毎年元日は北京ダックから始まります。
そして誕生祝い。
食後のお茶をしに、近くのリラックマ茶屋へ。7人いたので特別室に入れた。
和風!
台湾で受けるんだろうなー。
リラックマ尽くし。
楽しい。
一度宿に戻る。
リビングルームで、陳昇関係の本を読んでいる人がいたので話しかけてみたら、今年初めて陳昇コンサートを見に来たという中国の人でした。本の内容について少し話をしました。物静かな頭のよさそうな青年でした。
「文青」って言葉がぴったりな感じ。
夜は文夏さんの奥様に誘ってもらった食事会(コンサートの打ち上げ)。
声はかけてもらったものの、あとの細かな交渉は自分でマネージャーに連絡。一応2~3人なら来ても大丈夫、席が用意できるということだったので、日本から見に来た古くからの陳昇ファン3人でおじゃまさせてもらうことに。
はじめから陳昇側に声かけてもらったわけではないので、ちょっと心苦しいところもあるのだけど、10月に日本で会ったバンドメンバーとももう一回話もしてみたいしね。せっかくの機会だしということで。ファン仲間のBちゃんはバンドメンバーにお土産までもってきたらしい。
会場最寄駅に早めについたので、駅でウロウロしていたら、改札から見知った顔が、あちらも私のことみてる、「あ!PiAちゃんだ!」
彼女は御母さんと一緒だった。もちろん、打ち上げに参加するのだ。
「YOKOさんも?」
そうだよ~。
しばらくここできょうだいを待つというので、おしゃべりしながら付き合うことに(というか一人で会場に行くの気おくれするから)コンサート良かったよ!とか、日本語の歌「とりあえず生」いいよね!とかこれからの活動予定なんかを聞きながら10分ほど待って、弟さん、妹さんが合流したところで会場へ。
12~14人がけの円卓が6個ほどもあったか?
陳昇家族、文夏先生ご夫妻、周逢雲さん、PiA家族の席、バンドメンバーの席、ダンサーたちの席、裏方スタッフたちの席、海外(マレーシア+日本)組の席、主催会社の社長の席。私たちは、マネージャーとマレーシアから来た人たちが座っている席へ。その中の一人とは数年前にあったことがある人だった。よかった。一通り自己紹介などもして、料理が運ばれ、三々五々食べ始める。お酒はワインかウィスキー。
見回してみても、ファンは私たちだけ。ほんとに来てよかったのかな?とはいえ、来てしまったものは仕方ない。こういう打ち上げも回数を重ねてきたので、私もずいぶん場馴れして、ふるまい方にも迷いはない。食べて飲んでたくさんおしゃべりして皆と一緒に楽しめばいいのだ。
まず、誘ってくれた文夏先生ご夫妻の所に挨拶に行く。陳昇も同じテーブルだけど、ちょっと黙礼する程度で、先ずは先輩から挨拶するのが礼儀だ。文夏先生はいつも通り日本語でにこやかに話をしてくれる。日本人をとても歓迎してくれてるのが分かってこちらもうれしい。
そのあとは、ボビーの奥さんといろいろ話をする。
日本に17回も来てるんだって!
一旦席に戻り、料理をいただく。
広東料理のご馳走だ。
一緒にテーブルのマネージャーに今後の公演予定などを聞いたり。日本公演の可能性について質問したり。
とはいえ、やはりボビーと話したい。写真も撮りたい。
周りの人はファンじゃないから、誰もそういうことはしない。
前に打ち上げに参加した時、ボビーが早々に帰ってしまったことがあったから、早めに行かないと帰っちゃうかも。マネージャーに一応断りを入れてから、ボビーに近づく。挨拶してお礼を言って、すこししゃべって、写真を撮らせてもらった。
そのあとは、一通り各テーブルを回って、顔見知りの人と話をしたり、初めての人に話しかけたり。
台湾旅行では禁酒してるんだけど、さすがにこの日ばかりは解禁してじゃんじゃん飲みました。
料理はあまり食べなかった、ご馳走がたくさん出てきたけど。おしゃべりが忙しくて後半はほとんど自分の席にいなかった。
10時すぎ、今夜の飛行機で帰国する仲間がそろそろ帰るというので、3人とも御暇しようと、また各テーブルの知った人に挨拶してまわる。
最後マネージャーにお礼をいって帰ろうとすると、全力で止められ、居残ることに。
「もうみんなにさよなら言って来たのに、カッコ悪いヨ」
「いまワイン1ダース届いたから飲んでいってよ!」
ワイン飲む戦力としてカウントされていたのか…。
「あれ?帰ったんじゃんかったの?」と方々で言われながら(笑)、1時間ほど延長滞在して楽しんだ。
昔なら、最後まで残る勢いだったけど(実際2001年の打ち上げは朝の6時までいた!)もう大人。そんなダメ人間みたいなことは慎んでおこうということで11時過ぎには帰ったと思う。
文香さんが私たちに声かけてくれてなかったら、参加できなかった打ち上げ。
人のご縁に支えられてるなぁ‥・これからも大事にしよう。
そして誕生祝い。
食後のお茶をしに、近くのリラックマ茶屋へ。7人いたので特別室に入れた。
和風!
