昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

小説「女の回廊」(1)

2019-05-14 04:43:18 | 小説「女の回廊」
 「女の回廊」これは、一人の料亭の女将の物語である。
 ・・・時の流れを感知する能力があり、それを活かす能力があれば、料亭の女将でも国の経済を左右し、政治を動かすことも可能なのだ・・・


 11月も後半、中間試験が終わって、他の下宿仲間はすべて出払っていた。
            

 冬の入りだというのにいい天気だ。
 ・・小春日和っていうのかな、こんな日にはふつう外出するよな・・・
 ボクは自嘲気味につぶやいた。
 そういえば、上京して以来一人で外出らしき外出はしたことがない。…通学は別として。
 ・・・上京というのはおかしいか。ここは東京都じゃなくて、神奈川県の川崎市だもんな・・・
 

 ま、北陸金沢から見れば、川崎市も首都圏だから、ボクの意識としては田舎からのお上りさんだから上京ということになるのだ。
 大学の教養課程の2年間を過ごしてアパートは東横線日吉駅と元住吉のほぼ中間に位置していた。
 ボクら新入学生目当てにその年に建てられた新築の総二階建てで、同じ大学の8人の新入生が賄い付きで入居していた。
 朝夕食事付きで、風呂も沸かしてくれ、おまけに洗濯までしてくれる。
 こんな待遇の下宿なんて、当時でも珍しかった。

 ここに来てから半年余りになるが、外出するのはいつも藤原にくっついて歩く時だけだ。
 
 二浪して今年医学部に合格した藤原一樹は体形はずんぐりむっくり、ちょっと見には強面だけれど、その割には笑い顔に邪心がなく、子どもでも警戒心を解いてしまう親しみがある。
 彼は浪人時代の二年間の経験と年かさを傘にして、自然と他の連中を何かとリードしていた。

 例えば、都心へ飲みに行くとか、マージャン卓を囲むには、「おい、行くか!」とか、「やるか!」という彼のひと言が必要だった。
 ボク自身、今や受験勉強などという鬱屈した生活から解放され、<親の眼>みたいな縛りもない。
 自分の裁量で事を行える<自由>を与えられていた。
 しかし、ボクには単独では子どもの学生生活から大人の社会生活への仕切り線を踏み越える度胸がまだなかった。
 その点、藤原は二年間の浪人生活を経験して、<自由>を謳歌できる人生があることを既に体感していた。

 そして、やっと<自由>の身を得た田舎からぽっと出の他の連中にもその魅力を伝えてやらねばという、もともと彼が持っていたリーダー魂にも火が点いていた。

 ─続く─




  






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