キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

ドキドキ冒険旅行

2016年10月30日 | ☆おえかき
今日はある一つの冒険を決行しました。
数年前から大ファンであるところのブログ主さんが、とあるイベントに参加されるのを知り、会いに行こうというもの。

このイベントのことは数年前からブログで読んでいて、行きたいと思いつつ、でもいつどこで開催されるのか?直接お訊ねするのもなんとなくはばかられ、いろいろ推理し探すのに3年くらいの期間を要しました。結局はご本人からヒントをいただけて、満を持しての今日のこの日です。

夫に「今日はいよいよ○○さんを訪ねるよ!」というと、「第一印象が良くなるような、オジサン受けする服をコーディネートしてあげようか?」との提案が。その発想は無かった!でもこの秋一番の冷え込みの日、その提案は丁重にお断りして、天気に合わせてダウンを着込んで出かけました。

行くかもしれないということは、相手先のブログにコメントさせていただいたものの、明確なお返事なく、「もしかしたら伺ったら迷惑かしら??」などという考えもちらりとよぎりつつ、でもここまで来たら行ってしまいますよ。

お顔もお名前も知らない方ですが、ヒントはあります。
ブログに載っていた作品を探せばいいはず。


自宅から1時間半、電車を乗り継いでたどり着いた会場は、お祭りの真っ最中。食べ物屋台も沢山出てて、とってもにぎやかでした。イベント会場に行くと、すぐにご本人がわかりました。
なぜわかったかって?
お顔は知りませんが、来場者の似顔絵を描いていらっしゃったから。
近くに行くと、ブログで見た作品が展示されてます。
あ!スケッチブックもある!!
キャー中味見たい!
はやる気持ちを抑えつつ、作品をちらちら拝見していると、先ほどのお客さんとのお話を終えられて、私の方に話しかけてくれました。

「あの・・・●●さんですか?私、YOKOです^^」

なんと第一声は

「あ~~、ついに来やがったか!」

でした。
うふふふ。来てしまいましたヨ。
この言葉には似合わない、とても優しい笑顔のダンディーなオジサマでした。
先ほどの言葉は、照れ隠しですね。
そうに違いありません。

私がここ数年、勝手に想像していたイメージより、数段若々しくて、素敵な方でした。
たくさんお話しして、似顔絵もかいていただいて、スケッチブックも見せてもらい、これからの旅の計画なんかもたっぷり聞かせてもらいました。さらには、なんと、私がやってきたときのためにと、お土産まで用意してくださってたのでした。
何てこと!
感激です。

夢の邂逅にかなり舞い上がってしまってましたが、お土産までいただいて、ほくほくホカホカな気分で会場をあとにしました。
あ、私手ぶらで行っちゃった。
またの機会にお礼させてくださいね。

●●さん、ありがとうございました。


頂いた似顔絵を職場のデスクに飾りました・・^^


手作りペンケース

2016年10月29日 | ☆個人的日記
これから、かんたんな軽~いペンケースを作ります。


用意するもの
・おまけでもらった去年の手帳のビニールカバー
・好きな紙
・ヘアゴム




用意した紙を手帳カバーにはさんで、鉛筆や消しゴムを入れます。



くるくる巻きます。



ゴムで止めて、さぁ出来上がり。
軽くてかさばらない、シャーロックホームズのワンポイントがついた、オリジナルペンケースができました。この紙は、昔同僚にもらった、ロンドンのシャーロックホームズ博物館のメモ帳です。



新しい台湾の友だち

2016年10月27日 | ☆個人的日記


台湾の友人の紹介で、これから半年間日本に滞在するという台湾青年と知り合った。友人からのプレゼントを運んでくれたので、その受け渡しもあり、昨日初顔合わせをした。
場所は、日本の居酒屋に行ったことがないという話だったので、私の職場の近所の居酒屋。ごくごく普通の店に連れて行きました。(あまりおいしいとは言えなかった、ごめんね)

台湾科技大の博士課程にいる学生さんで、日本の大学に調査研究のため半年の期限で滞在するらしい。うちの職場の近所の大学。私こういう世界に疎くて、半年リサーチでラボに入るっていうのがどういうものなのかよくわからないけど、教育の一環なのかな?同じ様なシステムでドイツにも1年いたのだそう。彼が何の研究をしているのかはきいてもよくわからないので、深追いせずにおいた(笑)

うちの夫と3人、英語と中国語をめちゃくちゃチャンポンにしていろいろ話した。

旅行も大好きで、言葉の習得にもすごく興味があるらしい。日本語は勉強したことがないと言っていたけど、来日前に日本のドラマなんかを見て少しずつ覚えているみたい。途中から日本語もかなり混ぜたけど、理解できてる。なんて頭いいの!!

よく台湾の人に感じる、穏やかで、社会に対するしっかりとした考えを持っている聡明なタイプ。この人もそうだ。

アイスランドにオーロラを見に行った話。
ドイツでは魚釣りをするのに免許がいる話。
犬を飼うのにも免許がいる話。
日本は、生活に必要な製品や食品の多くを国産で賄えるのがすごいことだと思う、と言ってたのが印象深かった。あまりそういうことを考えたことがなかったのでなおさら。というと「日本人にとっては普通のことだから気にしてないのは当然です。でも台湾だと、これはどこのがいい、これはどの国のがいいっていちいち考えながら暮らしている部分があるんです」だそう。

日本に来てまだ2週間だけど、朝晩は自炊(写真見せてもらったけど、すごく上手!)をして、週末はいろんなところに出かけているみたい。国営ひたち海浜公園にコキアを見に行ったりしてた。さすが台湾人の情報はすごい、日本人も良く知らない観光スポットを知ってる。列車の旅も好きみたいで「出雲号」に乗りたいという。「サンライズ出雲」のことですね!いまや貴重な寝台車。ぜひ実現してほしい。「青春18きっぷ」をすすめたら「もう18才じゃないから・・」というので年齢制限の無いことを教えておいた。その誤解、日本人にも多いよね。きっと。

言葉はなかなか通じにくいけれど、こんな人と話をするのはとても気持ちがいい。私の知らないことや気付かなかったものの見方を教えてくれる。私の年齢になったら、若い友人も積極的に作りたいもの。

彼の日本滞在が実り多いものになるように、私も何か力になれたらいいな。

海外のファンでいるということ

2016年10月26日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen
To be a fan from overseas.

今年も陳昇の誕生日に合わせ、カードを送った。
もう20年近くになるか。
去年はカードに絵を描いて送ったら、それがコンサートの公式Tシャツの図案に採用されるという嬉しいサプライズもあった。毎年せっせとカードを送り続けた労をねぎらってくれたのかと思ったりする。

海外のファンは、かなりのハンデがあるけど、その分アドバンテージもあるとよく思う。

ハンデは、何と言っても情報が入りにくいこと。
今はインターネット(さらにはSNS)があって相当改善したけど、それでもテレビやラジオでの露出にはなかなかお目にかかれないし、イベントやコンサートにも気軽には行けない。行こうと思ったら時間もお金もかかる。(そして私には言葉の壁もある!)

