キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

「大山道」道標~三軒茶屋

2017年11月30日 |  └─大山街道
涼しくなったら「大山詣り」してみようかな~なんて言っていたのに、もう12月になりますよ。半七親分の方へ寄り道したりして一向に進みませんが、一応、ここには行ったんですよ。10月の話ですが。

三軒茶屋駅前にある「大山道」の道標です。



この「三軒茶屋」と言う地名自体が、「大山道」と関係ありありでしょうね。
世田谷区教育委員会による、案内板が立っていました。



大山道道標

銘文
(正面)左相州道 大山道
(左側面)右富士 世田谷 登戸 道
(背面)天下太平国土安穏
    寛延二己巳年建立
    文化九壬申年(再)建
    石工 江戸木材町八丁目石田屋【花押】
    昭和三十一年丙申三月吉日石工石峯
    五穀成就万民家楽
(右側面)此方 二子道

年代 
寛延 二年(一七四九)、文化 九年(一八一二)再建

伝来 
大山道は、矢倉沢往還 の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政 期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分かれ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
大山は、古い民俗信仰である石尊信仰 と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸 町民などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピックの道路拡張などにより点々と移されたが、昭和五八年五月に三軒茶屋町会結成五十周年記念事業の一つとして、元の位置近くに復された。

備考
1.この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
1.相州道・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
1.富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。

昭和五十九年三月
世田谷区教育委員会



話は変わりますが、最近、落語の「百川」を聞き返しました。
この前日本橋に行ったときに、どうも「百川」の跡を歩いていたらしいです。
もう一度行って、今度はちゃんと「ひゃくべえ」さんと同じように「はせがわちょうのさんこうじんみち」の「か」の付く高名なヒトを探してみたいと思います。
わたしの東京江戸散歩も支離滅裂になってきましたが、乞うご期待。

「第二回イスンファンを歌おう!」

2017年11月28日 |   └─POPS韓国

このブログでも告知してました「第二回イスンファンを歌おう!」カラオケ大会。
とても賑やかに開催いたしました!以下レポートしまーす。
前回は5名だった参加者も今回は8名となりました。東京だけでなく、関西や愛知、静岡からも参加があって、スケールが大きくなりました。

第一部は新大久保の韓国料理店でランチ。
私たちは予約していったので良かったですが、表には並んでる人多数でした。人気店のようです。
過去3回の来日コンサートでも会っていたり、前回のカラオケ会もあったので、参加メンバーもだんだん親しくなって来ています。今回はここにコメントもくださってるウンジョンさんが初対面でしたが、すぐに打ち解けて盛り上がりました。食事しながら、自己紹介やイスンファンの音楽との出会いなどを話しているうちカラオケの時間に。



第二部はカラオケ。
今回、大阪から初参加のパボセちゃんがすごいものを作って持ってきてくれました。横断幕!!
そして、今やってるイスンファンのコンサートツアーのポスターも!(これは韓国から持って帰ってきたくれたそうです。皆参加賞として貰って帰りました)


お店の人にテープを借りて、壁に貼りました。


ポスターは窓に貼りましたよ。

カラオケは約2時間。
韓国の機械で、ハングルで入力するので、曲の検索&予約はすべて韓国人の皆さんにお任せ。
その他のメンバーは流れてきた歌を適当にマイクを奪い合いながら(?)歌っていくスタイル♪楽ちんだ。カラオケ初参加のパボセちゃんが、「どのコンサートの曲目順にする? Origin? Only Ballad?」なんて聞いてきます。おぼえてるの? 通すぎる。
「じゃぁ、High End(今やってるコンサートツアー)でお願い」と言うと即効却下されました^^そりゃそうです、現在開催中のコンサートの内容は、全て終わるまでよそに漏らさないようにするのです。これから行く人の楽しみを奪わないためのファンたちのマナーですね。
イスンファンのコンサートよろしく、「紙飛行機」や「トレペ投げ」などもやりました。(これもパボセちゃんが大阪から持ってきてくれました)カラオケの様子は、ずっとライブで配信していたので、韓国のファンの人も少し見てくれていたようです。


「家族」「ムロボンダ」のあと。
お店の人が来ませんように(ふふふ)
もちろん、ちゃんと片づけましたよ。


静岡のお土産頂きました。
ギリシャのチョコとか、大阪のたこ焼きポテチなどもいただきました。
カラオケは2時間。
歌った歌のセットリストを載せてくれと言うリクエストもあったのですが…憶えてない。でも沢山予約した曲を残して部屋を出たのですが、最後の曲がちょうど「オットケサランイクレヨ」だったのは「神って」ましたね。


第三部
新大久保散策&韓国スーパーで買い物。
そのあと、コーヒータイム。でさらにおしゃべり。




第四部
ここまでで全体は解散となりましたが、夜行バスで大阪に帰るパボセちゃんとうちの夫婦で、ライオンビアホールに夕食食べに行きました。


遊び倒しました。
遠くからおこしいただいた皆様ありがとうございました。
サンヒョンさんには、お店の予約なども全部お任せしました。いつもありがとう~頼れる~♪
さて、第三回もあるかな?


