キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

恩師を囲んで

2016年11月30日 | └─恩師
夏の田沢湖旅行にも一緒に行った大学の後輩が先生を囲む会を企画してくれました。

先生の研究所に飲み物食べ物を持参して押しかけ、延々呑み続けるという企画。
昼過ぎから始まり、結局終わったの夜11時ごろ。
先生86歳なのに…無茶ですね。



参加できない秋田の同級生からお酒が届きました。
「阿櫻」と横手ワイン。


ずらりと並んだ酒瓶たち・・・
ちなみにこれ全部空です。
場所の問題もあって10人程度だったのに、こんなに飲むなんて!
このほかにビール多数。




今回は同期だけでなく、後輩もいたのでそれこそ何十年ぶりの再会もあり、楽しい話をいろいろ聞けました。
この日、私は途中で抜けて横浜ヘコンサート聴きに行きました。終演後連絡したらまだまだ佳境という感じだったので、また戻って飲み続けちゃいました。
もうお開きにしようと思って9時前に一旦片付けたのに、それまで座ってにこにこ皆の話を聞いていた先生が、やおら立ち上がり、冷蔵庫から酒瓶をもってきて「まだ酒あるぜ」って。
これは付き合わないわけには!

ほんと、先生お元気だなぁ。

今年は恩師に何度も会う機会があって幸せでした。
2/27 品川でちょっとご挨拶
5/2 博多で飲み会
5/24 吉祥寺で講演会
7/9-10 田沢湖一泊旅行
11/27 囲む会

修学旅行のお土産

2016年11月26日 | ☆個人的日記
先日、帰宅したらポストに不在票が入ってた。
なんだろうと思ったら、こないだ遊びに来た女子高生からの荷物だった。
受け取って開けてみたら、こんなのが入ってた。
紅芋タルト!



そうか、修学旅行で沖縄に行くって言ってたっけ。

それにしても、わざわざ買ってきて宅急便で送ってくれるとは!
涙出そうになっちゃった。

夫から、
「これは1日一個ずつ!大事に食べるよ」
との宣言が。
うんうん、大事に食べようね。


11月に初雪が降った

2016年11月25日 | ☆個人的日記
11月24日。
何日も前から、雪が降ると予報で言っていた。
まさか?
まだ11月だし。
山の方の話だろう。
そう高をくくっていたのだけど、

本当に降った。
しかも、朝から夕方まで降り続いた。
気温も日中に向けてどんどん下がっていった。昼12時の気温1.6度だったとか。

11月なのに。

東京で11月に初雪が降るのは54年ぶりなのだそう。

寒かった!!




イスンファンとカンサネが・・!

2016年11月22日 |   └─POPS韓国
もうずっと、韓国の音楽ならイスンファンとカンサネと言い続けているわけですが、今週の金曜にどうやらまたソウルの光化門前広場でパククネ大統領退陣要求集会があるようで、そこでコンサートやるらしい。
そしてそのポスター見たら「イスンファンバンド、カンサネ・・・・」って書いてある。

うううう。(私にとっての)夢のステージ。
行きたい。
韓国。

まぁ無理だけど、またLIVEでネット中継ないかな~?

手術の立会い初体験

2016年11月21日 | ☆個人的日記
先週、うちの家族が手術をすることになり、生まれて初めて手術室というところ(の前)まで行きました。大きな病院のため手術室だけで18個並んでるんだそうで、手術中のランプが点灯!みたいなことろまではいけませんでしたが。

手術と言っても疾患自体は手の指にできたデキモノを切除するというもので、生命にどうのこうのというのではなかったので気楽に構えてたんですが、手術で全身麻酔する、もしかして悪性だと指切断するかもしれない等、心配のネタはそれなりにありました。


入院初日は仕事が終わってから病院に顔を出したら、明日朝イチに手術時間が決まったと聞きました。
明日は朝8時前に来てくれだって。「私こないとだめなの?」って聞きました(笑)病院は家からそれほど遠くはないのですけどね。朝早いの大変なんですもの…

