キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

イッツアスモールワールド

2019年01月31日 | ☆個人的日記
先日、香港に住んでいる知人から受け取ったメッセージ。


陳建年さんの深圳場行ってきたんですけど、帰りの電車で会った子にすぐ日本人と見破られ「あなたの中国語は私の知ってる日本人の友達の中国語に似てる。陳昇のファンで毎年跨年に行ってるんだよ」と言われたので「それもしかしてYOKOさん?」って訊いたら「そうYOKO!」って言われたんですけど、深圳にもお友達いますか?


世界が狭すぎて、震える…!!!
中国の深圳に確かに知り合いはいる。
でもたった1人。
すごい確率の巡り合わせです。
私の全く知らないところで、共通の知り合いが出会い、そして私のことが話題になる。
おもしろ~い。

「ボヘミアンラプソディ」

2019年01月25日 | ☆エンタメ-映画


やっと見に行った。
周りの人で見に行った人がとても多く、評判もものすごくいい映画。
なんどもなんどもリピートしている人も少なくない。
それだけいい映画なのだろう(題材もいいし)

平日に休みをとって、音響が良いだろうと思われる「IMAX」上映で見た。
何と2400円もした。
高い!
でも見終わって、満足度を考えると、見てよかったと思った。





いろいろ話題が出尽くしていると思うので、個人的な感想を羅列しておこう。
(以下ネタバレします)


●冒頭の20世紀FOXのロゴが出てくるファンファーレがエレキギター「ぎゅいーん~~~」でクィーンっぽい!面白そう!とぞくぞくした。(実際にブライアン・メイが演奏してたらしい)
●「地獄へ道連れ」の印象的なベースライン。やっぱりあのベースラインからスタートだったんだ。
●クイーンってあんなにみんな仲良かったんだなぁ。


ここからは個人的な思い出。

○1985年夏のライブエイド、当時テレビの無い暮らしだったせいもあり、おそらく中継があることも知らず生では見ていない。録画していた人にあとから見せてもらって感激した。SONYのベータマックスだったなぁ、懐かしい。それっきり見る機会もなく、ライブエイドのことは忘れていた。Youtube全盛になってからも動画を見たことなかった。今日帰宅して動画を探しまくった。
あったあった。
1985年のスターたちが若く輝いていた。

○クイーンって特にファンでもなかったけど、それでも映画に出てきた歌はほとんど知ってて、さすがスーパーバンドと思った。

私のクィーンとの出会いは、小学生の頃に同級生たちが、なんかクイーンとかKISSとかJAPANとか言ってたのを耳にしたのが最初か?
自分でちゃんと曲を聞いたのは、79年か80年ごろ。「Fat Bottomed girl」あたりのような気がする。あるいは「地獄へ道連れ」とか「愛という名の欲望」だったか?そのあと「フラッシュゴードン」の時は、リリースから知っていたような気がする。そのころまでには過去の代表作はあらかた聞いていたようで、「え?こんなヘンなの歌う人たちなんだ?」って思った記憶有り。フラッシュゴードンは今聞くと別にヘンではないんだけど。(映画がヘンなだけ)

当時、音源はすべてラジオだった。クイーンをレコードで聞いたことは一度もなかったとおもう。だから、ビジュアルはよく知らなかった。音楽雑誌などを読む習慣もなかったし。ミュージックビデオも出始めてきてたけど、田舎でチャンネル数も多くないし、あまりテレビで見た記憶もない。中学生の頃、土曜日の午後に30分くらいの洋楽のビデオを流す番組があったような気もするけど、部活やってたしほとんど見たことなかった。その番組で流れたビデオで今でも覚えているのは、ブームタウンラッツの「哀愁のマンディ」。(後に「ライブエイド」を発案実現していく、ボブ・ゲルドフのバンド)

○80年代後半のエイズに対する認識も思い出した。
当時は一般に同性愛者の病気だと思われていた。年を追うごとに認識が新たになっていく病気だった。89年ごろ雑誌でエイズ特集が組まれていて、それを読んだ時の自分の状況をものすごく久しぶりに思い出した。

○ライブエイドをYoutubeで見た(まだ見ている途中)
U2のボノの着ている服が「学ラン」にしか見えない。調べてみると来日ツアーの時に買ったのだそう。学ラン着て歌ってるボノ、高校の学園祭のステージか!

