キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

JR 大都市近郊区間内いわゆる「 大回り」の旅

2024年05月26日 | アウトドア活動
JR の 首都圏のかなりの範囲を 最低運賃 150円だけを払って ぐるっと回れる いわゆる大回りの旅をやってきました!

大回りとは?
下の地図の範囲のa 駅から b 駅まで行く場合、どんなルートで行っても、最低料金で行けるという特例です。
もちろん 改札を出てはいけませんし、同じ駅を2回通ってはいけないなどのルールがあります。また切符は当日限り有効です(日付をまたいでも終電までは乗れます)




スタートは JR 根岸線 石川町駅です。
Suica や PASMO でも乗れるようですが 旅情を高めるため 150円の切符を買いました。
石川町からですとお隣の駅、関内や桜木町まで行ける切符です。


7:51購入
旅のスタートです。

まず 根岸線の終点 大船へ向かいます。
8時3分 石川町駅発。
日曜日の朝 下り線はガラガラです。

大船 到着8時28分。


朝ごはんを食べていなかったので 大船駅構内のベックスコーヒーで食べます。


朝ご飯 2人で1090円です。


大船からは 東海道線下り、9時発熱海行きに乗ります。
東海道線はそれなりに人がいましたが 何とか 席を確保して 茅ヶ崎へ向かいます。


この 大回りの旅を思いつく きっかけとなったのが、YouTubeの鉄道ファンの人の動画。乗り鉄とか言われるファンの人たちは 「この列車は何系」とかよく話していて、ちんぷんかんぷんですが(笑) それっぽい写真を撮ってみました。

東海道線で乗った車両は「モハ E 230」、
モーター付き ということで、は普通客車ということのようです。
は JR東日本 (イーストのE)
後の数字は 型番や 製造番号のようです。

茅ヶ崎 到着9時15分。


次は 相模線に乗って 終点 橋本まで行きます。
相模線は単線でした。
初めて 乗りました。

相模線はそれほど 本数がないので 茅ヶ崎で少し待ちます。
ホームに財布が落ちていたので 改札の係員の人まで届けたりもしました。

9時27分 茅ヶ崎発橋本行き。


10時半 橋本 到着。
相模線は単線 なので、途中 何度も上下線の待ち合わせをしました。
ずっと空いていましたが、 橋本が近づくにつれ 人がどんどん 乗ってきて この混雑になりました。

橋本からは横浜線に乗って 八王子へ向かいます。



10時40分

八王子駅で八高線に乗り換えます。
八高線は八王子と高崎を結んでいる線ですが 途中 川越線も並走しているようです。

自分でボタンを押して ドアを開けるタイプの車両です。
高麗川で八高線は北へ向かいますが、 この車両は川越線に入って川越へ。


12時24分 川越 到着。
乗ってきた車両はモハでした。



ちょっとお腹が空いてきたので 川越駅をぐるりと 見学。
川越の これ何でしたっけ?
火の見櫓?時計台?
ラーメン屋と蕎麦屋もあったのですが もうちょっと我慢して 大宮でご飯を食べようと思います。

川越駅の乗車位置を知らせる サインは 川越名産のさつまいもの 絵柄が!

川越からりんかい線直通新木場行きに乗って大宮へ向かいます。


この車両も ガラガラ。
大宮駅には20分くらいで到着。
大宮駅はとても大きな乗換駅で新幹線も通ってますから 駅ナカのお店が充実しています。
いろんなお店があったんですが 人もその分 多くて大賑わい。
今日は和食のお店に入りました。


美味しそうです!
贅沢しました!
かなり満足したので大宮から一気に 東京上野ラインで横浜に帰ります。
13時53分発 熱海行き。

14時52分 横浜に到着しました。
運良く1両目のボックスシートに座れました。



横浜から関内まで移動して改札を出ました。出発から7時間以上経ってました。自動改札機ではピンポンと鳴って通ることができなかったので、係の人に「大回りしてきました」と言って出ました。

