キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

恋する陶器をカワイイ!値段で

2017年10月30日 | ☆買い物


敬愛するゴジ様の出品されているチャリティ陶器市に行ってきました。
生憎の台風、雨でしたが、早起きして出かけてきましたよ。







みなさんが丹精込めて作られた(と思われる)陶器たちが、これも100円、あれも100円!!なんてカワイイお値段。


バーゲン会場のようにカゴ持っていざ参戦!


我らがゴジ先生の作品だけは、別テーブルで。スケッチブックも飾られて、作品展の雰囲気もあり。



夏の作品展で拝見したムーミン国やパリ国の家々が一個100円で出ていました。カワイイ。UFO基地やローマの水道橋などの大物はセットで400円。どんどん売れて「売約済み」の札が増えてました。

会場のぐるりにはガラスの展示ケースがあり、みなさんが手元においておきたい作品たちが展示されてました。いずれも次新作ばかり。

ゴジさんはうわ薬をかけない素焼きの風合いの「小屋」シリーズに挑戦中のようです。中には大物もあり。カズオイシグロ作品「日の名残り」の家だそうです。




日の名残のお屋敷の裏側には、ニューヨークの摩天楼が…!


何とも言えない味のある小屋。


トラック


材木置き場まで!!


会場を2〜3周して、実用的なお皿なども買いました。しめて1800円。


渋いぐい呑


かくかくしたお皿も素敵でしょ。


売上金はチャリティなんだそうです。少しだけ貢献しました。

ゴジさん、ありがとうございました。
この陶器たち、だいじにします。
大きなおさらば早速夕食の肉じゃがが盛り付けられました。


台東県政府文化処図書館でファミリーヒストリー

2017年10月28日 | ☆記憶


雨に降りこめられ、身動きできなかったので、一日過ごした公共図書館。
ホテルの狭い部屋に一日居ても仕方ないし、かといって買い物や観光も雨であまり楽しくないし。
この図書館は、2002年に初めて一人で台東へ来た際にも立ち寄ったことがある思い出の場所。当時は今のようにグーグルマップなどもなかったので、街歩きの途中急に「図書館に行ってみよう!」と思い立ち、警察署へ行って図書館の場所を尋ねたのでした。「とぅーしゅーぐぁん」と言う発音をガイドブックで何度も確認したような覚えが。

その時は、あまり時間もなかったのだけど、郷土史コーナーに日本時代の資料が残っていて、そこで曾祖父の名前の載った公文書を発見したのでした。当時は、大発見!な気持でした。もともと、当時まだ存命だった祖母から曾祖父が台東県で医者をしていたという話は聞いていて、それを確認しただけだったのですが、やはり名前が載っていると嬉しい。今回は、それをもう一度確認したいという気持ちと、それ以上の資料もゆっくり閲覧してみたいという気持ちで、やってきました。

宿から図書館までは徒歩10分もかかりません。
傘をさして、てくてく。ちょうど雨も少し穏やかになっていました。




入口には雨合羽用のハンガーラックもあります。

平日の午前中で、しかも悪天候なので利用者はかなり少なく、静かな図書館でした。開架コーナーで郷土史の本を探し、日本時代に出版された本を戦後製本し直したシリーズが見つかりました。2002年に見た本もこれだと思います。




曾祖父の名前をがありました。
出身地が「静岡」になっています。
結婚前の祖母の本籍地は静岡だったと聞いていたので一致します。








ある本には出版の際に費用の協力をしたのでしょう、名刺大の広告(?)のようなものもありました。
「大武公医」とあります。

「公医」とは、日本統治時代の台湾独自の医療の制度のようです。台湾が日本に割譲された当初、マラリアをはじめ風土病が多く、またアヘン吸引の習慣もあったため、後藤新平は「公衆衛生」の改善を強力に進めました。時代はかなり下りますが、その末端に私の曾祖父も携わっていたということですね。
台灣における日本植民地統治 - 東京女子大学
『台湾総督府公文類墓』 にみる台湾公医制度を中心としてー



曾祖父の名前があるこの公文書には、主な疾患とその罹患者の数(うち死亡者の数)などが細かに記録されています。マラリアとか、アメーバ赤痢とか。また年間の各公医別の患者数なども記録されていました。

それによると、曾祖父の担当した患者数は以下の通り。

昭和4年 3241人
昭和5年 2905人
昭和6年 3399人
昭和7年 3107人
昭和8年 2950人

年間3000人前後。お隣の太麻里の木野田先生の所が、2000人前後だったことを見ると結構大変そうですね。
ちなみに、曾祖父は昭和9年か10年頃におそらく亡くなったか、引退するかしていて、その後の大武の公医は木野田先生が受け持ったようです。



更に資料を読み進んでいくうちに、「躍進東台湾」と言う本が出てきました。
これは、公文書と言うより、官民いっしょに地元の人たちがまとめた昭和13年の資料のようです。この本には統計的なものだけではなく、東台湾の現状を紹介した文章が多く、巻末の附録には、各種名簿がありました。



