マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

貨物列車で回送された旧型客車

2012-10-22 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
貨物列車で回送された旧型客車


車両の回送と言えば、電車、気動車、客車ともそれぞれ独立した編成で列車を仕立てられるか、または機関車によって無動回送を行うのが通常ですが、その昔は電車でも気動車でも客車でも、貨物列車に併結するシーンは結構見られました。気動車の貨物列車併結回送シーンについては『キハ28:貨物列車併結回送』でご紹介しています。

今回は、客車を併結したシーンです。



昭和51年頃 東北本線 西川口~蕨間にて EF15の次位に連結された旧型客車

パッと見るとまるで混合列車の様な。牽引機は、特徴のあるヒサシ形状からして東京区のEF1530に間違いないと思います。

次位に連結されているのはスハ43かオハ46、その次はマニ60ではないですかね。貨物列車ですので、その後には黒色の2軸貨車が連なっています。

首都圏では、客車の全検等の整備を大宮工場が受け持っており、私が大宮操車場で入換を行っていたときも、稀に隅田川辺りから貨物に連結されてきた荷物車を見ることがありました。
しかし、荷物車は荷物駅のある場所から貨物で回送されるケースは良くありますが、旅客車の場合は、客車区から貨物操車場へ持ち込んで貨物列車に併結して工場入場するというのは考えづらく、この写真の場合は工場入場ではなく、他区への転属回送の可能性が濃厚に感じられます。

通常このような回送の場合、機関車+貨車+本務車掌車+回送客車+車掌車と組成されますので、機関車の次位に控車なしで連結されているのは珍しいように思います。特に気動車の場合は連結器強度の関係があるらしいのですが、客車の場合、基本的には貨車と同じだから問題ないのでしょうかね。

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伊豆急行電鉄:100系電車

2012-10-20 00:30:00 | 私鉄(中小)
伊豆急行電鉄:100系電車


今回は、伊豆急行電鉄100系電車をご紹介いたします。

あまり縁の無い線区でしたので、伊豆急線内は未だに一度も乗車したことはありません。辛うじて伊東駅まで職場旅行で乗車したことがあったくらいです。でも、残念ながら写真は撮っていませんでした。



昭和58年5月14日 熱海駅にて

熱海駅に乗り継ぎで立ち寄った際、ヘッドマークを付けた列車が居たので偶然撮ってみたものです。当時はあまり私鉄に興味を持っていなかったですし、100系が無くなるという危機感も全くありませんから、単なる偶然です。
「黒船祭」の大きなヘッドマークが全盛期を物語ります。こちらは中間車の先頭化改造による車両です。



昭和62年2月14日 撮影場所不詳

東海道のブルトレを撮影に行った際、空き時間に14系「踊り子」を撮影に行った際のものです。
このときは100系初期車にかなり興味を持っており、「来ないかな~」と期待はしていました。その期待どおり、先頭には両運のクモハ100形、中間にはサロ改造の車両も入った、理想的な編成がやってまいりました。

その後は何度か撮影の機会があったあったものの、100系編成の姿は既になくなった後でした。

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スロ81系:お座敷客車

2012-10-18 00:30:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
スロ81系お座敷客車


現在のジョイフルトレインはその殆どが交直流型電車になりつつありますが、それ以前は直流型や気動車もあり、さらに遡ればすべてが客車によるものでした。
「サロンエクスプレス東京」や「サロンカーなにわ」で洋風豪華客車が流行し、現在では豪華ではなく機能や遊び心などの趣向を凝らしたものが多くなっています。

昭和47年代後半になって、スロ62系をお座敷客車化したのがスロ81系が誕生し、金沢運転所を皮切りに、6連7編成が誕生しています。

今回はスロ81系のグリーン帯時代の写真をご紹介いたします。



昭和51年 東京駅にて EF58牽引 お座敷列車

私が中学に上がったばかりの頃の写真だと思います。
当時はまだ、お座敷列車の配置というのは極限られた客車区にしかなく、目にするのも珍しかった時代でした。当時の配置状況からして沼津区の「いこい」かと思われます。
スタイル的にはグリーン車のスロ62系と変わらない外観であり、判断するには窓から見える障子くらいだったですね。