一方、アドバンテージと感じるのはやはり外国人であるという物珍しさ。良くも悪くも目立つ。ファンの中でも、ナニナニ?って取り囲まれるような雰囲気にもなるし。ファンレターを出しても印象的だったんだろうというのは想像にかたくない。

これが世界的なスターの場合は、海外ファンであることのハンデも少なくなり、同時にアドバンテージも少なくなるんだろううけど、陳昇の場合は、台湾ローカルのアーチストだからね。海外ファン(しかも中国語圏でない外国からは相当珍しいと思う)として、面白い体験を色々させてもらった。


その分相当のお金と労力を費やしたのも間違いない。
旅費、更に中国語の勉強、レッスン費、時間!!!
自分でも涙ぐましいほどの努力だと思う。


イスンファンについては、陳昇にかけたほどの労力をこれからかけるなんて、考えただけでも気が遠くなるけど、せめて行きたいコンサートに行ける程度の自由さは手に入れたい。
でも、それがとても大変(泣)

やっぱり尻込みしないで、言葉の勉強と人脈作りをコツコツやるしかないか。
どちらも一朝一夕にはできない、大変な仕事だけど。
ああ、悩ましい。
海外のファンでいることは悩ましい。

It's very hard to be a fan from overseas.



パデイ7 現地発詳細記事(感想)

2016年10月25日 |   └─POPS韓国
この記事とても面白かったし、自分が行ってきたライブのことだから、なるほど、あそこではこんな話が~などと納得しながら読みました。気になった事をメモしておきます。


「私のお母さん」=「ネオモニ」で声が出なくなった場面は、私も最初のレポで書いていますが、あれれ?と思いました。私は単に感情移入で泣いてしまったから声が出なくなったと思ってたんですが、喉に変調を覚えたんですね。スタッフ皆に緊張が走ったとは・・・!そこまでのものとは感じませんでした。

確かに、後日フェイスブックにイ・スンファン本人が、スタッフとのLINE(?)のやり取りをスクリーンショットで載せていたのを見ました。


来年のパデイのコンセプトはスライドがあったので、私にも理解できましたが、これ冗談だろうと思っていました。ほんとにやるのでしょうか?イスンファン・フェス。楽しそうですね。それもいいけど、日本のフェスに来てくれたらいいのになぁ。パデイはチケットが買える気がしないので。



チョン・ジュンイルという後輩歌手と賭けをしたという話は笑い話としても、「親指切断角」の「角」は意味が分からなくてしばし解釈に苦しみました。機械翻訳も辞書も「角」「各」としか訳さない。
で、とある日本語のブログにこの言葉を解説しているのがあって、何となくわかりました。若者言葉らしいですね。「~~するのにピッタリのタイミング」という意味らしい。
つまり「親指を切断するのにピッタリのタイミングだ」というようなことになるのかな。


パクシネのくだりで、なるほど~と思ったのが、真偽はともかく、去年はパクシネにだけ招待券を送ったものの、今年は徹底的にチケット販売の健全化に努めた結果、その招待券すら断念したという話。
これ他のコンサートなら、楽屋に遊びに来て、会場に入って立ち見してるなんてことはざらだよなーって思うんですが。不法チケット撲滅の姿勢を改めて見せたってことかな。きっと楽屋にはいろんな人遊びに来たでしょ、応援というか…。



観客への愛情表現の話は面白かった。
そもそも「サランヘヨ~」って言わない歌手だとは思ってなかったのだけど、先日「新曲発表ショーケース」のMCの翻訳を訳していく中で、そんな話がが出てきておもしろいと思ったのでした。

曰く「他の歌手とか芸能人はよく観客やファンに対して「さらんへよ~」って言うでしょ?でも私は言わないんです。そういう言葉は自分の恋人に対してだけ使うものと思っているから。でも、去年のパデイの時に、ちょっとトチくるって言っちゃんたんですよね。あれ、取り消します。まちがいました。絶対に違います。」

このセリフで、へ~面白いこと言う人だなと思ったんですが、この記事でどういうシチュエーションだったかがわかりましたので、Youtubeでその動画を確認しました。(ヒマ人!)

最後に「ナドサランヘヨ(私も愛しています)」って言ってる貴重な場面w
이승환 빠데이 26년 20150919 착한내친구



これは「家族」。
やっぱり最後に「指ハート」「3段ハート」が出てくる。
2015 빠데이 26년 -이승환-가족




最後に書いてあることは、言葉は全く分からなかったけど、その場にいてそういう空気は感じたし、27年もやってる歌手とファンの関係は当然とういう物だろうと思うし、私がずっと抱いているものと同じだったのが確認できて、安心しました。


「売れないこと」に対する怨嗟っぽいこだわりが気になっていたけど、彼の中ではさすがに消化されてはいるのかな。ファンの前でこういう話をしていたのなら・・・とも思いました。




ファンの話で、思い出した。
10年くらい前までは、イスンファンのコンサートの動画や音声を聞くと、歌の途中でも「キャーキャー」黄色い声ばかりが入ってるので「キャーキャー言ってないで音楽を聞け!」と、腹立たしかったものですが、(というか、アイドルでもないし、なぜファンがそんな感じになるのか不思議でした)最近の彼のコンサートではそういうことはほとんどなくて、ファンも歳をとったせいもあるでしょうけど、私の感覚と全くずれがないのが心地よいです。このファンたちとなら、きっとそういう信頼関係が結べているんだろうなと感じてます。

パデイ7 現地発詳細記事

2016年10月24日 |   └─POPS韓国
韓国のコンシューマータイムズというサイトにあった記事。

これはコンサートに最初から最後までいた人じゃなきゃかけない記事と思われます。私が全く聞き取れていなかったMCの内容なんかも書いてあるので、自分のために意訳したものをこちらに載せておきます。訳は正確ではありません。最初は機械翻訳にかけて、そのあと日本語として不自然なところをかなり省略したり意訳したりしています・・。


イ・スンファンはこの日「パデイ7」の中で、「オンリーバラード」というコンセプトで進行されていた第1部の16曲目に「私のお母さん」を歌った。「私のお母さん」は1993年に発売された正規アルバム第3集「マイ ストーリー(My Story)」の収録曲で、亡くなったお母さんに捧げる内容だ。 母親が亡くなった後周辺が変わり、これによって孤独で弱い自分は大変だと不平を並べながらも「これであなたの強い息子になることができる」と約束する内容の歌詞を含んでいる。
イ・スンファンは「私のお母さん」の序盤から音程が明確に揺れ始めた。 曲に感情移入しすぎたためだった。 喉がつまり、曲の完唱が不可能な状態だったが、そのまま最後まで歌った。その難しい状況でも歌い続けたため、すぐに観客は拍手で励ました。この歌に感情移入したのか涙を流す観客もいた。

