ツトムさん家の写真日記。

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第876回 碓氷峠 熊野神社 熊野皇大神社 下。

2014-06-10 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)


群馬県と長野県の県境に聳える“一の字山”(1336m)の東南中腹に位置する、碓氷権現熊野神社熊野皇大神社の境内(標高1200m)を散策。
両神社の境内にある名所・名跡など訪ねます。

群馬側の“熊野神社新宮”横に鎮座している赤屋根は“正一位 稲荷大明神”兼“菅原社”、五穀豊穣・商売繁盛の神と学問の神様が同居の御社。
稲荷神の使い"白狐”が人待ち顔で整列しています。
 

熊野神社本殿近くの古石垣の上には数多くの末社も見られます。 
下は健康神社と名付けられた社(やしろ)。
天御中主大神ほか二神を祀り、心と体の健康と子孫長久・二世安楽・厄難消除の守護神。
 

火袋の部分が無く、笠が中台に載っている古灯篭やかなり年代物(江戸時代)の石碑も見られます。
   
六重の石塔は南北朝(文和3年・1354年)の銘がある石造の多重塔
碓氷峠一帯で争われた「武蔵野の戦」で亡くなった武士の遺骨を納めた石塔で天明3年の浅間山大噴火で被災し、本来の七重塔が六重塔になったそうです。

熊野神社境内東側に建てられた立派な石碑は「のぼる陽は 浅間の雲をはらいつつ 天地霊あり あかつきの光」と刻まれた歌人・杉浦翠子の歌碑。
 
伊達正宗公が碓氷峠を登ってきた折に詠んだ「夏木立 花は薄井の 峠かな」・・・・この句の石碑はありません。

群馬県側の熊野神社境内の展望の良い場所に“日本武尊「吾嬬者耶」(あずまはや)詠嘆の地(日本書紀より)”の縦看板。
 
県境から群馬県側の地区を吾妻郡と呼ぶいわれが「吾嬬者耶」からだったのです。
また、その昔は碓氷峠から東を東国(あずま・あずまのくに)とも呼ばれました。

熊野神社(群馬県)の御神木一位(いちい・くぬぎ)の大木、随身門の脇にあります。
 

長野県側の熊野皇大神社の境内を拝見。 随身門の横には“明治天皇峠御小休所”なる石柱と“日本武尊「吾嬬者耶」詠嘆の処”と記された小看板。
本当の詠嘆場所は群馬側か長野側か不明ですが、長野県側からの眺望は期待できません。
  
熊野皇大神社の御神木は「(しな)の木」の巨樹。信濃(長野県)の語源になった科の(科野)木と云われる樹齢800余年の古木。
アイヌ語のシナ(科)には結ぶ・縛るの意味があり、縁結び・開運の霊験・御利益があるそうで、「しなの木御守り」もあります。

長野県側の那智宮本殿左側に奥宮が四社鎮座。
右から「山神社」、「荒神社」、「八咫烏社・矢立社」、「〇×社」(小さいので画像省略)。

我が家の「山の神」が鎮まるよう入念に「山神社」を拝します。

長野の熊野皇大神社の「日本武尊と八咫烏」絵馬。群馬の熊野神社の「日本武尊の吾嬬詠嘆」絵馬。
 

八月九日生まれの“やたくまくん”は軽井沢のゆるキャラ。
八咫烏と熊の愛の子、科の木葉を頭に載せて3本脚で素早く困っている人を助けます。
 
碓氷権現の「JFAお守り」で今月ブラジルで開催ののWOLD CUP必勝間違いなし。


次回は安中市の旧跡編。


2014 06 10(火)記。      前橋市       最高気温 28.5℃       最低気温 19.5℃


おまけコーナー。

500年分の女性西洋絵画90作品を約3分間に凝縮。
500 Years of Female Portraits in Western Art