おまけ。
そうそう、皆で食事しながら、カラオケしながら、散策しながら、さんざん「イスンファンが今頃東京来てたりしてね~呼べばよかったね~」なんて冗談云い合ってたんですが、あとで知った情報によると、本当にその日に東京来てたのでした。なんと!ホントに誘えばよかったですね(笑)






ヨーロッパの昔話 その形と本質 (岩波文庫)

2017年11月26日 | └─恩師
先日、恩師からご連絡をいただいて、今度岩波文庫に入った自分の翻訳本についての講義を行うから時間が取れたらおいで、とのことだったので、同期たちを誘って出かけてきました。なんでも80分講義を3コマ行うらしい。
すごい。
相変わらず先生はすごい。
87歳ですよ。

ちなみに、テキストはこの本。マックス・リュティと言うスイスの研究者により1947年に書かれた本で、日本では1969年に小澤先生の翻訳により出版されましたが、今年の夏、岩波文庫から改めて発行されました。

ヨーロッパの昔話――その形と本質 (岩波文庫)
マックス・リュティ
岩波書店



会場は、代々木のオリンピック記念青少年センター。
天気も良く、代々木公園の紅葉もキレイでした。




会場に行ってみると、なんと200人教室。当日の参加者は180人を超えているそうです。(定員を超えてしまったので、追加日程を出して少し分散してもらったのだそう。大人気です。)参加者は、先生の主宰されている「昔ばなし大学」の研究会参加者(基礎コースが終わってさらに勉強を続けている人たち)の関東地区の人たち。この講義は、これから全国9カ所で開催されていくそうですよ。いったい日本中にどれだけの教え子たちがいるのでしょうか???



私たちには、ほかの招待客~~岩波書店の人や、他の出版社の方、通信社の方、先生のお仲間の研究者の方々~~と一緒に「招待席」が用意されてました。「のぞきにおいで」と言う話だから、後ろの方にこっそり立って見るのかと思いきや、良い席をご用意していただき、これはしっかり講義を聴かなくては!
はじめに招待客の紹介などもあったのですが、私たち大学の教え子は「応援団(=やじうま=遊び仲間)」と紹介していただきました。真面目な「昔ばなし大学」の皆様に対して、ふざけた姿勢が申し訳ない気持ちですが、先生の愛情を感じます。ありがたいです。





講義は、小澤先生とマックス・リュティ先生との出会い、本の翻訳のいきさつなどから始まりました。
リュティのこの原書との出会いは、先生が東北の薬科大でドイツ語の先生をしていたころ、東京の紀伊國屋書店の洋書コーナーでたまたまこの本を手に取ったのが始まりだったのだそうです。当時リュティと言う名前も知らなかったけど、「Merchen~メルヒェン」とタイトルにあったので、素通りできずに買ってきて、読みだしたらその内容の斬新さにショックを受けたそうです。
それで、自分で翻訳を始め、リュティ宛に翻訳の許可を求める手紙を書いたのだそう。住所なども当然知らないので「スイス、チューリッヒ市、●×出版社、マックス・リュティ様」で出したのだって。そしてその手紙は無事リュティに届き、翻訳OKの返事をもらったのだそうです。

でも日本で出版してくれるところを探すのは大変で、やっと出してくれる出版社が見つかったのはいいのだけど、条件が「印税などはなし」だったそうです。そのことをスイス側に伝えると「わかりました。では、象徴的印税として、出来上がった本を出版社に5冊、リュティに5冊送ってくれるなら出版を認めましょう」ということになり、1969年に出版できたのだそうです。
その後、ドイツの大学に研究者として滞在中に、スイスまでリュティに会いに行った話も面白かったのですが、多分この話は先生の出している雑誌「子どもと昔話」のどの号かに書いてあったと思います。