80年代というと自分が洋楽ロックの世界に一番どっぷりつかっていた時期だから、どの曲を聞いてももう涙が出るほど懐かしい。
クィーンは中学生から大学生の自分のいわゆる青春時代にかぶりまくってる。こういう人たちが劇場に足を運んでは泣いてるんだろうなぁと思った。そして遅れてきた世代の人たちは、この映画を見てまた新たなクイーンファンになるのだろう。そのくらい魅力的な映画で、バンドだった。






2019年センター試験 国語 187点

2019年01月22日 | └─センター試験に挑戦


国語もやってみた。
古文と漢文で1問ずつ間違えたけど、現代文は満点。
今年は易しかったらしいけど、長年日本語使って生活しているオトナなんだから、現代文は高得点で当然か。


今年は地理も国語も点数よかったので、これに加えて英語を真面目に勉強したら、どこかの大学に合格するような気がしてきた(調子に乗りすぎ?)

もう10年以上センター試験問題を解き続けている。
そして毎年点数が上がって来てる。
これは試験の形式への「慣れ」も大きい。
年に一度の経験でも積み重ねていくと、学習になるんだろう。
日頃親しんでいない数学や物理化学などは18歳の受験生だったころにかなわないけれど。

2019年センター試験 地理B 94点

2019年01月21日 | └─センター試験に挑戦


解いてみました。
結果、2問間違いで94点。

テラロッサがなんだったか、忘れてしまってた。
エニセイ川の流量変化がわからなかった。
シベリアって梅雨みたいなのがあるのかな。

今回の地域調査問題は宮崎が舞台。
しかも、主人公の祖父母が1969年に大阪から新婚旅行に行ったという話から始まる。
新婚旅行先として人気だったんですよね。

今年のオモシロ問題
・大阪から、等距離にある、水戸、佐賀、宮崎への鉄道移動にかかる1969年と2016年の所要時間みて場所を特定する問題。
・トルコ語、ロシア語、ウズベク語、ウクライナ語の単語の類似性からウクライナ語を特定する問題。
・イタリア、フランス、ギリシャ、スペインへの移民のもともとの国籍の1位~3位までを見て、どの国への移民なのを特定する問題。



白髪を染めなくなって3年

2019年01月18日 | ★美容の話題
2018年の流行語に「グレイヘア」というのがあったそうですね。
確かにテレビや雑誌でも取り上げられてたりして、話題だったと感じます。
さて、3年前に「白が染めるか染めないか」という記事を書きましたが、あれ以来ずっと白髪は染めずにすっかり白い頭になっています。
時代がついてきてくれたのか、周りの人の見る目が温かく、「素敵ですねー」とか「カッコいいですよー」なんて言ってくれる人もいます。まぁ面と向かって「老けてますね」なんて言う人は少ないよね。

染めない生活で一番良かったのは、「染めなきゃ」というストレスからの開放
これにつきます。

そもそもなぜ白髪を染めるのか考えると「白髪がある状態=修正しなければならない何かが欠けた状態」と自分が思っているということなのです。人にどう思われるかとかいうこともあるけど、一番は自分の価値観の問題です。

白髪がない⇒心地よい状態
白髪が生えている⇒心地悪い状態


この条件があるために、白髪を染めていたころは、根元まできれいに染めたときに100%の自分になり、1週間くらい経過して生え際に白いものが見えてくると減点が始まっていく、と感じていました。染めて1週間くらいは白髪にとらわれずに過ごせますが、月の半分以上は「生えてきちゃったな、染めなくちゃ、面倒だな」などと心のどこかにいつも引っかかってるような状態で、これが結構なストレスだったのですね。

その「何かが欠けている」居心地の悪さが、白髪染めをやめてからはなくなりました。髪の毛に関して今思うことは、そろそろカットしようか?とか、今度はパーマかけてイメージチェンジしちゃおうかなとか。決して欠けてるものを補おうという感覚ではなく、今より心地よくなるためにプラスしたいという感覚です。これってとっても気持ちがいいことです。

白髪染めはやめましたがヘアカラーを全然していないわけではないです時々は色を入れて変化を楽しんでます。でも白髪を隠そうとはしてないので、気持ちが全然違います。全然白髪がなかった頃のヘアスタイルの変化を楽しむ感覚とおなじになりました。



白髪を染めないメリットはもう少しあります。

●髪と地肌が傷まない。
おかげで10年以上ぶりのロングヘアを楽しむ気持ちになっています。

●年齢より年上に見られることが多くなり、結果、(年齢の割に)お肌きれいですねーなんて言われることが増えた。ふふふ。実年齢はバラさないので褒められたままで終わる。


このヘアになってから、よく、髪のことを聞かれるようになりました。
「そんなふうになるのにどのくらいかかりましたか?」という質問が多いです。染めないでいたいな、と思っている人、かなりの数いらっしゃると思われます。そう思う方、ぜひお仲間へ。
メリット多いですよ〜。

写真公開!ジャジャジャジャーン。
この三年の歩み。
ちょっとわかりにくいですが、かなりのショートヘアから始めています。
3年かけて伸ばしていまして、いまは肩下15~20センチくらいです。
アクセントで紫の筋を入れたり、茶色や黄色のインナーカラーを入れたりしています。