「私のお母さん」が終わるとすぐ、イ・スンファンは進行をしばらく中断してほしいという合図をスタッフに送った。 舞台が暗転し、感情を取りまとめた後、次の曲を歌い始めた。 その間わずか15秒にならなかった。プロらしくいちはやく感情を収拾して、高い歌唱を要求する「哀願」を完全に消化して大きい拍手を受けた。
「哀願」を歌った後「『私のお母さん』は本来 パデイ7で歌う予定ではなかった。セットリストを組んでみた時に「彼が彼女に会った時」が重複していたので、『私のお母さん』を入れたのだった。しかし選曲ミスだった」として不安な姿を見せて申し訳ないと謝った。 しかし観客はもっと大きい拍手を送った。
公演後イ・スンファンはフェイスブックを通じて「第1部で歌ったある曲のために突然喉がかれてしまった。公演途中、スタッフリーダーがメッセンジャーで心配してくれたし、私も急きょ曲目を見直した。 この公演が失敗するかもしれないと、私を含むすべてのスタッフが緊張した」とその時のことを振り返ったが、「ところで結果は..! 私も自分の喉が理解できない。 どうしてこんな喉になったのか? 切実に望んだから宇宙が立ち上がって助けたか」としらじらしくジョークを飛ばした。

イ・スンファンはこの日‘パデイ7’を成功裏に終えた。 8日午後4時頃始まった公演は翌日である9日午前1時50分頃終了した。 休憩二回を除いてドリームファクトリー側で測定した純粋公演時間は8時間27分35.56秒で、これは昨年‘パデイ-26年’公演で本人が樹立した国内アーティスト単独公演時間記録である6時間21分27秒記録をはるかに越えた。


イ・スンファンはこの日長時間公演である‘パデイ7’を準備する過程を説明して「声が出て、まだ走れるのに保身を図ることは無いようにする。 観客のことも心配だが、自分のできる限りあらゆる突発事態に備えて公演会場の前に救急車も待機させた」と覚悟を表わした。
「パデイは長時間の公演だ。観客は昨年の『パデイ-26年』の記録を越えて7時間公演をするという死地に私を追い込んだ」と冗談を投げて「皆も7時間を一緒にやれると蛮勇を振るったので覚悟しなさい。 私も覚悟はできている。 いつも高い水準の公演を見せてきたのだから」と変わった目つきを見せた。

そして、「今年やはり年末公演をやります」と予告して観客を喜ばせた。 当初イ・スンファンは今年に入って何回も今年は年末公演をしないという立場を明らかにしてきた。 しかしこの日「パデイ7」で今年の年末公演計画を公式に発表した。
「今年の年末公演は『オンリーバラード』をさらにアップグレードさせた公演だ。 大衆が好きなバラードで構成される。 「弾けて駆ける」公演と違いヒット曲をたくさん聞くことができ、すべすべした顔で家に帰ることができる」と今年の年末公演のコンセプトを明らかにした。 今回の「パデイ7」をネット中継を、第1部を除いて第2部と第3部だけにしたのは視聴者の集中度をそがないためだったが、この日 第1部が年末公演のコンセプトと一部重なるためであるとも話した。
「音楽と公演に投資は絶対に惜しまないつもりだ。 公演にたくさん来てほしい。 公演で得る収益はすべて音楽と公演に戻る。 ドリームファクトリーは『ピン撥ねをしない』ということを知りませんか?」と尋ねて大きな拍手を受けた。


なぜこういう高度な体力と精神力を要する長時間の公演「パデイ」を再度行うのかという質問をたくさん受けたとして「昨年‘パデイ-26年’が終わった後の喜びが忘れられなかった。 バンドは仰天したが、いつかは.. 100曲? そんな公演もしてみたい」と明らかにした。
「来年は9月頃に‘パデイ’を開きたい。 今度の‘パデイ’コンセプトはまさに‘イ・スンファン フェスティバル’だ”として公演会場内大型スクリーンに他の音楽フェスのように作られたタイムテーブルを写した。
まだ構想中でるとはいえ当惑するほどのタイムテーブルを見てみると、午後1時から午後1時40分まで40分間出演者イ・スンファン、午後2時から午後2時50分まで50分間出演者イ・スンファン、午後3時10分から午後4時まで50分間出演者イ・スンファンで‘前半戦’が終わる。 引き続き午後4時20分から午後5時まで40分間はゲストの公演が続く。
後半に入った午後5時20分から午後6時30分まで1時間10分の間出演者イ・スンファン、午後6時50分から午後8時10分まで1時間20分の間出演者イ・スンファン、午後8時30分から午後9時55分まで1時間25分の間出演者イ・スンファンで、初めから最後までイ・スンファンで満たされた公演だ。

このタイムテーブルのとおりに公演がなされる場合、イ・スンファンが出演する時間は合計375分、6時間15分に達する。 もちろん先に述べたようにまだ構想段階のタイムテーブルだ。
「‘フェスティバル’らしく気楽にゴザでも敷いて遊ぼう。 私を見るために前列を死守していないで、歩き回って楽しんでほしい。そばに別のステージを作って後輩ミュージシャンも出演して、観客も行ったり来たりしてフードコートでご飯も食べるなど公演を 楽しむ ことができるフェスティバルになるだろう」と構想中の計画を公開した。
「まぁまだ計画だけですけどね。 こういう行事に関心があるフードコートや企業からの連絡を待っています。 ‘イ・スンファン フェスティバル’でない他の名前のフェスティバルに公演名を変更することもできますよ」としらじらしく話した。
しかし、まもなく目つきが変わって「私の名をつけたフェスティバルだけに他のどんなフェスティバルにも負けないものにする自信がある。まだ計画中だが必ず成功させたい」と抱負を表わした。


最初の強制召喚対象者は、キムグヮンジン。
「パデイ7」9番目の曲を歌う前、「次に歌う歌は親しい間柄のキムグヮンジンが作曲した曲。多くの人たちが好きな歌だ。 しかし、キムグヮンジンが作曲した曲なので、大きな愛情はない。 私は事実その次に歌う曲にもっと愛情がある。 私が作曲したものだから。」とジョークを飛ばして、観客を爆笑させた。 さらに、カメラに向けて「キムグヮンジン、見ているのか?」と挑発してもっと大きな笑いをもたらした。こんなふうに‘ディス’ってはいるが、実際は二人は仲がいいと知られている。 イ・スンファンはキム・グァンジンの「ザ・クラシック」というアルバムを製作したし、キム・グァンジンはイ・スンファンの「ダンクシュート」、「私に」等を作曲するなど音楽的交流が活発だった。 イ・スンファンは「ザ・クラシック」再結成コンサートにも出演した。 当時キム・グァンジンは「自分たちだけでは潰れそうだったがイ・スンファンが助けになってくれた。 自分たちでは公演の細かな部分まで気を遣えないのに、彼が本当にアイディアが多くて助けてくれた」と謝意を表わした。

