キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

私の文学論 3

2016年02月03日 |   └─再燃!ベルばら
「ベルばらの二次創作(FANFIC)を読み漁った」と書いたけど、最近は落ち着いてきて、読むものは決まってしまった。やっぱり素人の作品は玉石混交だし、好みもある。


ネット上には驚くほどの二次創作があり────それが「ベルばら」という作品の人気を物語ってる────いろいろ読んだけれど、今は4人の作者のFANFICをブックマークしている。私にとって、いわゆる「玉」の部類の作品群。時々読み返したり、新作を続けている人もいるので、それを楽しみにしている状態。


4人に絞ったところで、まず自分のことが分かった。
なぜこの4人を残しているのか?
その答えはつまりは自分の心の中をのぞくことだ。
どういうものを読みたいかが即ち自分の願望。

私が選んだ4人に共通するのは、文章がうまいこと。言葉遣いが正しく過不足ないこと。この辺までは、まぁ、お作法的なこと。核心はやはり話が明るいこと。オスカルとアンドレの話で、二人が死なない、あるいは死ぬ前の話を延々繰り返してるなど。(ま、そうはいってもベルばらFANFICでは、この辺りはスタンダードだと思われます。より多くの人がオスカル&アンドレの幸せな時間の話を希望してるはず)


共通項はわかった。
じゃ、4人の違うところは?

実はこっちの方が面白い。
作者ごとにやはり個性があって、作者の中が垣間見えるようで楽しいような、困ったような。
私が読みたいものを選んで読んでいるように、この人たちは書きたいものを書きたいように書いているはず。その取捨選択は、読み手よりももっと厳密で、「自分」の願望があらわになっているはず。
読んでいくうちに、そのことがひしひしと感じられるようになってきて、見ず知らずの人の心の領域にずかずか踏み込んでるようで「困ったような」気にもなってる。する気もないのに「作家研究」してるのだ。
でも、これら4人の作家さんたちは、私と共通するもの持っていると思う、そういうシンパシーを感じながら読むのはやっぱり心地よい。

作品を通して作家自身を感じる。
これがFANFICというものに触れての私のささやかな発見である。


そんなことから、「自分も何か書いてみたい。」と思うようになってきた。
丸っきり経験の無いことなので、ゼロから「おはなし」を組み立てるのは自信がない。でもある事象を切り取ってそれを描写することから始めてみたら?自分でも気がつかない自分を見つけるかもしれない。




「文学」って得体が知れないふわふわしたものだと思ってきたけれど、もしかしたら
これは楽しいことかも!
私の残りの人生に彩りを与えてくれる鉱脈なのかもしれない。
文学部に今から入りなおして勉強してみたい。
これまでの失礼な言動の数々を、急速反省中。

映画『ベルサイユのばら』パンフ

2016年01月24日 |   └─再燃!ベルばら
昨年から、局地的に「ベルばら」で盛り上がっているワタクシですが、中華ななつながりの友人がフェイスブックで、この映画ベルばらのパンフレットの写真を上げているのを見てびっくり!
シンクロニシティ・・・。

どうやら、家の蔵書の整理中に発見したものらしいけど。
この時期にアップしてくるところ、やはりシンクロニシティ!
ベルばらの潜在力がすごすぎる…。
周りの人みんなベルばら好きなんじゃという気になってきたよ。


「捨てないで、いつか見せてください!」

とお願いしたら、さっそく郵便で送ってくれました。(貸出し)


感激!
公開時に見に行かなかったので当然このパンフレットも初めて見ます。
あまり評判の良い映画でないためか、今となってはあまり情報が残っていない出演者の情報などもちゃんと書いてある。
ジャルジェ将軍はやはりイギリスの舞台俳優さんなのね。




熱闘!ベルばらかるた

2016年01月17日 |   └─再燃!ベルばら
暮れの女子会メンバーで新年会をやりました。ベルばらかるたをやる日がやって来ました!


今日のかるた。
ベルばらかるたに物申したい男性陣から修造かるたも持ち込まれました。写真はないですが、群馬県人からは、上毛かるたも持ち込まれ、かるただけで忙しくなりそう!




新年会ですので、いろいろご馳走も持ち寄り。当初はベルばらかるたにちなみ、フランス革命風の料理というテーマがありましたが、どうなるか?