そしてその中に祖父の名前を見つけました。



これが、今回の大収穫です。

先ほどまで見てきた曾祖父と言うのは、祖母の父親で、祖母から「大武でお医者さんだった」と言う話を聞いていたのですが、祖父については、台湾にいたことはわかっているのですが、どこで何をしていたのかはあやふやだったのです。

ただ、私が子供の頃、祖父から聞いた話の印象では「台湾で警察官をしていた」というイメージがあり、「台湾には高砂族がいて悪いことをしないように警察がとりしまっていた」というような話を聞いた記憶があります。それと、後年祖母から、祖母が台東で生まれ育った話をきき、祖父も同じ大武で警察官をしていたんだろうと思っていたのでした。(高砂族が多いのは台北などよりも台東の方なので)ところが、祖母も亡くなったあと、息子である父が「親父は台湾では警察官じゃかなったのでは?兵隊で戦地でけがをしてそのあと台湾で療養していたという話じゃなかっただろうか?」と言うので、私も自信がなくなっていたのです。
が、先日国会図書館まで行って調べた祖父の参加してた俳句同人誌に掲載されていた略歴に「台湾台東大武で警察官」をしていたと書かれており、子供のころの記憶が正しかったことがわかりました。


そして、今回、ちゃんと本に名前がありました。
巡査として掲載されています。祖父の自己申告だけでなく、こうして物証も得られてよかったです。
先日の中国大陸南昌のころからさらに古い時代の祖父の足取りがつかめました。

祖父は大正2年熊本生まれ。
昭和13年は24歳です。
いつどんないきさつで台湾に行ったのかはわかりません。
そして昭和15年に南昌へ行ってるのですが、なぜ台湾を離れ大陸へ行ったのかもわかりません。

生きているうちに話を詳しくきいておきたかったですね。



関連記事
2002年に大武に行ったときの話
「東台湾展望」(昭和8年刊)
国会図書館へ

旅の中国語〜台東篇

2017年10月26日 | ☆中国語の話題
今回の旅行では中国語を話す機会がとても多かった。旅行中「まるで中国語のレッスンに来たみたい」と何度も思ったほど。初日こそ台北で日本人の友人とお茶したりしたけど、台東に行ってからは日本語なし、知ってる人なしの異邦人環境。さらに、悪天候のため旅程が変更になり、初対面のAさんと3日間一緒に遊ぶ(遊んでもらう)ことになり、一人でウロウロする旅行よりも強力に中国語会話をする場面が続いた。

そして、刻々と変わる天候と旅程変更に伴い、緑島の民宿の人から連絡がドンドン入ったり、緑島で合流するはずだった友人たちと連絡取り合ったり、また、現地での宿の手配、飛行機の変更などなど、あやふやにできないやり取りの場面も多かった。

 ふー、鍛えられた。

幸いなことに案内してくれたAさんの中国語はとても明瞭で聞き取りやすかった。外国人に合わせてわかりやすく話してくれたのだろう。人によっては発音が明瞭でなかったりして聞き取りにくいタイプの人もいて、そういう人とは会話が続かず気まずくなってしまう。その点Aさんとはとてもとても話がしやすかった。きっと察しが良くて頭がいい人なんだろうな。
それに・・・
私が図書館で 昨夜曽祖父のことを調べた話をしたところ、Aさんも昔自分の先祖が住んでいたという土地へ一人で出かけて行った話をしてくれた。似たような経験をしてることで、彼女もとても興味を持ってくれた。言葉が聞き取りやすいだけでなく、通じるものもあったような気がする。おかげで、彼女とはけっこう込み入った話を、食事中に、ドライブ中に、博物館の陳列品を見ながら、延々と続けることができた。昔からの友人のようにかなり打ち解けあったと思う。初対面なんだけど。

でも一番ストレスなく話せたのは、小学校3年生の女の子との会話だった。やはり私のレベルには小学生くらいがピッタリなんだろうな。


台東で鍛えられたおかげか、台北に戻ってから乗ったタクシーの運転士さんに自分の行きたい道を案内したときにもすらすら、中国語が出てきた。運転手さんに「中国語上手い!」と言われたのは良くあるお世辞で真に受けてはならない種類のものだけど、「台湾人より道をよく説明できる」と言われたのは嬉しかったな。


ところで、博物館で先史時代の陳列品を見ながら、Aさんがやたらと「シェンチー」と口にしてる。
この音でぱっと結びつくのが「生気=怒る」だったので、なんでそんなに怒るって言ってるんだろうか…とおもってたのだけど、
跡でようやく気がついた「神奇=ふしぎだ」と言ってたのだ。

生気 sheng1 qi4
神奇 shen2 qi2

全然声調違う。とほほ。

焼き立てパンと本がいっぱい「食冊」カフェ

2017年10月25日 | ☆旅行─台湾
台東で行った素敵なお店その2。
台東ですっかり私「文青」気分を満喫しました。
「文青」というのは「文学青年」の略だと思うのですが、おしゃれで知的なワードとして最近よく見かけます。








入るとこういう空間です。
真ん中に大きなテーブルがあり、スタンド、電源完備。
まるで図書館の自習室みたい。
窓際にはカウンター席有り。
そして壁一面に本だな。



ここの本は席で自由に読めます。
ただしルールがあります。
それは、「一度本棚から出した本は、自分で棚に戻さないこと」です。
不用意に押し込んで、本が傷むのを防ぐ目的だそうです。
一度手に取った本は棚に平置きします。
もちろん、売り物なので丁寧に扱わないといけません。


