ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

新しい体験は感謝して受ける。そして、苦しむ!

2015-06-20 20:38:48 | アート・文化
 いつだって公演てのは緊張する。いや、本番の前に盛りだくさんの苦難が待ち受けている。菜の花座の公演だって、シニア演劇学校の公演だって同じことだ。舞台や照明のプランを立て、資料を作ってスタッフとの打ち合わせを済ませ、前日の仕込み、リハーサル、ゲネプロ、一つ一つ足下の大岩を踏み越えて、本番という頂きにたどり着く。

 でも、菜の花座の場合、シニアの場合、勝手知ったる演劇の世界、勝手きままなフレンドリープラザでの話しだ。それに、一緒に支えてくれる団員たちがいる、プラザの担当職員がいる、気心知れた会館スタッフがいる。つまづいたとしても、もうまいしたとしても、間違ったとしても、誰かがカバーし、サポートしてくれる。だから、ちょっとばかり事前準備に手抜かりが有ったとしても、気にせず突き進める。

 ところが、今回体験した本番は、分野も大きく違うクラシック音楽、たった1人の頼まれ仕事、さらに、会場も馴染みの薄い置賜文化ホールときた。従来の演奏会とは違った斬新なコンサートを作りたい、それもピアノ四重奏と映像とダンスとのコラボレーションだって言うんだ。まっ、シニア全国大会が終わってから2週間はあるし、米沢芸文祭の経験もあることだし、何とかなっぺ、って気楽に引き受けた。もちろん、依頼が憧れのピアニスト小野弘子さんだったってことが大きいんだけど。

 まっ、余裕でやり遂げられたよ、って言いたいところだけど、裏も表も、右も左も、上も下も、本音も建て前もなく、めちゃくちゃ大変だった。普段なら、舞台監督も照明もつーかーの菜の花座メンバーなのだが、これが今回はプロのスタッフ、現場でなーなーなんて効かない。事前の資料もことこまかに丁寧に仕上げて臨まざるを得なかった。しかも、森の絵の描かれた紗幕を吊ったり、ホリゾント幕を使わなかったり、演奏エリアに段差を付けたりと、こんなの音楽会じゃないだろ!ってくらいのはちゃめちゃ要求したんだから、なおのことだった。あっ、もちろん、反響板は第一部のオーソドックスな演奏以外は飛ばしてなし。照明は、演奏者の顔が見えるかどうかの暗い作り。こんな常識破り、よほどこっちに自信がなけりゃ要求できない代物だ。いやいや、型どおり進めた第一部だって、天井反響版の明かりを使わず、フロントの斜め上からの明かりだけで、って言ったら、クラシックの演奏会でそんな照明はない!って照明スタッフにきつくたしなめられた。



 スタッフ以上に気を遣ったは、演奏者だ。クラシックの演奏者、それもバリバリのプロ、こっちがやりたいと思っても、演奏に支障を来すようなら無理強いはできない。最初は、明らかに戸惑っていたね。まっすぐってわけではなくても、視線の先から光が差し込むってってことにとっても過敏だった。1人1人高さの違う段上で演奏するのも、お互いの顔も見えない、音も聞きづらいと、引き気味でった。でも、主催の小野さんの希望はそれだったから、僕が頼まれたってことも、普段仕様を越えることだったわけだから、対応できることはきめ細かに対応しつつ、大筋は聞こえの振りして頑張り通した。そう、彼らだって、経験なんだよ。いつまでも、クラシックでございます、これがバッハ以来の伝統でございます、なんてすましかえってちゃだめなんだと思う。相当にやりにくかったようだが、観客の反応は上々だったし、最後は満足とまでは行かなくとも、これもやり方だ!くらいには納得してくれたんじゃないだろうか。

 他にも、一曲の演奏の途中で何度か照明を変えるそのキュー出しを読めもしない楽譜とにらめっこしながら必死で、しかし、はた目にはさりげなく自信に満ちてやり通したり、極力前明かりを作らずにダンス明かりを作ったり、このような機会でなければ絶対できないような冒険や挑戦をたくさんさせてもらった。照明についてはも上手く行ったと思えるとこもあれば、これは反省事項だなぁと悔いの残ることも数多くあった。ダンサーの鏡真知子とんにはお気の毒だったなぁ、冒険の巻き添えを食らわせてしまって。SSを使えないとか、1サスと2サスしか使えないとか、限られた条件はあったのだけど、もっともっと工夫すれば、もっといいものができたに違いない。力不足!この一言に尽きる。

 それでも、カーテンコールで思いがけず舞台に上げられたら、これまた思いがない拍手で、大いにほっとした。内容には不満は多々あたが、やったぜぇぇぇ!感が残る舞台仕事ではあった。機会を与えてくれた小野さん、ど素人のやりたい放題を許してくれた山響のメンバー、そして黙ってサポートしてくれた舞台スタッフに感謝、感謝だなぁ。

