キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

人生は今しかないぞ

2017年08月30日 | ☆記憶

祖父の生前もらった俳句の短冊。
私の持っている唯一の祖父のもの。
いつかの正月に孫一人一人に書いてくれたものだったような。
俳句はわからないけど応援してくれてるのかな、と思った。

国会図書館へ

2017年08月29日 | ☆記憶


昨日半休とって国会図書館へ行った。
久しぶりに行ってみたら、かなりデジタル化されていた。まず、利用者カードを作る。資料探しはパソコン上で。利用者カードを読み取る装置の上にカードを載せるとパソコンが使用可能になる仕組み。コピーやプリントアウトの支払いはPASUMOなどの電子マネーで可能。
便利。
喫茶室で小倉バタートースト&コーヒー¥500

目的は、20年近く前に亡くなった祖父の投稿していた俳句雑誌。
そこに祖父の俳句や、その批評や、亡くなった時の追悼記事などがあるはず。予めネット上の蔵書検索で該当する巻数などは調べておいたので、すぐに見つけることができた。

知らないことがいろいろわかった。

驚いたのは、祖父が刑務所内の留置場係という獄吏のような仕事をしていたということだった。
私の知ってる祖父はいわゆる「駐在さん」だったのだけど、そういう部門にもいたのだ。そしてその時の特異な体験を俳句にしていて、それが俳人としての個性にもなっていた部分があるということ。(そういう俳句をバシバシ投稿してたら目立つのかも‥・)
それと、祖父の家に行くと鶴の写真が飾ってあったり、鹿児島の方に「鶴を見に行く」と言って出かけていたのを知ってるけど、「鶴」というのも好きなテーマだったということ。
本人が書いたと思われる略歴も載っていて、私の記憶を補強してくれた。祖父も台湾台東の大武にいた。やっぱり大武の警察官だった。


おまけ
祖父は外地にいた昭和18年(祖父30歳)に「ホトトギス」の虚子選に初めて載ったのが俳句デビュー・・・・のような書き方がしてあったのだけど、そんなに若いころから俳句をやってたとは驚き。
国会図書館で「ホトトギス」を探して、虚子選を調べてみた。これが相当な曲者で、当時のホトトギスは月刊。そして虚子選というのは読者からの投稿を片っ端から載せてあるもので、毎号数十ページに渡って掲載されているもの。その中で、一つこれかなというものを見つけたけど、俳号が全然違うし、これから検証が必要。
とりあえず載せてみる。

「風吹いて落葉帚にしたがはず 南昌 養愚子」(1943年「ホトトギス」6月号p.27)


Great longing for peace

2017年08月25日 | ☆旅行─海外旅行
むかしから旅行の記録をWEB上でしている。久しぶりに更新してみたら、
台湾旅行が61回海外旅行全体では117回になっていた。
ふひゃー。

このブログの読者の皆さんはお気づきのことと思うけれど、私の旅行はいわゆる観光旅行は少なくて、コンサートを見に行ったり、友達に会いに行ったりというのが多い。そのため(?)同じところに繰り返し行くことになる。旅行というより、出張とか帰省に近いものかも。

ちょっと旅行先を整理してみた。

1位:台湾 断トツ! 61回
2位:韓国 10回
3位:香港 8回
4位:シンガポール 7回
5位:サイパン 6回(これはすべて社員旅行ですね)
6位:マレーシア 4回
   グアム 4回(これもすべて社員旅行)
8位:アメリカ 3回
   タイ 3回
   イタリア 3回
   フィリピン 3回(これもすべて社員旅行)
その他、イギリス2回、中国2回、インドネシア1回、ベトナム1回


以上、15の国と地域に渡航してた。
ほんとは、もっといろんなところに行きたい。
昔は真剣に世界一周をしようと考えてて、いろいろルートや航空券情報などを集めたりした。でも先立つものもなく、第一に休みが取れないよね。ってことで、いまのところ、ただの「夢」に終わってる。