講義は、この岩波文庫を一文ずつ漏らさず読みながら進んでいきました。ぜんぶ先生が読んでくれて、そこに解説がいろいろな例を織り交ぜてちりばめられます。なんという贅沢。本を読むのに、こんなに丁寧に読んだことないかも。(今までで一番丁寧に読んだのはこのブログでも長く展開していた「SHERLOCK」のセリフですね^^)
ノートも取りましたが、先生の解説を本に直接書き込みました。

80分なんてどんなに長いのかしら?と思っていたのですが、あっという間に時間が過ぎていき、3コマ終わってしまいました。かなり集中してたので、脳みそは疲れ果てていましたが^^小澤先生の話は、「語りのプロ」だなぁといつも感心させられます。面白くて面白くて、いつまでも聞いていたいと思わせられ、面白いだけでなく、話の内容はすっきり理解できるようになっているんです。
そしてその先生は、3コマの講義後も疲れも見せず、夜の「交流パーティー」へ出席されていました。
脱帽・・・。


今年から「昔ばなし大学」に参加して『基礎コース』を受講している友人がいるのですが、「その会は相当高度な内容だよね、私なんかとてもとても~」と言っていたので、どうもとんでもないところにお邪魔させてもらったようです。
ありがとうございました。
わたしは「昔ばなし」を勉強しているわけではありませんが、この講義で、本の読み方を教わったように思います。また、勉強するテーマとの出会い、勉強(研究)への取り組み方、先達との交流の仕方のヒントなども教えてもらったと思います。あ~すごかった。

会田莉凡リサイタル@シマムラストリングス秋葉原

2017年11月21日 |   └─クラシック


水戸室内で聴いたことのある若手バイオリニスト会田莉凡(あいだりぼん)さんのリサイタルに夫に誘われ出かけてきました。(夫はジャンルを問わず、若手の芸術家が好きみたいで、彼女のことも公式ブログやツイッターなどフォローしている様子)場所は秋葉原にある楽器店「シマムラストリングス秋葉原」
島村楽器の弦楽器専門店とのこと。



30人も入ればいっぱいの店内でのイベント、わたしはチェロが展示されているすれすれの席で、楽器を倒しちゃうんじゃないかとハラハラ。(なので席を少し離しました^^)


曲目は・・・
エルガー:愛の挨拶
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ
クライスラー:中国の太鼓
ラヴェル:ヴァイオリンとピアノのためのソナタト長調
ベートーヴェン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第5番「春」



ピアノの久保山菜摘さんとのデュオでした。
若い音楽家ふたり。

演奏の良さなど何もわかりませんが、うっとり聞かせてもらいました。
曲の合間にはご本人による曲紹介などもあって、親切でした^^
ラヴェルの2楽章「ブルース」は完全にジャズで、不思議でした。
チャイコフスキーは聞きながら、「いま昭和初年位だと思って聞いてみよう」などと想像を膨らませてみたり。
アルファ波がたくさん出ました(寝ていたわけではないですよ!)
今年はクラシックの演奏会にあまり行けなかったのですが、久々にこころを洗いました。


帰りは私の趣味に夫を付きあわせ、半七親分の神田三河町まで歩いきながらお稲荷さんめぐり。最後に「天然たい焼き」買いました。

半七捕物帳江戸散歩 切絵図で確認

2017年11月19日 |  └─半七捕物帳~江戸散歩
昨日の半七親分の足跡を訪ねる散歩。
切絵図で確認してみました。
この本を携えていけばよかったのですが、雨模様だったし荷物になるしで、帰宅後の確認です。

この本というのは光村推古書院発行の「東京時代MAP 大江戸編」です。
古地図(切絵図)の上に現在の地図をトレーシングペーパーで重ねてある凝った地図帳です。


東京時代MAP―大江戸編 (Time trip map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-)




まずは半七親分のいた神田三河町。



お稲荷さんの位置で現在の位置関係がわかりますね。昨日は御宿稲荷のところから淡路町駅(土井能登守屋敷あたり)まで歩いたので、知らず、三河町を1丁目から4丁目まで縦走していたことになります。
そうそう、この切絵図の上の方にある「歩兵屯所」は、半七物語の「歩兵の髪切り」の舞台ですね。