ここにも「用書店進行一場文化革命」の横断幕が。何かの活動なんでしょうね。このカウンターの右手にパンの陳列コーナーがあり、さらに奥にはパン焼き工房があります。

人数を告げて席に着いたら、お店の人がメニューを持ってきて、何やら説明が始まりました。
どうもうまく聞き取れないので「??」と言う顔をしていたら「ニホンジンデスカ?」と日本語で話しかけられました。このおにーさん、昔仕事で日本語使っていたらしい。「1~2年ブリ、ニホンゴハナシマシタ」とか。
で、何を説明していたのかと言うと、「今日は3時から講演のイベントがあるので、それまでのご利用になりますが大丈夫ですか?」と言うことでした。この時点で2時過ぎ。じゅうぶんですとも。
そう言う活動も盛んにやってるようです。
さすが、文化革命。

パンとハンドドリップコーヒーを注文しました。




コーヒーは「ブラジル」と「ルワンダ」でした。
ルワンダのはすごく個性的な味がしました。ハンドドリップコーヒーはイタリア式のと違ってとっても私の好みです。台湾にもこういうコーヒー飲める店が増えていてほんとにうれしい限り。

このお店は、小さな空間ですが、お店の人とお客さんとの距離感もほどよく、私が日本人でうまく言葉が通じないと分かると、ほかのお客さんも助け舟を出してくれたり、ものすごく居心地がよかったです。こんな「文青」でおしゃれでとんがった感じがあるのに、居心地がいいなんて台東と言う土地のせいなのかな、すてきでした。(たぶんこういう店が東京にあっても、緊張してしまいそう)

ネット上の情報見ると、ここのお店は食事も美味しいみたい。
機会があれば、またぜひ訪れたいと思います。
台東で一番気に入ったお店でした。



台東市洛陽街265號
食冊café書店

営業時間:朝10時~夜10時 月・火定休
入場料:200NT(うち160元は店内の飲食に使える)
夜はお任せ晩御飯メニューあり。


都蘭の名産品「謝詩恩」とは?

2017年10月24日 | ☆旅行─台湾
台東でお世話になったAさんがFBに書いていた文。
中国語の勉強にもなりそうなのと、内容が面白いのでここに許可を得て転載します。


中午去碼頭接綠島回來的小史和谷耕,一起在【藍色愛情海】午餐時聊到〖都蘭〗,
お昼に緑島からもどってくる小史と谷耕を港へ迎えに行った。
一緒に「藍色愛情海」で昼ご飯を食べているときに、「都蘭」の話題になった。

 ※都蘭というのは台東市の北側にある地名です。
  彼女らが今夜はそこに行って泊まると話していたのでした。


Yoko桑問她們:「都蘭有什麼?」……沒想到這兩個鬼靈精,其中一項竟然回答:
YOKOさんが彼女らに「都蘭には何があるの?」と聞いた。
思いがけず、彼女たちは、なんとこう答えた

「都蘭有“謝詩恩”………」!!😂
都蘭には「謝詩恩」があるよ!!

 ※これは人名です。
  私は聞いただけでは、人名なのか何なのかよくわかりませんでした。
  彼女たちがこの自分らの答えに大受けしていたので、何か普通の名産ではないんだろうとは思いました。


晚上要送Yoko去機場前的最後一個行程,我們來到了台東糖廠裡的【橋Chiao】,
夜、YOKOを空港に送る前の最後の行程で、私たちは台東糖廠(台東砂糖工場)にある「橋Chiao」へ行った。

和Yoko桑一下車…
YOKOさんが車を下りると…

迎面而來不就是那位都蘭名產:傳說中的“謝詩恩”嗎!!
迎えに出てきたのは、あの都蘭名產、伝説の「謝詩恩」ではありませんか!!

哈哈哈~也太妙的相遇,老天爺安排了讓Yoko在要離開台東前和謝詩恩在這裡相遇。
ははは~なんという奇遇でしょう。神様がYOKOが台東を離れる前に「謝詩恩」との出会いを用意してくれました。

時間短短的,我們在【橋chiao】這裡歡笑聲不斷,
時間はとても短かったのですが、私たちは【橋chiao】で、大いに笑い楽しみました。

雖然Yoko和恩恩其實才根本剛認識沒幾分鐘,
YOKOと恩恩はほんとに会ったばかりで何分もたってないのに

很快的恩恩的強項……就是馬上大家都可以變成已經認識很久的老朋友了。
すぐに、恩恩の才能......つまり、どんな人でもすぐに長年の友人のように変えてしまうのだ。

最後還當起了導演,指揮全部的人都一起來拍電影XD
最後には自ら監督となり、そこにいた全員を指揮して映画を1本撮りあげた。

感謝恩恩給了我們很歡樂的一個晚上,
恩恩、楽しい夜にしてくれてありがとう。

還一起陪我們到機場給Yoko送機,
そして、私たちみんなと一緒にYOKOを空港へ見送った。

並代表了大家給Yoko一個大大的擁抱。
そして、皆を代表してYOKOをぎゅーってハグしてくれた。

很美麗的相遇…恩恩會一直長大,
とっても美しい出会いだった。
...恩恩はどんどん成長するだろう。

也歡迎Yoko以後有時間再回來探望“謝詩恩”,
そして、YOKOも「謝詩恩」にまた会いに来てほしい。

※探望 というのは「はるばる会いにくる」と言う意味ですね。

再回來看看老朋友哦!
「長年の友人」にまた会いに戻ってきてね!