今年はお雑煮をまだ食べてなかったのでお料理上手な人に頼んで作ってもらいました。あごだし、ブリの照り焼き入り、紅白丸餅入り!
全くフランス革命は何処かへ行ってしまいました。



たこ焼きに合うワインを入手したというので、たこ焼きを買っていきました。このワインは大阪ので、その名もタコシヤン。スパークリングです。
フランス革命遠い…


ベルばらかるた。
まずは女子会メンバーで白熱しました。眺める男性陣は、キャーキャー大ウケしながらかるたを遊ぶ我々を見て、「これ売り出した人はやっぱりすごくマーケティングやってるんだね。こんなに喜んでやってるんだもんね。大成功だよねー。」などと妙なところに感心してみてたようです。




修造かるた。
全員参加でやりました。これ、すごく難しいかるたでした。


フランス革命も忘れてはいません。


「薄いスープが身にしみる」(ベルばらカルタより)
特製具のないスープです。鶏でだしをとって手間暇かけた、愛情はたっぷり煮込んであるスープです。男性陣はワケがわからない様子でしたが。

その他、硬いパンとかもありました。
お酒はフランスワインをメインに国産ワインも結構飲んだかな。八ヶ岳のワインがすごく美味しかった。何本あけたか不明…。

私は家にあったカルバドスを持っていったのですが、宴会終盤に投入したところ、結構破壊力がありました。アンドレを潰したお酒ですし。約一名の記憶を奪った模様です(笑)


この日は台湾の総統選挙。
ネットで台湾のテレビに繋いで開票速報番組もずっと見ていました。
フランス革命からは大きく離れてきましたが、8年ぶりの政権交代。初の女性総統の誕生。革命的だったかも?(こじつけ)



台湾からはやはり離れられない。くまモンと、台湾のセブン-イレブンキャラクターのオープンちゃんのコラボグッズをいただきました。


最後に全員参加でベルばらかるたをやりました。たのしかったー。
私が一番大好きな「想い焦がれて草むしり」何故か2回とも最後の一枚になってしまい、とれなかった。残念。

アンドレ的存在

2015年12月30日 |   └─再燃!ベルばら
ここのところ、「ベルばら」の二次創作というのを読み漁ってて、かなり自由にベルばら世界にひたってました。これについてもいろいろ書きたいのですが、くどくなるからな~~(笑)


SHERLOCKを初めて見て、あの現代版の世界にはまってた2012年の夏のこと。
あの頃自転車通勤してました。
ある夕方、仕事場を出て最初の急な坂を上っているときにそれは起きました。
結構きつい坂なので視線は空に向けて自転車をこぐんです。そのとき、「あっ!あの夕焼け空の向こうにあのジョンとシャーロックのいるロンドンがあるんだ!」と実感できてものすごくワクワクしたことがありました。

いたらいいな~とか、そういうのではなくて、「いるんだ!嬉しい!」という感覚。


これがその世界にはまり込むってことなのかも。
もちろん一瞬のことです。
やっはりあれは「おはなし」で、現実とは違うのだと、ごく常識的に過ごす時間が大半です。
でも、ああいう瞬間は、ちょっとシアワセなのです。



という体験が、実は今日もありました。


今年最後の郵便物を持って仕事場近くの郵便局へ行った帰り。
午前中の商店街は平和そのもので、見上げれば狭い商店街の建物の間にまっすぐ一直線の青空が広がってました。
郵便局から一歩出て、空を見上げて「寒いけどいい天気だな」と思った瞬間、100m位先のコンビニの前でアンドレが待っててこっちに手を振ってる感じがしました。

バカみたいですけど、ほんとにそう思ったんです。
(私、ちょっと危ないですね、ふふふふ)
あり得ないけど、実感として感じる。
シャーロックの時と同じです。
その世界にはまり込むだけはまり込んだ時に一瞬コチラとアチラがつながるんでしょうね。


私の妄想のアンドレは、ビジュアル的にはあのアンドレではなかったような。
アンドレ的な存在と言ったらいいのかな。
あまり伝わらない話でスミマセン。


高慢と偏見とベルばら

2015年12月22日 |   └─再燃!ベルばら
ちょっと前の映画「ユーガットメール」のワンシーン。メグライアン扮するショップガールと大型本屋の社長トムハンクスが、お互いを知り合いと知らずに初めて待ち合わせる場面。目印にしたのはバラの花を挿んだ「高慢と偏見」でした。


