6月2日(土) 弥彦山観光も無事に終わり、その後は岩室温泉経由で越後第一の名刹・国上寺と五合庵へ・・・。
新潟県の名湯・岩室温泉の近くに洒落た和風建築の美味しそうなお菓子屋があったので、小腹を満たす為ちょっと立ち寄ってお菓子を数点購入しました。
お菓子屋の屋号は「角屋悦堂」(新潟市岩室温泉616)。
名物・温泉饅頭とわらび餅と麩饅頭をお土産に持ち帰りましたが、いずれもかなりの美味!
特にわらび餅と麩饅頭は絶品と云っても過言ではないでしょう。(注意・季節商品 温泉饅頭70円 わらび餅140円 麩饅頭160円)
ナンでこんな田舎にこれ程美味しいお店があるのか不思議でした。
お土産の温泉饅頭を食べながら、再び弥彦神社の脇を通過して、一路国上寺(こくじょうじ)へ・・・。
国上寺門前の誰も居ない駐車場へを止めて、夕方で閉店作業をしているお土産屋を横目で見ながら、なだらかな参詣道を登ります。
途中にある「ボケ封じ地蔵」「やすらぎ観音」などの諸仏像が心を癒してくれました?(ピカピカ新品の像です。)
木立の中、森林浴でオゾンをいっぱい浴びながら5~6分で国上寺の境内へ。
路傍に建っている「雲高流・祖宗範 山田岳堂」(詩吟)の石碑を見て、緑の樹木に包まれた国上寺境内に入ると左手に鐘楼が建っており、本堂手前の参道には玉石を敷き詰めたなだらかな太鼓橋が架かっていました。
説明文には、麓の村の西条喜惣兵衛が寄贈した「玉の橋」と。
弥彦神社の玉の橋は神様専用でしたが、国上寺のは誰でも渡れて有難いですね。
国上寺本堂の左横には「六角堂」(文化3年・1806年建立)と名付けられた趣のある古いお堂と苔生した立派な石仏群が・・・。
六角堂内部に安置されているのは大黒天。
この大黒天は弁慶たちと奥州へ落ちのびる途中の源義経が文治3年(1187年)に国上寺参詣の折、旅の無事を祈願して寄進したと云われています。
国上寺本堂の右手には国上山(くにがみさん・くがみさん 標高313m)登山道と大師堂(寛永8年・1631年建立)。入口に「縁結び大師」の看板。
内部にお馴染み弘法大師の尊像がって微笑んでいました。
弘法大師像の横に気色悪い役の行者と男女の晒し首の木像。
とても「縁結び大師」って雰囲気ではありません。もしかして、あの世で結ばれるってこと・・・??
大師堂の前に巨大な倒木が屋根付きで保存されています。
この倒木は「五鈷掛の松」と呼ばれ、国上寺開基より霊木と崇められました。
修行を終えた弘法大師(空海)が中国からの帰路、三鈷と五鈷を空高く投げたら、三鈷は高野山の松に、五鈷は国上寺のこの松に掛かりその縁から真言の道場なったと云う松です。
真言宗豊山派 雲高山・国上寺(こくじょうじ)の本堂。本来の屋根は茅葺ですが、屋根を銅版で覆っています。(雲高山は雲上山とも国上山とも呼ばれる。)
国上寺の創建は古く、和銅2年(709年)泰澄大徳(682~767年)の開山。北海の鎮護仏法最初の霊地と謂われる越後最古の名刹。
国上とは国中で一番の意味、国上寺は正一位の格式を持つ越後一の寺。
上杉謙信公の時代には境内に七堂伽藍、山中に二十一ヶ寺、百三十余の末寺を擁した大宗派となり隆盛を極めました。
本尊は「上品上生阿弥陀如来像」、有名な行基の作と伝えられている。
本堂内陣には貴重な尊像が沢山ありました。
下左は国上寺開山の泰澄大徳の古木像。
上右は阿弥陀堂(本堂)を再建した国上寺中興の祖・万元上人像。(何故か万元上人は天台宗の僧侶。)
雲高山国上寺は幾多の戦火や火災で焼失、現在見られる本堂(阿弥陀堂)は江戸時代・享保3年(1718年)に万元上人の尽力により再建されました。
次回は良寛和尚の五合庵。
2007 06 18(月)記。 前橋市 最高気温29℃。
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