翌朝久しぶりに目覚ましを使って早起きしました。
手術中につけておくという「マウスピース」を自宅からさがして持っていきました。
8時前に病室へ行くと、良く寝たと言いながらTVを見ていました。手術前なのでご飯はなし。


病棟の看護師さんの先導でてくてく歩いて手術室へ行きました。病室とは別の棟なので、渡り廊下を渡ったり外来のヒトでごった返す待合の前を通ったり。

手術室入り口で看護師さんが受付をします。手術を持ってる患者さんも何人もいます。ストレッチャーに寝ている人もいれば、うちみたいに歩いてきた人もいたり、小さな子供もいました。切なくなりますね。
手術室だけで18個。手術関係の看護師さんだけでも150人いるのだそうです。
しばらくベンチで待っていると、手術をしてくれるチームの皆さんが5~6人やってきて、ご挨拶。本人確認して(フルネームの確認、リストバンドのバーコードの確認)、手術する手にマジックで印をつけてくれました。その後チームのみなさんが簡単に打ち合わせをして「じゃ!」と手術室へ消えていきました。
いかにも「プロの仕事!」って感じで、子どもの頃にこういう光景を見ることがあったら、医療関係の仕事に憧れていたかもしれません。幸か不幸か全く縁がなかったので、違う道を歩むことになりましたが。


私は看護師さんと病棟に戻り、待機。
その間、看護師さんが「迎え用」のベッドメイキングをしてくれます。
行きは歩いていきましたが、帰りは病室のベッドをもってってそれで帰ってくるのだそうです。
へ~。

きれいにベッドメイクするのがプロの技です。電気毛布も入ってました。足元に酸素ボンベもセットして準備万端です。2時間ほどして、手術終了したらしく、迎えに行くことになりました。





私はここで待ってたらいいのかな?
と思ったら、一緒に行くのだそう。
こういうのって、病院の人は当たり前なんでしょうけど、こちらは初めてなので「迎えも一緒に行きますよ」って言っておいてもらったら慌てなかったのですが。その時タイミング悪く、仕事関係の緊急連絡が入ってきてて、看護師さんの話をちゃんと聞けてなかった。お待たせしちゃいました。スミマセン。


ベッドをガラガラ運んで手術室へ行くと、私は「先生から説明がありますので、説明室へ行ってください」とのこと。指定された部屋へ行くと、執刀医の先生が、手術の内容と結果について説明してくれました。そして切除した腫瘍がアルコール(?)漬けにされているのを見せてくれました。きゃー!っ見ても別に何もわかりませんが、一応ちゃんとやったよってことですね。

手術の途中で腫瘍の一部を生検したそうですが、MRIなどで見て予想していた通りの病気(腱鞘巨細胞腫)で、予定通りに手術も進んだという話でした。また再発するかもしれないけど、その時も慌てる必要ないから。と言われました。
部屋を出るとき「本人もう眼覚めてるから」とのことで、ほっとしました。
全身麻酔はよくやる麻酔ではあるけど、時々目覚めない人いるって言う話で、本人も手術の前に、もしかして目が覚めなかった時のためにって「ありがとう」って言い残していきました。(今となっては笑い話ですが)
なので、目が覚めてるのはいいニュース。


私が説明室から出ていくと、ちょうど本人のベッドがエレベーターに乗ろうとしているところでした。
麻酔のせいか出血のせいか、顔色は青白かったし、うつらうつらしてるようでもあったけど、無事終わってよかった。ガタガタとベッドをおして病室に戻りました。

全身麻酔をした後は5時間くらいは安静にするようですね。
午前11時過ぎに戻ってきたので午後4時過ぎになったら身体を起こしたりするみたい。
それまでは1時間おきに看護師さんが血圧や体温を測りに来てくれます。
1時間くらいそばについてましたが、本人眠ってる時間が長いので、昼食をとりに1時間ほど外出。
その他はずっと病室で、ゲームしたり本読んだりしていました。