(これはBBCドラマ版の表紙ですね。コリンファースのミスターダーシー♪)

おそらくその文化圏の観客はこの本が選ばれたことで、ショップガールの人となりがかなり把握できるのでしょう。そういう本ってありますよね。映画の中では、待ちあわせの小道具だけでなく、本の内容についても色々話しています。



では、もしあの映画の舞台を日本に移したとして、どの本をもたせたらぴったりだろう?そんな愚にもつかないことを考えました。

ある程度の古典文芸で、持ち主の教養を感じる。文学少女のイメージかな?また、誰でも知ってて、でも古くさいわけでもなく、今でも映画になったりドラマになったりして、原作を読んだことがない人でもその物語は知ってて広く長く愛されてる。

うーん。
夏目漱石じゃないし、源氏物語じゃ時代が違いすぎるし、かといって現代語訳版がベストセラーってわけでもないし。村上春樹?でもそんなにドラマ化されて親しまれてるわけでもないか。

それに、あのシーンのポイントは、恋愛小説ってところだからなー。
川端康成?「伊豆の踊子」とか確かに何度も映像化されてるけど…どんな話か私は知らなかったりして(汗)


この前の女子会でも実はこの話をしました。オースティンが現代の恋愛物語に与えてる影響について。
あんなふうに、今のハリウッド映画やイギリス映画に繰り返し登場するモチーフを提供できるオースティンってすごいよね。日本にそういう文学作品あるかな??
その時、匹敵するのは源氏物語じゃないか、という意見があってとても納得だったけど、現代日本であの物語を恋愛ドラマに反映させるってあまり聞かない。あれは、古典としてもう終わってる感じ。


その理由として、現代の価値観にあれは合わなすぎだろう。という意見もありました。

繰り返し映像化されるという話に忠臣蔵がありますが、あれは常に忠臣蔵だからちょっと違う。
私としてはベルばらはかなりいい線いってるんじゃないかと思うんだけど。恋愛物語の典型として後世に君臨できるポテンシャルあるよね。主要4人のキャラも際立ってるし、例えば時代や設定を変えたストーリーなんかも可能という意味で相当強力な物語の魅力を持ってると思う。ただ残念ながら舞台が日本の話じゃないから映像化とか難しい。漫画スタートだし、昭和の話だし、オースティンみたいになるかと言われると、もちろん違うけど。

大河ドラマで人気の戦国時代とか、幕末とかを背景にやってみたらどうだろう。実在の人物にオスカル&アンドレを絡ませてドラマチックに展開できそうですよねー。



日本版ショップガールが待ちあわせの目印にベルばら持ってるとか、ちょっとやっぱり無理があるかな?


ベルばらが運んできた傷の話 

2015年12月21日 |   └─再燃!ベルばら
女子会のベルばらトークが、はからずも何十年も前の心の傷のようなものを明らかにしてくれました。
客観視すれば、これは成長の過程で誰もが通るところで、「傷」なんて言わなくてもいいくらいのものだと思いますが、あまりぴったりした言い方がないのでここでは「傷」としておきます。少なくとも、前に思い付いたような、単に「ベルばらが悲しい話だから」とかいうことではなかったようです。


ところで、「二次創作は癒しなんだ!」という記事を書いたとき、トラウマ云々と書いてしまいましたけど、私は「トラウマ」という言い方があまり好きではありません。心理学には詳しくありませんが、「トラウマ」なんていうものは、有ると思えば有り、無いと思えばないものではないかと思いたいからです。

聞くところによると、そういう立場をとる心理学者もいるそうですね。
そうそう、アドラー心理学。アドラーさんのこともよく存じ上げませんが、「過去が今に影響はもたらさない。今に影響を及ぼすのは今の気持ちだけ。」というのはなんとなく私がこの人生の今の段階に差し掛かるに当たり、実感していることです。トラウマをかかえている=過去に囚われている というのも今の自分の気の持ちようだと思ってます。


でも、今回自覚した「傷」。
「トラウマ」で説明した方がうまくいきそうな気もしますが、やはり過去は現在に影響しないとも言えます。つまり、今の私も「女性」「男性」という性の問題をずっと抱えているということです。子どもから大人になり、自分が女性だということも納得して受け入れているように見えて、そうでもないということです。それが、「ベルばら」によって浮き彫りにされてしまい、居心地が悪いんでしょうね。