祝福妳回日本的行程一切順利~bye (揮手)
日本に無事帰って行ってね~(手を振る)


この都蘭名産「謝詩恩」はすごいパワーを感じる人だった。
今までこういう人に会ったことがないかもしれないと思うほどだった。
また会いたいな~。
ちなみに、私は彼女があった3番目の日本人だそうです。

そうそう、彼女にこの都蘭の名産品と言う話をしたら、「わたし食べ物じゃないよ~」って言ってたそうです。かわいい。



写真家の川島小鳥さんの撮った「謝詩恩」の写真

どれも素敵な表情ばかり!

衆院選2017

2017年10月23日 | ☆自分のために書く話
今回の衆院選メモ。

おそらく史上最低レベルの投票率なのだろう。荒天での投票所の早じまいなどもあったらしい。まぁ、そのことで大勢に影響はなかっただろうけど。安倍さんの思惑通り(あるいはそれ以上)の結果になった。
希望の党の減速。あの党は、もしや安倍さんと密約してての「逆刺客」だったのではと思わせるほど。
土壇場旗揚げの立憲民主の躍進。どうも民意はこの辺にありそうと感じたけど、でもそこをすくっていけないのが、小選挙区制。反自民、反安倍票は見事に割れた。選挙区ごとに見ていくと、野党への票の合計は確実に自民よりも多く、一本化できていれば自民は勝てなかったはず。この民意を反映できない選挙制度がもどかしい。小選挙区制とは二大政党制が確立してこそ活きる選挙制度なのだと痛感する。この状態では、民意が切り捨てられるのでは?「小選挙区制導入」問題が取りざたされていたころには全くこういうこと思い至らなかった。 
これで、改憲の動きは加速されるだろう。
この期に及び、改悪させないためにはどう監督すればよいのだろうか?




最近考えている「フィクション」の重要性。
先日、ある英文学者と食事した際、「大学の文学が人類にどう役に立つか」について話題にして、その時に示唆されたのが、文学は「フィクション」の存在とその扱い方を学ぶ学問だ。ということ。

非常になるほどと納得させられた。この選挙にしても、投票行動には「フィクション」が大きくかかわっている。人々は、真実やデータや統計や論理的思考の中から投票先を決めるのではなく、候補者の語る「物語」に対して投票をすることが多いのではないか?



それと最近、壬申の乱前後の日本について関心あり、日本書紀や古事記の編纂が、その後の日本にもたらした多大な効果についても考察している。「なぜ天皇制は無くならないのだろうか?」というテーマを考えて、やはりそこのこたえは「日本書紀」や「古事記」の編纂までさかのぼるんじゃないかと思った。天皇が素晴らしいひとだとか、尊敬できるとかそういうことではなくて「そういうものだから」という壮大なフィクションが心の中に植え付けられているから、だから敬う気持ちになる。その敬う気持ちをなんとなく抱く人々が日本と言う国にまとまっているのかもしれない。

「フィクション」とは得体が知れず、扱いがとても難しいもの。そしてそれをうまく使えるものが世界を統べることができるのかも。文学部や文系学部を切り捨てるのは、為政者にとって都合がいいのかもというのはあながちうがち過ぎでもないのか。



猫のいる本屋「晃晃ニ手書店」

2017年10月22日 | ☆旅行─台湾
台東で行った本屋さん。
台東市には誠品書店もできてましたが、この本屋さんもすごい個性。いまAmazonに代表されるネット書店の台頭で多くの書店が経営が難しくなっているようですが、やはり生き残りは「個性」なのでしようか。

まず入り口からして個性的




先ず店に入ると、すぐに厨房があり、そこで店の人に「本を見に来たのかコーヒーか?」と聞かれます。本を見ると伝えると「手前が新刊書で奥が古本です」と説明があります。

壁に注意事項が貼ってありました。
曰く、
猫には触らないでください。
椅子に座る場合は飲み物を注文してください。
写真はノーフラッシュで。
ほかのお客さんを撮らないように。