先日、インターネット上で「グレイヘアなんてもてはやしてるけど、結局メディアに出てる人っておしゃれだし、美人だし、白髪は染めてないかもしれないけど、その他の部分にお金も時間も掛けてる。所詮一般人には無理。染めてるほうが気が楽」というような論調を見ました。
もちろんそうですよね。
染めたい人は染めればいいのです。
でも「白髪染めやめたいけど、勇気がない…」
という方には私の体験も少し役立つかなーなどと思ってます。

今の私にはもう「染めたほうがいいよ。染めたら?」という人はほとんどいませんが、ここまで伸ばす以前(つまり3年前)にはすごく干渉してくる人いました。取引先とか知人、親戚など。そういう有形無形の圧力を感じながら白髪を染めたくないという自分の希望を貫くのって案外大変だったんですよね。
でもここまで来たら、すっごく楽ちん。
迷っている方には、このさわやかさを一度味わってほしいです。

「他人事」と考える事の恐ろしさ

2019年01月17日 | ☆自分のために書く話
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった



マルティン・ニーメラー




先日、撮りためていたTV番組を次々消化する中で「新・映像の世紀」を見た。
その中でにでてきた、ニーメラーという反ナチ運動家の言葉がずしんと心に鈍く響いた。
この言葉は、書かれたものではないため、似たような意味のことばがいろいろ伝わっているらしいが、上記にあげたのは、ニーメラー財団が詩としてまとめたものらしい。



こういうバージョンもある

「ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。ナチスが共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。そして彼らは教会を攻撃した。彼は教会の人間であった。だから彼は何かを行なった。しかし、それは遅過ぎた。」
— ミルトン・マイヤー



警句だ。
社会の諸問題を「ひとごと」と考えていることの恐ろしさがストレートに伝わる。
ナチであろうとなかろうと、同じこと。
心にとどめたい。

「冒険の人生」ETV特集 移住 50年目の乗船名簿

2019年01月15日 | ☆記憶
半世紀かけて撮った人生 ついに放送 ETV特集「移住50年目の乗船名簿」



番組公式サイト

正月休みに撮りためたTV番組をいろいろ見て過ごした連休。
その中でもとても考えさせられた一本。昭和43年の南米移住船「あるぜんちな丸」の同乗取材から始まり、10年ごとに移住者のその後の姿を追い続け、10年後、20年後、31年後をドキュメンタリー番組として作り続け、なんと2018年に50年後を取材した作品。しかも同じ人が作り続けている。テレビ番組としてこういうものはなかなかないだろうし、題材も切り口も興味をひかれてやまない。

「あるぜんちな丸」で渡った南米移住者の50年後を取材したこの、番組はETV特集で4回シリーズ。すでに2回は放送されたが、あと2回はこれからの予定(でもまだスケジュールが発表になっていない)見逃せない。
過去の作品は、切れ切れだけれどもYoutubeで見ることができる。またYoutubeには担当ディレクターが語る取材秘話もいろいろあるので興味深い(昨日は一日それを見てしまった)

関連の動画は以下のリンクから視聴可能。

NHKスペシャル 南米移住シリーズ(2)『乗船名簿AR29』


番組は以下の通り
1年目『乗船名簿AR29』
10年後『移住〜あるぜんちな丸乗船者の10年〜』
20年後『移住20年目の乗船名簿』
31年後『移住31年目の乗船名簿』


昭和43年の「あるぜんちな丸」に乗って南米へ向かった人たちは実に様々。
一族で移住する大家族もあれば、10代の若者が単身わたるというのもあり、また共通の夢に向かって周到に準備して渡る若夫婦もあれば、会ったこともない相手と文通だけで結婚を決めて渡る移住花嫁もたくさんいたり。
その花嫁の言葉が印象深い。
「団地で奥様するのも安定してていいんでしょうけど、単純すぎるわ。私はもっと冒険の人生を送りたい。」
この写真花嫁(戦前の移民では頻繁に行われたが、昭和40年代でもあったというのは意外だった)の言葉にはハッとさせられた。むかしから漠然と海外移住するひとたちに興味があり、大学の卒論テーマにもブラジル移民を選んだものの、自分自身は非常に安全志向。「冒険」という文字は私の辞書にはなかった。
「冒険」かぁ・・・。
それは素敵なものなのだろうか?