まさか、この年になってこういうことを考えることになろうとは、思ってもみませんでした。



でも今まで考えないようにしてきたから、いつまでも問題として抱え続けたのでしょう。
面白いものです。
実はほかにもうっすら自覚しつつも見ないようにしている問題があります。コンプレックスにつながることです。このことをちゃんと具体的に口にできる日が来たら、また私は一段階成長するんだろうという思いもありますが、今は、公言することはもちろん、正面切って自覚することもちょっと無理ですね。


そんな問題、きっと誰しも持っているんでしょう。大人と言っても完全な大人じゃないのです。ベルばら再燃がこういう考察まで私を運んできました。とっても面白いと思います。



ところで、この問題に関連して、1年半前にも取り組んでいました。
「赤毛のアン」にからめて。
少女時代のジェンダーについて書いてました。
でもこの時は、まだ問題を直視できてなかったので、曖昧にしかとらえてないですけどね。
私がアンに感じてた居心地の悪さもベルばらでいたたまれないのも、根っこは一緒ですね、きっと。

快読「赤毛のアン」 感想

可愛くなりすぎたオスカル

2015年12月20日 |   └─再燃!ベルばら

仕事中のいたずらがき。
電話かけながらなんとなく手が動いて、こんなのかきはじめちゃいました。行儀悪い。

かいてくうちに髪型をオスカルにしてみたけど、顔が違うね。これ可愛すぎ。

子供の頃は何度となくこういうの描いてたけど、実に何十年ぶりにオスカル描いた。


調子に乗ってこんな絵も描いた。
オスカルに着せるドレスの絵。舞踏会用でなくて普段着。
彼女の場合は、スカートの中を釣り鐘状にふくらませるパニエはないのがイメージ。身体は傷がいっぱいあるから襟の高いローブモンタント風だよね。時代考証できないのでこれがいつの時代のものかはわからないけど、19世紀っぽいかな、やっぱり。

女子会効果と、二次創作の癒やし効果でベルばらについて平常心で臨めるようになってきて、こんなの仕事場で描いて人に見せたりできるくらいになったようです。

ベルばらトーク@女子会 その3

2015年12月19日 |   └─再燃!ベルばら



───── 話は続く。

「小学校の高学年頃かな、それまで全然対等で負けたことのなかった同じ年の男の子に、背の高さを追い越されたり、腕力でかなわなくなったりし始めて悔しかったんだよね…」

「『男』とか『女』とかで区別が始まってきたよね」

「そういえば、私、そのころスカートを一切はかなくなった時期があった。男の子みたいなカッコで学校に行ってた。」

「私は、小学校5年くらいから、いとこのお下がりの黒いランドセルで通学し始めた。」


「あの時代に女の子が黒いランドセルってかなり珍しかったんじゃ?」

「うん、クラスの子は何も言ってこなかったけど、違うクラスや違う学年の人たちにはいろいろ言われていじめられたなぁ。でも気にせず小学校卒業までそれで通した。」


───── 「傷」の正体がだんだん姿を現し始める。



「ねぇ、お赤飯炊いてもらった?」

「初めてブラジャーつけた時どんな状況だった?」

「小学校の時、女の子だけが集められて、女性用の性教育の時間があったよね。」

「うん、あれすごい嫌悪感があった」

話がどんどん進んでいく。
だんだん分かり始めた。
自分の中の「女性」の部分が成長してくるのがとても受け入れられなかったんだ。
そこにいるみんなが同じような思いをしていたみたい。

そんな時期に、大ブームだった「ベルばら」があった。
そしてそこに、女性性と男性性をわかりやすく持っているオスカルが登場してくる。
それで揺さぶられていくわけね。
これが「傷」のすべてとは言えないけど、何となくつかみ始めた。


ひとりは、女性性とか男性性から自由になるために、女子高女子大への道を歩み。ひとりは受け入れておとなになる道を選び、わたしはそこから目をそらした結果ベルばらが恥ずかしくなった…というわけかな?フタをして見ないようにしていたから正体がわからずにもやもやしていたのかな。ここに至って気がつけてよかった。