夫は本を読み進めることができたみたいで喜んでました。
私は車窓の景色を見たりいろんな車両に乗ったりが楽しかったです。

これは前の日にちょっとプランを立てたものです。
この通りには行かなかったけど。

なかなか楽しい遊びでした。 また次は別のルートで回ってみたいと思います。
房総一周とかもやってみたい。



トイレを作って訴えられた三郎兵衛さんの話の続き

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
3回目の授業がありました。
今日も 三郎兵衛さんの話の続きからです。
三郎兵衛さんは村でいろいろ 揉め事を起こす問題がある人だったそうですが、
のちのち時代が下ると「三郎兵衛」家ということになって名望家チックになっていくようです。

さて また時 国行けから見つかった 古文書で三郎兵衛さんの家の商売がわかります。


これは 曽々木の 三郎兵衛さんが、同じ能登半島の宇出津の人から
4人乗りの船を買った時の証文です。


さらに下の古文書は三郎兵衛さんがその4人乗りの船を今の山形県酒田沖にある 飛島 という島に冬の間 係留 しておくために 通行手形を求める 願い書 です。



下のは 古文書の資料はついてなかったのですが 翻刻された資料です。
三郎兵衛さんが能登半島から4人乗りの船で松前から若狭のあたりまで色々なものを運んでいたということが この 古文書から分かっているそうです。

この頃の三郎兵衛さんは 「組頭」 ということになっているようです。
トイレを作った人とは別人物かもしれません 代々 三郎兵衛を名乗っているのでしょう。


今日は 能登半島の時国家の話から、
佐渡の船登源兵衛家古文書、
さらに瀬戸内海の 二神島〜二神氏の古文書の話にまで及び、
古文書調査と考古学的な発掘調査を照らし合わせる話など、非常に興味深いものでした。




道にトイレを作って訴えられた男の話

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
能登時国家にて発見された 古文書を使った授業を継続中です。

古文書を読む 授業ではないのですが、資料には 古文書がバシバシ と出てきます。




これは道にトイレを作って訴えられた男の話です。
江戸時代はなかなか 愉快ですね。

【参考】


この授業はこの愉快な話がメインではなくて、「水呑百姓だ 頭振りだ 貧農だ」と思われた人たちがどれだけ 豊かな経済活動をしていたか という証拠の古文書という文脈で登場しています。

この道にトイレをはみ出して作って訴えられた三郎兵衛という男は、
身分こそ農地を持たない 「頭振」ですが、お金はたくさん持っていたらしいです。



奥能登時国家の古文書「えんじろう文書」の話を聞く 神奈川大学公開講座

2024年05月16日 | ☆学ぶ!
先日からまた 神奈川大学の公開講座を受講し始めました。
これまでも受講していた 橘川先生による「日本を知る」という講座です。

先日 第1回目だったのですが、 資料として配られたのが 奥能登の時国家(ときくにけ)の襖の下張りから発見されたという古文書でした。
第1回目ということもあり、能登の震災のことから先生の話が広がっていきました。
橘川先生は もともと政治学者だと思っていたのですが、 神奈川大学に置かれている常民文化研究所の仕事もされていて、所長までなさったということです。 その常民文化研究所の 研究調査の中に奥能登の時国家の古文書を調べるというものがあり、網野善彦さんと一緒にずっと調査をされていたのだそうです。

網野善彦といえば、以前に「日本の歴史を読みなおす」 という本を読んで、大変感銘を受けていたわたくしです。

そもそも 網野善彦さんを知ったのは 「宮本常一の忘れられた日本人を読む」という本を読んだのがきっかけでした。
歴史に対する見方が非常に面白くて。

この「日本の歴史を読み直す」 という本については、このブログに書いたことがあったかもしれません。日本の社会のあり方について、これまで私たちが常識として思っていたようなことが、実はそうではないんだ!と、根底から覆されるようなことが書いてあります。

その1つがこの奥能登の時国家の古文書の調査から分かったことです。

つまり、 「百姓」は「農民」のことではないという発見です。

  百姓≠農民

私たちは「百姓」って聞いたとき、江戸時代の年貢に苦しめられているような、村の中にいる農民の姿を思い浮かべます。(少なくとも私はそうでした)
それは、これまで、教科書や歴史の常識としてそのような理解でずっと考えられてきたからなんですけれど、それが この奥能登の時国家の古文書の中から見つかった資料によって、百姓≠農民の突破口が開かれたというお話です。

最近はテレビの歴史番組などでも、そういう話を聞くこともあり、網野善彦さんの研究の成果が現れてきてるのだなぁと感じています。

百姓≠農民 
が、完全に浸透しているわけでもないでしょうけど、大多数の人はそんなことに興味もないでしょうしね。


今回の橘川先生の講義で一番びっくりしたのが、この証拠になった古文書のひとつ(「円次郎文書」 と言うんですけど)を発見して 網野さんに見せたのが 橘川先生ご本人だったということです。

へーーーーー!!