私の祖父が台湾に渡り、さらに中国大陸に渡ったのは、「冒険」したい気持ちもあったのかな?
引き揚げた後、いろいろあって警察官としての生活を手に入れた祖父も、なにかのめぐり合わせによっては、南米に行こうと思ったかも?私もブラジル日系2世として生まれてたかも?!そんなことを思ったり。戦後の南米移住者の多くは、満州や南洋からの引揚者だったそうだから。


そうそう、この番組を撮り続けたNHKのディレクター相田洋さんは、今82歳だそうで、もちろんNHKはとうの昔に退職されているのだけど、すごいバイタリティー!!興味が湧いて調べてたら、この方も満州からの引揚げ者で、引き揚げ船での体験がこの番組を撮るところにつながっていたという話。そして、引き揚げた先は熊本で、私の高校の先輩にあたる方だった。
つながる・・・なぁ。



それと、一番上にあげた50年目の番組を紹介する「番宣番組」の動画、アップロードしているのはイトウゲンイチロウ氏!「あるぜんちな丸」でパラグアイに移住したそのご本人だ!

ボータク

2019年01月14日 | ☆記憶
彭沢県
中華人民共和国 江西省 九江市


礁さん、ボータクというのはここではないでしょうか?
私は「ボウサワ」と呼ぶのかしらと思っていましたが、ボウタクと言ってたのですね。

「山河ありき」では人家30戸程度の寒村と書いてありました。
今もそれほどの街ではないですが、航空写真で開発が進んている様子が見えます。
同じく「山河ありき」では博多港に上陸したのは昭和21年6月22日と記載があります。
南昌→九江→彭沢→上海→博多と移動したと書いてあるので、礁さんの記憶の「冬に下船」したというのに当てはまるところがありそうですね。


ここのところ、戦争に至るのはなぜか?ということを考えています。それを考えることで、そこへ至らないようにしたいと思うからです。



2019年の抱負

2019年01月13日 | ☆自分のために書く話
2019年ももう2週目に入った。そろそろ、今年の抱負とか目標を考えておこう。
で、ここに書いておくと何か月ごとに見返して、「あ!そんなこと考えていたっけ?」なんて気持ちを新たにする事も可能だろう。


新年に願うのはいつも健康。


1.勉強する。本を読む。

やらなければ!と思ってるわけじゃなくて、やりたいなぁと思っている。
ここ数年読書量がとても少なかったので、そろそろ読みたくくなってるみたい。


2.裁縫する。ミシンを買う?

去年は手縫いで外付けポケットとか、カメラ入れとか、小学生の家庭科レベルのものだけど作った。リュックのファスナーの修理もやってみた。それで、手芸店へ足を踏み入れて見たところ、結構楽しい空間だった。
裁縫なんて超級苦手な分野だと思ってきたけど、中学高校でミシンでスカートやワンピース作ったんだし、やればできるかもしれない。



3.会いたい人に会い、ゆっくり話をする時間を持つ。
去年まで数年続いてきた『巻き込まれキャンペーン』はいったん終わりにして、もうすこし能動的に活動することにしよう。(註:巻き込まれキャンペーンというのは、来るモノ拒まずでいろんなイベントに巻き込まれていくこと)去年までも『会いたい人に会う』というのは心がけてはいたけどた、もっと積極的に、自分から選んで行こう。

よく年賀状などで「今年は会いたいですね」なんて書くけど、結局会わずに数年経過とかってよくある。
「会いたい!」と思ったら今年は意識してチャレンジするぞ!




以上、2019年になって2週間目に私が何となく考えていることです。

昭和19年「在華領事館警察署」所在地図

2019年01月12日 | ☆記憶
戦時中祖父がいたという領事館警察。一体どういうトコロなのだろうかと興味が湧いてきた。
治外法権の最大活用(中国側からみたら濫用か)中国各地に置かれたものだとわかった。
ウィキペディアで「在華領事館警察署」の一覧を見た。
どのくらいの範囲に分布していたのだろうかとおもって地図に落としてみた。
すごい広範囲にわたっている。

何というか、当時の日本の「本気度」を感じる地図になった。

このなかでも「南昌」は奥地だなぁ。
でも熊本出身の祖父から見れば、東京と距離的には大して変わらない。
台湾から見たらうんと近い。




在華領事館警察署
1944年(昭和19年)時点

張家口警察署
宣化警察署
大同警察署
厚和警察署
包頭警察署
北京警察署
豊台警察署
通州警察署
保定警察署
石門警察署
彰徳警察署
順徳警察署
開封警察署
新郷警察署
太原警察署
天津警察署
塘沽警察署
唐山警察署
柏各荘警察署
山海関警察署
芝罘警察署
威海衛警察署
青島警察署
坊子警察署
済南警察署
張店警察署
博山警察署
上海総領事館警察署
上海警察署
南通警察署
楊樹浦警察署
新市街警察署※候補複数あり、特定できず
寧波警察署
蘇州警察署
常州警察署
無錫警察署
杭州警察署
金華警察署
南京警察署
鎮江警察署
揚州警察署
徐州警察署
海州警察署
蚌埠警察署
蕪湖警察署
安慶警察署
九江警察署
南昌警察署
漢口警察署
武昌警察署
大治警察署
厦門警察署
広東警察署
海口警察署

関連記事「山河ありき」

祖父が生きていたら、なぜ台湾から戦地である中国大陸に(妻子を連れて)渡ったのかきいてみたかった。
「そりゃ給料が良かったけんたい」という返事かもしれないなぁ。
或いは、外地の警察官であれば召集されないとかそんなことがあったりしたのだろうか?