そこから話は「男女雇用機会均等法」だの「夫婦別姓」だのまで発展していった。
女同士おしゃべりは際限ない。
ワインも何杯飲んだことか。
気がつけば閉店時間になっていた。



帰り道、誰かが言った。

この時代、仕事して一人前に稼いでる女性はみんなこうだよ。
地方から出てきて東京にとどまってるっていうのもね。
どっかこじらせて(=戦って)るもんなんだよね。



ベルばらの話で、こんな展開になるとは思ってもみないことだった。
気の合うご近所さんたちだと思ってたけど、実は戦友に近いのかもしれないな、と思った。

何にしても愉快この上ない「女子会」だった。








次は新年会で「ベルばら」カルタです!
男性陣は「修造カルタ」を持ってくるらしい。
楽しみです。

ベルばらトーク@女子会 その2

2015年12月18日 |   └─再燃!ベルばら

ベルばらにちなみ持ち込まれたフランス菓子。
オーボンヴュータンのキャラメル。



まず、外伝とかエピソード編とかのコミックの貸し借りから始まり、それぞれのベルばらとの出会い方などを語り始める。私は、ベルばらが好きだと公言することもベルばらの話を誰かとするということもこれが初めてなんだと告白‥‥

私と同世代の3人はほぼ同じころ(小学校高学年くらい)で出会ってて、漫画、アニメ、実写映画などに触れていた。一人は小学生から友人とベルばらの二次創作漫画を友達と書いてたんだそう。で、実写版の封切の時には友達と電車に乗って町まで映画見に行ったんだってそれが友達と行った最初の映画だったとか。(私は「銀河鉄道999」だったな~とか口を挟んで脱線するw)
10歳年下の彼女は、出会いは再放送のアニメだと言ってた。アニメ経由で原作に入ったらしい。

ふむふむ。

話していくうち、全員が全員とも、おびただしい量の漫画を読んでいるということが分かった。
私もかなり漫画を読む少女だったけど、ここに集ってる人みんなそうらしい。読んでる漫画も重なっているところも多かった。ベルばらはその中の一つにすぎないけど、でも何かちょっと違うなにかがある。

さらに、漫画を離れて、大河ドラマやジェーンオースティンの話。源氏物語から下町ロケットまで話が広がる広がる。それもとっても楽しかったのだけど、このレポートではベルばらの話に絞ろう・・・。


私が「ベルばら好きだったけど、好きって言えなかった。人に話すの恥ずかしかった。ていうか、一人で読んでるのに、恥ずかしくなって読みながらページをパタッと伏せたくなったりするのよね。なんでなんだろ?」と持ちかける。最近気がついた「ベルばらで傷ついてる」から、そうなっているんだと思う。二次創作を読んでいくうちに癒されてきて、今日話ができるくらいには軽くなってきたんだ・・」



一番年下の彼女が、「オスカルの女性性が・・・」と熱く語り始めた。

曰く、オスカルが男装してることによって女性性と男性性についての認識を否が応でも読者に投げかけている・・・。それがちょうど思春期に差し掛かる少女に与えた影響が大きいのではないか?(かなり要約してしまったけど)



そこから、話は漫画から離れて、それぞれの「傷」の正体を考察する流れに…・。
だんだん私も「傷」の正体をつかみ始めた。



ベルばらトーク@女子会 その1

2015年12月17日 |   └─再燃!ベルばら
近所に気になるレストランがあるということで、呑み友達と女子会なるものを開いた。

参加者は4人。
うち3人は私と同世代。一人は10歳くらい下。
皆同じような家族構成で、仕事に忙しい女性たちだ。数年前に近所の飲み屋で知り合い、仲良くなって海外旅行(現地集合現地解散の向こうで時間の合う時だけ一緒に行動するというスタイル)などにも一緒に出掛けている。

  ・2011上海行き
  ・2013台湾行き
  ・2015バンコク行き


大人になってからの友人は、適度に距離をおきながら、あまり個人的領域には干渉しないのが心地よい。そのため、このメンバーとは、何度も顔を合わせているけれど、まだまだお互いについて知らないことがたくさんある。いつもはそれぞれのパートナーとも一緒のことが多いので、女性だけで食事をするのはひょっとしたら初めてかも知れない。

