キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

図書館に予約

2017年03月31日 |   └─半七捕物帳
大江戸鳥瞰図
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


昨日から調べている江戸時代の地図や街歩き系の本を図書館に予約した。
この時代、図書館の本もネットで検索して、そのまま予約できるから便利。
本が届いたらメールでお知らせ来るし。

そのうち、自宅に配達サービスができたりしてね。
(さすがに無料じゃないだろうけど)

半七捕物帳 お江戸歩き

2017年03月30日 |  └─半七捕物帳~江戸散歩
半七捕物帳 お江戸歩き
クリエーター情報なし
河出書房新社


古地図で歩く大江戸捕物帳―半七、鬼平の舞台を訪ねる (別冊太陽 太陽の地図帖 12)
クリエーター情報なし
平凡社


半七の見た江戸―『江戸名所図会』でたどる「半七捕物帳」
クリエーター情報なし
河出書房新社


やっぱりあった。
誰でも考えることは同じだなぁ~^^

でも私は自分で作りたい。
グーグルマップにおとしこんでみたいと思ってる。


本棚ゴソゴソしたらこんな本を発見。
使える!!
「歩兵の髪切り」に出てきた神田小川町の歩兵屯所もちゃんと載ってる。


網野善彦「日本の歴史をよみなおす」

2017年03月30日 | ☆読書
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野善彦
筑摩書房


もうひとつ、いま読んでいる本。
こないだ久しぶりに本屋に行って、偶然見かけて買ってきた。
ほんとは「半七捕物帳」を探してたんだけど(全作品キンドルで持ってるのだけど、文庫で解説とか読んでみたかった)見つからず、かわりに手に取ったのがこれ。

文庫なのに1200円!
でも前書きだけ読んだら、めっちゃ面白そうでした。

いま、文字の項を終わり、貨幣の項に入ってる。
ちょっと「サピエンス全史」に似た構成です。

網野先生のご説だと、日本の社会は13~14世紀ごろに大変革があり、その前後で全然あり方が変わった。その後の社会は昭和30年代くらいまで続いていて、その後また大変革が起こっているのでは?というのらしい。

どんな変革なのだろう?
わくわく!
こちらもチビチビ読んでいます。




残りわずか

2017年03月30日 |   └─半七捕物帳


半七捕物帳 全69作品のリストを作って手帳に挟んでいる。
読んだものに黄色のチェックを入れてみてるけど、残りがだんだん減ってきた。
さびしい。
作品名の横の数字は青空文庫のID。

今はオーディブルで朗読を聞いてるけど(朗読の無い作品が10個以上ある)
聴き終わったら、「半七江戸地図」みたいなものを作ってみたい。
作品に登場した場所を地図にマークして、実際に訪ねて歩いてみるのも面白そう。
実は我が家の近所も登場している。半七は来なかったけど、子分が聞き込みに来たりしてて楽しい!もしかしたらもう誰かがやってるかな?

倒産・・・

2017年03月28日 | ☆記憶
やはり、てるみくらぶは破産したそう。
こういう風に一般人の生活に関係のある会社の場合、より身近に感じて恐ろしい。

私も20代の頃に働いていたところが倒産して、お客さんにも家族にもたくさん迷惑をかけた経験がある。
だから、こういうニュースに触れると従業員のことも気になる。
給料がもらえるのかな?
残務処理が大変だろうな。
など。



最後の給料は現物支給だった。
高級美容液3本。
それも破産後なので手をつけてはいけないものだったのかもしれないけど、経理部長がこっそり渡してくれた。

でも・・・

これ、食べられないんですけど‥‥
家賃も払えないんですけど‥

結局換金できなかったな。
自分で使ったんだったか?


お客さんにも色々怒られたけど、あきらめてもらうしかなかった。
自分の損害を我慢して、若い私たちを励ますようなことを言ってくれるお客さんもいた。
今でもあのことは自分の中の消せない傷というか汚点。

その経理部長は、社長が姿を消した後も、われわれ一般社員が一定の残務処理を終えてちりじりになったあとも、毎日出社してきて残務整理していた。こういう人は信頼に足る。社長はあっという間に逃げて、一度も会うことはなかった。他の役員はみな自宅をとられてアパートなどに引っ越したのに、社長だけは裏技を使ったのか、元の豪邸に何年もそのまま住んでいるという話だった。10年くらいたってから、夢に社長が出てきて、めちゃくちゃにののしったことがあった。恨んでいたのかもしれないが、人を見る目を勉強させてもらったと思うことにしてる。