台湾で受けるんだろうなー。
リラックマ尽くし。
楽しい。
一度宿に戻る。
リビングルームで、陳昇関係の本を読んでいる人がいたので話しかけてみたら、今年初めて陳昇コンサートを見に来たという中国の人でした。本の内容について少し話をしました。物静かな頭のよさそうな青年でした。
「文青」って言葉がぴったりな感じ。
夜は文夏さんの奥様に誘ってもらった食事会(コンサートの打ち上げ)。
声はかけてもらったものの、あとの細かな交渉は自分でマネージャーに連絡。一応2~3人なら来ても大丈夫、席が用意できるということだったので、日本から見に来た古くからの陳昇ファン3人でおじゃまさせてもらうことに。
はじめから陳昇側に声かけてもらったわけではないので、ちょっと心苦しいところもあるのだけど、10月に日本で会ったバンドメンバーとももう一回話もしてみたいしね。せっかくの機会だしということで。ファン仲間のBちゃんはバンドメンバーにお土産までもってきたらしい。
会場最寄駅に早めについたので、駅でウロウロしていたら、改札から見知った顔が、あちらも私のことみてる、「あ!PiAちゃんだ!」
彼女は御母さんと一緒だった。もちろん、打ち上げに参加するのだ。
「YOKOさんも?」
そうだよ~。
しばらくここできょうだいを待つというので、おしゃべりしながら付き合うことに(というか一人で会場に行くの気おくれするから)コンサート良かったよ!とか、日本語の歌「とりあえず生」いいよね!とかこれからの活動予定なんかを聞きながら10分ほど待って、弟さん、妹さんが合流したところで会場へ。
12~14人がけの円卓が6個ほどもあったか?
陳昇家族、文夏先生ご夫妻、周逢雲さん、PiA家族の席、バンドメンバーの席、ダンサーたちの席、裏方スタッフたちの席、海外(マレーシア+日本)組の席、主催会社の社長の席。私たちは、マネージャーとマレーシアから来た人たちが座っている席へ。その中の一人とは数年前にあったことがある人だった。よかった。一通り自己紹介などもして、料理が運ばれ、三々五々食べ始める。お酒はワインかウィスキー。
見回してみても、ファンは私たちだけ。ほんとに来てよかったのかな?とはいえ、来てしまったものは仕方ない。こういう打ち上げも回数を重ねてきたので、私もずいぶん場馴れして、ふるまい方にも迷いはない。食べて飲んでたくさんおしゃべりして皆と一緒に楽しめばいいのだ。
まず、誘ってくれた文夏先生ご夫妻の所に挨拶に行く。陳昇も同じテーブルだけど、ちょっと黙礼する程度で、先ずは先輩から挨拶するのが礼儀だ。文夏先生はいつも通り日本語でにこやかに話をしてくれる。日本人をとても歓迎してくれてるのが分かってこちらもうれしい。
そのあとは、ボビーの奥さんといろいろ話をする。
日本に17回も来てるんだって!
一旦席に戻り、料理をいただく。
広東料理のご馳走だ。
一緒にテーブルのマネージャーに今後の公演予定などを聞いたり。日本公演の可能性について質問したり。
とはいえ、やはりボビーと話したい。写真も撮りたい。
周りの人はファンじゃないから、誰もそういうことはしない。
前に打ち上げに参加した時、ボビーが早々に帰ってしまったことがあったから、早めに行かないと帰っちゃうかも。マネージャーに一応断りを入れてから、ボビーに近づく。挨拶してお礼を言って、すこししゃべって、写真を撮らせてもらった。
そのあとは、一通り各テーブルを回って、顔見知りの人と話をしたり、初めての人に話しかけたり。
台湾旅行では禁酒してるんだけど、さすがにこの日ばかりは解禁してじゃんじゃん飲みました。
料理はあまり食べなかった、ご馳走がたくさん出てきたけど。おしゃべりが忙しくて後半はほとんど自分の席にいなかった。
10時すぎ、今夜の飛行機で帰国する仲間がそろそろ帰るというので、3人とも御暇しようと、また各テーブルの知った人に挨拶してまわる。
最後マネージャーにお礼をいって帰ろうとすると、全力で止められ、居残ることに。
「もうみんなにさよなら言って来たのに、カッコ悪いヨ」
「いまワイン1ダース届いたから飲んでいってよ!」
ワイン飲む戦力としてカウントされていたのか…。
「あれ?帰ったんじゃんかったの?」と方々で言われながら(笑)、1時間ほど延長滞在して楽しんだ。
昔なら、最後まで残る勢いだったけど(実際2001年の打ち上げは朝の6時までいた!)もう大人。そんなダメ人間みたいなことは慎んでおこうということで11時過ぎには帰ったと思う。
文香さんが私たちに声かけてくれてなかったら、参加できなかった打ち上げ。
人のご縁に支えられてるなぁ‥・これからも大事にしよう。