はい、わかりました。






飲み物メニュー色々ありますね。WIFIもあるみたい。
喫茶コーナーにはお客さんが座ってたので、ルールに従い写真は撮れず。


新刊書コーナー


古本コーナー。ニ手というのはセカンドハンド、セコハンのことですね。

猫がたくさんいます。悠悠としてて、人には関心なさそう。猫が主役で人はしもべって感じですね。
Aさんには昔馴染みの猫がいるようです。





これ可愛い。
猫の餌やりルールのようです。猫の個性に合わせて決まってるのですね。
スタッフ用かな。


陳昇の本を発見。こんなに本あってもすっと目に入るあたり、すごいって思った、われながら。


続々発掘。古本コーナーのロフトの床において撮影。

写真ありませんが、いがらしみきおの「ぼのぼの」の中国語版もあった。やっぱりいい味。Aさんに「この漫画見て!面白いよー」なんて声かけたりして。

この書店は民宿も経営してて、古本と交換で泊まれるとかいう話もある。 何冊持ってきたらいいのかな。
今回は手持ちの本がなくてできなかったけど、CDやレコードでもいいらしい。
住み込みアルバイトで宿代タダっていうのもやってるみたい。
学生さんの夏休みにオススメだね。
やってみたいなー。でも働くなら中国語できないとダメかな。


http://www.susuguesthouse.com/




原住民のおまかせ絶品料理「藍色愛情海之太平洋的風」

2017年10月21日 | ☆旅行─台湾
台東で連れて行ってもらったレストランを紹介します。
すごく気に入りました。
また行きたい、なかなか簡単に行けるとこじゃないけど。



Aさんとお昼の相談してた時、折角台東に来たから原住民料理を食べたいと思い、台東市内の店を地図で見つけてたのだけど、「そこも悪くはないけど、観光バスが乗りつけるような団体向けの店だからなー」とあまり気乗りしない様子。何か思いついた様子のAさんが、どこかに電話をかけ「予約してないんですけど今から行ってもいいですか?二人です」とか言ってる。そして向ったのがこの店でした。


台東市内から少し離れた富岡漁港のあるところ。
(私も緑島への船が出ればここから乗船してたんだけど)
道路から細い路地を海岸に向かって入った突き当たりに店がある。




店内を抜けるとテラス席。
その先は太平洋です。
この日は大荒れ。







Aさんはお店の人と知り合いみたい。
聞いた話では、あの原住民歌手の大御所「胡徳夫」さんの、奥様が開いたお店なんだとか。
ときどきライブなども行われるとか。

席に着くと、「アバイ?それともごはん?」と聞かれる。
ここはもちろん「アバイ」の一択です。昨日台東空港で食べたのすごくおいしかったもんね。

この店はメニューはなくて全部お任せ料理なんだそう。
日替わり定食みたいなものかな?
なんて思ってたのですが…
出てきた料理はすごかったです。


まず前菜。
なす、なまこ、ごぼう
アスパラガス
オクラ、サツマイモ、肉


別の角度で。


お肉。これすごく香ばしくておいしかった。イノシシの肉らしい。


お洒落な盛り付けのおくら。
何の変哲もない感じなのだけど、日本で食べるのとは「ねばり」が全然違う。なんで??


そして炒め物。
これもキレイでおいしい。


金針花のスープ。絶品!


青菜。
これも珍しい作物。山菜みたいなものかな??
パリパリしてて、美味しかった。


魚の蒸し物。


これが、「アバイ」
昨日食べたのは粟のだったけど、こちらはお米。
味も違ってて、これまたアツアツで美味しい。


天気が良ければ外で食べたんだけど。
でもこの席からの眺めも開放感いっぱいで良かったです。


天井の装飾品は、原住民の皆さんの手芸とのこと。


写真の料理は2人前。
お腹いっぱいになりました。
そしてここのコックさんは相当腕がいいと思いました。
何を食べても美味しい。


台東に行く機会にはまた来たい。
タクシーチャーターするしかないけど、それでも来たいと思いました。
皆様にもお勧めします。
帰ってきてから、前にNHKの「2度目の台湾~台東篇」で紹介されていたお店だと分かりました。天気が全然違うと、印象違いますね。
日本語の紹介記事



台湾に残る日本家屋「青田七六」

2017年10月20日 | ☆旅行─台湾
台湾には戦前たくさん日本人が住んでいて、たくさんの日本家屋が建てられていました。戦後日本人が引き上げてしまったあと、それらの家屋は空き家になりましたが、その頃大挙して台湾へやって来た国民党軍関係の人たち(いわゆる外省人)に使われることになりました。

以前の台湾映画で外省人家族が描かれると、日本家屋に住んでいる描写が多くあります。

そして、70年の年月が過ぎ、台湾の日本家屋はどんどん少なくなりました。私が台湾に通い始めた20年くらい前は、住む人のいなくなったボロ屋だらけの一角が再開発を待って立入禁止になってるとかそういう景色がいろんなところに見られましたが、今はビルが建ったりしてすっかり景色が変わりました。
でも、中にはその建物を残そうという人たちが現れ、民家がカフェやレストランに改装されたりしています。日本家屋に限らず、台湾の人たちは古いものを残そうという意識が強いように感じます。古いところだと、「紫藤盧」という茶芸館が有名でしたね。何度か行ったことあります。

そして、ここ「青田七六」は最近(2011年)整えられた日本家屋を利用した和食店だそうです。名前の由来はズバリ住所。青田街七巷六号にあるからですね。





大安森林公園の西側、和平東路の北側で、台湾大学に近く、もともとは日本人の大学教授足立仁氏、そしてその後は中国から来た大学教授馬廷英氏の宿舎となったんだそうです。



家は昭和の和洋折衷の作り、玄関、を入るとすぐ左手に応接室、食堂、書斎が配置され、書斎の隣に子供部屋、ここまでが全部洋間です。子供部屋の奥に、畳敷きの和室が二間あります。
また、玄関脇に女中部屋、トイレ、台所が配置され、庭には応接室から出られるテラスが作られていました。






応接室


食堂


書斎


子供部屋


座敷






欄間


女中部屋


台所


トイレ!