ギリシャに行きたいなぁ。
ゴジ・ダツジさんご推薦のフランスパリにも行ってみたいし。
ベルギーに行って、ベルギービール飲み放題というのもやってみたいし。
ブラジルにも行きたい。大学の卒論のテーマはブラジルだったんですよ。

残りの人生でどれだけ行けるだろうか…。
そのためにも世界平和!!
われ切に希求するものなり。

大山街道荏田宿の「まねき看板」

2017年08月21日 |  └─大山街道


日曜日、少し涼しそうだったので、ふらりと出かけることにした。
最近コメントをくださる青青さんとのやり取りに登場する「大山街道」へ行ってみようかな?
街道をたどって歩くには準備不足なので、途中の宿場町「荏田」に行って宿場町の名残を見るのはどうだろう?
ネットで調べてみると、宿場町の建物などは残っていないらしいが、常夜灯が民家の庭先に残されているようだ。
去年、地元の人たちの手により案内看板が立てられたらしい。それから、当時の宿屋に残された「まねき看板」というものが、横浜市の歴史博物館に展示されているとか。機会があればそれも見たいな。
電車を乗り継いで、荏田宿の最寄り「江田駅」へ向かう。


目的地が近づくにつれ、だんだんと蒸し暑くなってきた。
「う、やっぱり、今日は涼しい博物館に行こうかな?」
結局、初心は貫けず、横浜市営地下鉄センター北駅前にある、横浜市歴史博物館へ。
地図を見てたら、隣に遺跡があるのをみつけた!
すこし離れたところには「茅ヶ崎城」という城跡もあるらしい。
この辺り、全く来たことなかったけど、結構興味深いところのよう。
(遺跡見物は、前回のエントリに書きました)

荏田宿について
荏田宿は、大山街道の「矢倉沢往還」とよばれる道の宿場。大山参詣の道、大山道はルートがたくさんあったらしいけど、その一つ。江戸から7里の距離にあり、朝、日本橋を発って夕方に到着する最初の宿場とのこと。大山詣りでにぎわって、幕末の頃には30数軒の宿や店が軒を連ねていたとか。残念ながら、明治27年に火事で焼けてしまって、古いものは残っていないらしい。
宿場町のあるのは、今の東急「江田駅」から、東に徒歩10分くらい歩いたところ。厚木街道(大山街道)の「荏田町」交差点のあたり。


横浜市歴史博物館に展示されているのは、「まねき看板」と言われるもの。

大山詣りは宗教色のあるもので、江戸の庶民たちは「講」をつくってグループで参詣していた。そして定期的にお詣りを繰り返していく。もちろん、落語に出てくるようにレジャーという意味合いも強い。そうするうち泊まる宿屋の方にも「おなじみ」ができて、どこそこの講の人たちはどの宿屋に泊るというのが決まってきて、それで泊まるときにこの板を掲げておいたもののよう。

横浜市青葉区の文化財として紹介されたページより引用
「荏田宿の旅籠柏屋の古い蔵の二階に一括保存されていたまねき看板で、大山講関係が30枚、富士講・愛染講などが12枚の計42枚。これらは江戸在住の講員たちがあつらえ、当家に宿泊する度に入り口の壁などに掲げたもので、旅行の目的や講中の表示を兼ねたものである。大山講が大部分を占め、その製作年月から夏山詣りに際して新調されたことが分かる。現在横浜市歴史博物館に常設展示されている。」








板自体は「講」で作って宿屋に持ち込むようだが、宿屋で保管して宿泊のある時に掲げたものなのだろう。
やっぱりほかの人にも見せるものだし、デザインがなんだか粋でかっこいい。

一番上の写真の下に見える御神輿みたいなものは、大山の神様に奉納する「お神酒」を入れた箱。
お神酒を奉納したら、帰りには山の水を入れて持ち帰ったのだそう。
それが参詣に行けなかった講の人たちへのお土産になったんだって。
宿にこの箱が残されているということは、水はもっと軽いものに入れて江戸まで運んだのかな?

