2011 07 17(日)
日本三古碑の一つ、多賀城碑を見学した後、奈良・平安時代の陸奥国府であった“多賀城跡”を散策。
国の特別史跡に指定されている多賀城跡は奈良の平城宮跡、九州の大宰府跡とともに日本三大史跡に数えられ、724年大野東人により建設・設置され、東北蝦夷地の平定にあたる最前線の戦略拠点だったのです。
先ずは、多賀城碑から80mの直ぐ傍にある多賀城外郭塀の南門跡。
現在は南門が建っている訳ではなく、夏草が生い茂る場所に復元された石階段があるだけでした。
付近に往時の多賀城全体の青銅製レリーフが置かれ、多賀城が一辺約1kmの築地塀で囲まれた城砦のような場所だった事が見てとれます。
南門は俯瞰図中央下方の赤サビが出ている地点に建てられていたそうです。
重要文化財の多賀城碑付近から遠望した多賀城政庁跡、広い石階段を上った先に政庁の基壇があります。
多賀城碑の傍の南門から約450mで多賀城政庁跡入口にあたる“城前跡”に到着。
ここからはなだらかな勾配の石段坂道が続きます。
石段坂道の途中踊場から下を見ると、正面真ん中の木立の中に“多賀城碑”が小さく見えました。
多賀城跡地でも親切なボランティアガイドさんから詳しい説明が受けられます。
太陽に背を焼かれ、上り切ると広々とした草原広場で、説明板が無ければ多賀城遺跡とは思えません。
右隅の囲いの中の方形石はこの場所(多賀城政庁)を模った青銅レリーフ。
一辺約100mの築地塀で囲まれた多賀城政庁の門や正殿などの建物が立体的に見られます。
政庁区画の西側に建っていた“西翼廊跡”と政庁正門の“南門跡”。 礎石だけが夏の陽に明るく照らされて・・・。
こちらは政庁の”東翼廊跡”、翼廊は南門を挟んで左右対称に建てられていました。
石が敷き詰められた“敷石広場”の後方には多賀城政庁の正殿が建てられていた基壇が見られます。
復元された正殿跡に残る基壇、この場所で政務や儀式などの陸奥の国に関わる重要な決定が行われていたそうです。
多賀城正殿跡基壇の後ろ側に建てられていた2石碑。左の石碑は“後村上天皇御坐処”、右縦長碑は“明治天皇供霊碑”。
後村上天皇は蝦夷地だった未開のこの地まで本当に来たのでしょうか?
後村上天皇が若き時代に北畠氏にかつがれ、当時国府だった多賀城に赴任し、この地で義良親王に任ぜられた(1334年)そうです。天皇の時には来ていないのでした。
多賀城跡(拝借動画です。)
特別史跡・多賀城跡の詳細は、⇒ ここクリック。
多賀城跡の見学後、旧塩釜街道を通って塩釜に向かう途中に立ち寄った“陸奥総社宮”。
それほど古そうには見えない社殿ですが、陸奥総社ですから東北地方一円の神社を統括している由緒ある本社(ほんやしろ)かも・・・。
拝殿の外壁には「自衛隊66km駅伝優勝額」と卯年の大きな奉納絵馬。
安産と子育てに霊験がある“安産枕”。
妊婦がこの枕を持ち帰り神棚に供え安産を祈り、無事出産の後は一個増やして御礼奉納すると良いとか。
裏側には本殿が木立の中にひっそりと・・・。
陸奥総社宮については、⇒ ここクリック。
次回は陸奥一宮・塩釜神社です。
2011 08 02(火)記。 前橋市 薄 最高気温27.0℃
おまけコーナー。
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國?小?有幾勁?
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