廊下というか広縁でしょうか。


裏庭


テラス

素敵な家ですね。

ここに戦後何十年も住んだ中国から来た学者さん時代にいくらか改築されてるんじゃないかなとも思うのですが、和室をそのまま使っていたんでしょうか??

店内に掲示してある略歴を見たら、戦前に日本留学の経験のある人のようなのであるいは畳の部屋もそのまま使ったのかもしれませんが。(あとで調べた話によると、この馬廷英教授の奥様は日本人だったそうで、この家にずっと住まわれていたようです。)

この建物を保存しようとした人は当初、周りの人から「こんな、たかだか70年くらいの建物、歴史的価値なんかないじゃないか、中国には何千年の歴史があるんだし」と言われたそうですが、これからの未来に価値が出て来る、今壊してしまったら、ゼロになる。と思って頑張ったそうです。
日本家屋は日本でも貴重になってきてるし、こうやって残してもらえるのはありがたいことだと思います。
この家で育った日本人の子孫も訪れたそうです。幸せだったでしょうね。










ここはレストランであるとともに、文化財として保存されているので、部屋に説明パネルなどもあります。その中で「ハッ」とさせられた話。


◆神棚

私が通されたのは食堂でした。
そこには神棚がありました。黒く塗られていたので、はじめはただの棚だと思いました。

説明文にこう書かれていました。意訳。
「この家のもとの持ち主はクリスチャンで、もともとは神棚のない家だった。しかし、第二次大戦末期、総督府の命令により、各家には必ず神棚を作り国難を乗り切るべく拝むようにということで神棚が作られた。」

人々の心の中に政治が踏み込んでくる。戦争中の非人道的行為は色々聞いてきましたが、また一つ実感する出来事でした。


戦前のような政治体制や社会体制に戻してはいけませんね。台風くるからとか無関心に選挙に行かないと、知らないうちにこういう内心に踏み込む政治を許してしまうことになるかもしれません。選挙に行かなくては!





話を戻して。

このレストラン、従業員がたくさんいました。かなりだぶついている様子。お陰で、ザービスはすごく良かった。安い店ではないけど、客数に対して従業員多すぎじゃ??余裕があるんだな、羨ましい~。



午後茶セット。
税サ別で390元だったかな?





玄関を入ると、靴を脱いで上がるんですが、なぜが靴下が売られていました。
私は靴下はいていたから買いませんでしたが、床板を守るために裸足での入場お断りだそうで、靴下を売ってるのだそうです。徹底してる!

公式サイト(日本語)

緑島への旅 5日目

2017年10月17日 | ☆旅行─台湾
最終日です。
台北です。
宿は地下にあり窓がないので天気はわからない。今日はのんびり帰るだけ。
マッサージの予約を正午に入れてるので、朝ちょっと買い物行って、マッサージのあとは昨日台北の空港インフォメーションでもらった冊子に載ってた「青田七六」ということろに行ってみるつもり。ここも日本時代の民家を保存しているところらしい。今回はとことんそういう旅にしてみよう。

やっと太陽を拝めた。

まず、電車乗り継いで市政府駅。
そこから徒歩で松地区の誠品デパートメントへ。目指すお店は世界一のパンと言う「呉寶春麹店」




ここからタクシー飛ばしてマッサージ店へ。道案内が上手だと運転手さんに褒められた。

マッサージはいつものリサの店。ここで90分マッサージしてもらって、そのあと少し眠らせてもらうとほんとに疲れが取れる。


足取り軽くなり、バスで大安森林公園の方へ。ほんとに天気が良くて暑い!
青田七六はすぐ見つかった。庭の大木が涼しげ。




下午茶の時間。
予約なしでも大丈夫でした。
アフタヌーンティーセットを注文。ひと目で日本人と見破られ、日本語メニューを渡された。ふふふ。ここのことはまたいずれ別記事にまとめます。



良い時間になり、またバスで宿に戻り荷物を取って空港へ。空港に鳥姐が仕事を抜けてきてくれた。彼女は熊本地震の復興支援で、熊本城の復興城主になってくれてた。寄付金を建て替えていたので持ってきてくれたのだった。
感謝。

定刻通りに飛行機は飛び、無事羽田に戻ってきた。雨で寒い東京だった。最終バスに飛び乗る。

お疲れ様でした〜。

緑島への旅 4日目

2017年10月16日 | ☆旅行─台湾
朝までずっと雨が降っていた。
テレビを見ると台湾各地で浸水やがけ崩れの被害が出てるみたい。そして今日も台東は大雨が降るらしい。