弥生中期の環濠集落〜大塚・歳勝土遺跡

2017年08月20日 | └─縄文!


急に思い立って、横浜センター北の横浜市歴史博物館へ。荏田宿のこと調べていたら、この博物館にゆかりの品が収蔵されていると知り、来てみました。


常設展なら400円

妖怪浮世絵の企画展もやってたけど、素通り。
常設展示を見ようと展示室へ行くと、入り口に遺跡のボランティアガイドの受付が。この博物館の隣には遺跡公園があるらしい。あとで行こうと思ってたけど、ガイドをお願いしよう。


博物館の屋上から公園に歩道橋がつながっています。公園に入ると、竹林。





ガイドさんは、定年後考古学を勉強してボランティアを始めて6年という方。

最初に遺跡のあるこの辺の地形の模型へ。このニュータウンのあるあたりは、太古、海底でそれが隆起して、その後河川による侵食を受けた丘陵地とのこと、だから台地の上は平ら。そこに、縄文時代から集落がポツポツとできていたらしい。




公園内には弥生中期の環濠集落あとの大塚遺跡、墓地跡の歳勝土遺跡があり一部復元展示されてます。


環濠


竪穴式住居
本当に、このような形だったのか?
誰も見てきた人はいません。
遺跡からわかるのは柱の穴と溝と囲炉裏のあとです。
でも時々、燃えて炭になったり、水に沈んで多少の原形をとどめている木々なども出土するらしいですね。そういう遺物をたよりに推理をしていくわけです。
それから「絵」も推理の助けになります。
古墳時代の銅鏡に書かれた建物の絵。それにこのような形の家があったようです。



住居内部。涼しい。




発掘当時の様子を展示。


方形周溝墓。

ボランティアの方のお話とても興味深く、お願いしてよかったです。
ありがとうございました。

この遺跡からの出土物が博物館に展示されているので、博物館へ移動。
ジオラマなど良くできてます。








ミュージーアムショップで図録を購入。

 
こちらは、この遺跡じゃないけど、やはり横浜から出土した縄文時代のかなり早い時代の土器。12000年前かも。シンプルですてき。



あ、荏田宿の展示見るの忘れてた。これ見に来たんだった。

この話はまた改めて。

15歳の一人旅

2017年08月17日 | ☆個人的日記
熊本に住む弟の娘15歳~高校1年生が、夏休みを利用して遊びに来た。
体は小さいがエネルギーあふれる子で、それもあり中学時代は暴れたりして、周りをたいそう心配させたものだ。高校生になったら早速アルバイトを始め、自分の働いたお金で東京旅行を決行したらしい。
旅費を安く上げるために夜行バスにしたものの、熊本から東京までは残念ながら直通のバスがなく、大阪で乗り継ぎ。ほぼ24時間かけてたどり着いた。車酔いするからと、その24時間ご飯も食べずにいたらしい。到着した夜、疲れているのかと思いきや、興奮状態なのか夜中までいろいろしゃべりまくり、翌朝6時ごろこちらが起きてみたら、もう起きて朝ぶろにも入ってすっかり支度をすませて、7時前には家を出て行った。今日は一日渋谷にいるらしい。

それにしてもすごい行動力だと思う。
私は高校1年生の夏休みに一人で東京まで行こうなんて思わなかったし、そのためにアルバイトしようとも思わなかったし、なにより、一昼夜の移動を一人でなんて怖くてできなかった。
姪は子供っぽいところも多々あるけれど、大人になるスピードが速い部分もあるんだろう。そのアンバランスさが危うく、周りはハラハラする。でも、まぁ、数年たってみれば、すべての部分で大人になって、笑い話になると思う。
成長を見守りましょう。