でも、経営者は会社を倒産させてはいけない。
本当にそう思います。
今の会社も危なくなったら事業整理してほしいぁ。

旅行会社の倒産

2017年03月25日 | ☆旅行─海外旅行
旅行会社の「てるみくらぶ」が倒産したらしい。
※現時点で未確認情報です。訂正しておきます。スミマセン。3/27 9:30
今回の倒産は、かなりひどいことになっているようで、まさに今旅行中の人たちのホテルがキャンセルされていたり、帰りの飛行機がキャンセルされていたりするらしい。これから出発するという人も、飛行機の予約は残っていたりいなかったり、ホテルは予約はされていても料金は払われてないので、お客がダブルで払わなきゃいけないとか。空港に着いたら送迎は来てないは、ホテルはキャンセルされててホテル探しからやらなきゃとか。
いろんなケースがあって大混乱しているそうだ。
旅慣れていない人ならなおさら相当混乱、心細いことだろう。

利用していた皆さん、本当に気の毒だ。
私もしょっちゅう旅行してるし、格安旅行ばかりだから他人ごとではない。
でもよく考えたら、もう旅行会社を利用する旅行はほとんどしていないのだった。
飛行機は、航空会社に直接予約。
ホテルはネットの予約サイトBooking.comとか楽天トラベルとか使ってるけど、現地払いにしてることが多い。
ツアーに至っては、もう10年以上お世話になってない。一人旅ばかりだから、使いにくいというのが最大の理由だけど、それでかえって助かってるのかも。格安ツアーや航空券販売の旅行会社が倒産するニュースもう何度もきいてきたもの、遠いところの話ではないのだ。

てるみくらぶで働いてた人も辛いだろうなぁ。
(会社の倒産経験してるので、これも身にしむ)


熊本城復興城主

2017年03月22日 | └─熊本地震・水害
帰省中、母の誕生祝いで街まで食事に出た。
ランチだったので、食後熊本城の様子を両親と見に行った。


作業の様子を説明するパネルがいたるところにありました。
こうやって説明してもらえると、理解が進むし、良いことだと思います。


崩れた石垣を整理して、番号を振って保管しているようです。


でも手つかずのところもまだまだ多い。


薬研堀のところ。
この空堀は父が若いころはソフトボールの練習会場だったらしい。
仕事の昼休みにやってきては同僚とソフトボールやってたんだとか。
写真手前にバッターボックスがあって、いま崩れてしまってる石垣越えをさせるのを目指してたんだとか。


巨木も崩れたままになっていました。


加藤神社前。
人を通すところはこのようにがっちりと補強しているようです。


石置場




立ち入り規制。
城彩苑の上のところ。行幸坂を望む。


復旧には20年かかると言われている熊本城。
20年なのかどうかは、やってみないと分からないのかもしれません。
東京にいる時は「崩れてしまっても熊本城が無くなったわけじゃないし」なんて思ってたのですが、やっぱり実際に足を運んでみて、いつも行けた場所があちこち立ち入り禁止になっているのを見ると、とても切なくなりました。
天守閣に近づけないのもとても寂しい。


「城彩苑」というお土産物を売ったりしている施設はオープンしていました。
行ったらすごい人気で、ごった返していました。



その中に「復興城主」の申し込みカウンターがありまそいた。
つまり熊本城の復興のための寄付の受付です。
これまでも平成の大改修などでも「一口城主」等と言って一般の寄付を募っていましたが、今回もそういうものです。
ここに寄付をすれば熊本城のために使われます。
早速、受付に行って「城主」になりました。


熊本城復興城主公式サイト


その話をFBで友人に伝えたら、台湾の友人も寄付したいと言ってくれて、代理で手続きしました。
ネットからも申し込めてクレジットカードで入金できるので便利です。
彼女はまだ熊本城に行ったことはないそうですが、天守閣に近づけるようになったらぜひ案内してあげたいと思います。



「城彩苑」で見かけた中国語の張り紙。
バオビン~かき氷のことですね。



城主になったあかしの城主手形。
熊本で色々の特典が受けられるらしいですが、熊本に次に帰るのはいつかな?