「昭和16年夏の敗戦 」猪瀬直樹著(1983年)

2019年01月11日 | ☆読書
昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
猪瀬 直樹
中央公論新社


内容紹介
緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。
日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!
知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争"に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示す。


------

読了。

知らない話のオンパレード。
あまりにも何も知らなかったので、読み始め「窪田総理大臣」というのを見て、え?これ小説?架空の話なの?と思ったほど。
小説ではありません。
日米開戦前夜、「総力戦研究所」に官民から集められた若い当時のエリートたちが、日米開戦になったらどうなるか。、をシミュレートしたことがあったらしく、そのことを1980年代に若き猪瀬直樹氏が徹底取材をしてルポしているのです。

唖然としてしまったのは、これに参加した人参加していない人も皆が、日米開戦になれば「敗戦必至」と分かっていたということ。わかっていたのに、開戦に至ってしまった。この事実。
私はなんとなく、当時の日本指導者の中には「日米開戦になったら負けるのは当たり前、何としても避けなければ!」と思っていた人も多かっただろうけれど、それよりも「勝てるかもしれない。やるべきだ、賭けるべきだ!」という声が強くて、開戦にいたったのだろうと思っていました。あの東條英機ですら、勝てると思っておらず開戦するべきでないと思っていたなんて。
冒頭の「窪田総理大臣」というのは、「総力戦研究所」でのシミュレーション(演習)のために作られた模擬内閣の一人だったのでした。

日本的意思決定の方法。
失敗に学ばない姿勢。
ああ、何も変わっていない。
これはきっとまた同じことになったら繰り返す。背筋がぞっとする。なにより問題なのは、だれも責任をとりたくなくて「なんとなく」その場の空気に流されていくそのありかただろう。今周りを見ても、容易にそうなることがわかる。




おススメの本です。
ちょっとくせがあって読みにくいけど、事実の重みがそれをしのぐ面白さです。

1/2 台湾最終日

2019年01月10日 | ☆旅行─台湾
さて、いよいよ最終日となりました。
今日は午前中にここをチェックアウトして、深夜に空港へ行き、あす未明2時過ぎの飛行機で帰国です。
たっぷり時間があります。昨夜早めに帰ってきたから体力も戻ってきましたし。





コンサートで会った台東の人からもらった釈迦頭を朝ごはんに食べます。
甘くて熟していてとってもおいしかった!
去年も同じ人に同じ釈迦頭をもらった記憶が。
有難いな~。

10時ごろチェックアウトして荷物を預けた後、出かけてみると近隣の店はどこもオープン前。
じゃ、図書館に行こうということで行ってきた顛末は前に記事にしましね。
図書館利用者少なかったなぁ。国立図書館だけど、おいてある資料が特殊だからかな?
資料に夢中になって、お昼も食べずに2時頃までいましたが、さすがに空腹に耐えきれず、出てきました。



お昼は宿の近くまで戻ります。初日に【3連休】の貼り紙を見て愕然とした店へ。
ここの鶏肉、一皿60元=200円ちょっとなのです(卵は別)。
安い~!モツスープも臭みがなくておいしい。



お腹がいっぱいになったので、やはりコンサートで会った台湾の友人に「時間あったら来てね」といわれていたアート展示を見に士林へ。(行はタクシーで行った200元)
小さな会場で「瀬戸内海」にまつわる作品が展示されていました。

夕方宿で荷物をピックアップしてから、桃園MRTの台北駅のコインロッカーに預け直し、仕事帰りの台湾弟弟と待ち合わせ。これから温泉に入りに新北投へ。



北投⇒新北投の1区間を結ぶ電車は完全に温泉仕様の観光列車です。
写真撮ってないけど、風呂桶を模したテーブルなんかもありました。
1駅しか乗らないのがもったいない。


MRTの新北投駅を出ると、近くに旧鉄道時代の駅舎が復元されています。
台湾弟弟によると、彼が大学生の時に今のMRTになったのだとか。
調べてみると1988年に旧線は廃線になり、今のMRTは1997年に開業したのだそう。

仕事帰りの台湾弟弟はまず腹ごしらえだと言って、駅前のマクドナルドへ。
え~、私は遠慮しとくよ。お昼遅かったし他に美味しいものたべたいし。
彼はマックチキンを3ピース買って食べていた。
食べながら行く予定にしていた「瀧乃湯」が定休日だと知る。
あら~~~~。
どうしよう?