ここのところ私がベルばら再燃しているのはバレている。
というか、来年の新年会に「ベルばらカルタを買ったので持っていく」と言ったのだった。
すると、食事会の打ち合わせのメッセージをやりとりする中で、彼女たち一人ひとりがベルばらと言うキーワードに反応し始めた。自分の蔵書からベルばらを出してくる人。昔読んで手放したからまた買っちゃったよと報告する人。ベルばらの台詞をメッセージの中に織り込んでくる人。

なになに?
みんなもベルばら好きなの?!
そんな話は初めて聞いたけど、私自身が初めて話したわけだから、知らなかったのは無理もない話。

そんなこんなで、この食事会は当日までに「ベルばらを語る女子会」という位置づけになった。面白い展開。私も、このところの考察を誰かに話したくてしようがない気持ちだったから、とても楽しみにして会場へ。お店で女子会プランというコースを頼み、怒涛のベルばらトークに突入した。

続く……

二次創作は癒しなんだ!

2015年12月14日 |   └─再燃!ベルばら
今、「ベルばら」の二次創作ものを読み漁っています。
ネット上には、ファンが書いたおびただしい量の「二次創作」作品があるようなのです。
二次創作、SS(サイドストーリー)とかfanficとかいうようですね。
ここにもコメントいただいたKHSさんに教えていただきました。


「SHERLOCK」の時も、正典ホームズものも、その手のモノにはずっと距離を置いてきたのですけど、なぜか、「ベルばら」でそこ(二次創作の大海原)へ足を踏み入れました。


そしてSSが自分にとっては一種の「癒し」なのだと気がつきました。


「ベルばら」という作品を思い出す時、いつも「恥ずかしい、人に語れない、なんかもやもやする・・」というよくわからない感覚が生じていました。
この正体がどうにもわからなかったのですが、「恥ずかしい」と思う裏には、どうやら少女の頃にベルばらに出会って受けた傷のようなものがあったようです。それが何十年も心に引っかかって、原作を読めば涙がぼろぼろ流れるのに、その涙がちっともカタルシスになってなくて、もしかすると余計に傷ついて、でも漫画ごときで傷ついてるのを認めたくなくて、「恥ずかしかった」という表現になったのかもしれないな~と。
なぜ傷ついたのかは今もってわかりませんが、ベルばらってそもそも悲しい話ですよね。悲しいからドラマチックなわけですが、少女の心には、あの悲劇がショックすぎたのかもしれません。

果たしてそれが「傷」と呼べるものなのかどうかも判然としませんが、「ベルばら」はなんかほかの漫画と違うんですよ。
この間ずいぶん久しぶりに何巻か読んだんですけど、読みながらぞわぞわするんです。ときどきページが直視できず、はたっとページを閉じたくなるんです。
SS作品のお約束なのかはわかりませんが、なぜかところどころに原作のセリフやト書きがそのまま登場する箇所があるんですが、その箇所を読むときに「ぞわっ」と鳥肌が立つんです。
絶対なんかあるんです、これ。

そんな感じで、いつもベルばらに対して妙な反応が出てしまう私でしたが、二次創作を読んでいくうちに、なぜか癒されてきてるんです。何かが融け出してる感じ。

そしていろんな作品を読みながら感じたのですが、二次創作する人の中には、私と同様にベルばらを読んで傷ついた自分自身を癒すために書いている人がいる様な気がします。少なくとも私が読んで面白い!と思った作品にはそういう要素があるはず。その要素があるから面白いと思ったし、読み進められたのでしょう。




トラウマの解消には「傷ついた自分を認める」という過程が不可欠とも聞きます。
私も自分でも全く気がついてなかった、ベルばらを読んで傷ついた自分(あるいはまだわからないけど、ベルばらを読んでいたころに受けた傷なのかも)を認めることが、ベルばらを楽しく楽しめる(変な日本語!)第一歩になるのかもしれません。



ホームズもので二次創作を受け付けない(パスティシュでアイリーンにスポットが当たると、ちょっと不機嫌になってしまうわけですよ)のは、その辺に理由があるのかも。
なんというか、ホームズでは私は傷ついてないんでしょう。
純粋に物語を読むのが楽しいから何かで補う必要がなかったんでしょうね。


ベルばらで英語~ロザリーの「あたし」

2015年12月10日 |   └─再燃!ベルばら
いま、「ベルばら」熱再燃中なのですが、はまり始めるとのめりこむ自分の性格。あまりにもいろんな情報を取り込みすぎてまだ全然整理がつきません。整理ついても書かないかもしれないですけど(なにせ「ベルばら」は恥ずかしいので・・・照)、ちょっとした話から、書けるところから、書いてみようと思います。(カテゴリも新設した!)