一応「東京をなめんなよ(=危ないことはするな)」とは言ってあるけど、聞く耳は持たないだろうな~。

小泉城跡@群馬県大泉町

2017年08月16日 | ☆旅行─国内旅行
群馬県邑楽郡へ来ました。
ブラジルタウンとして知られる大泉町。
ここはもともとは小泉町といったそうで、「小泉城」というお城があります。
大川村と小泉町の合併で「大泉町」となったらしい。


行ってみました。



ちゃんと水のはった堀があります。
亀が泳いでいました。
ほんとに平地にある平城で、天守も作られなかったそうです。



1400年代、結城氏の反乱が鎮圧されて(あ、これ今読んでる中公新書「応仁の乱」に出てきたなー)そのときに、ここへ逃れた一派が、いろいろあって城を作ったのが始まりらしい。そして、結城氏から名前を変えた富岡氏が城主として治めていたらしいが、最終的には北条氏の支城として、小田原攻めの際に敗北、廃城となったそう。
その後のことがよくわかりませんが、こんな風に、お堀も残っているんだし、江戸時代も何かに使われていたはずですよね?
何処かに詳しく書いたものあるんでしょうけどね。「のぼうの城」で有名な忍城も近いですヨ。

今は桜の木がたくさん植えられ、春は花見でにぎわうそうです。

赤岩の渡し〜埼玉と群馬を結ぶ利根川渡し船

2017年08月15日 | ☆旅行─国内旅行
深谷の櫛挽開拓地を見たあと、利根川を渡って群馬に入ります。
その前に、途中妻沼というところでかき氷タイム!日本有数の暑さを誇る熊谷が力を入れている創作かき氷「雪くま」をたべます。

連れてきてもらったのは「妻沼聖天山」門前にある和菓子やさん兼甘味処「さわた」
風情のある建物です。
この門前は古い建物が残ってて、雰囲気あります。





実はこの日、びっくりするくらいずずしかったんですが、意地になってかき氷食べました。でも美味しかった!


そして、妻沼から国道407号を行き、刀水橋で利根川を渡って群馬県に入りました。車中の話題に多摩川の渡し船の話が出てきたところで、地元に住むNさんから「この辺に渡し船あるんですよ行ってみます?」と提案あり、行ってみます。
今も渡し船があるんだ!!






利用者は車に乗らない高齢者や通学に使う高校生なんかが主だそうです。
渡し賃は無料!!
県道の一部ということらしく、「遊覧船ではありません」と書いてあります。


見ていたらちょうどグループ利用者がやってきて、出航してました。
乗客は盛んに写真とってたから、やはり観光客だろうと思いましたけど。




この赤岩はまでは、利根川の水深が深く、大型の船が上ってこれたようで、江戸時代から明治のはじめ頃までは江戸と結ぶ水運の要だったそうです。ここから小さめの船に荷を移して運んでいったそう。更に、富岡製糸場ができてからは、ここまで小舟で運んだ生糸を、大きな船に移して東京湾、横浜港まで運んだらしい。更に鉄道が開通したあとも、ここまでは船で運んできたようです。
重要な湊だったんですね。


今は、橋をかけてくれ!運動してるみたいです。
モータリゼーションです。
車社会ですが、朝夕の橋のところの渋滞が問題らしいですね。


戦後の開拓地ー埼玉県深谷市櫛挽

2017年08月14日 | ☆旅行─国内旅行
グーグルマップを眺めるのが趣味のワタシ、ある日の昼休み、お弁当食べながら眺めていて、気になる場所を発見。

ここです。
埼玉県深谷市櫛引というらしい。



防風林と思われる木々が規則的に並ぶ区画、新しく開発された土地なのは間違いないだろうけど、どんなところなのか?
調べてみると、耕作に向かない土地ということで、戦前まで周りの村々の共同入会地〜薪を刈ったりする場所〜とされて原野のまま残されてたようです。それが戦時中、陸軍の弾薬工場が疎開してきて、原野の中に350棟ほどの建物が建てられたんだそうです。
その後、昭和21年から、引揚者などを対象にした戦後開拓地として、開墾が始まったのだとか。
航空写真で見た防風林は、赤城おろしを防ぐためのものだったようです。
埼玉県の利根川から近いところで、交通の便も良さそうなのに、近代までほったらかしにされてきたことから見ても、よっぽど厄介な土地なんでしょうね。


