6月2日(土) 弥彦神社を参拝。
美味しい海鮮ランチを頂いた後、三条市から20km程の弥彦山へ向かった。
越後の名峰・弥彦山へ登る前に、弥彦山麓にある超有名な弥彦神社へお参りします。
弥彦山も山肌が新緑に染まって清々しい姿を見せていました。(弥彦山全体が弥彦神社の神域。)
弥彦神社の境内入口には朱色の大きな鳥居と「越後一宮・名神大社 弥彦神社」と刻まれた名石碑。(名神大社[みょうじんたいしゃ]は967年施行の延喜式神名帳に記された2861神社の中でも特に霊験があらたかな特別格の神社。名神大社は全国に224社。)
大鳥居から振り返ると少し鄙びた弥彦温泉街が見えます。
弥彦神社大鳥居から続く敷石を辿って行くと、鬱蒼とした木立ちの中を流れる御手洗川に架かる朱色の太鼓橋が右手に有りました。
この太鼓橋は神様だけが渡れる御神橋(玉の橋)と云います。神様が必死によじ登る姿を想像すると面白いですね。
さらに奥に歩を進めると、宝物殿や御札・御神籤などを売る御神札授与所がありました。そばの手水舎で手と口を清めてから弥彦神社拝殿へ・・・。
途中に神社には不釣合いな鉄製タンクが大切に保存されていました。
明治17年に新潟の田代虎次郎氏が考案した二十石蒸留釜とのこと。
このタンクに原油を入れ下から熱し、蒸発ガスを上部のパイプで取り出して冷却分離したそうです。原始的な石油精製装置で全国に2基のみ現存。
新潟県では今でも石油を産出しているのでしょうか?
長い参道を更に進むと、大きな石の鳥居に出合います。
その遥か向うに弥彦神社の御社が・・・。
石の大鳥居の横には神馬舎があり、実物大の御神馬像が見られます。
往時は極彩色で華麗な姿だったのでしょうが、今では色褪せて不気味なミイラ馬状態で甚だ気色悪し。
いよいよ弥彦神社の御社へ・・。 まずは唐破風屋根の随神門(昭和15年建築)です。
左右には木造の武人像が控えていますが、お寺の仁王様と同じ役目でしょうか?
やっと弥彦神社の拝殿・本殿に到着。
霊山・弥彦山を背景に美しいお社ですね。シンメトリックな流麗な三間社流造り社殿。
延喜式・神名帳には「伊夜比古神社」と名付けられています。
祭神は越後の国開拓の始祖・伊夜比古神(天香山命)だそうですが、拝殿には居ませんでした。名前から推測すると夜遊び男(ホストかジゴロ)の神様かも・・・?
古い社殿は明治45年に火災で焼失、現在の社殿は大正5年に再建されました。
提灯が並べられた拝殿内では厳かに祝詞を・・・。
薄暗い拝殿内部の手持ち望遠撮影は流石に少しブレました。
入って来た随神門を拝殿横から撮影。神社らしい雰囲気があります。
この静かな弥彦神社で昭和31年1月1日に神社の石玉垣が崩れ、石段付近の参拝客124名が圧死・犠牲になった大惨事の「弥彦神社事件」がありましたが、今ではその痕跡もありません。 惨事の原因となった餅撒きはその後行われていません。
「さわらぬ神にタタリなし!」・・ってこの神社から出た言葉!?
来た道を辿らずに拝殿横から出ましたら、目の前に立派な建物が・・。
お寺の鐘楼かと眼を凝らして見たら、太鼓を吊るしていました。鼓楼ですね。
モノノケが出そうな杉木立の中に忽然と七つの摂社群と十柱神社(一番奥の苔屋根)が出現!
それぞれ○□社・△×命と名が記して有りましたけど・・・ね。
(弥彦神社と摂社・末社・十柱神社を含めて国指定重要文化財)
朽ちかけそうな十柱神社の奥の舞殿(神楽殿)で神楽が始められました。
可愛い子供たちが弓矢を操って演じています。(暗さとバッテリー切れで撮影苦労。)
境内を散策し入口の大鳥居で戻ったら、結婚式の可愛らしい花嫁さんに遭遇!
今日2日はお日柄も良く、天気も良くて大安DAYの最高の一日でした。
「花嫁さん、お幸せに~~~!」 (弥彦神社の詳細はここクリック。)
次回は弥彦山と弥彦神社奥社の巻です。
2007 06 14(木)記。 前橋市 後 最高気温24℃。
お暇な方はここクリック。(ドナルド君のご乱心!?)