ツトムさん家の写真日記。

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第478回 中山道 木曽路の旅 6 馬籠宿

2009-12-18 12:59:04 | 旅行

2008 11 23(日 勤労感謝の日)

妻籠宿から小高い馬籠峠を越えて、距離にして約8km馬籠宿(中山道43番宿場)に到着。
車を駐車した場所が馬籠宿の坂上で、馬籠宿を下りながら見物することになりました。


妻籠宿と同じように、こちらの馬籠宿も大勢の観光客で溢れかえっていました。
馬籠宿は明治28年と大正4年の大火災で石畳と石垣を残して全焼、その後に再築・復元して現在の馬籠宿が出来たのです。
 
左右の宿場家屋を覗きながら、だらだら坂「馬籠宿通り」を下ります。


木曽路の馬籠宿全体に晩秋の気配が濃厚に漂っています。

喫茶店の茶房「四方木屋」も古民家風な造りで街並みと調和がとれていました。
 
堂々とした構えを見せていたのは土産店・大黒屋
大黒屋は島崎藤村の初恋人「ふゆ」さんの実家、その時代には造り酒屋を営んでいました。名残の杉玉が正面に飾られています。

石畳が敷かれた阪の途中にある黒塀に囲まれた大きなお屋敷が文豪・島崎藤村の生まれた家で、代々馬籠宿の本陣を勤める名家でした。 
現在は藤村記念館として島崎藤村に関しての資料・遺品などが展示されています。(入館料500円)
 
藤村記念館の直ぐ近くに馬籠脇本陣史料館(入館料300円)。
脇本陣は屋号を「八幡屋」と言い、館内には馬籠宿の民具・家財・什器など展示。
入口前に山口誓子の「街道の 坂に熟れ柿 灯を点す」と刻まれた句碑、晩秋の季節にはぴったりの俳句です。


二度の大火を経験した馬籠では大きな商家には隣家との境に立派な卯建(ウダツ・防火壁 豊かな家の象徴。)が設えてあります。
筆者は何時まで経ってもウダツが上がらないのです・・・トホッ。



馬籠宿通りの途中にある「道中おやき」の店で腹ごしらえしました。 
野沢菜お焼き”(120円)はホカホカで野沢菜漬の酸味が郷愁を感じさせる味!

 
更に坂を下った店で五平餅(100円)も頂きました。
岐阜県高山市で売っている様な平たい五平餅ではなく、妻籠宿の五平餅は炊いたご飯をつぶし、丸い団子状を串に刺して胡桃醤油を塗りながら焼いたものでした。


宿場の中程で通りを直角に曲げた“桝形”、妻籠宿の枡形と同じような防備構造ですね。


枡形でくるくると回る水車を眺めながら坂下の馬籠宿入口の通りへ・・・。
 
お土産屋の脇には「江戸へ八十里半 京へ五十二里半」と記された「中山道馬籠宿」の石柱。

馬籠の下の入口、馬籠宿へはここから歩いて上る方が宿場の雰囲気が味わえます。

この場所から上って行くと、馬の背形状の地形に作られたので馬籠と名付けられたのが肯けます。

下の大通りから再度、坂の馬籠宿通りを上の方面へ往復です。

坂の右手に古民家の“清水屋資料館”。夕暮れ時なので既に閉館でした。
この清水屋は島崎藤村の小説「」に登場する「森さん」の家と言われています。
館内には島崎藤村や江戸時代の文物・工芸品などが展示されているそうです。

木曽路の晩秋でも温暖化のせいか赤く色づいたが見事です。
 
赤い楓の下には「中山道ま古め」の石碑。(新しい石碑。)

宿場町には必ず設置された政令・禁令などを貼り出した高札場

この高札場は馬籠宿の一番高い場所に立てられていました。(復元)

馬籠宿通りの石畳坂を更に上へ登ると馬籠上陣場の展望台に着きます。

この展望台は馬籠を長野県から岐阜県に越県合併した記念として上陣場地区に造られ、越県合併記念碑も建てられていました。
記念碑に記された「あの山の向うが中津川だよ、美濃は好い国だねえ~。」島崎藤村(夜明け前)。 
長野県木曽郡山口村馬籠から岐阜県中津川市馬籠となったのです。

 
東岐阜の山々が眺望できる良く整備された展望台です。 
島崎藤村の「心を起こさうとおもはば、先ず身を起こせ。ニイチェ之言葉より」の句碑もあります。 そうだ、考えるより先ず行動だァ~! 気合だァ~~!!ってね・・・


馬籠上陣場展望台の休憩小屋に掛かっていた島崎藤村「夜明け前」の一節。


馬籠上陣場から暮れなずむ名峰・恵那山(岐阜と長野の県境に聳え海抜2192m。日本百名山の一つ。天照大神が産まれたときの胞衣[えな]をこの山に納めた伝説が山名の由来。)を正面に眺望。

うっすらと雪を頂き、船を伏せた山容から船伏山(ふなぶせやま)とも呼ばれました。

馬籠上陣場近くの中山道の分岐に置かれた古い道標道祖神
 
馬籠峠に向かって車を走らせると左側に大きな古びた句碑が・・・。
古句碑に刻まれた「渋皮の むけし女は 見えねども  栗のこはめし ここ乃名物」は十辺舎一九の作。
渋皮のむけし女とは垢抜けたイイ女って事ですかね・・・。


馬籠峠少し手前の峠宿「間の宿」。(馬籠と妻籠の間にある宿場。) 
馬籠から離れているのと夕刻なので訪れる人は誰もいません。


夕陽を浴びて昔の宿場町の面影を色濃く残していました。

無人の「間の宿」の軒先には美味しそうな干し柿が・・・。
 
右の常夜燈のある家は宝暦12年(1762年)の大火後に立てられ、百数十年の歴史を刻む旅籠「桔梗屋」。

間の宿から程なくして馬籠峠(標高801m)に着きます。
峠の頂上に立つ古びた石碑には「馬籠峠。 白雲や 青葉若葉の 三十里」正岡子規。
 
馬籠峠からほんの少し下って滝の見物に行きました。

夕闇の薄暗い谷間で最初に出会うのは(雌)、続いて左側に曲がった暗いところに(雄)が見えます。(落差15mほど。)
幕末頃まではこの滝の下を中山道が通り、峠越えする旅人に一服の清涼を与えた休憩名所でした。

 
この滝は吉川英治の小説「宮本武蔵」で武蔵とお通のロマンスの舞台になった夫婦滝と云われています。
また、この滝壺に金の鶏が舞い込み、滝壷から時を告げる鶏の声が聞こえたと言う倉科様伝説も語り継がれています


勤労感謝日の「中山道 木曽路の旅」はこれで終了、前橋市を朝5時に出発し、奈良井宿・寝覚の床・妻籠宿・馬籠宿・滝見物と目一杯な車旅は夜9時に無事到着でした。

2009 12 18(金)記。  前橋市  最高気温8.5℃

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