で、お盆休みに熊谷の方まで行ったので、足を伸ばしてみました。
(Nさん、変な趣味に付き合っていただきありがとうございました。)


防風林


ちょうど畑は、端境のようで何も植わってなかった。


畑の中にポツンと残る、戦時中の工場建物。これはコンクリート作りだから残ってるけど、多くは木造だったと思われます。開拓はじめの頃は、開拓小屋として使ったのかもしれませんね。今に至るまで残してあるのは何故なんでしょうね。土地の人に聞いてみたいと思いました。


開拓地の中心にある記念碑。
これが建っている場所は、農協と地区の集会場がありました。


戻ってきて調べたら、NHKの小さな旅という番組で2014年にこの場所を紹介していました。オンデマンドで見られたので購入してみてみました。防風林は幅27メートル、原野に生えていた木々をそのまま残して作ったものだったようです。畑に残っていたのは「弾薬庫」だったようです。







映画「点と線」1958年

2017年08月10日 | ☆エンタメ-映画
夏になると松本清張の気分です。
なぜだろ?
1958年(昭和33年)制作の東映映画「点と線」を見てみました。古いけど、カラー作品です。小説は1957年~1958年にかけて雑誌に連載され、その年の秋にこの映画が公開されています。ホントのホントに同時代の作品なので、登場する風物が本物です!鉄道小説ですから、鉄道が主役なんですが、これでもかっていうくらい出てきて、ワクワクし通しです。
当時の東京駅、ホーム、階段。
二等とか三等とかいう列車のプレート。
蒸気機関車。
夜汽車の車内。
青函連絡船。
国鉄香椎駅、西鉄香椎駅。
千歳空港(新千歳じゃないです)

乗り物のほかにも、札幌の時計台も出てきます。とても都会の真ん中にあるように見えない。周りは木造の黒っぽい住宅ばかり。
「メートル法の店」って書いてある果物屋の店先。
安田の会社の屋上から見える高架の鉄道(新橋?)と、その向こうに広がる広い道路(銀座?)


私の知らない生まれる前の日本の風景。楽しみました。こうなると、映画の出来とか関係なく、資料として楽しめますね。

点と線 [DVD]

韓国料理「千ちゃん」@川崎

2017年08月09日 | ☆旅行─東京散歩
先日新大久保で韓国料理食べて、韓国スーパーに行ったのが、とても楽しかったらしいうちの夫。
韓国料理がマイブームのようです。
先日もナムルを手作りして、ビビンバを作ってくれました。
その他にもタッカルビとかキンパ(韓国風海苔巻)とかも作ってくれました。
しかし、悲しいかな、本物の韓国料理を食べたことがあまりないので、レシピを見ながら作っても、正解の味がわからない。

それに対して私は、韓国10回くらい行ってるし、以前は韓国家庭料理の店によく通っていたので、味はわかるんです。
で、ついつい、夫の作った料理に「これ、ちょっと違うな~」とか言っちゃうわけです。
・・・ゴメンナサイ。

「やっぱり、本物の韓国料理食べないと、作れない!」

ということで、韓国料理を食べに行くことにしました。
新大久保まで行かなくても、蒲田か川崎に行けば本場の味が食べられるのでは?
でも駅から遠いと炎天下歩くの大変だから、駅近でランチもやってる店。
それがこの「千ちゃん
川崎の駅から歩いてすぐ。
はいってみると結構広い店でにぎわってる!
お得なランチもあるけど、グランドメニューもできるみたい。

