昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

小説「女の回廊」(2)大人になりきらない

2019-05-15 04:54:33 | 小説「女の回廊」
 今日はそのリーダーがいない。
 ・・・さて、ボクはどう行動すべきか・・・

 漱石の言葉を借りれば
 「腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないかしらんと思う、いわば病気に罹っていた人」
 にまでも至っていないほどの子どもの領域を漂っている、ボクは、確たる悩みすらも意識しない子どもだった。

 当時、1965年には日韓条約批准反対の国会包囲デモが、学生3千人労働者1万4千人を集めて行われ
 引き続き全共闘大学紛争が全国的な広がりを見せていた。
 
 都心から離れたこの日吉でも、授業料値上げ反対の初の全学ストライキをおこなうなど、その余波は少なからず存在していた。
 <授業料値上げ反対!> <学生による自治を勝ち取ろう!> <ベトナム戦争反対!>
 などのポスターや立て看板が立ち並び、いち早く大人社会に首を突っ込んだ、細身の小柄な活動家が、
「われわれはァ~、 今この時をォ~、 無駄にすることなくゥ~ 戦い抜くことォ~」と例の学生運動言葉で演説していたが、
 
 
 この学校の学生の目は冷めていて、この訴えに真摯に応えようじゃないかという姿勢を見せるものはほとんどなかった。
 ボクたちも、たまには学生運動に参加してみようかと、興味本位に話し合ったりすることもあったが、下宿のノンポリ仲間のうちに入ると、そんなわずかな姿勢も消え失せてしまっていた。
 「おい、たまには外出しないか?」などと声をかけてくれる仲間は、藤原以外にはいなかった。

 一人残って本を読んでいたボクは疲れた頭に風を通すため、アパートの玄関先で一服していた。
 風が運んできたのは、中学、高校時代の女性のことだった。
 女性といったって、ボクにそんな浮いた話があるわけがない。
 ・・・おまえは我が家の誇りだ。期待しとるぞ・・・
 親は口には出さなかったが、それに応える義務感、ボクの頭を満たしているのは・・・勉強しなければ・・・だけだった。

 しかし、ボクも男だ。まるっきり女に関心がなかったわけじゃない。
 金沢が生んだ偉大な科学者、高峰譲吉博士の功績を顕彰し、併せて科学教育の振興を図ることを目的として設定された<高峰賞>という制度があった。
 
 その栄誉ある賞をボクの中学から選抜された女性が受賞した。
 また近県の優秀な生徒を集めた金沢大学付属高校に一番の成績で入学してきたのは女性だった。
 というわけで、自分と異なる性に対する見方はほかの連中とは異なり、<憧れ>と<畏敬の念>だった。

 アパートの玄関先で、そんな思いに浸ているとき、背後でドアが開き、下宿の奥さんが出てきた。
 ・・・どこかへお出かけだな・・・
 いつもの下宿の仕事着ではなくて、和服姿で現れた。
 

 ─続く─

     





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