2008 11 23(日 勤労感謝の日) 昨年(2008年)の画像。
長野県は木曽路の日帰り自動車旅。
早朝5時頃に前橋を立ち、高速と一般道を突っ走って新和田トンネルを越え、岡谷・塩尻経由で奈良井宿へ・・・。
朝の8時前にJR中央本線「奈良井駅」横のP場に到着。
日曜日の朝なので周辺には誰もいません。
JR奈良井駅から直ぐの所に江戸時代の面影を残す宿場「奈良井宿」があります。
奈良井宿は木曾十一宿の北から2番目の宿場で、その昔は奈良井千軒と謳われ木曽路一番の賑わいを誇っていました。(中山道69次の34番目、中山道の中央宿場。)
宿場町の規模・保存状態では日本一で、奈良井川に沿って約1km宿場の家並が続きます。
現在は「文部省選定重要伝統的建造物群保存地区」、「美しい歴史風土100選」にも選ばれました。
日中になれば観光客で賑わう奈良井宿も早朝で全く人気は有りません。
奈良井宿の脇を流れる奈良井川を挟んで両側に小高い山が迫っているので朝日が射さず薄暗い中を歩いて見物。
通りの両側のお店も閉じたまま・・・早過ぎて寂しいです。
「木曽路は山の中」ですから、木工製品や漆工芸品などがお土産品としてて有名です。
奈良井宿の中程にこんこんと湧き出す泉が・・大変美味しかったです。
昔は行き交う旅人が喉を潤し疲れを癒した歴史ある「下町の水場」ですね。
奈良井宿には湧き出す水場が数ヶ所あり、人々の暮らしに溶け込んでいます。
奈良井宿の山際に建つ臨済宗の古刹・大宝寺を訪問。
境内の片隅に顔の欠けたお地蔵様がありました。
この地蔵は藪の地中に半ば埋もれていたのを村人が昭和7年に掘り出したそうで、「子育地蔵」と親しまれていましたが、観音様に抱かれている嬰児の手に持つ蓮華の先が十字形になっている事から、この地の隠れキリシタンが地蔵様をマリヤ様に見立てて信仰したのではと噂され「マリヤ地蔵」「マリヤ観音」と呼ばれる様になったそうです。
人も動物の影も全く無い奈良井宿、時代劇のロケ地に最適な風景です。
自民党政権末期の麻生太郎のポスター「先ずは、景気だ。」が侘びしく見えます。
この手のポスターは由緒ある観光地の情緒をぶち壊しますね。
奈良井宿には現在でも沢山の宿屋があります。
江戸時代の旅籠屋の気分で宿泊しても一興ですね。銭形平次や坂本龍馬などが出そうです。
木製の櫛(くし)を売る店。木曾柘植(つげ)の櫛が最高とか。
上問屋史料館は明治天皇が休憩した旧家にありましたが、開館前で入れません。(国指定重要文化財。明治天皇行在所の石碑が大き過ぎて邪魔!)
宿場での問屋は伝馬や人足を常に定備し管理・運用する役目。
上問屋(かみどんや)は明治維新までの270年間庄屋役の兼務し、奈良井宿で旅人などの用に応じたのです。
奈良井宿の途中で道はクランク状に折れ曲がり、「中山道奈良井宿 鍵之手」の石標が立っています。
「奈良井宿 鍵の手」の横には夫婦仲睦まじい道祖神、道中安全も兼ね往時の旅が偲ばれます。
陽が昇り始め次第に明るくなってきた奈良井宿。
信州と云えば名産品の蕎麦(ソバ)ですね。
「信州信濃の蕎麦よりも、わたしゃアンタのそばが良い。」って云われてみたいよ・・・。
木曽路は奥深い山国ですから漢方薬の薬草店もあります。
長い暖簾の掛かったひと際大きな建屋は江戸時代の脇本陣。
約1時間ほど見物しましたが、出会った人は僅かに5~6名。
江戸時代にタイムスリップしたような、しんしんと冷える無人の奈良井宿を堪能した勤労感謝の朝でした。
奈良井宿の横を沿って流れる清流・奈良井川に大きな木橋が架かっていました。
橋の名は「木曾の大橋」。木曽路では一番大きな木橋です。
最近、全面修復されてた美しい太鼓橋。樹齢300年以上の木曾桧で作られたそうです。
木曾の大橋からの奈良井宿の景色。 奈良井の宿場は右側に位置し、下を流れるのは奈良井川。
木曽茶臼山(2653m)に源を発する奈良井川は下流で梓川・犀川に合流し、千曲川から信濃川に名を変え日本海に注ぎます。
奈良井宿の見物の後、国道19号線を南下し妻籠宿へとひたすら車を走らせて・・・。
途中の木曽川にある名所「寝覚の床」(木曾八景の一つ、国指定名勝天然記念物。)で一休み。 線路はJR中央本線。
激流で刻まれた方状節理の巨岩が屹立する中をエメラルドグリーンの木曽川が今日は鏡のような穏やかな水面を見せていました。
寝覚の床を見物・小休止し、車は一路、妻籠宿を目指します。
次回は妻籠宿で行われた「妻籠時代祭り・文化文政風俗絵巻行列」です。
2009 12 02(水)記。 前橋市 最高気温15.3℃
おまけコーナー。
世界一の超々高層ビル「ブルジュ ドバイ」(高さ818m)。
ブルジュ ドバイ全景。
Burj Dubai
ブルジュ ドバイの818m最上部からの想像を絶する景色。
On the top of Burj Dubai's spire