詳しくは憶えていませんが、全国でもいち早く沼津区に余剰12系を改造したお座敷車(2代目いこい)が誕生し、旧型客車は淘汰されてしまいました。

写真は指が入ってしまい、ハーフ判特有の画像の悪さで見苦しいですが、気になるのは牽引機のEF58です。
良く見るとヒサシがついており、浜松区の区名札が見えます。詳しくは知りませんが、当時の浜松区で原形小窓車の配置があったことを知りませんので、もしかしたら原形大窓のEF58だった可能性があります。それにも拘わらず、当時はEF58は両数が多くてさほど興味も無かった時代。
結局、その後EF58の原形大窓車は東京区の61号機と竜華区の66号機しか撮っていませんので、非常に貴重な機会を逃したことになります。



昭和54年3月23日 別府駅にて 留置中のお座敷列車

中学の卒業旅行と称し、初めて九州に上陸した際の写真です。
着地駅は別府で、いきなり出迎えてくれたのがお座敷列車でした。
関東でも珍しくは無かったですが、当時は臨時ダイヤが公表されていませんでしたので、なかなかじっくり撮ることはできなかったですね。

誕生当初はグリーン車としてグリーンの帯が入っていましたが、昭和53年頃から合理化によりグリーン帯が省略、さらにブルトレのような2本帯にしたもの、茶色化したものなどに変化していくことになります。

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キハ181系:特急「おき」(その2)

2012-10-16 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
キハ181系:特急「おき」(その2)


特急「おき」は、山口線小郡駅(現新山口駅)~米子・鳥取を結ぶ列車で、昭和50年3月、新幹線博多開業の際にアクセス特急として誕生しています。
元々の特急「おき」は、新大阪~(伯備線経由)~出雲市を結ぶ、現在で言うところの「やくも」の列車の前身となる列車で、キハ181系が使用されていました。この時代の特急「おき」は、新幹線岡山開業によって岡山~出雲市間の「やくも」として継承され、特急「おき」はしばらくの間、不在の名称となっていました。
昭和50年3月に別経路で名称が復活しますが、当初はキハ82系によって運転されており、翌年の昭和51年10月、特急「つばさ」の電車化によって捻出されたキハ181系を利用し、置き換えが行われています。

前回は『キハ181系:特急「おき」(その1)』で夏の風景を中心にご紹介いたしましたので、2回目は秋の風景をご紹介いたします。



昭和57年10月 山口線 宮野~仁保間にて

まだマークがイラスト化されていません。
平地に近いところでもあるため、まだ秋らしい雰囲気にはなっていません。
確か、初めて山口線のSLを撮りに行ったときだったと思います。もちろん、キハ181系「おき」とも初対面。



昭和57年10月 山口線 宮野~仁保間にて

この写真も場所的には同じところだと思うのですが、ススキが画面に入ってしまったことで、秋らしさが伺える写真になりました。
まだこの時代はグリーン車込みの6両編成なんていうのがありました。



昭和57年11月28日 小郡駅にて

2度目に訪問した山口線。
キハ181がダブルで連結しており、それまでの181系史にはまず見られなかったシーンでした。



昭和57年11月28日 篠目~仁保間にて


昭和57年11月28日 篠目~仁保間にて

このときも2回目の訪問で、撮影地の選択は別にしても、構図のとり方が良く分かっていませんでしたね。



昭和61年11月22日 仁保~篠目間にて

せっかく秋らしい良い写真だと思うんですが、3両編成になってしまった「おき」に失望してしまったときでもありました。キハ181系で3両編成なんて、全盛を知っている世代としては有り得ない姿なんですよね。
勾配が厳しい区間なので、さすがの強馬力気動車も喘ぎながら坂を登ってきます。



昭和61年11月22日 長門峡~渡川間にて

これもSL追っかけ篇のついでですね。杉林ばかりなので鮮やかさは全くありませんが、青空を取り込んだ数少ない「おき」の写真です。
写真では判りづらいですが、このころの「おき」は、既にイラストマーク化されています。