夕方、体を起こしてみて問題いので、じゃ、座ってみましょう。じゃ、立ってみましょう。お腹はぐるぐる言いましたか?じゃ、お水飲んでみましょう。じゃ、歩いてみましょう。と15分おきくらいに少しずつからだを慣らして行って、夕食は普通に食べることができました。でも半分くらいは残すことにしたみたい。


結構おいしそうな病院食。

病棟の先生(執刀医とは違う人たけど主治医らしい)がやってきて、順調に回復してるから、明日退院できそうですね。っていう話をしてくれました。
早くても明後日だろうと思っていたので、更によいニュース。
それを聞いたら本人もうれしそう。
痛みもあまりなく気分も悪くないみたいなので、私も7時半ごろには帰宅することにしました。

家について気が付きました。
ものすごく疲れていました。
ただ座っているだけだったのに、朝から晩まで病院にいるってほとんど体験したことないことだし、初めてづくしで緊張もしたんでしょうね。


3日目は、少しゆっくり出発することにしました。
今日はもうすることもないから、のんびり朝ごはんを食べてから行こう。
本人から連絡がきて、午前中1本点滴をしてそれが終わったら退院できるらしい。
10時ごろ行って、片付けして、着替えて、忘れ物ないかチェックしてもらったら、めでたく退院となりました。

会計がお休みの日だったので、会計は後日、抜糸の時ということになりました。
いったいいくらなのかな?



早めに退院できたので、まる一日半家でのんびりできたし、おふろにも入れたし、あっという間に元気になっています。手術したとこを濡らしてはいけないので、片手で不便そうですが、今日からは仕事にも行きました。
1週間後くらいに抜糸のようです。しばらくは、私が家事全般やらないといけません。早く元気になってね(笑)。

イ・スンファンをウォッチする

2016年11月11日 |   └─POPS韓国
先月韓国でコンサートを見てから一ヶ月、イスンファン氏の動静と音楽を追いかけています。
ストーカーなみに。

音楽は通勤時に聴き、帰宅してライブの動画を見て、ニュースを機械翻訳して読んだり、インタビューを解読したり、リアルタイムではイスンファン本人のフェイスブックをフォローして書き込みを読んだり。それについたファンのコメントも何個かずつは読んでみたり。過去のニュースも2年分くらいはダイジェストで読んだかな。

おかげさまで、少しずつ理解が進んできました。
この一ヶ月のあいだに、氏はいろんなことをしているみたい。

10.8 8時間半コンサート。

10.15 本人主催の慈善コンサート「チャガケサルチャ」。
これは、16年目になる彼の続けている慈善イベントで、今年は本人のコンサートと趣旨に賛同する著名人の講演などで構成されたようです。また、彼のファンもこのイベントにあわせ独自の募金活動をしているようです。

10月下旬 インターネット(?)のTV番組に出演


そのあと、年末コンサートの告知や合間に決まったクラブ公演の告知。
そして明るみに出たチェスンシルゲートに対する政治的発言の数々

フェイスブックに自分の考えを掲載するくらいはまぁやろうと思えばできる話だけど、彼はその間に「朴槿恵は下野せよ!」という垂れ幕を制作して自社ビルの壁に掲示→警察が来て撤去→行政への確認、法律家の助言で更にパワーアップした垂れ幕の掲示。をやって、事務所前はソウルのちょっとした名所になってるらしい。そのためかどうか、監視カメラの増設もしてる。

さらに、音楽仲間と『現政権のめちゃくちゃな政治のために心疲れた人々を癒すため』として、音楽仲間たちと曲を作って(曲を作ったのはイギュホ)録音して、今日公開するらしい。この曲「道端に捨てられる」には、ピンクル(FIN.K.L)のイヒョリ、トゥルグックァ(野菊)のチョンイングォンなども参加。それぞれの場所で録音したものをイスンファンのところに送って、イスンファンがミュージシャンを集めて伴奏を録音して、仕上げたみたい。すべて無料で配信するのだとか。