ベルばらのアニメをNHK-BSで放映中なのが再燃のきっかけですが、録画をひまなときにさーっと見て、見た後はすぐに消去してたんです。はじめのうちは。・・・・・ところが、ジャンヌの首飾り事件のあたりから、「どうもこのアニメ版は原作とテイストが違うぞ。別の話みたいだ・・」と感じるようになり、面白くて、本腰入れて見るようになりました。そうなると、録画を消したのが悔やまれます。

でも今は便利な世の中ですね。ネットに(違法かどうかわかりませんけど)上がってるんです。それで録画を消した部分の復習をしたりしてます。で、よく見ると字幕がついてるんです。英語の。どうやら海外でアップロードされてるようですね。スマホの小さな画面で見てるのであまり鮮明には字幕見えないのですが、面白いのがありました。



ロザリーが育ての母の仇をうつため貴婦人修行してるシーン。


「あたし」というロザリーの一人称を、オスカルが「わたし」と言え、と指導します。
こういうの、英語だと難しいですよね。一人称の言い方で「お里が知れる」なんてのは。





英語字幕では、ロザリーが「I ain't~~」というのを、オスカルが「 I haven't~~」と言えと指導する形になってました。

なるほど~!
「SHERLOCKで英語」の時もこういうことの面白さを感じてはいたのですが、「ベルばら」はそもそも日本の作品。これが英語に翻訳されたものを見るのは、また別の興味で見られますね。

中国語なんかだとこの部分どう訳すんだろう?やっぱり一人称は「我」なわけで。言葉遣いのノーブルさを中国語ではどう表現するかな?

オスカル「様」?

2015年12月04日 |   └─再燃!ベルばら
ベルばら話つづきます。
主人公のオスカルフランソワをときどきファンは「オスカル様」と呼ぶみたいですね。
作中でも、その地位の高さ故か、様付けで呼ばれることは多いのですが、なぜファンまで様付けなんだろうと言うのは割りと前から抱いているギモン。

作中のロザリーのようにオスカルに憧れていてそれが様付けにつながるのかな?

オスカルって憧れるかなぁ。
憧れの対象になる人もいるのは理解できるけど、多数派なんだろうか?
あるいは、オスカルに「様」をつけて呼ぶのは、一種の「いじり」なんだろうか?

とか言ってますけど、もちろん私はオスカルが好きで、だからペルバラ好きなんですけどね。でも、少女の頃に読んでた時も、「オスカルさまぁ~」というふうに憧れることはなかったかな。

オスカルみたいになりたいとは思ってた。あくまでも対等な感じでオスカルと入れ替わるみたいな感覚で。オスカルになってどうしたいかといえば、好き勝手に生きてそれでもやっぱりアンドレに愛されるっていうのが良かったんでしょうね。


いい機会なので分析していくと、ベルばらの何が好きかと言えば「アンドレ」となり、それもよく分析していくと、「オスカルを好きなアンドレ」が好き。ってところに落ち着きそう。

これって、かなり王道ファンの姿なのかもしれない。・・・しれないと思うけど、ベルばらファンの皆さんとあまり交流がなかったのでよくわからない。みんな、どういうところが好きなんだろう??急に覚醒してしまっていろいろ考えてる(笑)




中学時代恐るべし

2015年11月21日 |   └─再燃!ベルばら
ベルばら話のついでに、最近気が付いて愕然としていることについて。

ベルばら、そしてそこから始まる少女漫画の世界、シャーロック・ホームズ、洋楽、クラシック音楽、いずれも中学生の頃にハマったモノたちです。誰でもそうなんでしょうけど、中学生の頃のスポンジのような感受性ってすごいですね。

中学生の頃はお金もないし、知識もないし、行動半径も狭いけど、それでもその後のいつの時代にも負けない情熱があったなー。

例えばクラシックにしたら、今ならCDも揃えられるし、演奏会にもいろいろいけるけど、中学時代に聴き漁った分量には到底及ばない。
洋楽もそう。

でもまあ、中国語、中華ポップス、シャーロックのセリフの和訳とか、大人になってからも、結構どっぷり情熱を傾けたのもあるにはあるですね。

それでも、中学時代の自分がすごいなーと思うことがよくあるんですね。あのころ、1日が40時間くらいあったのかも。

恥ずかしい「ベルばら」

2015年11月20日 |   └─再燃!ベルばら
私が、マンガ「ベルサイユのばら」を知ったのは小学校6年生の頃だったか?
(小学生が読むには)大人っぽい漫画、という触れ込みで友達に教えてもらったんじゃなかったかな?