キムグヮンジンはこれに先立って、イ・スンファンについて「私が再び音楽生活を開始するようになった決定的な影響を与えた人」とし、「私の自伝的な歌である『ダンクシュート』も、よく知られた『私に』も、実はイ・スンファンが作曲にも参加したが、いずれも作曲者を私の名前にしてくれた。 この二つの歌が同時にヒットしてから私が作曲家として名前が出るようになった」と明らかにした。9曲目でキム・グァンジンが作曲した「彼が彼女に会った時」を甘美に歌った。 引き続き「彼が彼女に会った時」より愛情があるという、本人が作曲した「私が望む私」を淡々と歌って感動を与えた。

二番目の強制召還対象者は後輩歌手のチョン・ジュンイルだった。 イ・スンファンは最近発売した新曲‘ただみなサヨナラ’のことについてチョン・ジュンイルに言及した。
新曲‘ただみなサヨナラ’が思ったよりも売れていないことのを惜しんで「自分の周辺の評判は良かった。 特に後輩チョン・ジュンイルは『兄さん、大ヒットですよ!』として売上チャート30位圏に入ると大言壮語したので賭けをしたんだ。賭けの内容は残忍で詳しく話せないが..」と話した。
「ご存じのようにこの曲はチャートでそれだけの成績は出せなかった。 それでチョン・ジュンイルに賭けの話をしたんだが、それには触れずに『兄さん、今日のコンサートがんばってください』とか別のことばかりならべている」と明らかにして笑いを誘った。
そして「チョン・ジュンイル親指切断角※、チョン・ジュンイル見ているか?」という言葉でチョン・ジュンイルとイ・スンファンのぞっとする賭けの内容が何だったのか推察させた。
チョン・ジュンイルとイ・スンファンは過去MBC黄金漁場-ラジオスターで共演をして公演にも互いに助け合うなど関係を継続している。 「チョン・ジュンイルは歌が上手だということより音楽的な全体の森を見るミュージシャン。考えたことを音楽で表現するのが難しいが、チョン・ジュンイルはそれをする」と絶賛した。

最後の強制召還対象者は「ドリームファクトリーの叔父と姪」の間柄で知られるパク・シネであった。 パク・シネはイ・スンファンと年齢差を跳び越えた厚い友情を自慢している。
「 パク・シネが昨年に続き今回も非常に来たがった」と明らかにした。 パク・シネは昨年6時間21分に達する長時間公演である‘パデイ-26年’の時、2階客席でファンたちも認める程楽しく公演を楽しんだ。 イ・スンファンは‘パデイ-26年’公演中「本来公演に招待券がないのだがパク・シネが非常に来たがったので特別にパク・シネにだけ招待券を与えた。 ファンたちの了解を求める」と案内することもした。 もちろんファンたちは全部拍手と歓呼で答えた。
しかしイ・スンファンは「今年の‘パデイ7’は招待券も、不法チケットもない公演だ。 それで昨年のようにパク・シネに招待券を与えられなかった。 キム・ヨンナン法がどのように適用されるかも知れなくて。それで悩んで公演2~3日前パク・シネに‘君が私の公演に出演をするならば大丈夫でないだろうか’提案した」と話した。

イ・スンファンが提案した内容はパク・シネのダンス。パク・シネは2003年イ・スンファン‘終末’コンサートで激烈なダンスを披露した。 当時ドリームファクトリー所属子役だったパク・シネはイ・スンファンの‘踊り風’の中間に登場、ヘッドバングを含んだパワフルなダンス舞台で観客を放心させた。 この時の姿はオンラインでも大きな話題になった。
「パク・シネに‘パデイ7’でもそのような舞台を整えることができないかと思ったが、パク・シネが‘叔父さん、もう体が以前とは違います’と答えた」と話した。引き続きイ・スンファンは「それでもシネさん、家でネイバーVライブで見ているでしょう。 パク・シネ、見ているか?」と言及して温かい雰囲気を作った。



イ・スンファンは、ファンに対して愛想がないという評判だ。 ある程度の線を超えないことを重要視している。 「私を自分の所有だと思っているファンもいる。 ファンだからといって全部良いわけではないと思う。 変なファンたちもすごく多い」などためらわずに言う。よっぽどでなければ、ファンたちも分かってイスンファンとの距離4mを維持するという冗談があるだろうか。
そんな彼もたまにはファンに対して警戒を緩めて本音を打ち明けるときがある。 それが「非常にたまに」であってもファンを瞬時にとかすのが、妙なイ・スンファンの魅力だ。

昨年‘パデイ-26年’でイ・スンファンはそのようなファンたちとの距離を狭めるコメントをたくさんした。 「今日は顔が全部見えますね」とい言ったり‘三つ願い’を歌う間拍子を間違えても「興がわいてそう」、「ムロボンダ」を歌いながら「我々のパたち、我々のDF民たち」と叫んだ。 「家族」の最後には歌で自身の心を伝えるはずだったのに最後のところの 「愛してます」を恥ずかしがって代わりに歌ってくれと言った、結局「指ハート」を始まりにファンたちに「3段ハート」を飛ばした。
絶頂は「優しい私の友人」を歌った時だった。 歌の前にファンの1人が「愛してます!」と叫ぶとすぐに「ありがとう、優しい私の友人」とシックに答えたイ・スンファンは曲が終わる頃「私も愛してます」と話して、ファンたちは耳を疑った。 公演によく通うファンたちも聞くのが難しかった話だ。 もちろん後でイ・スンファンは“ハイテンションになりすぎた”と後悔するような発言で笑ったが。
「パデイ」はイ・スンファンが少しずつファンたちに心を開いて近付くことが明確に見える公演だ。 長時間なのはもちろん、彼に合わせ上方修正されたチケット価格などを考慮すれば‘パデイ’はイ・スンファンの単純な‘ファン’でなくマニア的なファンたちを指し示す‘パ’らとの空間なので、スキンシップが増えるのだと思われる。