たった一ヶ月の間にすごい多方面にわたるご活躍って、って感心していたのだけど。
先日、もう一つニュースがあった。
10/15の慈善コンサートの日、氏の可愛がってた愛犬が死んじゃったそう。
私もペットのこととかまで知ってるわけじゃないけど、この人のペットについては歌まで作ってあって(こないだのコンサートでも歌った)、名前も知れ渡ってて、TVにも出て家族だな~と感じていたので、FBでの本人からのお知らせには、こっちまで悲しくなった。この1か月の彼のエネルギーは、そういう悲しみからも出ているのかもしれないなどと、勝手な想像をめぐらせている。

そのペットのことを歌った歌↓
이승환 Lee Seung Hwan - 지구와 달과 나 Jigu, Dal & Me Official M/V



邦題をつけるとしたら「地球(チグ)と月(タル)とボク」かな。
死んじゃったの月(タル)ちゃんだったみたいです。小さい方の犬。






そして、今日発表された曲
길가에 버려지다


曲はMP3で無料ダウンロードできます。
http://media.daum.net/entertain/culture/newsview?newsid=20161111115043578

追記
11/12(土)韓国では、大統領への抗議集会が開かれるそうで、かなりの規模になる模様です。
そこにイスンファンも出かけて行って、他のアーチストたちと一緒に抗議コンサートを開くらしい。どうなるのか見守ります。


昔の旅行記再録 『寝台車で釜山に到着』

2016年11月09日 | ☆旅行─韓国
2002年に書いた文章。
旅行自体は1996年のことです。
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釜山に夜行列車で到着した朝、しっかり寝過ごした。
だいたいソウル~釜山間なんて5時間くらいしかかからないのだから、寝るひまなんて、あったもんじゃないのだ。


ソンニム!ソンニム!(※お客さんの意)」
と声をかけられて、とび起きたものの、列車はとうにホームを出て車庫に向かうところだった。慌てて荷物をまとめて降りようと思ったけど、車内の異常な乾燥のために、一週間連続装用可のコンタクトレンズが両眼とも、ぽろっとはずれてしまった。ずっとコンタクトはめてるつもりで眼鏡を持ってこなかった私の視力は裸眼で0.05くらい。ほとんど何も見えない。


ろくに見えない寝ぼけまなこで、走り出した列車から飛び降りようとしたら、車掌さんに止められ(当たり前)、結局車庫まで連れて行かれてしまった。
ホームから遠く離れたところで降ろされ、何だか情けない気持ちで小雨降る釜山駅のホーム目指して線路を歩く。
ようやく駅舎に入り、トイレで新しいコンタクトレンズを入れ、荷物をつめ直している時に「あ、ゆうべはいてたGパンがない」と気づいた。

寝台に置き忘れてきたんだ。
あ~何たるドジ!
今日は寝起きからついてないな~(というか、自分が悪いんだけどね)などと思いながら、とりあえず駅員さんに尋ねてみる。

「あの~、さっきソウルから着いたんですけどぉ、列車の中に忘れ物しちゃったんですー。どうしたらいいでしょうか?」

しかし、私の超つたない韓国語ではなかなか伝わらなかったらしく・・・・・
保線係の小屋のようなところに連れて行かれた。
(一応あちこちに電話したりしてくれたのですが・・・)

 
「ここに日本語の話せる人がいるから、待っていなさい。」

「はあ・・・すみません。」



金さんは60年配の小柄なアジョッシだった。私は日本語でまたはじめから事情を説明した。すると金さんは一緒に探してくれると言う。雨がだんだん本降りになってきたので、事務所にあった傘を借り、たくさん列車が止まっている車庫へ向かう。その朝、ソウルから釜山に着いた列車は何本かあったようで、しかも夜しか使わない寝台車はすでに切り離されていてなかなか見つからない。いろんな列車に上ったり降りたりしながら、金さんは日本に住んでいたときの話を聞かせてくれた。


「17歳までは名古屋にいました。そして釜山に来て、その頃は韓国語が上手に話せなかったから大変でした。」
「今はもう定年も過ぎたけど健康のために仕事を続けてるんです。」