次に按針通り

按針町になっていますね。


小伝馬町の牢屋敷は牢獄と書いてあります。






さて、八丁堀の組屋敷はどうなってるんでしょう。
昨日もらった地図によると今の日比谷線八丁堀駅の南西側にあるようですが、



切絵図でみると八丁堀全体に広がってます。
どこもかしこも屋敷だったんですね。
今はオフィス街です。



半七捕物帳江戸散歩

2017年11月18日 |  └─半七捕物帳~江戸散歩


愛読している「半七捕物帳」ゆかりの場所を訪ねてきました。
半七は日本のシャーロックホームズ!
もちろん、ベーカー街、スコットランドヤードなどのように舞台になる土地があります。
八丁堀の組屋敷や小伝馬町の牢屋敷。
今日は、東京メトロ一日乗車券を買ってたずねます。




八丁堀!
ここは与力同心の組屋敷があったところですね。
今朝読んでた「河豚太鼓」という話でも、「八丁堀の旦那のところに報告に」という下りがでてきます。

組屋敷がどこにあるのかわからなかったので、芭蕉の句碑とか、堀部安兵衛の石碑などみて、そこから日本橋まで歩きます。江戸時代の距離感を味わいたくて。(日本橋の観光案内所でもらった観光地図に組屋敷跡の記載もあったので後日再訪予定)








八丁堀のシブイ建物。


日本橋!










三浦按針屋敷跡。
を通って、小伝馬町の牢屋敷跡へむかいます。ここもによく登場します。


牢屋敷跡は今は「十思公園」となっています。隣に十思スクエアという公共の施設があり、銭湯も入ってました。多分もとは小学校。



ここは、江戸時代に時を告げる鐘が置かれていて、その鐘も残してありました。



牢屋敷跡の発掘状況



この牢では安政の大獄で吉田松陰たちが処刑されているので、小吉田松陰終焉の地として石碑がありました。




小伝馬町から浅草へ向かいます。


隈研吾さん設計のの観光案内所。


8階展望台からの眺め。
仲見世。





浅草寺へ向かいます。
すごい人!!外国からの観光客がたくさん。そして、大きなキャリーバッグ持ってる人が多い。


五重塔のところを左に行くと…。
ありました!

 
 
ここに、昭和24年に作家のみなさんが岡本綺堂を讃えて立てた石碑があります。その名も「半七塚」







ここには他にもたくさんの石碑があります。


喜劇人の碑


映画弁士の碑


さて、これから神田の半七親分の家のところへ行ってみましょう。
ホームズで言うところのベーカー街ですね!


半七親分の家は「神田三河町」にありました。今の住所だと内神田です。鎌倉橋の近く。
でも面影なんて探せません。


ビルの間にしっかり残るこのおいなりさんは江戸時代からのもの。信心深い半七親分もきっとよくお参りしていたことでしょう。





『神田區三河町壹丁目鎮座御宿稲荷神社ハ天正ノ昔徳川家康公關東移封ノ際武藏國神田村ノ郷士ノ家ニ授宿セラル其庭中ニ宇迦能御魂ノ神祠アリ後幕府ヨリ公ノ足跡ヲ止メラレシ紀念トシテ社地ノ寄進有ケレバ茲ラ廣ク世ニ御宿稲荷ノ大神ト崇メ奉レリ。尚徳川氏江戸城ニ入城セラレテノチ此地ニ三河國ヨリ臣下ノ永住スル者年ト共ニ増加シ遂ニ三河町ト稱スルニ至レリ大神ニハ爾来衆庶ノ崇敬歳月ニ加ワリ神徳灼トシテ輝キ又今回崇敬ノ人人相議リ時代ノ推移ト共ニ事跡ノ散逸センコトヲ考慮シ神殿ノ改修ト共に其縁起ヲト乞ハルル儘ニ謹ミテ一言記シ奉リヌ
 昭和八年五月十五日 社掌 髙橋國憲 霞峯吉田彦書』


この縁起によると、このおいなりさんは家康公により整えられたらしい。
また、ここに三河出身の家来たちを定住させたので「三河町」というようになったというはなしです。
切絵図を見ると、武家地に挟まれるように町人地があったようです。こんな細い路地に町人地の名残があるのかな。




今日はここでおしまい。

次の機会には、お話の舞台になったところを訪ねてみようと思います。
ガイドブックも出ているんですよね。
また図書館でかりてこよう。

生まれた家の間取り 続報

2017年11月15日 | ☆記憶


またまた情報が寄せられました。
なるほど、こんなふうになっていましたか。台所と三畳の間が戸棚を介してつながっている作りなど、当時としたら相当頑張って作ったんじゃないでしょうか??