朝ごはんのあとチェックアウトするだけに荷物もまとめておいて昨日買った雨合羽を着て出かける。雨は小降りだけど、念のため。



宿から歩いて8分くらいの日本時代の家屋が残るエリアへ。途中、とんでもなく雨が降ってきた。やっぱり合羽着ててよかった。ビーサンでじゃぶじゃぶしながら歩く。



日本時代の役人官舎旧居へ行ってみる。
保存されているものは公の管理に移り、補修が施されてきれいだが、民間の持ち物の家は朽ち果てるに任せているものもある。いずれも平屋建てで、広い庭を持っている。



Aさんの話では、今の県長に代わってから古いものを壊して新しくきれいな建物を立てようという政策が、続いたらしい。それでも残ってると思うよ。日本に比べたら。

中の一軒で、手の展示をやってたので入ってみた。同じ形の家が何軒もあったみたい。役人の官舎だったそう。







周りを歩いてみると朽ちかけてる家が
何軒もあった。しばらく歩くと、そのうちの一軒をカフェにしてる所があった。入ってみる。
かなり大胆に改装してある。



ここには美術の先生が住んでいたんだそう。三家族が一軒に住んでいたんだとか。



そろそろチェックアウトの時間、さんに迎えに来てもらってホテルにもどり、その後、昼ごはんへ。


せっかくだからな原住民の料理がいいかなーなんて話してて、連れてきてもらったのは、富岡漁港近くのレストラン。おまかせで料理が出てくるそうです。



ちょうど緑島から帰ってくる船が見えた。すごい波で、見ただけで酔いそう。



Aさんは港に友達を二人迎えに行き、緑島から帰ってきた幸運な人たち二人加えて4人で食事。



食事後、その二人が荷物をおいてるという民宿へ。かわいいトコだったけど、リベラルな活動してるっぽい雰囲気だった。



Aさんと二人で国立先史博物館へ。
かなり力の入った博物館で、知らないこともたくさんあったし、興味深かった。



閉館までたっぷりみたあと、友人オススメのカフェ「小慢コーヒー」へ。ワッフルがおいしいという話なのでワッフル食べた。



飛行機が予定通り飛んでいるか確認しに空港へ。聞くと、案の定遅れているらしい。もともと最終便を予約してたけど、一つ前のに替えてもらう。それでもものと同じ時間。搭乗券をもらったので安心。
あと2時間以上あるので、昼間の二人と合流するべく、台糖工場あとへ向かう。

ここは、昔の製糖工場あとを建物は昔のまま、中を芸術家たちが工房を作ったりギャラリーにしたりして活用しているみたい。
そこで原住民の子供と出会う。とてもかわいい子だった。すぐに仲良くなって遊んだ。この子の事は別記事でいつか書きたい。

夜八時すぎ、空港へ。
台北行きは満席。乗れてよかった。
台北についたら雨は上がっていた。夜も遅いので宿までタクシーに乗ろうかと思ったら長蛇の列。地下鉄乗り継いで宿へ。

ここは個室だけどバス・トイレは共同。きれいな宿だった。


緑島への旅 3日目後半

2017年10月15日 | ☆旅行─台湾
台東にもう一泊することが決定したので、緑島行きが流れたAさんとともに、台東雨の日コースで楽しみます。(多少ヤケクソ?)



まず行ったのが空港で会った陳昇ファンが行くと言ってたカフェ「食冊」本がたくさんあって自由に読んでいいらしい。パンも焼いててAさんもパンは買いに来たことがあるらしい。



次に行ったのは、古本の店「晃晃」


猫がたくさんいる店でした。

雨が少し小降りになったので、鯉魚山へ。ここから台東市内が一望できます。日本時代は台東神社が置かれていました。





そこから降りて、また本屋へ行ったら、緑島の写真展やってました。



そして昔の台東駅があったところが公園になっている鐵花村へ。


昔機関車の整備したとこ。




日本時代の防空壕がたくさん残されていました。



鐵花村屋外ライブハウス。
雨のため今日はお休み、残念。



雨は降ったりやんだり時々ものすごく降ったり。まだまだ不安定。今夜の宿をまだ決めていなかったので、とりあえず今朝まで泊まってたホテルに行って部屋があるか聞いてみたら泊まれるとのこと。良かった。

晩御飯は火鍋を食べに行きました。一人でも食べられる小さい鍋の店。二人で2つの鍋を食べます。話には聞いてたけど、初体験!



ご飯のあと8時くらいに解散。今日もお世話になりました。

部屋に戻る前にスーバーに寄ってビール買ってみました。お酒全然飲んでないし。台湾ビールが出してるはちみつビール。



昨日までと違い窓が大きな部屋になって、雨の音がすごくてなかなか寝付かれなかった。


緑島への旅 3日目

2017年10月14日 | ☆旅行─台湾
朝になる。
雨はやまないというか、昨夜はとにかくひどく降ったようだ。泊まってるホテルの部屋の窓は小さくて雨音が聞こえなくてよく寝れたけど。

でも、フェリーは出ることになった。
よし、行こう。私の船の予約は午後一時半。それまでよく寝て体力温存しとこう。相当船が揺れるらしい。
乗り物酔いが激しいので、かなり恐怖だ。天気がいい時でもトイレから出てこれなかったこともある。別の船だけど。


天気予報では日曜まで雨が続くと言ってる。コンサートできるのかな??