今年の‘パデイ7’でもそのような瞬間があった。
この日イ・スンファンは先立って発表した‘10億光年の信号’や最近発表した新曲‘ただみなアンニョン’を含んだ「Fall to Fly-後」アルバムに対して言及した。イ・スンファンは「人々は私がどんな音楽をしても関心がないということを知った。 私がどんな話をするかにばかり関心がある、しかし、私のファンは分かるんだ。 私はいつも進化しているということを」と切り出した。
「音源やアルバムが初めて出る日はいつも緊張してドキドキする。 しかし、最近はチャートで光脱(光速脱落、チャート順位圏から取り残されること)しても、1日ぐらい憂鬱なだけだ。 大きな期待がないので。そこで考えた。 私がどんな音楽をしても世間は関心がないのなら、他と同じような音楽をしないでもう少し別の、一際洗練された音楽をしたらいい」と予告した。「私が進化しているということを皆さんが知っているので、それで良い」とし、感謝の気持ちを伝えた。
以後イ・スンファンは社会懸案に対する考えを話して雰囲気が硬直すると思うとすぐに「大丈夫、笑って。とても抑圧されていますね」と話して雰囲気を解いた。
「多分私の音楽が好きな方々はある程度は私の考え、あるいは人生の方向を応援したり、微弱だけれど志を同じくしてるのではないかと思う。 それで多くの力をもらう。私が事実皆さんを‘百’信じてこういう話するのでなければどうでしょうか”として拍手を受けた。
引き続き「狂牛病問題当時が思い出される。 ‘背後’が誰なのか明らかにしろといった誰かの言葉が」として「私の背後は皆さんで皆さんの背後もまた、私です」と話して大きい歓呼を呼びおこした。
最後にイ・スンファンは「心から皆さんの人生と夢を真に応援します。 なぜなら私のファンだから、私側であるから」という話をしてファンたちを感動させた。

この日‘パデイ7’公演はインターミッションなどを除いた純粋公演時間だけ何と8時間27分35.56秒を記録した。 国内アーティスト単独公演には最長時間記録. 8日午後4時に始めた公演は日を渡して9日午前1時50分に終わった。 だが、公演が終った後外に出てきたファンたちはみな「もっと遊びたかった」を連発した。
長時間の公演だったがファンたちはかえって尻上がりにさらに熱狂して公演会場に居続けた。 イ・スンファンが単に時間だけに執着するのではなく、8時間27分余を飛び回り遊び続けることができる「ござ」はすなわち「パ」らだった。 イ・スンファンがなぜ唯一「パデイ」で「ハイ テンション」になるのか推察できる部分だ。 このような素敵なファンたちを置いてどうして興奮できないことがあろうか。 それによってファンたちが分かっていたイ・スンファンの姿とまた他のイ・スンファンの姿を見ることができた公演、まさに‘パデイ’であった。 8時間27分は‘誰かの7時間’よりはるかに意味ある、言葉や文章で説明するのが難しい、イ・スンファンと‘トゥペンミン’らのそのしっかりした何かを証明した時間だった。

8時間27分を「残酷だった」ファンたちはもう「善良に」生きる準備中だ。 大記録を作成したイ・スンファンはわずか一週間後に「善良に生きよう-言中有曲」を開催、本人が最も愛するという公演場に帰って来る。 収益金を韓国白血病児財団に全額寄付してきている国内最長慈善公演「善良に生きよう」は10月15日、ソウルオリンピック公園88号水辺ステージで開かれる。 16番目の「善良に生きよう」には柳時敏(ユ・シミン)作家と漫画家カンプル、チュ・ジンウ記者、クヒョンモ学生のゲスト出演が決まっている。

五月天の阿信の話 2

2016年10月22日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen
きのうの続き。

阿信に「実は・・・五月天のCD持ってない」って言うと、「友達に焼いてもらったらいいよ。」とか言ってたのは覚えています。焼くとか言っていいのか?!社長も近くにいるぞ!みたいなことを思った覚えが^^;
こんなに、ビッグなバンドになるとはその頃全く思っていなくて、かわいい男の子たちだなと思っていただけでした。今や、中華圏は言うに及ばず、日本武道館でコンサートをやるほどのバンドですよ。

この顛末をRENEファンサイトのYUTAKAさんが以前サイトに載せていましたので、(ちょっと編集して)転載します。
台湾音楽業界って昔は小さかったし、スターぶる人がいなくてファンとの距離が近い印象が強いです。陳昇の周りの人たちは特に。


元記事はこちら
陳昇跨年演唱会&初めてのRENE 2000/12/30~2001/1/6

ライブが終わって、ホールの外でタムロッていると、出演者が屋上から手を振ってくれている。RENEもいるよ!!お~い!RENEぇ~!大きく手を振って叫んだよぉ。そうしたら、それを一緒に見上げている人がいる。おでこにラメの2001をつけたヘンなおじさんだ。いや、ロックの社長だ。

「よかったらこない?パーティがあるよ。」だって。ほんとにいいのかな?って感じやったけど、ドキドキしながら連れて行かれる。周りはスタッフばかりで、遠慮せずになんでも食べてね、とかいわれたけど、とっても浮いてる感じ。同じテーブルには文夏さんと奥さん。後ろのテーブルには五月天。ぼくがとっても大好きなMTVを撮られる馬宜中さんもいる。もちろんBobbyやバックバンドのみんなも。それから萬芳もいる。

(中略)

それからとってもいい感じだったのが、五月天の阿信。彼とはYOKOさんを交えて、15分くらいお話したかな?CDはもってるんだけど、そんなに大ファンって感じじゃないので、気楽にお話できる。25歳?なのにまだ学生だっていうからなんで?って聞いたら、「勉強が好きじゃないから」だって。当兵(兵役)の時期を、みんなメンバーであわせるため、だとか後できいたけど。富士山の傍で録音をしたことや、春に大学のフィールドワーク(建築)かなにかで、日本にも来るらしいことなどいろいろお話した。最後にYOKOさんがCD一枚も持っていないことを告白すると、

「彼(YUTAKA)にかりたらいいよ。いや、彼にMDかなにかに落としてもらえばいいよ。」 そんなこと言って良いのか?阿信!YOKOさんが

「たくさん売れてるから気にならないよね?」と言うと、 「ううん。CD出せること自体でもう十分うれしいから、そんなことはDon't care」
おぉ!いい奴じゃん。彼ともこの後もう一度会うことに。

(後略)


この話に出てくる「ロックの社長さん」というのは、台湾のロックレコード(滾石)社長の段鍾沂のことですね。その年、陳昇の跨年コンサートを見ていた我ら日本人ファンの一団は、終演後にこの社長さんに、打ち上げにお招きいただいて、乱入したのでした。

五月天の阿信の話 1

2016年10月21日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen
19日に台北アリーナで周華健の30周年コンサートがありました。
それがなんとyoutubeで中継されていて、自宅のパソコンで鑑賞しました。中華圏で30年間人気を誇る歌手ですが、驚くほどアクセスが少なくて、全く途切れたりすることもなく、まるでテレビを見てるような感覚で鑑賞できました。(聞いたところによると中国では別の会社で配信されたため、youtubeではサクサク見られたらしい)

いや〜すごい時代になったものです。
先日のイスンファンのコンサートもこういうふうに配信されたんですよね。
スゴイ!

