4月22日(土) 朝から快晴、少し肌寒かったが今日も桜見物だ。
平野部の桜は散ってしまい、残るは東北・北海道か標高の高い山間部になってしまった。 知人から群馬ではまだ沼田方面の桜が見頃だと聞いたので「善は急げ」とばかりに、風邪気味の体にムチ打って出掛けた。
日頃は使わない高速を走って「赤城PA」で写真タイム。
快晴の陽光を浴びて谷川連峰・上州武尊岳(2158m)が光って綺麗だった。
群馬北部の沼田市は西に利根川・南に片品川・北に薄根川の三河川に挟まれた日本一の河岸段丘の上部に発展した街で、標高約300mで約55000人の人口だとか。
尾瀬・丸沼、迦葉山、日光方面への交通の拠点でもある。
有名な”御殿桜”(沼田公園)のある市街地は、利根川近くの沼田駅から急坂を登ったところにあり、駅と繁華街は2km程離れている。
沼田駅から公園への河岸段丘の途中にある”榛名坂”の桜も満開で見事であった。
桜の下には薄紫の「花ダイコン」の群生。
榛名坂を上り終えた左が旧沼田城址(沼田公園)だ。
沼田公園には城の石垣の一部はあるが建物などは全く無い。
城跡でも城郭を期待するのは間違いだろう。
沼田市の名前は、この地に初めて城(1532年築)を造った主”沼田氏”から由来している。 その後、北条・上杉・武田氏の領地にめまぐるしく代わって、武田氏の配下・真田昌幸[六文銭の旗印で名高い智将・幸村の父。秀吉をして「表裏比興の者」(煮ても焼いても喰えない油断なら無い奴。)と言わしめた武将.]がこの地を治めた。
更に江戸時代には昌幸の長男・真田信幸から約一世紀の間、真田氏(2万7千石後に3万5千石)が支配したが、1682年に江戸両国橋の建替え用材の伐り出し遅延と失政を理由に改易になり、城も領地も幕府に没収され、深い堀・重厚な五層の天守閣も全て取り壊された。
当時の天守閣は五層からなっており、関東では江戸城以外では沼田城だけで、いかに幕府が沼田地方を重視したかが伺える。
沼田公園には朝から露店が並び威勢良く客を呼び込んで、
上州(群馬)名物の”焼きまんじゅう”(200円)が甘くて香ばしい香を漂わせていた。
焼きまんじゅうは白くてふっくらとしたプレーンな饅頭に甘味噌を塗って炭火で焼いたもの。 中には餡子(あんこ)は入っていないが食べてみる価値は充分にあるローカル味豊かな群馬名物。
(沼田市は”焼きまんじゅう”をウリに「町起こし」とか・・・。)
沼田公園の奥でひと際目立つのが、黒く塗った鐘楼だ。
鐘楼の高さ14mで1634年(寛永11)に鋳造された城鐘が最上階に。
1887年(明治20)に建てられ、1983年(昭和58)に復元。
鐘楼の下を進むと広場から、満開の”御殿桜”が見えてきた。
この御殿桜は樹高17mでヒガンザクラの巨木だ。
この地に城が構えられた時に植えられたそうで、樹齢400年余り。
周囲には染井吉野桜が250本程取り囲んで見事に咲いていた。
夜にはライトアップと1500個の提灯で夜桜祭りとの事。
次回は月夜野町”上津の姥桜”です。
2006 04 25(火) 前橋市 晴れ・にわか雨と雷のち晴れ