・参鶏湯
・タッカルビ
・キンパ

を頼みました。
タッカルビがものすごく辛くて、「やっぱりこれが本物の味なんだ!」と大喜びの夫。
「キンパ」は夫の想像より味が薄かったらしく「へ~この程度でいいのか」と学習が進みます。

味がわかったから、次は調味料を調達しなくちゃね。
コチュジャンと粉唐辛子。。。
夏のうちに食べたいですね。

小学2年の夏休みの生活

2017年08月08日 | ☆記憶

このところ、昔アップした「小学校2年生の絵日記」という記事へのアクセスが急増しています。おそらく、夏休みに入り、学校の宿題の心配をする親御さんたちが、ネット検索していると思うのですが、どうでしょう?まさか、小学2年生自身が検索してるわけじゃないでしょう(笑)
自分の絵日記を読み返して、夏休みの行動をトレースしてみました。絵日記は毎日書いたのではなくて、16日分でした。そりゃそうだよね、毎日って大変だよ~。(読む先生も大変。丁寧に読んで感想を書いてくれてるんです。先生…涙)


昭和40年代の熊本の田舎の小2の夏休み

●海水浴×3回
16日間で海水浴に3回行ってます。
そのうち2回はいとこと一緒に、もう一回はの行事のようです。
お盆すぎたら海水浴は禁止というのもちゃんと守っていたようです。
泳ぎに行くのはきまって家から車で40分くらいの芦北町「うみのうら海水浴場」でした。

●山登り×1回
市房山にかぶと虫採りに行ってます。山に住んでいたのにわざわざ遠くの山へ行ったのは、名古屋から帰省中のイトコを遊びにつれていくのが目的だったよう。宮崎との県境の市房山までいくとやっぱり山奥レベルが違います。でも遠い・・・・ドライブを兼ねてたのかもしれませんね。

●街へ買い物×3回
八代に行ってるのが3回。
村に住む私にとって八代まで買い物に行くのは大行事だったようですね。

●父のソフトボール大会の応援×1回。
村内の部落対抗だったようです。

あとの8回は家での出来事を書いてます。
・家族と庭で花火
・ラジオ体操
・ご近所さんの引っ越し
・サボテンの花が咲いた
・廃品回収
・子供だけの留守番
・ままごと遊び
・すいか

親が遊びに連れて行ってくれてるのが8回。絵日記には書いていないけれど、お盆には親戚で集まってるので、それも入れると結構遊んでもらっていますね。当時の両親は30代前半だから、若くて元気だったんでしょうけど、よく遊んでくれているなと思います。「休みだからもうちょっと寝かせてくれよ」みたいな父を見た記憶がありません。田舎の生活って子供にとっては楽しいものでしたが、大人にとってもストレスなくて良かったのかもしれません。

こうして見てみると、なかなか豊かな夏休みです。自分を振り返って、休日を全部こういう活動に充てることができるか?イヤー無理なんじゃないかな。30代の頃だったとしても。家でゆっくり休みたいとか思っちゃいますもん。当時の両親に頭がさがりますね。

今年もサマーミューザ♪ @MUZA川崎

2017年08月07日 |   └─クラシック
「サマーミューザ」は川崎のコンサートホールで行われている夏のお祭りです。
今年はいろいろ気ぜわしくて、予約しなかったのですが、昨日川崎に「韓国料理食べに行こう!」と出かけて行って、食後ミューザの前を通りかかり、そのまま当日券買って聴いてきました。

なんか、素敵な休日感ある♪

でも家を出るときは「蒲田で韓国料理食べよう」と思ってて、途中で目当ての店が休業と判明して川崎まで流れた展開だったので、化粧してない、Tシャツによれよれのパンツに下駄ばき、というクラシックの演奏会にはいささかふさわしくないいでたちしたが・・・。

