東海道新幹線:0系
新幹線と言えば0系。
昭和の時代、世界にその名を知らしめた「SINNKANSEN]は、戦後の復興を遂げた日本文化の代名詞と言っても良いのではないでしょうか。
さらにその新幹線の代名詞と言えば、0系と言って良いでしょう。
でも、子供の頃、新幹線と言えば迎え入れるべき友ではなく、どちらかと言えば敵的存在でしかありませんでした。新幹線のお陰で、数々の著名な優等列車が過去のものへと追いやられた訳ですから。
そんなこともあって殆ど写真にも撮ったことがなかったんですが、暇つぶしに撮ったような写真が数枚見つかりました。
昭和53年9月 田町駅にて 大窓の0系編成
夕方のブルトレ撮影の際に撮っていた写真。普段は撮らないのに、待ち時間が暇だったんでしょうね(笑)。性能の良くないレンズで撮っていたので、解像力も悪いし、夕方だったのでブレて鮮明には写っていませんでした。
(ネガカラー写真)
昭和55年頃 品川駅にて
いかにもなんとなく撮った写真。
昭和55年頃 品川駅にて 300mmレンズによる流し撮り実験
品川駅で臨時列車などを期待して張り付いていたときに、やはり暇と見えてこんな写真も撮っていました。自分でも驚くほどピタリ止まっている写真で、画像では分かりにくいですが、表示の小さい形式-番号も見事に止まってハッキリ見えます。(ちなみに22-81となっています。)
このころは視力もそれほど悪くなかったので、300mmレンズを手持ちで振り回してバシバシ撮っていました。今では絶対に不可能ですが・・・。
(エクタクロームからダイレクトプリント)
昭和56年9月 品川駅にて 小窓の後期0系
こちらも暇つぶしの流し撮りでしょうか。上下にブレてしまい成功といえる写真ではありませんが、小窓車であることは判りますので、まぁ何とか・・・といったところでしょうか。
(モノクロネガTri-Xから紙焼き)
敵視していた新幹線車両ですし、撮影の手段としても乗り飽きていましたから、まともに撮ったのはありませんでした。今になって「もっとカッコ良くと撮っておけば良かった」なんて思ってしまいます。
100系もスタイルは良かったし、500系も近未来的なスタイルがカッコ良いと思いますが、東海道新幹線はやっぱり「0系」・・・なんですね。
にほんブログ村
新幹線と言えば0系。
昭和の時代、世界にその名を知らしめた「SINNKANSEN]は、戦後の復興を遂げた日本文化の代名詞と言っても良いのではないでしょうか。
さらにその新幹線の代名詞と言えば、0系と言って良いでしょう。
でも、子供の頃、新幹線と言えば迎え入れるべき友ではなく、どちらかと言えば敵的存在でしかありませんでした。新幹線のお陰で、数々の著名な優等列車が過去のものへと追いやられた訳ですから。
そんなこともあって殆ど写真にも撮ったことがなかったんですが、暇つぶしに撮ったような写真が数枚見つかりました。
昭和53年9月 田町駅にて 大窓の0系編成
夕方のブルトレ撮影の際に撮っていた写真。普段は撮らないのに、待ち時間が暇だったんでしょうね(笑)。性能の良くないレンズで撮っていたので、解像力も悪いし、夕方だったのでブレて鮮明には写っていませんでした。
(ネガカラー写真)
昭和55年頃 品川駅にて
いかにもなんとなく撮った写真。
昭和55年頃 品川駅にて 300mmレンズによる流し撮り実験
品川駅で臨時列車などを期待して張り付いていたときに、やはり暇と見えてこんな写真も撮っていました。自分でも驚くほどピタリ止まっている写真で、画像では分かりにくいですが、表示の小さい形式-番号も見事に止まってハッキリ見えます。(ちなみに22-81となっています。)
このころは視力もそれほど悪くなかったので、300mmレンズを手持ちで振り回してバシバシ撮っていました。今では絶対に不可能ですが・・・。
(エクタクロームからダイレクトプリント)
昭和56年9月 品川駅にて 小窓の後期0系
こちらも暇つぶしの流し撮りでしょうか。上下にブレてしまい成功といえる写真ではありませんが、小窓車であることは判りますので、まぁ何とか・・・といったところでしょうか。
(モノクロネガTri-Xから紙焼き)
敵視していた新幹線車両ですし、撮影の手段としても乗り飽きていましたから、まともに撮ったのはありませんでした。今になって「もっとカッコ良くと撮っておけば良かった」なんて思ってしまいます。
100系もスタイルは良かったし、500系も近未来的なスタイルがカッコ良いと思いますが、東海道新幹線はやっぱり「0系」・・・なんですね。
にほんブログ村