急遽行く先変更して、UBERを呼んで山の上の方の温泉へ。
「皇池溫泉御膳館」と言うトコロらしい。
台湾弟弟によれば「このへんで一番いい温泉」とのこと。


あ、ここは行儀路温泉街だ。
むかし鳥姐に連れてきてもらったことあったなぁ。
この温泉じゃなかったけど。


温泉の建物はちょっと和風のつくり。
中に入ると露天風呂で2種類の大きな湯船。
白磺泉と青磺泉(北投石で有名なラジウム泉)2種類の泉質が楽しめる。
地元の人でにぎわっていた。BGMはずっと日本の演歌・・・。
なかなかいいお湯でした。





そして旅の最後は牛肉麵。
北投地区には美味しい牛肉麵屋が2~3軒あるらしいうちの1軒。
普通サイズと大きいサイズを注文!

これを食べながら、店のテレビで習近平が「告台湾同胞から40年」について発言したニュースをやってて、そこから話は歴史認識問題へ。日本人の歴史認識について非難を受けながら、台北駅まで戻ってきた。
たまにはこんな話も悪くない。
曰く、日本の立ち回り方が悪かったせいで、台湾に蒋介石がやってきて、さらに巨大な中共を敵に回すことになってしまって、台湾は一番かわいそうな国だと思いませんか?でも今の日本人はその責任が日本にあることを知らない人が多すぎです。と。
ほんとにそうだね。反省します。

そんなこんな話しながら台湾弟弟とは途中駅で別れ、私は空港へ。
2:10発の飛行機は定刻通りに出発して、飛行機の中でひたすら眠り、1/3の朝に帰国しました。


お土産の数々。
大部分は台湾の人にもらったもの。

今回も楽しい旅行でした。
色々収穫も多かった。

1/1 台湾3日目 打ち上げ潜入記

2019年01月09日 | ☆旅行─海外旅行
毎年元日は北京ダックから始まります。



そして誕生祝い。



食後のお茶をしに、近くのリラックマ茶屋へ。7人いたので特別室に入れた。


和風!
台湾で受けるんだろうなー。


リラックマ尽くし。
楽しい。


一度宿に戻る。
リビングルームで、陳昇関係の本を読んでいる人がいたので話しかけてみたら、今年初めて陳昇コンサートを見に来たという中国の人でした。本の内容について少し話をしました。物静かな頭のよさそうな青年でした。
「文青」って言葉がぴったりな感じ。




夜は文夏さんの奥様に誘ってもらった食事会(コンサートの打ち上げ)。
声はかけてもらったものの、あとの細かな交渉は自分でマネージャーに連絡。一応2~3人なら来ても大丈夫、席が用意できるということだったので、日本から見に来た古くからの陳昇ファン3人でおじゃまさせてもらうことに。
はじめから陳昇側に声かけてもらったわけではないので、ちょっと心苦しいところもあるのだけど、10月に日本で会ったバンドメンバーとももう一回話もしてみたいしね。せっかくの機会だしということで。ファン仲間のBちゃんはバンドメンバーにお土産までもってきたらしい。


会場最寄駅に早めについたので、駅でウロウロしていたら、改札から見知った顔が、あちらも私のことみてる、「あ!PiAちゃんだ!」
彼女は御母さんと一緒だった。もちろん、打ち上げに参加するのだ。
「YOKOさんも?」
そうだよ~。
しばらくここできょうだいを待つというので、おしゃべりしながら付き合うことに(というか一人で会場に行くの気おくれするから)コンサート良かったよ!とか、日本語の歌「とりあえず生」いいよね!とかこれからの活動予定なんかを聞きながら10分ほど待って、弟さん、妹さんが合流したところで会場へ。


12~14人がけの円卓が6個ほどもあったか?
陳昇家族、文夏先生ご夫妻、周逢雲さん、PiA家族の席、バンドメンバーの席、ダンサーたちの席、裏方スタッフたちの席、海外(マレーシア+日本)組の席、主催会社の社長の席。私たちは、マネージャーとマレーシアから来た人たちが座っている席へ。その中の一人とは数年前にあったことがある人だった。よかった。一通り自己紹介などもして、料理が運ばれ、三々五々食べ始める。お酒はワインかウィスキー。

見回してみても、ファンは私たちだけ。ほんとに来てよかったのかな?とはいえ、来てしまったものは仕方ない。こういう打ち上げも回数を重ねてきたので、私もずいぶん場馴れして、ふるまい方にも迷いはない。食べて飲んでたくさんおしゃべりして皆と一緒に楽しめばいいのだ。
まず、誘ってくれた文夏先生ご夫妻の所に挨拶に行く。陳昇も同じテーブルだけど、ちょっと黙礼する程度で、先ずは先輩から挨拶するのが礼儀だ。文夏先生はいつも通り日本語でにこやかに話をしてくれる。日本人をとても歓迎してくれてるのが分かってこちらもうれしい。
そのあとは、ボビーの奥さんといろいろ話をする。
日本に17回も来てるんだって!