そして、ちゃんと最初から最後まで読んだのが中学1年の頃。多分最初は本屋さんで立ち読みして10冊読み切ったんじゃないかな。そして、ごたぶんにもれず、大はまりしてお小遣いをコツコツためては一冊ずつ当時出てた文庫版サイズを買い揃えていきました。

それまで少年漫画しか読んだことなかったこともあり、豪華絢爛さとドラマチックなストーリーにめまいするような、目がチカチカするような興奮を覚えていたんだと思います。

でも、なぜか恥ずかしかった。
ハマればハマるほど、ベルばらを好きな自分が恥ずかしく、友達とも語り合うことは少なかったような記憶があります。


なんだろう?あの、全編がポエムで彩られてる、登場人物がいちいち芝居がかって、「おお!」だの、「ああ!」だの叫びまくってるのが恥ずかしかったのかな。

アニメのベルばらのエンディングテーマの終わりに、志垣太郎アンドレが絶叫するところがありましたが、あれ、恥ずかしいですよね?後半気がついたらいつの間にか絶叫部分なくなってたけど、やっぱりスタッフ側にも恥ずかしくてたまらない人がいたんじゃなかろうか??あるいは、視聴者から恥ずかしくて耐えられないからカットしてくれとか要望があったのかな?

私も、一家にテレビは茶の間に一台だけ、というあの時代、お茶の間で家族もいるところであれを見ることに耐えられず、アニメ版は脱落してしまった経験あり。

そして、36年ぶりにNHKBSでやってる再放送~どうやらデジタルリマスターらしい~で、その面白さに衝撃を受けてるところなわけです。
それにしたって、やっぱり録画して、一人の時に見てるんですよね。

やっぱり恥ずかしいから。


このブログにも、初めてベルばらのこと書いたかもしれませんね。そのくらい、好きなことを隠しておきたい作品。

じゃ一人で誰もいない所なら恥ずかしくないかというと、そうでもなく。
漫画はこの夏の断捨離で処分しちゃったのでネットのレンタルで読み返したんですが、やっぱり、顔から火が出そうな恥ずかしい感じが伴います。この人たちなんでこんなに詩を語るのか…

あと、私は少女漫画によくある足が長すぎるプロポーションも、やめて~~と叫びたくなるほど、恥ずかしいです。


好きだけど恥ずかしいのはなんなのかな。
少女時代ならともかく、こんな大人になってまで引きずっているとはよっぽどですね。


思えば、ベルばら読みふけってた時期と、シャーロック・ホームズにハマりまくった時期ほとんど同じなんです。小説と漫画ということで共存できたらしい。で、シャーロック・ホームズを好きなのは全然恥ずかしくなかったので、聖地巡りとか割と早い段階でやってるんですが~つまりイギリスへ行った~フランスには未だに行けてないのです。だって恥ずかしいんだもん。

でも、ラジオのフランス語講座をこっそり(なぜ?)聴いたり、当時家にあった国語辞書でアンシャンレジーム
の部分を書き写したり、百科事典のルイ14世のところをむさぼり読んだりはこっそりしてましたね。

素直に好きと言えないので、ルイ16世と所へはいけなくて、太陽王ならベルばら好きがバレないだろうという、涙ぐましいカモフラージュ。

何やってたんでしょうね。







最近、アニメ版がきっかけで、ベルばらファンの方の作ってるサイトを発見し、読みふけってます。そこでは、ベルばら愛を隠さず語り合ってる人たちがいました。

そうですよね。
そういうふうにオープンに自分を開放したほうがオモシロイはず。
恥ずかしさを乗り越えて見れば30数年封印していた自意識に出会えそうな気がします。


YOKOの好きなもの羅列

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