やっと捜し求める私のGパンが見つかった。

お礼を言いつつ保線係の事務所へ戻ると、金おじさんは紙に釜山市内の地図を書いてくれて、日本へのお土産にはスーパーマーケットで売ってる紙パックの真露が喜ばれるし、しかも安いと教えてくれた。ひらがなで「しゅぅぱ」とまで書いてくれた・・・・・。(「スーパー」のことと思われます)

そのうえ、金おじさんはわざわざ駅舎の外まで見送ってくれた。

「私のドジのせいですっかり時間を取らせてしまった。申し訳ありませんでした。ほんとに助かりました。有難うございました。」と何度もお礼を言って別れたけど、真露は結局買わなかった。





釜山駅前で、金おじさんに何度も何度もお礼を言っていた時(日本語で)一人の若い韓国人のお兄さんにからまれた。私と金おじさんが日本語で話しているのが気に障ったらしい。

「ここは韓国なのに、どうして日本語で話すんだ?失礼じゃないか!」と言っているようだった。

金おじさんは、「気にするな」 と私に目配せをして、その若者を無視してにこやかに去っていったが、一人残ったわたしに彼は更にからんでくるのだった。
私も韓国では、つたないながらも極力韓国語を話すつもりでいたけど、金おじさんは私のために親切で日本語を話してくれていたのだから、それに敢えて韓国語でこたえるのも不自然だと思ったのだった。

その青年の態度は、とてもぶしつけで不愉快だったが、なるべく丁寧に

「ええ、私もそう思いますよ。(ちょどくろけせんがっけよ)」

と韓国語で言うと、彼はそれ以上言う言葉が見つからなかったのか、ぶつぶつ言いながらどこかへ消えてしまった。けんかを買わなかったからつまらなかったのか?それとも、韓国語が分からないと思って、好き放題いってたのに、韓国語で応えられて、ばつが悪かったのか・・・というほど韓国語が話せるわけでもなかったのだけど。

往復はがき

2016年11月07日 | ☆記憶
昨日、女子高校生が遊びに来た。
今年7月に亡くなった私の学生時代のルームメイトの一人娘。
50日祭のころにお参りした時、ことのほか話が盛り上がったので、今度はうちに遊びにおいで、と誘って実現したもの。この子がまだ小学生の頃に両親と遊びにきたことはあるけど、今度は一人。さぁどんな感じかな?私も夫も楽しみにしてこの日を待った。

部屋を掃除して、駅まで迎えに行き、夫の手料理でおもてなし。
手ぶらでおいでといったのに、カステラ持ってきたよ。
お行儀イイネ~。

ご飯食べながら、ずーっとおしゃべり。
ご飯終わって、デザートになって、お茶になってもずーっとおしゃべり。
さすが女子高生、しゃべるしゃべる。

「私の知ってるお母さんは、当たり前だけどずっとお母さんだから、その前のお母さんに興味ある」

いうので、学生時代のアルバムを引っ張り出して見せながら昔話をしたり。

昔のものが入ってるダンボール箱をごそごそしてたら、彼女から来た手紙の束が発掘された。
大学の二次試験で知り合った(なんと受験の宿で相部屋だった!)直後、入学前の春休みに届いた手紙。
まるで日記みたいな文面、私も何十年ぶりに読み返した。

「お母さんの字、丸くて読みやすい。こんな字が書きたいなぁ」
「面白いこと書く人だね」

彼女は母親のことをとても尊敬しているよう。
客観的に評価してるようでもあり、この精神的成長はすごいなぁ。

「結婚するなら、両親のような夫婦になりたい」
ともいう。
こういう風に育ったのは友人の功績なんだろう。



手紙の束を見返していたら、社会人1~2年目頃のものが出てきた。
就職で故郷にもどった友人から、細かい字で表も裏もびっしりと書かれた葉書がたくさん届いていた。仕事でこんなことがあったとか、車をこすって相手との交渉に気がめいるとか、やっぱり日記みたいなことを延々書いてある。

こんなのもらってたっけ?

束の下から往復はがきが出てきた。

「ずっと一方的に葉書送ってるけど、今日は往復はがきにします。これならYOKOさんも仕事忙しくても返事くれるんじゃないかな?」

と書いてある。
でも、その往復はがき、返信用の部分もついたままになってる・・・ということは?