10か月ぶりの帰省

2017年03月21日 | └─熊本地震・水害
昨年の5月に帰省して以来、10か月ぶりに熊本に帰りました。
阿蘇くまもと空港に父に迎えに来てもらい、健軍の実家にもどるのに、津森経由にしました。
津森は父が子供の頃に住んでいた土地で、なつかしいというのもあり、また、ここから帰ると木山を通ることになるので、地震後の益城町の様子も見られるということでこういうルートになったのでしょう。



父の子供時代の思い出話などをききつつ津森を通り、木山、安永、馬水、惣領、沼山津と地震の被害の大きかったところを通りました。




飛行機の窓からも確認できていたのですが、屋根の修繕が終わらず、ブルーシートを貼ったままになっている家屋が予想以上に多い。
県道の両脇、地震直後は崩れた家が立ち並んでいたところはかなりの割合で更地になっていた。







家の近所まできても状況はあまりかわらず。
壁が崩れた家が「危険」の張り紙もそのままにされていたり、隣の家も屋根にブルーシートをはったままだったし、更地もちらほら増え、取り壊しの工事をしている家もあったりと、地震後の復旧作業がゆっくりゆっくり進んでいるという状況だった。

業者さんの数が足りず、地震の直後から頼んでいてもなかなか順番が来ない。ということもあり、またもともと年寄りが多いので、家を空けて施設に入っていたりで家を手直しする人がいないということも多いようだ。

健軍商店街のアーケードも見に行った。
鉄筋コンクリート3階建てのスーパーが倒壊していた現場は、建て替えの工事に取り掛かっているようだった。アーケードは修復が終わり、きれいに塗装されていた。それでも更地もあり、廃業した店もあり。もともとシャッター商店街の様相だったので、復活は遠い道のりのように思える。




(地震直後の様子)


熊本を離れていると、こういう生の情報にはなかなか触れることがなく、ブルーシートなどはかなり減っているものと思い込んでいた。
反省。

同級生の家もちょうど解体が始まったと言っていた。
地震直後には被害が少なくて一部損壊程度だった友人の実家も、その後の余震で被害が大きくなり、再検査したら大規模半壊となったとか。まだ修理ができないので不安の中暮らしてるそうだ。

改めて天災の恐ろしさを感じた。



<<追記>>
津森を通りながら、父が話してたことのメモ。
祖父は「駐在さん」だったので、父たち家族は駐在所に住んでいて、それは津森小学校の近くにあった。今はもう建物もなく、【がけ崩れ危険地区】という看板が立っていた。去年の地震とは関係がなく、昭和54年と書かれていた。その駐在所から、学校まで竹馬に乗って行ったことがあったとか。家の縁側から竹馬に乗り、はだしのままで行ったとか。

途中、道が木山川に沿っていた。
津森神宮などもあるところ。
「木山の初市には、この道を木山まで歩いていったなぁ」とか。地図で見るとちょうど4キロの道のり。小学校低学年時代の思い出らしいので、結構遠かったですね。
木山の初市ってなんだろうと思ったら、今でもやってるそうですね。毎年3月に開催しているらしいです。





北橫公路~省道台7線

2017年03月16日 | ☆旅行─台湾
北部横貫公路
全長約129.5kmの省道台7線の自動車道である。(Wiki)
日本時代(大正時代)に開いた山道を拡張したもののよう。


宜蘭市から昨日は鳩の澤温泉まで行って帰ってきました。
今日は、また途中まで同じ道をたどり、さらに山越えをして桃園市へ出て、台北から淡水まで向かいます。グーグルで調べると4時間半の行程。



ドライブの状況を写真でご紹介。
(写真は2日分が混ざっています)
どうということない景色ですが、台湾でドライブするのは珍しいことなので色々写真撮りました。この車には、カーナビを付けてる上に更にタブレットでグーグルのナビも使ってる。そして私にはよくわからないけど面白いデバイスを導入してた。それは、音声を認識するもので、話しかけると音楽を流したり、ラジオの局を探したり目的地までの距離を答えたり、歌を歌ったりするsiriみたいなもの。
ガジェット好きな友人なのでいろんなものを積んでいるみたい。



タブレットのグーグルマップ。
山道のくねくね感が伝わりますか?







台湾の桜は濃いピンク。

林業の発展とともに開かれて行った道路や鉄道。







(中国の範囲が広い!!これが中華民国の版図だ!)