でもまずは合羽を買わないと。島ではバイクで移動することになるから。と思ってホテル隣のスーパーに行ったら売り切れてた!

仕方ないので少し離れたカルフールへ。傘をさしてでもかなり濡れる。


ここのカルフールもくまモンだらけ。


合羽売り場。さすがの充実ぶり。
バイク用のを買って早速着込んでホテルへ帰る。

島の民宿の人から「今日は船が出ても明日は出るかがまだわかりません。キャンセルなさるなら無料で出来るようにしますよ」との連絡が入る。うーん、こんな思いして(船酔いで苦しむのは間違いないし)まで行くべきなのか?友だちの中には、帰れなくなると仕事に影響するからと、断念した人もいる。

迷う気持ちを抱えつつ、ホテルをチェックアウトする。そこへ、昼前の船で島へ向かうはずの昨夜会ったAさんから「一旦乗船したんだけど、降ろされた。欠航になった」と連絡が入った。程なくして、島の宿の人から午後の便はすべて欠航だという連絡が入った。

万事休す。
行けなくなった。
船酔いしなくて済むのにはホッとした。

船を降ろされたAさんがこっちに向かってくれることになり、待っている間に、今夜の宿を台北に予約した。ここにいてもすることないから一日早いけど台北に向かおう。飛行機の予約変更できるかな?

Aさんの車で空港へ向かう。
彼女は「船がだめなら飛行機は飛ぶかも?」と最後の望みを託すつもりらしい。

空港に人はまばら。
聞くと、昨日から台北からの飛行機は着陸してないらしい。機体がないので当然出発する便も欠航。


ロビーに懐かしい顔があった。陳昇のファン仲間が緑島への飛行機が飛ぶのを待っていた。二組の家族連れ。聞けば、朝6時に来てずっと待ってるんだとか。しばらくおしゃべりして、飛行機を待つ。



午後一時、結局飛行機も欠航が決まってアナウンスあり。

あ〜あ。
もうどう頑張っても行けない。

Aさんが売店で買ってきてくれた土地の珍しいものを食べつつ、台北へ行く汽車はどうだろうなんて話してたら、一人のおじさん(おじいさん)がやってきて話の輪に入る。、誰だろうかと思ってたら、彼らが乗りたいと待っていた緑島便のパイロットさんだった。
びっくり。

汽車も指定は満席らしい。しかも、大雨で不通の区間もちらほら出始めてるとか。もう 今日台北には行けなさそう。予約したホテルをすぐキャンセルする。



そしてついに、コンサート自体も来月に延期と言う公告が出た。来月は来れないけど、でも諦めがついて心が軽くなった。

ロビーでみんなでワイワイ話していると、他の客から話しかけられたり。「その美味しそうなものは何?」とかね。台湾だなー。

みんなそれぞれ、午後を楽しく過ごすために解散。
車できてない一家族はそのパイロットさんに駅まで送ってもらうことになったらしい。これも実に台湾的。
台東だからだよね。もう台北とかではそういうの無さそう。



もはや「緑島への旅」ではないけれど、私の旅は続きます。

緑島への旅 2日目夜

2017年10月14日 | ☆旅行─台湾
夕方まで図書館でくつろいでとても静かな時間を過ごした。

宿に戻ると、雨がどんどんひどくなってきた。天気予報で言ってたのホントなんだー。

夜は友達の紹介で地元の人とご飯を食べることになってる。いまはSNSあるから連絡取るのも簡単で、待ち合わせなども楽。ホテルまで車で来てもらって台東小吃美食ツアーへ出発。

一軒目は米台目(びーたいば)







これがビータイバ


これは金針花のスープ


二軒目は臭豆腐





美味しかった!


三軒目はドリンクバー


青草茶という体に良い飲み物


四軒目はフライドチキン
台東にだけある店なんだそう。














お金払わせてもらえなかった。
お世話になりました。
一人だといまいち美味しく感じない。(孤独のグルメには向かない)つれて行ってもらってよかった。

肝心のコンサートは、明日の朝6:30の段階でフェリーが出るなら開催するという公告が出た。明日の朝まで待ちましょう。

緑島への旅 2日目

2017年10月13日 | ☆旅行─台湾
 



テレビの台風情報。あかん、台風は遠ざかって行くだろうけど、別の要素があって影響が月曜くらいまで残るって。え?!帰国の飛行機は大丈夫??

雨は雨だけど、近くにあるわけじゃないのでそれほどひどくはない。





とりあえず朝ごはん食べて、今日の計画をしよう。

今日台東に来るはずだった友人たちは皆取りやめにしたらしい。ま、そりゃそうだよね。


ホテルから歩いてすぐの図書館にやってきた。ここは、10年以上前にも来て、祖母、曽祖父の情報を探したことがある。そのときはそれほど時間がなかったので、今日はたっぷり滞在しよう。


台東の歴史コーナー、日本時代の本こんだけ?前に来たときはもっとあったような気がするけど。

それでも見つかりました。





警察官だった祖父の名前、医者だった曽祖父の名前。

台風のお陰でこの時間が持てたから良かったとも言えるね。






お昼ごはんは図書館近くの春巻の店へ。紫米の春巻とトムヤムラーメン。





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