昭和61年11月22日 仁保~篠目間にて

同じ日ですが、同区間の峠の反対側、篠目駅寄りになります。列車によっては、1両増結された4両編成も走っていました。
写真では判りづらいですが、日の当たる田んぼの方には篠目駅の有名な給水塔があり、その傍らではSL「やまぐち」号が特急「おき」の通過を待っています。

記録によると、山口線の撮影はどうもこの回が最後だったようで、そのあとはD51・C62・C58と言った関東・北方面でのSLが復活運転されるようになり、また、変な12系塗装(茶色に白帯)になって気力が落ちてしまって、行く気になれなかったようです。

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EF8195牽引:団体列車「カシオペア・クルーズ」

2012-10-15 00:30:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
EF8195牽引:団体列車「カシオペア・クルーズ」


鉄道開業140周年・「大人の休日倶楽部」会員限定
東北応援特別ツアー「カシオペア・クルーズ」の発売
~ 寝台列車「カシオペア」初の日本海ルートで東日本を巡る旅 ~

◆ 「カシオペア・クルーズ」概要
日 程 2012年10月12日(金)~14日(日)(2泊3日)

ルート 【 上野発 ~ 秋田滞在 ~ 青森発 ~ 上野着 】

1日目
上野駅(8:00頃)~「カシオペア号」(上越線・羽越本線経由)~秋田駅(17:50頃)→ホテル
ホテルメトロポリタン秋田 ディナー(八神純子さんによる限定ディナーショー等)
ホテルメトロポリタン秋田または秋田キャッスルホテル泊

2日目
【奥田シェフ同行コース】
ホテル(8:00頃)→秋田駅(8:25)~「リゾートしらかみ1号」~鰺ケ沢駅(11:40)→ホテルグラ
ンメール山海荘(昼食・入浴)→岩木山(8合目)→津軽藩ねぷた村→弘前市内(夕食)→
青森駅(22:00頃)~「カシオペア号」(東北本線経由)

【八神純子さん同行コース】 (※八神純子さんは鰺ケ沢駅までの同行となります。)
ホテル(8:00頃)→十二湖→アオーネ白神十二湖(昼食)→十二湖駅(13:01)~「リゾートしらかみ3号」~鰺ケ沢駅(14:30)→ホテルグランメール山海荘(入浴)→津軽藩ねぷた村→弘前市内(夕食)→青森駅(22:00頃)~「カシオペア号」(東北本線経由)
カシオペア車中泊

3日目
~上野駅(9:25頃)到着

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ということで、概略は省略させていただきます。

今回の同列車運転でもっとも注目されたのは、往路が上越線経由の秋田行きとなること。
以前、東北本線内の複数区間で不通となり、上越・羽越本線経由で運転されたことがあります。
この時はEF81では?という予想に反し、EF64が登板するという大事件、話題沸騰となりました。
今回も当然その期待が高まったわけです。

そして、夜行ではなく朝の出発となることですね。
金曜日の朝発となったため、運悪く現場の仕事が入っており、撮影は諦めざる得ませんでした。

で実際はというと・・・
9011レ EF64-1051+EF81-95

これは想像していませんでした。なんと重連です。国境越えの補機を上野から連結してしまうという計らいのようです。
これのおかげで、上野駅ではホームで撮影できなかったとか?


そして返しは日曜日の朝、首都圏では通常の「カシオペア」と同じスジになるということ。
法事がありましたが時間的には余裕がありますので、地元で撮影することができました。



平成24年10月14日 9012レ EF8195牽引 団体列車「カシオペア・クルーズ」

やはり故障の代走などで赤い「カシオペア」が走った実績はありますが、虹ガマの牽引は初となります。
鮮やかなカマが牽く「カシオペア」編成というのは新鮮です。
また、今回の特徴として、編成向きを逆転させたこと。これは昼間~夕方にかけて走破する日本海側に客窓を向けるための計らいといいます。
なんとも贅沢な計らいですが、お一人様198千円~248千円。このくらいは当たり前ですかね。退職金をもらったとしても遠慮してしまうかもしれない値段です。

せめて、ヘッドマークを付けてくれたら・・・と思ったのは私だけではない筈です。

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