途中まで「蘭陽渓」という川に沿って山を登って行きます。
この川がとても雄大。
水はそれほど流れていないのですが、河原に石が大量にあり、大きな谷をつくっています。
台風や大雨が降ると、流量が増えて上流から石がゴロンゴロン運ばれるんでしょうね。




その河原に何か整備してあるところが‥


拡大写真。
何だろう?
連れは西瓜畑と言ってましたが・・・。



山道はあちこち崩れています。
ここはまさに崩れたところをパワーショベルで修繕中。道をふさいでいる重機は器用に自分の身体を山の方へ移して我々を通してくれました。




途中、休憩。


標高の高いところにある池「明池」。
涼しいから景勝地として人気があるようです。
明池山荘というホテルもあります。
山歩きとかの拠点になりそうですね。






ここには薄いピンクの桜が咲いていました。








「不滅の栄光」
この道路を切り開いた人々をたたえる、石碑と案内板です。
この案内板にはにほん時代のことは書かれていなくて、「光復初期・・・」から説明がされています。この道路の工事のことは教科書にも書かれて、国民党政府の偉業としてしっかり教わったという話。
1950年代に人力で作った道のようですね。
大変だったろうなぁ。


農園もあります。
ここから山歩きで着るような道が作ってありました。



北橫公路の高いところは植生も違います。
針葉樹林が広がっています。



宜蘭県と桃園市の境目。







この山道の工事は大変だったでしょうね。

朝10時に宜蘭のホテルを出て、淡水駅に着いたのが午後4時を回っていました。
6時間のドライブとなりました。

写真はあまりありませんが、この道路を通ってて感心したのが自転車の多さです。
日曜だったせいか、自転車で山越えしている人が本当におおぜいいました。
100人は見たと思います。
台湾の自転車人気もすごいものですね。

それと、宜蘭側も桃園側もタイヤル族の集落が点在していて、それも興味深いものでした。
集落によってモニュメントがあったり、原住民文化のモチーフの飾りがあったり。
ゆっくり訪れてみたいですね。

宜蘭東門観光夜市と幾米公園

2017年03月15日 | ☆旅行─台湾
鳩之澤温泉から戻ってきて、晩御飯を食べにホテルの向かいにある「宜蘭東門観光夜市」へ行きました。

昼間にも一度通って下見(?)しておきました。


昼間はまだどこも開いてない。


夜になったらここにも屋台がずらっと並ぶんでしょうね。


そして夜。


ガード下が夜市になっているので、雨でも営業できそうですね。




入口近くの葱油餅を早速食べます。






あと、これも屋台で試してみたかった「銀糸巻」。
でも見た目が知ってる「銀糸巻」となんだか違う。
超級安いけど。
油が良くないとこれは美味しくない。


そんなに食べ物の屋台は多くなかったので、結局夜市の中にあるステーキ屋さんへ入りました。
が、あまりおいしくなかった・・・。

でもとりあえずお腹いっぱいになったので、ジミー公園まで散歩。
宜蘭の駅前にあります。
ジミーさんのことはよく知らないので、「ふ~ん」という感じだったのが自分としても残念。
やはりこういうところは「あのジミーさんの世界が!」とかって盛り上がりたいですね。







宜蘭の駅舎もジミーさんとのコラボらしい。

※ジミーさんというのは、台湾の有名な絵本画家です。

帰りに、駅前のスーパーで果物や夜食を買ってホテルへ。
10時半くらいに就寝。


これスーパーで買った芋チップス。
なかなかおいしかった。




鳩之沢温泉

2017年03月13日 | ☆旅行─台湾
今回の目的地はこの「鳩之澤温泉」。以前は「仁澤温泉」と言ったそう。
そのいわれは、日本時代に林業に携わる人たちが開いた温泉で、鳩が入ってたからこの名がついたとか?国民党時代になり「仁澤温泉」と改められたが、最近またもとの名前に戻されたのだとか。

山道をくねくねと登っていくと、山の中腹から白い煙のような湯気がもくもくと立ち上っている。あそこが目指す温泉らしい。周りに何もなく、ほんとに山の中の一軒湯であるようです。



到着すると、それなりに少し開けた平地があり、駐車場と幾つかの建物があった。湯けむりが上がっている場所が二箇所あった。大きな方が源泉なのだろう。建物群から少し離れた高いところにある。そこから湯を引っ張っていると思われるパイプもあった。







もう一つの湯けむりは、いくらか規模が小さい。温泉玉子作りの場所でした。
売店で玉子を買って、茹でるかごを借りました。借り賃は20元、別に200元のデポジットを預けます。







もくもくしてるところからは、ボコッボコッと暴力的なお湯が涌き出ています。
湯しぶきが当たると火傷の危険あり!