返事出してないのか!私!!

返信用部分を見ると、私もちゃんと書き込みもしてて、返事を出そうという気持ちはあったみたいなのだけど・・・・。そのころの私は毎日深夜まで働いていた。気持ちの余裕がなかったんだろうな。
いずれにしても、私の送った手紙は手元にないから、すべてが一方通行の形になっているわけで、もはや詳細はわからない。忘れてるし、その返事を出したかなんて、わたしたちの付き合いに大した影響なかっただろう。


でも、彼女が亡くなった今になって、出さないままになってしまった往復はがきがでてくると、心がちくりとする。


心残りがあることはこれからは彼女の娘に返していけばいい。
彼女の娘の中に友人が生きているのを感じた。
こういう形で、関っていけるのは幸運なんだろうな。


夕方、彼女を駅まで見送って、夫が一言
「あの子、まだ17歳だけど、なんだかもう我らの友だちみたいだね」
ほんとにね。

白黒写真に彩色

2016年11月03日 | ☆記憶


父を抱く祖母の写真(だと思う)。おそらく1941年頃のもの。
白黒写真に彩色をするサイトがあったので試しにやってみました。

カラーにすると、生き生きしますね!!
若い頃の祖母もグンと身近に感じますし、赤ちゃん時代の父も可愛らしい。

時々このブログにも書きますが、私の父方の祖母は台湾で生まれ育ったいわゆる「湾生」で、父の出産の頃、単身九州に渡って、その後祖父が仕事をしていた中国大陸へ向かいます。この写真は中国に出発する前に撮られたものと思われます。この写真ではないけど、父のアルバムに大牟田で撮った赤ちゃんの頃の写真があったのを覚えているので、多分一緒の写真館で撮ったのでは?

この白黒写真をカラーにする技術は、早稲田大学の研究者たちが作ったもののようです。
サイトに行くと簡単に試せますよ。

http://hi.cs.waseda.ac.jp/~iizuka/projects/colorization/ja/

http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

「君の名は。」2016年日本 運命の相手?

2016年11月02日 | ☆エンタメ-映画


8月末から上映しているこの話題作、11月になってもまだやっています。大ヒットですね。私もようやく見てきました。映画の感想は、ともかく(ということは・・・以下自粛。あ、すごくきれいな映像でした、音声もよかった。)書きたいことがあります。今回珍しくネタバレしませんよ。

この映画の中でストーリーには直接関係ないのですが、モチーフとして描かれる現象に

・目が覚めたら涙を流している
・目が覚めたら覚えていない
・誰かわからないけど、忘れてはいけない大切な人がいる

というのがあります。
これに私も思い当たることがあって、「やっぱりそういう人多いんだろうな。この作家もきっとそういう体験があって、それでこういう話をつくったのかな?」と思いました。

私の場合は、思春期くらいから始まった様な気がしますが、夢の中にある人物が登場します。

・夢の中では「間違いないこのヒトだ」と思います。
・どんな関係の人かはわかりませんが、とても懐かしく前世から知っていたような感覚になります。
・夢によって設定は変わり、ずっと一緒にいる人として登場することもあれば、「やっと会えた」と思うこともあります。
・目が覚めると、その懐かしい感覚だけはリアル過ぎるほど残っているものの、顔かたちは思い出せず、記憶の中にあるどの人物とも一致しない、つまりは、実際には知らない人


ずっと、できるものならそのヒトに会ってみたいと思っていました。
会えば、すぐにわかるような気もしたりしてました。
もしかしてその人が私の運命の相手なのか?とか若いころは思ったりしたこともありますが・・・・

今は、多分脳内の海馬のあたりで記憶のミスコネクトが起こって、何かエラーが生じている現象なのだろうと理解しています(ああ、なんて夢の無いw)。そして、こういう現象はほかの人でも起こっているのではないだろうかと思っています・・が、みなさんいかがでしょうか?夢の中でとっても懐かしい人に会ったことありますか?そしてその人が知らない人だったりししてませんか?

YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
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