勝手口の外に風呂用薪を入れるための物置があったというのも知りませんでした。私の記憶ではもう薪はなかったと思います。お風呂は電熱器で沸かしてました。物置には何が入ってたんでしょうね??
それと、池もなかったです。埋めてしまったのかな??

先日の「熊本の民家」と違い、この家はもう取り壊されて存在しないので、記憶をたぐっていくしかないですね。


勝手口の側の写真を発掘。
写っている子供は私の弟です。
この家が我が家かは不明。同じような家がずらりと並んでいます。
間取り図にある通り、台所は張り出しています。
そして礎石が丸いごろっとした石ですね。


中国語合宿再び

2017年11月14日 | ☆中国語の話題
台湾の友人が来日、我が家に滞在中です。「ただいま」から「行ってらっしゃい」までの中国語合宿が始まりました。

今回の来日目的は紅葉です。銀杏の葉の色づきに合わせ急遽スケジュールをとったようで、「明日から東京なんだけど、よかったら明日の晩ご飯でも?」と連絡が来ました。

はじめは外で会うつもりで、どこに宿をとったのか(どこで会うのが便利かなと思ったので)聞いてみると、明日来るのに、宿はこれからだという話。じゃうちに泊まったら?と言うことになりました。ちょうどこの間、姪が泊まりに来てたので客用寝具の用意もあるし。

しかし、中国語難しい。
自分が喋るのがものすごーくでたらめなのを感じてイヤになる。ちゃんと勉強しないとなー。


昭和記念公園(友人が見てきた立川の銀杏)

歌手さんからの問い合わせ

2017年11月13日 | ☆中国語の話題
私が好きな歌手に毎年毎年誕生祝カードを送っているって話は、前にも書いたと思います。2年前にはイラストを描いて送ったら、その年の暮れのコンサートの記念Tシャツの図案に採用されたという嬉しい話もありました。もちろん、今年もカードを送りました。
 「ファンレターのその後が・・・」 「ファンレターのその後のその後」

さて、その歌手の誕生日から2週間が過ぎた昨日のこと、バックバンドの人からメッセージが入りました。顔見知りではあるものの、個人的なやりとりをした事の無い人だったので、「なんだろ?珍しいなぁ」と思っていたら、その歌手からの伝言と言うか問い合わせでした。
彼が言うには・・・・
一昨日、歌手と食事してたら私の事が話題に上がり、私が台東の図書館で祖父母の情報を見つけたことについて詳しい話を聞いてほしい。と頼まれたのだとか。
へ~歌手さん、なんでそんなこと知ってるんだろう?だれか台湾側の人が、私のブログやフェイスブックに書いた記事を伝えたんだろうか?なんて思ったのですが、よくよく思い出してみると、出どころは自分でした。

今年の誕生カードを送るに当たり、市販のカードを買ってきたものの、何かメッセージの一つも書かないとカッコがつかない。でも、私の中国語力では書けることが限られるし…いろいろ考え、先日の緑島コンサートに行けなかった話を書きました。目の前まで行っておきながら、船が出なかったために会場に辿りつけず、対岸の台東で3日過ごした悔しい気持ち(というか、日本から駆けつけていたんだよ~ということ)は伝えておこうと思って。怨みがましく書いた後、やっぱりこれでは誕生カードとしてどうなんだと思い直し、「それでもコンサートに行けなかったおかげでできた時間で台東の図書館に行って、祖父母のこと調べられて収穫あったんですよ」と言うこともかんたんに書いておきました。
で、自分はすっかりそのことを忘れてしまっていたのでした。ハハハ。


でも、興味を持ってくれたんだなぁ。
嬉しくなりました。
誕生カードをちゃんと読んでくれているってことも分かったし。(でももしかすると、いまどきファンレターなんて出す人いないのかも?!ネット全盛時代ですものね。誕生カードなんかもあまり届かないのか?私みたいなファンは化石級なのかもしれません。)


しかしバックバンドの彼に、状況を伝えるのも一苦労です。
全て中国語ですよ。
誰か日本語のできる友人に翻訳してもらおうかとも思いましたが、単語の羅列と簡単な文章で、何とか状況は説明しました。私の「感受」(感想)も教えてと言われたけど、中国語で気持ちを伝えるのは難しく、事実のみになっちゃっいました。翌日、私のつたない説明を「まとめたから確認して」と連絡が来ました。ちゃんと読める中国語に整理されていました。勉強になるなぁ。私がOKと伝えると「じゃ、歌手に転送する」って返事が来ました。「良かったら彼の感想を教えてね」と言っておきました。何か知らせてくるかもしれません。


