ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第614回 塩釜市 志波彦神社 七曲坂 御釜神社 塩釜まぐろ食堂。

2011-08-08 18:44:48 | 旅行

2011 07 17(日)

塩釜神社東神門から石段を下ると正面に小砂利が敷き詰められた志波彦神社前広場。
その一角に長い巨石がベンチ代わりに置かれていました。
長さ7.4m、幅1.5mの粘板岩の一枚岩“稲井石”。以前は川に架けられた橋板として使用されていたそうです。
 
広場から塩釜港が見渡せる高台に昭和天皇の歌碑が建てられていました。
歌碑には「さしのほる 朝日の光 へたてなく 世をてらさむそ わかねかひなる」の歌。

快晴の空の下、塩釜港が一望できます。


左手の手水舎で清めてから、志波彦神社の楼門を通って社殿へ・・・。


正面には志波彦神社の拝殿。入母屋流造りで鹽竈神社と良く似ています。
 
拝殿内部の真ん中に見えるのは本殿への入口扉かも・・・。

拝殿前の左右に一対の青銅製燈篭、手の込んだ模様が施され、名工の作と思われます。
 
志波彦神社・鹽竈神社共用の神馬絵図の願い絵馬。

志波彦神社については、⇒ ここクリック。

志波彦神社の直ぐ下にある「鹽竈神社博物館」は東日本大震災の被害で休館中。
入口近くに置かれていたのは鯨獲る捕鯨銃と大きな。かなり錆びが進み哀れでした。
 

四阿(あずまや)の下に甑炉(こしきろ)型鋳銭釜(いせんがま)を見ることが出来ました。
高さ183cm直径154cmで鉄製の鋳造炉、藩内で産出した鉄・銅で硬貨など造っていたそうです。
 
丸い平鍋は石川県能登半島の揚浜式塩田で使用されていた“煎熬(センゴウ)用平釜”。
天日で濃縮した塩水(かんすい)を煮詰めて塩にした平釜です。

一森山の鹽竈神社・志波彦神社からの帰路は一番古くからの参道だった“七曲坂”を下ります。
木立の下、幾重にも曲りくねった坂道をオゾンを浴びながら・・・。
 

七曲坂終点(上り口)にあった古碑は「しるべの石」。
塩釜九名石の一つで当地の菓子商・越後屋喜三郎により享保16年(1731年)に建てられた道標石。
昔はこの場所が塩釜の中心であったそうです。


七曲坂を下った地点から200mほどの場所にある“御釜神社”を訪問。
鳥居の扁額には「御釜神社」ですが石柱には「御釜社」、オカマ者が参拝かもね・・・。
 

御釜社の目玉は異変を知らせると伝えられる四口の鉄製御釜(神釜)です。
手前に2釜は屋根が無く、奥の2釜は上に庇(ひさし)が架けられていました。
御釜の水は常に涸れる事がないと言われ、世に変事が起こる前に水の色が変化して告げるそうです。
 
東日本大震災でも数日前から色が濁り、釜縁が小さく波立ち異変を告げたので、親宮の鹽竈神社に報告したとの事でした。
水色の変化で天変地異が起こるのは判るが、日時方向場所などは特定出来ないそうです。
この日の御釜水は左奥の一釜が少し濁っていただけで他の三釜は底が見えていましたが、本来の姿では無いそうで、、まだまだ余震など注意が必要との話でした。

古来から御釜神社の四口釜が塩釜発祥の中心地と言われています。

御釜神社境内の奥には「和賀佐彦という神が七歳の子供になって塩を背に載せた牛を曳いた姿が石になった」と伝承される牛石が沈み隠れている池の横に建つのが“牛石 藤鞭社”と神様が牛に使った「藤の鞭」を地面に挿したら藤になったと言う藤棚。
 
7月4~6日に古式製塩法で塩造りを祀る“藻塩焼神事”の舞台になる御竈。
この竈の上に平釜をのせて下から火を焚いて製塩して祀ります。

興味は尽きない御釜神社を後にして、本塩釜駅方面へ・・・。
御釜神社から2分ほどの地にあった造り酒屋・㈱佐浦(清酒・浦霞)の社屋入口がお寺みたいな造りです。

説明板には「塩釜神社の別当寺だった法蓮寺本堂の入口向拝を移築した」と・・・。
塩釜神社の神宮寺として法蓮寺は仙台藩の祈願所となり、篤い庇護の下、七堂伽藍を備えた壮大な寺院だったそうで、明治期の廃仏毀釈で惜しいことに廃寺となり打ち壊されたそうです。

あちこち見物している内に、午後2時になってしまったので昼食タイムです。
地元の人が奨める本塩釜駅近くの“塩釜まぐろ直売食堂”に入店。


この店の料理は全てマグロ料理! 
お店一押しのマグロ漬け炙りの「二色丼」(780円)と「まぐろの煮付け」(200円)を注文。
 
地元推薦の店だけあって新鮮で美味しいマグロ料理、皆様にも絶対にお奨めできます!!

次回は塩釜港など散策。(塩釜津波被災動画あり)

2011 08 08(月)記。     前橋市       最高気温35.5℃   暑ぅ~


おまけコーナー。

おバカ動画。 肛門ロケット花火!!