旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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島うた・誇らしゃ・山内ぶし

2008-10-16 15:36:05 | ノンジャンル
★連載NO.362

 いつものように朝4時半。
 61年連れ添った妻フミは、すでに起きて渋めのお茶を入れ、飲みよいほどに冷まして夫の目覚めを待っている。夫は起床すると早々に洗面をすませ、着こなしたスポーツウェアに着替える。支度が整うと、妻の入れたお茶をひと口ふた口飲むと、そそくさと階下の車庫へ。妻は無言のまま、夫の背中に視線をやって送り出す。
 沖縄市園田の家庭で16年間見られる風景だ。
 夫とは、戦後沖縄の民謡会にあって「100年にひとりの美声」と沙汰された歌者山内昌徳。愛車を走らせて向かう先は、自宅から1キロ足らずのそこにある沖縄市営運動場。日課のウォーキングが目的である。
 「ウォーキングなのだから、1キロ足らずは歩いて行ってはどうか」
 周囲はそう勧めるが、本人の思惑はこうだ。
 「早朝とは言え、勤め人の運動者がボチボチ数を増す時間。それに社交街中の町のそばを通るから、飲み屋で夜を明かした人も車も飛び出してくる。健康維持のためのウォーキングをするのに、輪禍に遭ってはたまらない。だから車で行く」
 立派な理屈が返ってくる。ひところは、思い通りの運動量をこなせたが、最近はそうもいかなくなった。なにしろ、セクシーな美声をもって一世を風靡した山内昌徳が毎朝〔運動場に姿を現す〕ことを伝え聞いた、かつての山内ファンの女性・・・・と言っても70代80代の美女たちが、彼を待ち受けるようになったのである。
 ウォーキングはそこそこ。すぐに拉致されて、美女たちの世間ばなしの中に拘留されてしまう。議題は高齢化社会をどう生き抜くか、少子化、年金、政治、経済、国際情勢。色恋ばなしから燃油高騰、ニッポンの行く末にいたるまで、とかく事欠かない。つまりは、いなまお「スター健在」というところ。運動場を囲む樹木の下で開かれるこの早朝討論会を横目で見ている他のウォーキング連は、ある種の羨望もあってか、この様子を「山内教室」と呼称するようになっている。
 「おたがい老いたりとは言えども、かつて沖縄の民謡シーンを共有した美女たちだ。彼女たちとの交流を拒まず、いや、大事に維持することは、歌者の普遍的姿勢でなければならない」
 〔ファンを大切にする〕。これまた妙に説得させられる山内論。このような山内昌徳の周囲に起きたエピソードは虚々実々、20や30の事例ではない。スターほどエピソードは多く、それがまたスターのスターたるゆえんと言える。

第11回NHKのど自慢大会」沖縄代表

 大正11年<1992>4月25日。
 読谷村牧原1366番地。父昌蒲、母ナビの3男3女の中の3男に生まれた山内昌徳。古堅尋常小学校、同青年学校を経た山内青年は、当時の若者のすべてがそうであったように「滅私奉公」。御国のため、天皇陛下への忠義を果たすべく、徴兵検査を受けて甲種合格、日本帝国軍人になった。配属先は、鹿児島西部18機関銃部隊。訓練はそこそこ、国分飛行場造成、整備で夜が明け、日が暮れる毎日だった。それから終戦に至るまで中国大陸北支・南支を転戦。その体験は〔壮絶〕を極めるが、紙面の都合上割愛。
 敗戦を南支の荒野で知り長崎、鹿児島、大阪を経て沖縄に引き揚げた。かつての日本帝国軍人は、米軍嘉手納基地に働き、少年のころから弾いていたサンシンに歓びを見つけ、米民政府管理下にあったラジオ「琉球の声・沖縄放送局=現琉球放送KKの前進」にも出演。昭和33年<1958>3月。NHKのど自慢全国大会に民謡の部・沖縄代表として出場。戦前戦後を通して初めてのこと。歌ったのは得意の「ナークニー」。この節の歌い方は、いまも「やまちナークニー=山内風ナークニー」の名が付いて歌われている。
 政治力では成し得なかった〔日本復帰〕を〔島うた〕で成し遂げたのである。そのころから、山内昌徳の評価は「100年にひとりの美声」。以来、演奏活動はもちろん、後進の指導に尽力、幾多の歌者を世に出したことか。

 平成8年<1996>。
 山内昌徳は〔自分の入る墓〕を建てた。正面墓壁右上には〔歌者山内〕の文字が刻まれている。「山内姓は多いからね。間違いなくワシの墓である証」だそうだ。
 沖縄には生前葬の風習はないが、存命中に自分の墓を建造すると〔長生きする〕という観念はある。それを見事に実行。洒落っ気も十分だ。それを知る人たちは口々に言う。
 「ヤマチぬウトーや、望み通ゐ、ヒャークや軽っさんどぉ=山内のおやじさんは、望み通り百歳は軽く行くぜ」。
 歌の達人は〔人生の達人〕になった。さすがに公開の場で歌うことは控えめにしているが、日課のウォーキングは欠かさず、次男たけしをはじめ直弟子、孫弟子たちの稽古は厳しくつけている。

 そして平成20年<2008>10月26日。
 昨年やるべき85歳のトゥシビー祝儀<生まれどし祝い>を記念して、次男たけしと共に親子リサイタル「島うた 誇らしゃ 山内ぶし」を開催する。場所=沖縄市民会館。午後6時開演。それに合わせて「誇らしゃ 山内ぶし」と題するCDをキャンパスレコードから出す。全16曲。これに登場する船越キヨ<故人>、外間愛子<故人>や瀬良垣苗子らは、戦後の女性歌者の先がけであり、山内昌徳と共に、復帰前の沖縄を全国に認知させる役割を担ってきた。また、このCDは単に個人の歌歴にとどまらず、昭和30年代から今日に至る〔島うたの記録〕と言える。伴奏楽器、録音技術など、昔日のサウンドからそのことを感じ取り、島うたを共有する1枚にしたいと思っている。

 ☆キャンパス通信。
 *「島うた・誇らしゃ・山内ぶし」の公演及びCD「誇らしゃ 山内ぶし」についての問い合わせは、キャンパスレコードへ。
電話:098-932-3801
http://sky.ap.teacup.com/campus-r/136.html



次号は2008年10月23日発刊です!

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