前回の安楽寺“厄払い朝観音”に引き続き、埼玉県吉見町にある超有名な「吉見百穴」(国指定史跡)へご案内します。
“吉見百穴”は古墳時代中~後期にかけて山肌を掘って造られたと云われています。
明治時代に東大教授の坪井正五郎博士が中心となって発掘調査が進められ、一時は先住民(コロボックル人)の住居だったのではと考えられましたが、大正時代になり古代人の墳墓だったとの説が有力となり現在に至っています。
沢山の集団墓穴群ですから、現代の最新お墓マンションと同じですね。
吉見町の市野川沿いの丘陵地帯の岸壁に掘られた吉見百穴へ入場・・・。
入場料金は大人300円で場内は良く整備されています。
入口を入ると目の前にドカ~ンと百穴の無数の洞穴が迫ってきました。
岩肌に開けられた穴の数は219穴と説明されていました。
(大正期には237穴あったそうです。崩落で減少したのでしょうか? 百と言うのは沢山と云う意味に使われます。)
凝灰岩に開けられた百穴墳墓を仰ぎ見ながら、正面右手の大きな洞穴に歩を進めました。
2本の柱で補強された大きな穴は古代人が掘った穴ではありませんでした。
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の昭和20年に当時の中島飛行機㈱大宮工場を疎開させる為に、強制的に拉致してきた朝鮮人(約3500名)に掘らせた地下軍需工場跡の入口穴です。
大宮工場の飛行機エンジンをこの地下工場で本格製造する直前に敗戦となりました。 この地下工場工事で百穴遺跡にも被害が及んだと云います。
戦争の傷跡はこんな古代遺跡にまでも・・・。
地下軍需工場入口は狭いですが、中に入ると驚くほどの広さです。
自動車もすれ違える幅もあり、内部では交差点のようなクロスした場所もあります。
旧中島飛行機㈱の大地下工場跡を抜けてから、吉見百穴の見学へ。
凝灰岩を削った階段が整備されて上り下りには安全・便利。
岸壁斜面のいたる所に大小の穴が開けられ、内部を見学出来る穴もあります。
人間と比較してご覧の通りの大きさです。
殆どの穴の内部は凝灰岩を屑って造った低いベッドの様なものが左右二つあります。
南斜面の穴は乾燥状態ですが、他の場所にある穴は湿度が高く緑の苔が生えていました。
結構広い穴も多く、古代人の住居と考えたのも無理はありませんね。
内部は冷んやりとした意外と快適な空間です。
吉見百穴でのもう一つの見所は、薄暗い穴の中に自生したヒカリ苔です。
このヒカリゴケは国の天然記念物に指定されている大変貴重な苔です。
暗い穴の内で妖しく光る苔を見ていると、黄泉の国へ引き込まれそうな気配・・・。
吉見百穴の見学を終わっての帰路、百穴との続きの岸壁に何やら怪しげな窓のような穴が幾つかみられます。
荒れ果てた子供の遊具などがある場所ですが、ココはかつて岩壁ホテルと呼ばれた場所です。
明治37年~大正14年まで21年間に亘って高橋峯吉氏により掘り進められた宮殿風ホテル跡でした。
(岩窟ホテルは岩窟掘ってるが訛ったそうで、実際には宿泊出来なかったようで、昭和63年閉鎖)
吉見百穴は「よしみのひゃくあな」と読むのが正式との事です。
一般的には「よしみのひゃっけつ」で通っていますが・・・。
吉見百穴の付近には前回の安楽寺の他にも岩室観音堂・八丁湖・黒岩横穴群など見所が沢山あります。(後日掲載予定)
吉見百穴の詳細はここクリック。
古代史ロマンを訪ねて吉見百穴に行かれてはは如何でしょうか・・・。
2007 06 29(金)記。 前橋市 最高気温28℃
(使用画像はツトムアーカイブス2004より)