タマゴも食べたので、温泉に入りましょう。





ここには、水着を着てはいる「SPA区」と個室になってる「家庭湯」と、いわゆる男女別浴場の「裸湯」があります。
連れが当然「裸湯」!という姿勢だったので、有無を言わせず裸湯へ。
台湾らしいSPA区でもよかったんだけどなぁ。

裸湯へ行くと、入り口は施錠されていて、係りの人を呼んでチケットを見せて開けてもらわないといけませんでした。
もちろん、温泉のなかでの写真はありませんよ。
大きな露天風呂で、一応洗い場もありました。かんたんな石鹸シャンプーは備え付け有。ドライヤーもあり。コインロッカー有(お金は戻ってくるタイプ)

先客5~6人といったところでしょうか。

入ってみて、なぜこの温泉にわざわざやってきたのか、わかりました。
とにかく泉質が良い!
ぬるぬるしたお湯で、肌がつるつるになります。
1時間弱堪能して、外に出たらもう真っ暗になってました。



KAVALAN WHISKY工場見学

2017年03月12日 |  └─台湾で街歩き・観光
昼食を食べた後は、太平山の方にある温泉を目指しますが、その前にちょっと寄り道。
ちょうど山への途中に「カヴァランウィスキー」の工場があるのです。
蒲田のバーの方から工場見学できますよ~と話を聞いていたので、ぜひ一度行ってみたいと思ってたのでした。工場の売店なら販売してるものの種類も多いでしょうから(空港免税店では4~5種類のものしかないし、サイズも選べませんので)できればいろいろ試せるミニボトルのが欲しいと思っていました。




見学コース。自由に歩いてよいようになっています。


ミネラルウォーターの工場も併設。


こちらはウィスキーのボトリング工場。


樽がいっぱい!


入口と出口


ウィスキー工場はさすがに一番人気!


説明があります。


展示も充実。


樽の中はこのように焼いてあります(見えづらいですが)


スチールポットです。


たくさんありました。


このコーナー濃厚なウィスキーの香りが立ち込めてました。




こちらは売店。


「撮影はこちらで」の撮影スポットから。


買ってきたものたち。
ミニボトル6種セットを買いました。
これで好みの味を見定めてから、また買いに行こう♪



工場の情報
金車酒廠
住所:宜蘭縣員山鄉員山路2段 326 號
http://www.kavalanwhisky.com/

「猫の耳」という食べ物

2017年03月11日 | ☆旅行─台湾
宜蘭についてまずお昼ご飯をたべます。
やって来たのは「猫耳」の店。

猫耳って話には聞いていたけど食べるのは初めて。
(あ、猫の耳の形ってだけですよ。念のため)




猫耳と魚団子の入った汁ビーフン。
40元。



「総合」には魚丸と猫耳がまざってるんですが・・・
猫耳一個だけだった。
魚丸も柔らかくておいしかったけど、「猫耳湯」にすればよかったな。
次にチャンスがあれば、またチャレンジしたいです。
美味しかった。



猫耳というのは求肥みたいな半透明の皮で餡(肉と野菜)を包んだ三角形のもの。
猫の耳に形が似ているところからの命名のようです。

でも実は一般に「貓耳」という食べ物はこれではないのです。
私が昔台湾の人に「食べてみて」と紹介されていたのもこれではありません。
もっと小さくて小麦粉で作ったいわゆるパスタのようなものです。

この宜蘭の店のは台湾でも珍しい貓耳のようですヨ。

信利號貓耳
+886 3 933 1702
台湾宜蘭市文昌路8號


この店の帰りにちょっと道を間違えたおかげで、もう一つの有名店「南塘水餃店」にも行くことができました。(ちょうど通りかかった)連れが「ここも有名な店ですよ」というので、猫耳ビーフン食べただけでまだお腹いっぱいじゃなかったので、ここで水餃子と酸辣湯をいただきます。




これでも酸辣湯は小30元ですよ。二人でシェアして食べました。


水餃子の皮は厚めで餡はキャベツ中心。酸辣湯も美味しい。
ここに、自動餃子包みマシンがありました。捏ねた麵と餡をいれると、どんどん餃子ができてくる。そのあとお店の人がちゃんと形を整えているようではありました。

満腹!


