せめて(風の便り)でもいいから、手掛かりがあれば文通でよし。これまでの諸事(あの事この事)を語り、また相手の近況も聞きたい。そのことは浜の真砂ほどあるのに・・・・。
時節柄、年賀状を整理していると、もう何年も対面していない古馴染みの顔が脳裏に浮かぶ。こうも心を揺らすのは、やはり(年の瀬)のなせる業なのだろう。早速、手紙を書いて送る。すると、まだ3、4日も経っていないのに(返信が遅い)と、何かあったのかと気にしてしまう。次の1首がそうである。
◇忘しる間や無らん 思みやすりどぅとぅん 便ゐある風ぬ 遅さありば
<わしるまや ねらん うみやすりどぅとぅん たゆゐある かじぬ うすさありば>
*思みやすりどぅとぅん=思いはあれども。
歌意=古馴染みのことは、折にふり忘れたことはない。この思いはあれども、相手にちゃんと通じてないのか、返信風が吹くのが遅い。何かあったのだろうか。こちらがせっかち過ぎるのか。またぞろ気になる。
この1首は、必ずしも古馴染みとは限らないほうがいい。
親子であっても兄弟であってもいい。手紙を送っても返信が遅いと、はたまた余計な気がかりを増幅させるものだ。筆者をしてからがそうだ。息子も娘も独立して、それなりの生き方をしていることは承知しているものの、電話ひとつない日が長引くと、ついついメールなぞしてしまう。それが直ぐに返信がないと、イライラしてしまう(まあ、向こうは向こうで忙しくしている)ことは分かっていて、安じているはいるが・・・・。これも年の瀬がそうさせるのか・・・・。いや、親なるものの(年のせいだろう)。
(年のせい)と言えば、正月を前に(光陰矢の如し)をこう詠んだ老粋人がいる。
◇若狭大道に 引ち止みてぃ置かな 空に行ち過じる 御月御太陽
<わかさ うぬみちに ふぃちとぅみてぃ うかな すらに いちしじる うちち うてぃだ>
*若狭大道=那覇市の西に位置する町の大通り。かつては那覇の中心をなしていた。そこには大ガジマルの木が立っていて若狭町の名物だった。年齢の「若さと町名若狭」を掛け言葉にしている。
歌意=月と太陽が東から西へと空を往復するから1日、ひと月、1年が刻まれて行く。そのせいで人は年を重ね老いてしまう。この際、どうだろう。月も太陽も那覇大網挽の大網で括って、名物の大ガジマルに繋いで置こう。そうすれば誰もが年を取らずにいられるではないか。
戦前までは「那覇大網挽」は、若狭大通りで催された。東西相譲らず、なかなか勝負がつかない折には、西側は大網の末尾を大ガジマルに括りつけて小休止したという挿話もある。
月や太陽がらみでいま1首。戦前那覇の市(マチ・市場)は若狭町にあった。つまり、商業地で、買えないものはなかった。なんでも買えた。そこで、
◇若狭マチてぃしや 名付きたるびけい 若さ買い戻す 人や居らん
<わかさマチ てぃしや なじきたる びけい わかさ こうい むどぅす フィトゥやWUらん>
*てぃしや=○○というのも。*びけい=ただそれだけのこと。
歌意=若さマチというのは、ただ地名として名付けただけのことではないか。何でも買えると聞いて来たけれども「人の若さ」は、売っていないではないか。また、誰ひとり「若さ」を買った人はいないではないか。
老齢に反発して狂歌をものにした御老体。気の持ち様は青春真っただ中!おそらく、人も羨む長命をなさったのではあるまいか。
さてさて。
月も太陽も宇宙の法則に基づいて不変の時を刻んでいる。ガジマル木にも恩納岳にも括りつけて置くわけにはいかない。されば筆者もその恩恵に浴しながら(午を末に)乗り換えることにしよう。♪もういくつ寝るとお正月・・・・早く来い来いお正月~♪とは、もう、歌えないまでも。