周華健という人は日本でも知ってる人多いかもしれません。喜納昌吉の「花」をカバーして中華圏で大大ヒットさせた人です。実は、ファンクラブ入ってました。コンサートが見たくて、情報を得るために(インターネット普及以前の話)、ファンクラブのおかげで、台湾でコンサートを見ることもできました。1997年のことです。台北市運動場という今台北アリーナが建ってるところで開催された野外コンサートでした。
懐かしいなぁ。

周華健 Wakin Chau【花心 The flowery heart】Official Music Video




で、その台北アリーナの周華健のコンサートを見てたわけですが、後半ゲストがたくさんやってきました。リッチー・レン、ジョナサン・リー、ターシー・スー、そして五月天。五月天は自身の最初期のヒット曲「志明與春嬌」を歌いました。台湾語の歌で、周華健が台湾語を歌うの珍しい。

一緒に見てた夫が「そういえば阿信本人この歌のこと聞いたことあったよね?」と言い出しました。あ、そういえばそんなことがあったような…すっかり忘れてた。「志明と春嬌」は、五月天がヒットさせる随分前に、陳昇の歌にも同じ名前が出てくる別の歌があって、「志明」は男性の名、「春嬌」は女性の名で、この人名には何かあるのかな?と思っていたんです。で、ある時(陳昇のコンサートに五月天がゲストで出てきた後)、阿信と話ができる機会があり、気になっていたこと「この志明と春嬌って誰なの?何か曰くのある人?」みたいな質問をしたんです。文化が違うと分からないこと、いろいろありますから。その答えは何だったか??古い物語の登場人物だったか、台湾にはありふれた名前ってだけだったか、そんな話で(完全にうろ覚え)恋人同士という比喩に使われてたようです。

この会話、当時は全部英語でやったんですよね。
そんなことを突然思い出しました。
このとき、阿信はまだ彼は学生だったので、勉強の話とか、日本に実習で来るとかレコーディングで来たとか、そんなことも話をしました。ファンの人から見たら羨ましいような話かもしれないですね。


五月天 Mayday【志明與春嬌 Peter&Mary】Official Music Video


ついでに陳昇の 春嬌和志明 も。

潘越雲 陳昇-春嬌和志明 (官方完整版Comix)(HD)




陳昇跨年演唱會2017

2016年10月19日 |  └─【特集】陳昇 Bobby Chen


今度で23年目になる陳昇の年越しコンサート。アーチスト公式が面白いイラストを公開しました。ここへ至るまでの毎年の年越しコンサートタイトルを鉄道路線図のように並べてます。今度のはタイトル的には「2017年越しコンサート」なんだけど、開催は2016年末なのでこの図ではすべての年で年末の数字になってるようです。

私は「新楽園」という回、1997年末のものから参加するようになったので今度で20年になります。
年越しコンサートとは言っても、大晦日その日だけでなく、2〜3日間やるので、平均2回✖️20年で、年越しコンサートだけでも40回見ることになんだなぁ。そして毎回平均5〜6時間やるので、時間に換算したら200時間以上…恐ろしいくらい、見てるってことですね。

今年も12/30と12/31の二日間皆勤する予定。

今年のタイトル「沒完沒了」というのはいつまでも終わらない、キリがない、くどい、というような意味のようですね。このイラストに寄せられたファンのコメントは「この列車は乗ったが最後いつまでも降りられない」「ほんとにキリがない」(笑)私も降り時を失っております…

イ・スンファンと陳昇

2016年10月18日 |   └─POPS韓国
「祭り」が始まるとブログの記事がそればかりになるから、分かり易いですね。私って。

イスンファンも27年間のキャリアの中でコンサートをかなり力を入れてやってきた自負があるらしい。もちろんアルバムも丁寧に作ってきたという自負はもっとあるのかも。
そうなると思い浮かべるのは、やはり陳昇ですよ。
陳昇もコンサート歌手というのが世間の共通認識かどうかはわからないけど私はそう認識してます。イスンファンとはかなり傾向が違うけど・・・。


ここのところイスンファンにまつわるものを色々見てきて、陳昇と似てるところがあるのに気が付きました。誰の得にもならないけど、書かずにいられないので書いておきます。


イ・スンファンと陳昇の共通点

★長時間ライブをやる

イスンファンは、去年6時間21分、今年8時間27分 という記録をたたき出して、その記録にもこだわっているのがはっきり分かるのは、秒単位まで出す必要あるの?ってとこですが。まぁ、それはともかく、長時間のライブができる歌手ですね。
陳昇は、この人もコンサートが長いのが有名で、私が毎年参加してる「跨年(年越し)コンサート」は5時間、6時間は当たり前で、7時間くらいやった時もあり、しかもそれを連続2~3日、20何年連続でやってるということですね。今度はどのくらいやするのかな。もう少し短くていいんだけど・・・。


★コンサートに見に来る客の顔ぶれが変わらない

陳昇のコンサートでは、こういう話をするのが毎回定番で、「毎年コンサートやっても、来る人は変わらない。ただ、座る席が年によってちょっとずつ変わるだけ」という自虐ネタは良くきく。

そうしたら、イスンファンもそういうことしゃべってるっぽい。
「どんどん新しいことやってるけど、見に来る人はいつも同じ」って。

これは、ある程度キャリアを重ねた歌手なら割とみんなそうでしょう。
新しいファンをつかむことももちろん多いのだろうけど、前の方の良い席を買い占めるのは、年季の入った筋金入りのファンたちになるから、ステージから見えるところにいるのが見知った顔になってしまうのは仕方ない。こういうファンのこと、中国語では「死忠」のといい、韓国語では「骨髄の」というようですね。


★観客が高齢化する・・・

これもさっきの話と関連するけど、ファンの顔ぶれが変わらないということは、皆いっしょに歳をとっていくのですね。
イスンファンは、コンサートでよく「歌手の高齢化に伴って観客の高齢化も・・・」と笑いをとっていますし、陳昇のコンサートでも「そのうちこのシート全部、博愛座(シルバーシート)になるね」とかよく言ってます。

でもこれって、悪くないですよね。
イスンファンはどう思ってるか、まだわかりませんが、陳昇たちは喜んでいるように思えます。いつだったかのMCで、「昔、若い男が一人でコンサートに来てて、そのあと彼女と二人で来て、いつの間にか結婚して二人で来て、そのうち子どもを連れてくるようになって。」っていうようなことを話していました。このようにファンと共に人生を歩くような感覚は、悪くないものでしょうね。