私は講義を聴きながら、秘かに大興奮していました。


えんじろうもんじょ
「日本の歴史を読みなおす」にも載っています




 





概要を良くまとめてくださってる記事がありましたので引用します。

出典:日本史をかきかえた網野善彦の原点「時国家」(輪島市町野町)
藤井満 note 2024年4月15日
https://note.com/fujiiman/n/n3801c7465674

 1952年、言語学・民俗学・考古学など九学会連合による能登半島総合調査が実施され、民俗学者の宮本常一らが時国家の古文書を借りていったが、宮本が属する常民文化研究所が窮乏化し、その文書を返却できなくなった。「能登に古文書がないのは、常民文化研究所と上杉謙信のせい」とまで言われるようになっていた。
 常民文化研究所は1982年に神奈川大に招致され、それから13年間、網野善彦は文書を返却するために全国をまわった。その過程で網野は1984年に時国家にやってきた。
 時国家では襖をはりかえるとき、以前の襖紙を保存していた。網野はそれに注目する。
 蔵などに保存されている公的な文書史料は、「百姓=農民」という考え方にもとづき、年貢の額などが記録されているが、農民以外、とくにあちこちをわたり歩く人びとの史料はほとんどない。
 公的な文書史料によると、1735年には輪島の町の総家数の71%は頭振(あたまふり)や水呑だった。頭振とは、金沢藩領の無高の農民を意味し「水呑百姓」と同様、一種の蔑称だった。
 ところが、上時国家などにのこされた襖紙文書には、大庄屋である時国家が、貧乏人であるはずの「頭振」から借金をしていたことがわかった。
 輪島は当時、漆器やソーメンの産地としてにぎわっていた。そんな町の7割が頭振・水呑なのは、輪島塗やソーメン、廻船業など非農業的な生業が隆盛をほこり、田畑を所有する必要がなかったからのだということがわかってきた。輪島の年貢の税率が88%という記録があるが、「われわれは別の方面でもうけるから、それでいいですよ」ということだった。
 そして時国家は昔ながらの封建的大庄屋ではなく、北前船(廻船業)や炭焼き、塩田、鉱山、金融業などをいとなむ総合商社のような存在だった。上時国家は北前船を4隻所有し、その船がサハリンまで行っていたことも襖下張文書であきらかになった。
 こうした発見から網野さんは、「百姓」とは農民だけではないことを確認し、コメの石高で豊かさをしめす江戸時代以来の固定観念を否定し、中世社会が、たんなる「稲作社会」ではない多様性をもっていたことをあきらかにしていった。



講義自体は、そのことを先生が自慢するのが主眼ではなくて、
以下に我々が歴史を見る際に、先入観にとらわれているか。
その先入観を打ち砕くには、地道な資料の研究しかないのだ、というお話でした。

でも講義の時間は、時国家のある奥能登の被害が甚大だということとか、古文書研究の思い出話などで占められていたので、次回に持ち越しです。
次回も期待!

資料には、百田尚樹氏の「日本国記」なども用意されていました。
ちらっと読んだだけでも「うへ~っ」と思う文章。

先生のお話は、歴史は「物語」で語ってはならず、 資料に当たらなければならない 証拠を固めていかなければならないという話 でした。
自分に都合よく、物語にするのが上手い人の口車にのせられていくのはとても危険ですね。

◆先生の昔の記事
古文書は嘘をつくことがある それでも事実に迫ることはできる
神奈川大学名誉教授 橘川 俊忠
現代の理論 DIGITAL 2018秋号



2024年能登地震
時国家の母屋がこの地震で倒壊してしまったそうです。
橘川先生によると、段ボールに数百箱の古文書が保管されていたそうです。

◆関連記事
奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き
中日新聞 2024年4月14日



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