南塘水餃館
地址宜蘭市聖後街78號
電話03-9362091
營業時間11:00 ~ 21:00 (月曜公休)

宜蘭市BOSSホテル(伯斯飯店)

2017年03月10日 |  └─台湾のホテル
台湾の友人が予約してくれたホテル。
宜蘭駅からも近く、東門夜市は目の前で便利です。

今回の宜蘭行きは、どこに泊まるとか、どんなルートで行くとか、全て台湾の友人(弟分)にお任せしました。気を使わないというのもあるし、頼りがいもあるやつだし。普段の旅行なら自分で何もかも調べて準備するのですが、たまにはこんな旅もいい。

先ず今夜の宿へ向かう。ホントは山の中にあるホテルに泊まりたかったけど満室だったらしい。それで宜蘭の街中のBOSSホテルにしたのだそう。
「電話で予約入れただけなので、ちゃんと泊まると、ホテルの人を安心させます」
こんなところ、妙に律儀。

行ってみると駅からも近く小ぢんまりした古めで小奇麗なホテルです。
道の向こうに観光夜市もある。







部屋は結構広い。
1人で寝るにはもったいないくらいの大きなベッド。





お風呂はバスタブとシャワーブースが別々。




茶器がカワイイ。

陳昇2017春酒ライブ@西門大河岸

2017年03月09日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen



(二階からの眺め)


(一階席の様子)

春酒第二部はライブです。
宴会に参加した人には優先席取りの権利もあり、前の方で見ることができました。(たまたまラッキーなことに誰かが気を利かせて私の分までとっててくれました。ありがとう)



春酒でなくても、いつもライブはお酒をガンガン飲みながらやる陳昇さんですが、今回はあまりだらけたおしゃべりはなくて音楽中心でした。お酒はよく飲んでたけど。私もバーで台湾ビールを買ってきて飲みました。他の人たち、割と飲み物持ち込んでた。。ゆるすぎる・・・・。


今回はゲストが多かった印象。



最初はフィルチャン(張宇)。
この人は春酒の出席率高い。もしかして毎年来てるのかな??
相変わらず歌がうまく、オーラは少なめ。

次に趙詠華。
なぜコートを着てるんだろ??



それからギタリストにビヨンドの歌を歌わせた。
懐かしい「関心永遠在」もやった。

ボビーが「自分には大物になった弟子が金城武と劉若英の二人いるけど、これから出てくるのは三人目の弟子」と紹介したのが、なんとボビーの所属するロックレコードの段社長。この人若い頃歌手志望だったと聞いたことあるけど(で、才能足りず裏方に回ったとか)年取ってやはり昔の夢を追いかけたくなったのかしら?三曲歌いました。プレスリーの「愛さずにいられない」と台湾語の「思慕的人」そして長渕の「乾杯」の北京語カバー。



さすが歌手を目指していただけあって歌うまい。でも歌詞がボロボロで「普段所属歌手たちにお客さんはお金払ってるんだぞ!」と小言言ってるのに…と笑いを取ってました。

そして後半に阿VONが真面目に「この方をお呼びできるのは大変に光栄なことです」と紹介した文夏先生が登場しました。一日前にインドネシアから帰ってきたばかりと伺ってたけれど、全く疲れも見せない歌いっぷり。ほんとに90歳なのかしら??



この文夏先生がステージに上がって歌っているときに、陳昇がまた変なことを初めました。ギタリストの前に置いてる譜面、譜面台、歌本のファイルをボンボン舞台袖に投げ始めたんです。「こんなもの使うな!暗譜してないのか?!」と言わんばかり。しまいにはiPad(最近バンドマンたちはiPadに楽譜入れてるらしい)までほおり投げようとするのでハラハラしてしょうがなかった(流石にこれは投げなかったけど)

あとで聞いた話によるとやはり「文夏先生のこの曲(媽媽請你也保重)は国歌みたいなものなのに楽譜がいるのか?!」と投げていたらしい。

ギタリストたちが苦り切ってたのが気の毒だった。その後ステージスタッフが素早く散らばった楽譜を拾い集めて復旧してたけど。こういうところがあるからボビーは怖いと言うか、一筋縄で行かないというか。

ライブは三部構成で終わったのがちょうど12時でした。おつかれさま〜。
帰り道は、やはり近くに宿をとったという香港の楽と一緒にてくてく歩いて帰りました。


これ、その夜のベストショットだと思う。
いい顔してるね。ベースのイーウェンちゃんも。

YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
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