★女優さんを育てる

イスンファンの場合は「パクシネ」、陳昇の場合は「レネリウ(劉若英)」ですね。
パクシネのことは、名前くらいしか知らないのですが、実力も人気もある女優さんのようですね。レネリウはもう、女優としても歌手としても中華圏では堂々たる地位を得ている女優さんです。

面白いのは、この二人とも、売れてくるまでは手元において育てておいて、売れてきたら自分の事務所から外に出してしまってることです。偶然なのかもしれないけど、面白いと思います。下積みの時期に、表現者としてどうあるべきか、スターになっても自分を保っていられるか、などの教育をして、満を持して外に出した。もちろん、大スターの事務所として彼らの場所はふさわしくなかったということもあるでしょうけど、ちょっと変わり者の先生に育てられたおかげで、彼女たちのその後の成功があるのではないかなと思います。レネに関しては特にそう思います。

そのほか、二人とも個人事務所で、音楽プロデューサーで、ってところも同じですけど、そういう人は他にもいっぱいいるから。。。

イスンファンのこと、これまで音盤以外の部分を良く知らなかったのですが、ちょっとかじってみたら陳昇と共通点があって嬉しかった。ちょっと見は全く似てませんけどね。音楽の方向も人柄も何もかも。







初ライブまでに書いた過去記事

韓国ポップスの話
最近買ったCD
韓国で買ってきたCD
イ・スンファン「フランダースの犬」
次の宿題 イスンファンのコンサート
イスンファンライブの状況
ついにイ・スンファンが日本で単独ライブ!
イスンファンライブに向け課題曲 その1
イスンファン予習 setlist研究

イ・スンファン 来日コンサートへのコメント

イ・スンファン「10億光年の信号」ショーケースのMC

2016年10月17日 |   └─POPS韓国
今年の3月にイ・スンファンの来日公演を見て、それから一気に韓国語だとかイ・スンファン祭りに突入してたのですが、熊本地震ショックで祭りが終了しました。それが今月「パデイ」に行ってから、再燃中です。

20年以上前から聴いてきたのに、ライブで知らない曲が想像以上に多かったのが忸怩たる思いで。ただいま反省しつつ復習中です。別にそんなに真面目に考えることはないんですけど、こういう情熱のあるうちにやれることやっておくのも楽しからずや。

その一環として、ネットに載ってる記事やファンが書いたものなんかを拾って来ては、機械翻訳にかけて読んだりしてます。それで例の「幽霊騒動※」(あれはもう20年近くも前のことなんですね)の顛末もようやく知りました。別にそんなことは知っても知らなくても音楽聞くのに関係ないわけですが、それでも自分が行ったコンサートで、観客に向けて話をしている内容がかけらもわからないというのも寂しく、この人はどんなことをしゃべる人なんだろうか。。。。ということを少しはわかりたいのです。

 ※イ・スンファンの幽霊騒動
  1997年に彼が出したある曲のMVに幽霊が映っていると騒ぎになった事件。
  話題作りのためにわざわざ合成した、という意地の悪い見方が優勢だった。
  実際は濡れ衣で、幽霊(?)部分はもともと削除してあった。


「V-LIVE」というサイトで、今年4月に行われた新曲発表会の動画が見られるのですが、そこに、マルチリンガルの字幕が付いていることに気が付きました。このライブは当日に生中継を見ましたが、その時の字幕は非常に不十分なものでした。今見にいくと、イ・スンファンがしゃべったことが逐一字幕に載っています。そしてなんと日本語字幕もあったのです。

ただ、日本語は機械翻訳にかけただけのようですね。だいたいの意味は分かりましたが。
英語や中国語はちゃんと人間が訳しているようで、韓国語、英語、中国語を順繰りに見ながら(もちろん韓国語は辞書を引きながら)MCの内容を自分なりに訳してみました。(すごく時間がかかりました)



なるほど~~~~

こういうことをしゃべっていたのか!

ありがとう! V-LIVE!



その動画はここです。日本語字幕は変ですけどね。

「10億光年の信号」ショーケース

韓国語は敬語がしっかりあるので、それを日本語に直訳していくとすごく面白い感じになります。一方、英語や中国語だけ読んでると、とってもフランクに話してるように感じるので、比べてみると、言葉って面白いな~と思います。


へ~と思ったのは、
このショーケースの中で遊びの企画として「SHの4大強点」というコーナーがあり、本人が自分のこれまでの仕事や性格などを自慢する(違)のですが、これは、李明博元大統領の政策「4大河川」事業をもじった風刺コーナーだったということを知りました。どうりで「掘って掘って」「建てて建てて」とか音楽には似合わない言葉を使うな~と思ったんです。彼は、現朴政権にも批判的なようですが、けっこう政治的スタンスを明らかにしてるんですね。

それと、自虐ネタが多いということもわかった。
熱心なファンに対してはぞんざいな言葉遣いになるのもわかった(笑)
ファンに「サランヘヨ~(愛してる)!」という言葉を絶対使いたくないということもわかった(大笑)


あと、一つ。
彼の音楽業界についての考え方が、ちょっと気になる。
「売れる」ということ二とてもこだわってるようなのだけど、何でそこまで?と思ってしまう。彼ほどのキャリアがあれば、そんなにこだわらなくてもいいのじゃないのかな?もう少し自由になって音楽を楽しんでやってほしいな~。幽霊騒動もその一因かもしれないが、彼の中に業界不信のようなものがあるみたい。まだ私は、この問題の入り口に立ったばかりなので、きっとこれから深く知れば色々なことがわかるんだろうけれど。

ま、そういう、自分の内にある「良い部分」「マイナスな部分」どちらも表に出してるという意味で、表ウラのない人なのかもしれないな。

とにかく愛すべき人物というのは伝わります。
だからファンはずっとついてくるんでしょうね。












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イ・スンファン 来日コンサートへのコメント



「パデイ」の意味がやっとわかった

2016年10月16日 |   └─POPS韓国
先日行ってきたイ・スンファンのコンサート「빠데이(パデイ)」の意味がわからずにいましたが、今日偶然インスタグラムにあった動画につけられた、韓国のファンの書き込みを見てわかりました。

「パデイの後のパたちの健康を心配してくれる〜」とかいう文章で、こうなると、「パ」というのはファンのことですね。調べてみたら、熱狂的なファンのことを指すようですね。
「ファンのデイ」「ファンの日」って意味になりますか。
そういえば、同じくパデイの写真についたタブで 「big fan's day」とかいうのがあった気も。