一旦席に戻り、料理をいただく。
広東料理のご馳走だ。
一緒にテーブルのマネージャーに今後の公演予定などを聞いたり。日本公演の可能性について質問したり。

とはいえ、やはりボビーと話したい。写真も撮りたい。
周りの人はファンじゃないから、誰もそういうことはしない。
前に打ち上げに参加した時、ボビーが早々に帰ってしまったことがあったから、早めに行かないと帰っちゃうかも。マネージャーに一応断りを入れてから、ボビーに近づく。挨拶してお礼を言って、すこししゃべって、写真を撮らせてもらった。

そのあとは、一通り各テーブルを回って、顔見知りの人と話をしたり、初めての人に話しかけたり。
台湾旅行では禁酒してるんだけど、さすがにこの日ばかりは解禁してじゃんじゃん飲みました。
料理はあまり食べなかった、ご馳走がたくさん出てきたけど。おしゃべりが忙しくて後半はほとんど自分の席にいなかった。

10時すぎ、今夜の飛行機で帰国する仲間がそろそろ帰るというので、3人とも御暇しようと、また各テーブルの知った人に挨拶してまわる。

最後マネージャーにお礼をいって帰ろうとすると、全力で止められ、居残ることに。
「もうみんなにさよなら言って来たのに、カッコ悪いヨ」
「いまワイン1ダース届いたから飲んでいってよ!」
ワイン飲む戦力としてカウントされていたのか…。


「あれ?帰ったんじゃんかったの?」と方々で言われながら(笑)、1時間ほど延長滞在して楽しんだ。
昔なら、最後まで残る勢いだったけど(実際2001年の打ち上げは朝の6時までいた!)もう大人。そんなダメ人間みたいなことは慎んでおこうということで11時過ぎには帰ったと思う。



文香さんが私たちに声かけてくれてなかったら、参加できなかった打ち上げ。
人のご縁に支えられてるなぁ‥・これからも大事にしよう。

陳昇2019跨年コンサート 2日目

2019年01月08日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen
大晦日。
ほんとの年越しコンサートです。
昨日6時間近くやってましたが、今日はどうなりますやら。


開演前。友達とおしゃべりしに上の方の席まで。たまにはこの辺で見るのも悪くなさそう。


今日もPIAちゃんゲスト。
このアコースティックな演出部分良かったなー。


アカペラチームがぞろぞろ客席へ降りてきたのも楽しかった。


そして私は、初めてコンサートを抜け出し、台北101から上がる花火を見に行きました。この花火ももう15年やってるんだそうです。友達は途中抜けて見に行く人多かったけど、私は真面目にコンサート聞いてたんですが…2年くらい前に、何とついに陳昇本人が会場を抜け出し花火を見に行った!!という話がありました。彼が行くなら私も行っていいよね。

でも今年はあいにくの雨。
しかも風下で、煙でほとんど半分も見えなかったのでした。まぁいい思い出になりましたよ。


カウントダウンは台湾の国宝、文夏先生!御年90歳!まだまだおげんき、声も出てる。


文夏さんの奥さんの文香さんがステージ上から私達のこと見つけてくれて、わざわざ声掛けに降りてきてくれました(このとき陳昇は客席の上の方にいた)ほんと、気配りの人だわ。



コンサートは2:47まで続きました。
例により香港の友達の作ったセットリストを掲載。

《無歌之歌》陳昇2019跨年演唱會歌單第二場(記錄:阿三)
Song list of Bobby Chen's end of the year concert, 31st 2018