でもサマーミューザは夏のお祭りで、まぁそれも許されるかな・・?
Tシャツ一枚だったから、クロークでひざ掛け借りました。




当日券。
前売りと値段は変わらないみたいです。
一番安い2000円の席。
せっかくなのでオーケストラ真裏の2P席の2列目。
指揮者を間近に見られますよ。



こういう席です。
MUZA川崎は、とってもいいホールです。
たぶんどこで聴いてもいい音なんじゃないかな。

お祭りなので、普段の演奏会とは違うお楽しみがあります。
今回は、指揮者による「プレトーク」。
今日演奏する曲目について、指揮者自らいろいろ話してくれるというもの。
いいですよね、こういう企画。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団
シンフォニーで、ヨーロッパ旅行
指揮:鈴木秀美
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」


指揮者の鈴木さんはチェロ奏者何だそうです。
知らない人でしたが、とても情熱的で表情豊かに指揮をする人でした。
私の席から指揮者が良く見えるので、すごく楽しかった。

それと、演奏の中に妙な音(スースー言うような音)が混じってて「ん?誰かの寝息?」と思ったのですが、音楽に妙に合ってます。聞き進むうち音の正体がわかりました。
それは指揮者の息遣いだったのでした。

ひゃー、そんなのまで聞こえるなんて。
でも指揮者って指揮しながらけっこう音を出してるんですね。
鈴木さんは盛り上がるとこでは声も出てました。
楽しい演奏会でした。

アンコールは、バッハでした。
メンデルスゾーンがバッハを再評価して以降の時代に伝えてくれていたという話がありました。
しらなかった!!



城主証が届きました

2017年08月05日 | └─熊本地震・水害
3月に帰省したときに熊本城へ行き、復興城主に参加しました。
その時の説明で
「後日正式な城主証を郵送します。今の感じだと7月頃になります。」ということでした。
それがついに届きました。
寄付したお金は全部熊本城のために使って頂いたほうが良いのですが、それでもこういうのが来ると嬉しいものですね。



ご存知ない方のために解説すると
「城主証」という文字の上にある「C」みたいなマークは熊本市章、
蛇の目の紋は加藤清正の家紋、
大きなまるを小さな八個のまるで囲んでるのは九曜紋と言って、細川家の家紋です。






熊本城の復旧には20年がかかると言われています。
というか、誰もどのくらいかかるかわからないのかもしれません。
石垣を一個一個元の通りに組み直すなんて考えただけでも気が遠くなります。
でも熊本城が復興することで熊本にはいろいろなパワーがもたらされると思います。
よろしくお願いします。


この寄付は今も受け付けています。
関心がある方、下のリンクをご覧になってみてください。
一口1万円から、寄付ができて「復興城主」になれます。

「熊本城」公式ホームページ 復興城主
ネットでも可

この復興城主、台湾の友人も賛同してくれて「寄付がしたい」と言ってくれたので、代理で申し込んでいます。
彼女の分の城主証はいつごろとどくかな。
次に台湾に行くときに持って行ってあげたいです。

朱頭皮来日ライブ@渋谷

2017年08月04日 |   └─POPS中華
初生朱頭皮です!


公式の紹介文より
「朱頭皮(ツー・トーピー)
台南出身のミュージシャン。台湾大学大気科学系、大気科学研究所卒業。
1991年に1st.アルバム『朱約信的音楽』を、94年には豬頭皮名義で、小林旭の「自動車唱歌」をカヴァーした曲を含む、『豬頭皮的笑魁唸歌-我是神經病』をリリース、社会問題を面白おかしく風刺し、一躍有名になった。
 音楽家以外にも多彩な面を持ち合わせ、テレビ・ラジオの司会、音楽史やレコード史の専門家、日本でも公開された映画『靴に恋する人魚』(2005)、『人間万事塞翁が犬』(2012)では俳優としてユニークな存在感を示すなど、マルチエンタテイナーとして長いキャリアを持つ。 現在まで10枚のアルバムをリリースしているが、2016年12月には新作『人生半百古來嘻』(CD)と『人生半百才開始』(LP)をリリース、精力的にギグを行なっている。」



この方の音楽とてもユニークで、20年位前にCDを何枚か買って聞いていました。





でも生で聴く機会はなく、20年近く過ぎていましたが、何と日本にきてライブがあるとか。
去年「夾子」がやってきた「台湾フェスタ」の代々木のステージに出演するらしい。
残念ながら私は用があってそちらには行けないけど、単独のライブもあると友人が教えてくれました。
夜ならいける!