以下その書き込み引用します。

빠데이 후 빠들의 건강 걱정해주시는 다정환~^^
역시 다들 곱게 튼튼하게 늙었다고ㅋㅋ
안티에이징 가수님 덕분이지요

無理訳
パデイのあと パたちの健康 心配してくださる다정환
やはり、みんな きれいに 丈夫に 歳をとって ふふ
アンチエイジング歌手様のおかげでしょうね

アンチエイジング歌手っていうのも面白い言い方。
「다정환」がこれまたわからないけど、最後の「ファン」は「イスンファン」と掛けているのか?
다정は「多情」と読めるけど、この語感悪い意味はないの?
こういうどうでもいいことが気になる性格です。私。






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コンサート見に韓国へ 小遣いメモ

2016年10月13日 | ☆旅行─韓国
今回の旅の支出

★飛行機(JAL) ¥35,770
★コンサートチケット ¥28,000
★宿 ゲストハウス W25,000
   ホテル   W 148,824
★交通 T-moneyにチャージ W30,000
★食費 サンパプ W10,000
    コーヒー W3,500
    伝統茶院 W7,000
★買い物 コンサートグッズのパーカ W62,000
     限定シングルCD      W11,000
★お土産(空港でお菓子と海苔)W30,000


日本円合計 ¥63,770
韓国ウォン合計 W327,324 ⇒ 33,000円



ざっと合計 100,330円

ちなみに、空港で両替した時のレート
¥5,000⇒W49,500
このレートで考えるとW286,000のチケットを¥28,000で受け取ってしまったのは、良かったのだろうか?
その方の交換した時のレートでは大丈夫だったのかな。

韓国旅行雑感

2016年10月12日 | ☆旅行─韓国
7年ぶりに韓国に行って感じたことを少しまとめておこうと思います、
これまでさんざん書いてますが、今回の旅行は滞在時間も短く、しかも、起きている時間の大半をコンサート見ていたので普通の旅行とは随分違うのですが、それでも感じることがありました。

一番感じたのは、韓国と日本は「似てる」ということです。

韓国行くの10回目で、初めてこういう感想です。今までは違うところにばかり目が行ってたのですが、今回は似てることばかり目につきました。

空港が似てる
地下鉄が似てる
道路が似てる
コンサートの鑑賞スタイルが似てる

空港、地下鉄などの大きなものが似ているのはなぜなんだろう?おそらく、お金をかけてデザインを決定するとき、こんな風なのが好ましいという方向が同じなんだろうと思いました。
色使いやデザインが似てる。日本にいるような感覚でした。

地下鉄も。ホームに自動販売機があるのも同じだし、ホームの妙な位置に柱があったりするのも。

道路は、車道と歩道の作り方が似ててデザインに違和感なし。韓国は車が右で台湾と同じなんだけど、日本っぽい。

そしてコンサートの鑑賞スタイル。これは、イスンファンのコンサートだけの話かも、他を見てないからサンプル少ないですが、そして比べる対象が台湾、香港、シンガポールあたりだけだけど。日本に近い。

私がこれまで数多く参加してきた中華圏のコンサートは、みんな自由に気楽に見てる。歌手が歌ってても隣の人とおしゃべりしたり平気でしてる。日本だとそんなことなくて、ちゃんと歌を聞こうという姿勢をすごく感じるものだけど、今回それを感じた。

韓国と日本、両方を訪れる人たち、どっちがどっちか分からなくなったりするかもと思うほど。


隣同士の国は仲が悪いというのは世界共通らしい。行き来が多くなれば摩擦も増える。そこに韓国と日本は、この似てる点が加わって更にこじれやすくなるのかもと思った。兄弟みたいなものかもな〜。

빠데이7 セットリスト

2016年10月11日 |   └─POPS韓国
公式発表 全77曲だそうですね。公式FBに載っていました。
このリストで当日のことを思い出そう。記憶を頼って休憩も入れてみました。

빠데이7

第一部

1. 꽃
2. 좋은 날
3. 이 노래
4. a song for you

5. 기다림
6. 푸른 아침 상념
7. 사랑 착각 상처
8. 그대는 모릅니다

9. 그가 그녈 만났을 때
10. 내가 바라는 나
11. 가만히 있으라
12. sorry
13. 내게만 일어나는 일

14. 아무 말도
15. 참 쓰다
16. 내 어머니
17. 애원

18. 넌 아냐
19. 마지막 인사
20. 승리
21. 안식

22. 내 생애 최고의 여자


<休憩>

第二部

23. 세상에 뿌려진 사랑만큼
24. 사랑하나요

25. 그 한 사람
26. 천일동안

27. 덩크슛
28. 제리제리고고

29. 내 맘이 안 그래
30. 당부

31. 텅빈 마음
32. 너를 향한 마음

33. 내게
34. 다만ー

35. 가족
36. 세가지 소원
37. 잘못

38. 심장병
39. 울다

40. 완벽한 추억
41. 화양연화
42. 그저 다 안녕

43. dear son
44. fall to fly
45. 물어본다

46. 슈퍼히어로
47. 그냥 그런 이야기
48. 붉은 낙타
49. 롹스타 되기

50. 달빛소녀
51. 위험한 낙원


<休憩>

第三部

52. 루머
53. 구식사랑
54. warning

55. 어른이 아니네
56. 지구와 달과 나
57. Happily Ever After

58. 미용실에서
59. 악녀탄생
60. 춤바람
61. 못말리는 봉팔이
62. 착한 내 친구

63. 하찮은 사랑
64. 퀴즈쇼
65. 단독전쟁
66. 동지
67. 어둠 그 별빛
68. 그대가 그대를

ENCORE
69. Rewind
70. 이별에 대처하는 우리의 자세

71. 기다린 날도 지워질 날도+화려하지 않은 고백
72. 한 사람을 위한 마음+가을흔적
73. 세월이 가면

74. 흡혈귀
75. 소통의 오류

76. 10억 광년의 신호

77. 어떻게 사랑이 그래요


8時間以上歌って、77曲目(最後の曲)の動画がありました。
すごすぎませんか?
人間なのか?と疑うレベル・・・。

이승환 '빠데이 7' (8시간 27분 35.56초)- 77번째 곡 '어떻게 사랑이 그래요' (161008)



ちょっと興味があって、選曲の様子を調べてみました。各アルバムからどのくらい歌われているか。

1集 5
2集 2
3集 4
4集 5
5集 6
6集 4
7集 8
8集 5
9集 5
10集 4
11集 4
新曲 2
ミニアルバム3+3 5
他のミニアルバムやライブ盤 6
カバー 1
不明 11

2曲のメドレーもあったので全部で79曲になるはず。

でした。不明なのは私が知らないだけだと思います、ここ7年くらい韓国行ってなくて音源が手に入ってなかったりもしてるし。正式なアルバム以外に出てるのは追いかけるのが難しいので。7集からが多いのは2枚組だからかな?そう考えると、かなりまんべんなく選ばれてるのですね。


제리제리고고って昔から歌ってるけど、オリジナルアルバムには入ってないのですね。
위험한 낙원 もいったい初出はどこ?















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