1. 短歌三葉草
2. 寂靜之喧嘩(新專輯歌曲,讚)
3. 然而(回歸慢板)
4. 華人公寓
5. 狗臉的歲月(讚)
6. 如風的少年
7. 最後一次溫柔
8. 多情兄(新寶島)
9. 福爾摩莎(新寶島好台喔~讚)
10. 車輪埔(新寶島,讚)
11. 陳明美同學(新寶島)
12. 路途(新寶島,永遠最讚)
13. 査某人的夢(阿Van)
14. 嘎嘎(阿Van,讚)
(過場及賣黑膠唱片廣告時間)
(黑膠唱機隨性播及廢話時段)
15. 浮雲車站
16. 思念人之屋(少兩個音版)
17. 子夜二時,你做甚麼?(讚)
18. "A" Train to Heaven
19. 瓦爾登湖(周雲蓬)
20. 不會說話的愛情(周雲蓬)
(恨情歌合唱團出場……其實都是幾位樂手)
21. 鴉片玫瑰
22. 恨情歌
23. 把悲傷留給自己
24. 紅色汽球(狂野和唱版)
25. 只要今天,你能在我身邊(Pia)
26. 他們都叫我小清新(Pia)
27. 牡丹亭外(with Pia)
28. 告訴媽媽(with Pia,讚)
29. 北京一夜(with Pia)
30. 黑夢
31. 走吧走吧(阿Van及高士古謠隊)
32. 輕輕跳舞(阿Van及高士古謠隊)
33. 别讓我哭(樂手各自solo,讚)
34. 水草(新專輯歌曲,弱智版)
35. 歸鄉(情緒激動版)
36. 穗花
37. 風箏(with高士古謠隊,忘詞重唱版)
38. 回家(阿Van)
39. 大地(阿Van with陳昇)
40. 淒美燈塔(新寶島, 讚)
41. 黃昏的故鄉(新寶島,with文夏!)
(文夏帶領倒數)
42. 媽媽請你也保重(文夏、文香)
43. 太空戰士主題曲
(罵政客、殺漢人、還土地的一番胡鬧話)
45. 傷心的人别聽慢歌(造反式自行插歌五勻天,程家杰唱)
46. 海闊天空(程家杰)
(功高蓋主,陳昇很不爽說:「En你媽啦Encore!」)
47. 良心(阿Van提電吉他唱亂彈的歌)
(完全亂來,才像陳昇的場子!)
(陳昇說:「來睡覺的人不要來了!」)
48. 愛情釀的酒(阿Van)
49. 鼓聲若響(新寶島,dancers終於出場)
50. 水尾郵便車(新寶島)
51. 歡聚歌(新寶島)
(文夏又再倒數,我暈~)
52. Summer x 媽媽請你也保重(無限跳線重唱版)
(二、三十人湧到台前想怎樣?!知道規矩的嗎?保安很為難啊~)
(Encore)
53. 擁擠的樂園
54. 二十歲的眼淚
55. 麗江的春天
(02:48完場,逾六小時演出,明年再會!)

以上引用終わり。

「SUMMER」で立たない人が多かったのは昨日と同じでしたが、さすがに阿Vanがみかねて(?)「みんな立って~」と言ってそれでかなりの人たちがたちましたね。

最後の曲で演奏が終わらないうちから帰りはじめるというのは、2日目も同じでした。
なぜ?観客が相当入れ替わっているのだろうか?
今まで来ていた人たちはどうしたのだ?
2日間通して、このことがとても気分が悪かったです。



終演後、ホールのごみ箱のところに、お酒の瓶がズラリ並んでた。ワインやウイスキー、それにコーリャン酒のものすごい度数の高いのも空いてた。すべて客席で消費されたもの(の一部!)
一応飲食禁止なんだけどなー。
31日は地下鉄が終夜運転してるので、乗って帰りました。


流石に午前3時過ぎ、誰もいない。


でも明るい。
寝たのは朝の5時過ぎてました。



たくさんの友だちに会いました。

12/31 台湾2日目

2019年01月07日 | ☆旅行─台湾
12月31日
ゆっくり起きてまずは、宿泊先の近くの迪化街へ。ぶらぶら散歩。その先にとてもレトロな廟があって屋台もあるらしいから行ってみよう。




レトロな文房具やさんで計算紙を購入(夫に頼まれた)

そしてさらに歩いていて行き当たったお店。お香を売ってた。珍しいなーと見ていたら、お店の人がどんどん火をつけて嗅がせてくれた。








この2つを購入、量り売りで200台湾元分ずつ。

このあとどこに行くかと聞かれたので、近くの廟でご飯食べるというと、あそこは不衛生だからオススメできないと言われた。おすすめを聞くと、教えてくれたのがこのお店。

意麺屋さん。すごい繁盛してた。



少し並んで食べたもの。




たしかに美味しかった!




もともとの目的地の廟にも行ってみた。いい雰囲気。屋台はたしかに衛生的かというと…だったけど。




さっき行ったお香やさんの新店舗も覗いてみた。建物は200年の清朝時代のもの。ご主人は王羲之の子孫だとも言ってた。台湾で7代目なんだとか。








お昼が軽かったのでおやつ。
焼仙草というのを食べた。小豆と煮たピーナツ、芋団子が入っててこれも美味しい!



それからいつものエステに行き、体のメンテをしてもらってから夕食へ。
永康街の「高記」日本人にも人気のお店です。








さあ、コンサートです。今日も雨の台北101。



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