旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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あけぼの劇場界隈

2012-09-10 00:15:00 | ノンジャンル
 2002年9月13日。
歌者古謝美佐子と福岡空港に降りたふたりは、すぐに高速バスに乗り換えて小倉へ向かった。ちょっとしたライブをやるためだ。
結構な時間を考える事柄もなく、後ろへ走る風景や街並みをながめていた。バスが高速道路を下りて小倉の手前の三荻野にさしかかると、そこは市街地。道路は車の数が多くなって渋滞気味。疲れで古謝美佐子は爆睡している。それにつられて私の目も重くなる。その時、道路沿いのある店の看板を見て、眠気が瞬間吹っ飛んだ。
味処・とり料理。と、あるのだが、店名がいい。
「くればわかる」
なんと豪気なことか。赤ちょうちんに赤のれん。ライブがなければ、降りて入っているところだった。
店主は、腕に自信のある<こだわりの職人>に違いない。そして、こう宣言しているのではなかろうか。
「素人は、寿司はあの店、鍋はこの店なぞと、テヘッ!、分かったようなことを言うが、店構えで味を云々しちゃあイケンとよッ。殊に鳥料理なんてぇのは包丁人の五感が味よッ。なにッ。アンタんとこの鳥料理は旨いかってッ。ナンバ言うとるとッ。店に来て食べてミンシャイ。旨いか不味いか<くればわかる>たいッ」
勝手な推察。が、その通りであるような気がして嬉しくなった。嬉しさを共有したくて、古謝美佐子を起こして見せたのだが、彼女はチラリッ目を向けただけで、すぐに夢の第二部の世界へ入って行った。

三荻野の鳥料理店は「くればわかる」だが、那覇市三原にある居酒屋は、もっとインパクトのある看板を出している。
「くるな」
語感通り「来るなッ」なのか、青物に<くる>という<菜>があるのか。わざわざにでも行って、いっぱいやりながら確認したいのだが、なにしろ「くるな」だから、一見の私がのれんを押し上げたとたん、偏屈そうな大将に「来るなッ」と、怒鳴られそうで気おくれしている。

 那覇市三原界隈は、住宅街なのだが、通りは4、5人入れば満席になりそうな飲み屋が100軒ちかくはある。いまはもうないが、ここには劇場があって芝居を常打ちしていたし、しばらくして、その斜め向かいに那覇市真和志支所が設置されて、人の往来で賑わっていたからだろう。
劇場名「あけぼの劇場」は、定員200ほどであったが、多くの役者がその舞台を踏んでいる。
 昭和28年<1953年>3月。奄美大島出身と聞いているが、増田 実が開設した娯楽の殿堂。座長松茂良興栄<故人>一行”みつわ座”の柿落とし公演で沖縄芝居の歴史を刻んできた。娯楽が少なかった時代。興行に関する法的定員200人のキャパシティーなのに500人を収容することも珍しくなかった。その後、テレビの登場。芝居では観客動員がむつかしくなり、映画館に転じたが、いつの間にか閉鎖してしまった。沖縄各地にあった芝居劇場が同じ運命をたどったのは言うまでもない。

 三原界隈は、庶民の憩いの場であることは、いまでも変わりはないが、先日、所用で通りかかった際、これまた、感動的な看板に出会った。ピンクのプラスティック板に文字が慎ましやかに浮かんでいる。
スナック「母子家庭」
目頭が熱くなった。人生いろいろ、女もいろいろ。浮世の波風にもまれながらも、それでも負けずに一生懸命生きている母と子が経営しているのだろう。ここは、役者北村三郎と連れだって是非、行ってみたい。決して裕福ではないが、母と子は深い絆で結ばれ、心だけは豊かに生きている・・・・・。
北村三郎得意の人情劇が一本書けるかも知れない。タイトルはこうだ。
「しあわせの母子花」
 



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2 コメント

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Unknown (あかちちぃどい)
2012-09-10 20:27:42
暁の薄茶飲みぐれしやあてど茶請しやんともてみそや取たる・・・読人しらず
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Unknown (ぐしちゃーのキク)
2012-10-20 08:30:21
「くればわかる」。小倉に3年いましたが、私の馴染みの店でした。80歳余の大将と気持ちのいいおかみさんの店です。大将、残念ながら亡くなりましたが、おかみさんが元気にやっています。美味しい居酒屋さんです。
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