私と歌手さんの付き合いももう20年近くになりますが、私からファンレターは何度となく送ってるものの、あちらからは何もなし。会った時には言葉を交わすことはあるけど、何しろ芸術家だし、こっちの緊張してるし、中国語が難しいし。結局、Tシャツのイラストの感想も聞いてない。今度は何か感想が聞けたらいいな。

iPadの中身をテレビで見る

2017年11月12日 | ☆買い物
友人にもらった動画をiPadで再生して見ていたのですが、もっと大きな画面で見たいなぁと思い、方法がないか探しました。
そしたら、「HDMI 変換 アダプタ 」というものがあればかなり簡単に見られるとわかり、早速amazonで探しました。Apple純正のは5~6千円したのですが、これは半額!これなら、失敗しても多少あきらめもつくか・・・と買ってみました。

説明書は英語の簡単なものだけでしたが、絵の通りにつなぐだけで、簡単にipadの画面がTVにうつりました。

Lightning HDMI 変換 アダプタ ライトニング Digital AV adapter 1080p HD iPhone iPad iPod 対応

これの外に、HDMIのコードも買いました。(これは500円くらいで安い)
HORIC ハイスピードHDMIケーブル 1.0m ゴールド 4K/60p HDR 3D HEC ARC リンク機能 HDM10-881GD

数か月前に「アマゾンFireTV」というのを導入して、AmazonビデオとかYoutubeなどは、全部TVで再生してみているので、すっかりそれになじんでしまいました。これです↓↓↓↓
Fire TV (New モデル) 4K・HDR 対応、音声認識リモコン付属

どんどん便利になります。すごいですね。テクノロジーの進化です。

熊本の民家 続報

2017年11月11日 | ☆記憶
前々回の記事、「熊本の民家」に情報が寄せられました。私の記憶もずいぶんあやふやだったようです。

大正15年築で、もとは玄関からずっと土間がつながっていたそうです。
そして「唐臼」が置いてあったとか。

唐臼って、先日テレビを見ていて(鶴瓶の家族に乾杯)、佐賀の武雄の窯元で使っているのを見ましたが、ああいうのが普通の家にもあったんですね。

ほかにも鶏小屋やウサギ小屋があったらしいです。
もちろん、ペットではなくて、食べるための・・・。ウサギは山に罠を仕掛けてとっていたらしい。


防空壕の位置まで書かれています。防空壕はわたしの祖父とまだ10歳くらいの伯父とで掘ったそうな。いやいや、近所の人とか親戚とか手伝ったのでは??

建築当初のかたちは本当に伝統的な日本家屋のスタイルですね。田の字じゃないけど。土間と茶の間の関係など特に。

情報提供に感謝します!

生まれた家

2017年11月10日 | ☆記憶


昭和30年くらいに建てられた、木造平屋建て。3Kの間取りでしたが、幼かったし、結構広く感じていました。庭も広かった。父の仕事関係の宿舎だったので、同じ間取りの家が10数軒並んでいました。外壁は黒い板でした。昭和だ。

細かなところまでは覚えていないのですが、お風呂は電熱線で沸かしていたけど、薪でわかせるようにもなっていたような気がします。トイレは3分割(大便器、小便器、手洗い)で汲み取りでした。3畳間は2方向に腰高の窓があって、夏にその窓を開け放って、さんの所に座って遊んだ記憶があります。まだアルミサッシではなくて、木製の窓を取りはずして洗ったりしたのかも。その時の記憶かな?

熊本の民家

2017年11月08日 | ☆記憶
横浜鶴見の名主の家を見てきて、母の実家を思い出して間取り図を描いてみました。
記憶がかなりあいまい。だいたい長方形に収まるはずなのに凸凹してるし。
各部屋の呼び方もうろ覚え。(なんどと呼ばれる部屋があったような‥?)

ここに載せてみるので、情報求む!

昭和40~50年代、祖母の存命だったころの間取りです。五右衛門風呂、台所は土間、トイレは汲み取りでした。その後、トイレ、浴室、台所は改築され土間も無くなりました。
昭和の初めころに建てられた建物?農家ではなくてサラリーマンの家なので、土間は台所スペースのみで作業場みたいなものはありません。同じ村に点在している親戚の家も似たような作りだったと記憶。一軒だけ、農家に嫁いだ伯母の家は納屋などもある農家のつくりだった記憶があるけど・・・間取りまでは覚えてないなぁ。



情報が寄せられたら、また整理してアップしようと思います。

YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
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