渋谷のミュージックバー45という店に来るらしい。
ミュージックチャージ500円だって。
へ~。
友人が予約などを取りまとめてくれて、我々友人連6人で行くことに。




ミュージックバー45の入り口。
渋谷の駅からも近くわかりやすい場所。

中に入るとバーカウンターと、その後ろにテーブルが2つ3つ。狭いお店です。
ここで聴けるなんて、ラッキーだなぁ。

友人たちとビールを飲みながら開始を待ちます。
お店のモニターでは、ずっと朱頭皮のMV(のようなもの)が流れています。
店主さんが「この映像も彼が自分で編集して持ってきてくれたんです」と説明してくれます。
この店主さん、話しやすそうな人だった。


そうこうするうちに満席になりました。
そして、ご本人が登場。
歓声が上がります。

ご本人、するするとステージエリア(というものはないけど)へ行き、リハを始めます。
私と朱頭皮の距離1メートル!
楽器の様子を見たり、iPadとモニタの調子を見たり、歌いながらマイクの音量を確認したり。
10分以上はリハが続きました。
我らも始めこそそのリハの様子を見てましたけど、まぁそんなに見られたくもないだろうし、ということでおしゃべりに花を咲かせてました。
準備があらかた整ってきたのか、彼が着てきたTシャツを脱いで上半身裸に。
おお、着替えもここで?
ハンガーにかけてあった、黒いシャツに黒いジャケットに着替えていきます。
そして最後に、ぼさぼさの長髪をちょんまげに結っていたのをほどき、さらにぼさぼさくちゃくちゃにして黒い帽子をかぶりました。
この一連の着替えも、マイクチェックなのか歌いながらやってたいので、ショーのようでした。
(きいたところでは、翌日の代々木公園の野外ステージでも同じことやってたらしい)


できあがり!


本番スタート。
特に挨拶するでもなく、歌が始まります。
が、歌の中にちゃんと日本語の挨拶が含まれていました。
そしてその部分はメモ見て歌ってた。

前半はジョニーキャッシュの歌をベースにした作品(どうも新譜からのもののようで、初めて聞く歌)
しぶい。
しぶいっ。
声もいいし。
かっこいい。
あれ?
朱頭皮といえば、コミカルなイメージ(そういえば昔「台湾の所ジョージ」なんていう例えもあったっけ?)だったのが、かっこよすぎてびっくりした。

もちろん、面白いこと歌う歌(大半が風刺ですね。政治の話題も多いヒト)もあるのだろうけど、真面目にやったらすごくかっこいいミュージシャンなんだ。
気がつかなかった。

ステージは2部制で、インターバル有り。
その間に、彼が持ってきたCDなどの販売もあり、買ったらサインもらって2ショット写真も撮れるという話。
もちろん買いましたよ。
2ショット写真も撮りました。


(朱頭皮のFBから)
盛り上がってる店内の写真を本人が自撮りしてたので拝借。



このライブの間に、写真をFBにあげて「だれでしょう?」と書いておいたら、台湾の友人たちが「朱頭皮!朱頭皮!」と盛り上がってくれました。好きな人が多いみたいですね。

新譜に50歳についての曲があったので気になって、終演後話しかけました
「50歳のうた、なんでこれ作ったんですか?もしかして50歳?」
「去年50歳になって、今年は51」

思わず握手となりました。
(なぜかは聞かないでね^^)

YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
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