上野駅:地平ホーム遠景(昭和57年)
東北・上越新幹線が開業する前までは、北の玄関口と言えば上野駅でした。
東北・常磐方面、上信越方面へと、昼夜問わずに長距離列車が発着し、賑わいを見せていましたが、新幹線が上野まで乗り入れるようになると在来線の優等列車は激減。さらに新幹線の東京駅乗り入れが行われるようになると、通勤列車ばかりの終端駅と化してしまいました。
中学生の頃から上野駅に入り浸り、特急列車などを撮影していましたが、それはいずれも列車写真がメインであり、あまり「駅」という目線で撮影したことはありませんでした。
高校生の終わり頃だったか、薄れゆく上野駅の光景を広いところから撮ってみようと、一度だけ高いところから撮影したことがありました。
昭和57年 上野駅地平ホーム
東北新幹線の大宮暫定開業が昭和57年6月、昭和57年2月末には関東鉄道学園へ入所していますので、昭和57年の1月か2月頃、高校卒業間近に撮影したものだと思います。
高架ホームの11番線に103系常磐快速電車が停まっています。そして、地平ホームの17番線には485系ボンネット型「ひばり」、18番線には「ときわ」と思われる455(451)系急行列車、そして19番線には485系ボンネット型「ひたち」の姿が見えます。
上野駅には20番線がありましたが、東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事が盛んに行われており、20番線はなくなっていました。
また、上野駅とは関係ありませんが、バックに上野京成百貨店が写り込んでいます。
上野京成百貨店は、昭和59年に閉店、現在は丸井に変わっています。
今は上野東京ラインが開通し、通勤列車や常磐線特急でさえも上野の地平ホームに入らない列車が多くなり、この地平ホームも益々寂しくなってしまいました。
上部には新幹線通路の新設、18・19番線も新幹線乗換口や浅草口の移転でかなり様相が変わってしまったと思われます。
かつて帰省客でごった返した上野駅が再現されることは、この先もなさそうです。
東北・上越新幹線が開業する前までは、北の玄関口と言えば上野駅でした。
東北・常磐方面、上信越方面へと、昼夜問わずに長距離列車が発着し、賑わいを見せていましたが、新幹線が上野まで乗り入れるようになると在来線の優等列車は激減。さらに新幹線の東京駅乗り入れが行われるようになると、通勤列車ばかりの終端駅と化してしまいました。
中学生の頃から上野駅に入り浸り、特急列車などを撮影していましたが、それはいずれも列車写真がメインであり、あまり「駅」という目線で撮影したことはありませんでした。
高校生の終わり頃だったか、薄れゆく上野駅の光景を広いところから撮ってみようと、一度だけ高いところから撮影したことがありました。
昭和57年 上野駅地平ホーム
東北新幹線の大宮暫定開業が昭和57年6月、昭和57年2月末には関東鉄道学園へ入所していますので、昭和57年の1月か2月頃、高校卒業間近に撮影したものだと思います。
高架ホームの11番線に103系常磐快速電車が停まっています。そして、地平ホームの17番線には485系ボンネット型「ひばり」、18番線には「ときわ」と思われる455(451)系急行列車、そして19番線には485系ボンネット型「ひたち」の姿が見えます。
上野駅には20番線がありましたが、東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事が盛んに行われており、20番線はなくなっていました。
また、上野駅とは関係ありませんが、バックに上野京成百貨店が写り込んでいます。
上野京成百貨店は、昭和59年に閉店、現在は丸井に変わっています。
今は上野東京ラインが開通し、通勤列車や常磐線特急でさえも上野の地平ホームに入らない列車が多くなり、この地平ホームも益々寂しくなってしまいました。
上部には新幹線通路の新設、18・19番線も新幹線乗換口や浅草口の移転でかなり様相が変わってしまったと思われます。
かつて帰省客でごった返した上野駅が再現されることは、この先もなさそうです。
遅れましたけど、今年も宜しくお願いします。
さて、今や半ばアクビ状態になってしまった北の表玄関で、帝都の娯楽や文科の表玄関でもある上野駅だけど、田町~品川間の再開発が進行中のいま、頭端部分のこの界隈もゆくゆくは立体的空間を活用して再開発(おそらく駅本屋やコンコースは残されるでしょうが)も、考えられるだろうと思います。
平成から(仮・新元号)へ、この5月からわが国の歴史が大きく変わらんとしてる現在、不動産やゼネコン関係者の諸氏たちは、この界隈を注目してるのではないかと推測します。
以上をもちまして、失礼します。
上野駅は東北・常磐線が高架・地平にすべて振り分けられるようになっているため、非常に複雑な構造になっています。新幹線や地下鉄の位置関係もずらすことは容易ではないので、田町界隈のような民間を導入する再開発と言うのは難しそうですね。
しかし、頭端式の構造を残す必要もありませんから、まあ何十年か先には今の形態では無くなってしまうかもしれませんね。