 本番に撮るわけにいかないので、練習の一コマと、プログラムを載せておこう。




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山形新聞日曜随想第5回『一丁前の顔して米作り』

2015-06-19 06:27:26 | 農業
 山形新聞日曜随想の第5回。いよいよ?米作りの登場だ。今や農業についての興味関心はいや増しに増している。本当だよ。農家の息子が家業をひた隠したり、農業高校が蔑まれた時代は終わったね。不定期雇用なんかの所為もあって、他産業への幻影は急速に薄れつつある。変わって農業が一気に注目株になってきた。そんな様子を、身近な例から書いてみた。


 田植えが終わった。東京からこの置賜に移り住んで33年、32回目の田植えということになる。うーん、なかなかに経験を積んだもんじゃないか!なのに、なのにだ、さっぱり技術は上がらない。毎年、毎年、失敗、惨敗、悪戦苦闘の連続だ。今出来の新米農家だし、兼業の米作りだから無理もないが、ここ数年に関して言えば、超中古農業機械に翻弄されたことが大きい。種がスムーズに落ちず苗箱もつっかえる種まき機とか、土が詰まってぼとぼとと田に苗を置き去りにする田植機とか、あり得ない事態の波状攻撃を気力と体力で乗り切ってきた田植えだった。10aの田を機械植えした後、なんとまる一日掛けて補植をするって、これ手植えじゃね?
 古い機械を大切に!その心には、資源は無駄使いしちゃわかんね!の、しみったれエコ精神とともに、譲ってくれた方への感謝の気持ちも大きかった。せっかくいただいた機械だ、とことん使い尽くそうじゃないか、それが仁義ってもんだ、って、おいおい、どこの世界の話しだ?
30年間の米作り、いろんな人たちから、貴重な援助と助言をもらって乗り越えてきた。農地の取得や有機農業技術はたかはた共生塾の恩人、友人、知人、にお世話になった。今ここで曲がりなりにも、一丁前の顔して米作りできるのも、寄ってたかって面倒見てくれた人たちのお陰なのだ。
我が家の田植えに戻って言えば、田んぼは3カ所37aほどを耕作している。うち大きな2枚、10aと12aについては、我が家で作り、残り15aについては、3人の人たちと手分けして米作りしている。そう、山間のとっても小さくかわいい田んぼたちなのだ。共同耕作ってことじゃない。それぞれが1~2枚の田を分担する個別営農だ。
一人は、都会から福島川俣町に移住して農家暮らしを目指したものの、原発事故に追われてここに移り住んできた青年。彼は、耕さず肥料もやらない自然農法を実践して3年になる。山間のざる田ゆえ収量は思うに任せないようだが、一人黙々と指掘り!手植えを実践している。
次は、公務員を退職してますます農業へのやる気を滾(たぎ)らせつつある男性。すでにここの田を作って20年近くになる。独自に株間、畝間を工夫したり、洗濯ホースを使って取水したりと、思いがけない工夫が光る。
もう一人は高畠移住数十年になる“新まほろば人” (都会から高畠への移住者をこう呼んでいる)だが、篤農家の有機農業技術を丁寧に守って、いつも草一本ない美しい!田を作り続けている。三者三様、農法に違いはあるが、水田耕作の狙いは一つ、自分で米作りたいじゃない!だって主食だもの!これだ。
今や家庭菜園は一大ブーム。季節となれば、ホームセンターには多種多様大量の野菜苗が、売り場を占拠し、駐車場にまではみ出す勢いだ。私の友人たちも、退職後、野菜作りに生き甲斐を見いだしている人間がとても多い。燦々と降り注ぐ太陽のもと、土に働きかけ、汗を流し、日々作物の顔を見ながら丹精し、新鮮で美味しい手作り野菜を収穫する、第二の人生の過ごし方として、なんと健康ではつらつとした趣味悠々だろう!
そんなにわか農民たちが心に秘める究極の願望、それは米作りなんじゃないか。なんと言っても米は主食、日本人の生命の源だ。消費量減ったって、食卓での重みが違う。毎日のごはんが手作り米!素晴らしい!そんなことできるのか?できれば最高!そんな潜在欲求は広く浸透しているって思うんだけど。
高齢化と後継者不足の今、貸し菜園ならぬ、貸し水田、いけるんじゃないか、知恵出し合ってみても悪くはないと思う。越えるべき難問は多々あるけれど、荒らして原野に戻すよりいいさね。なっ、そう思わねか?
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シニア演劇講師で朗読講習会受講って、微妙!

2015-06-18 10:05:53 | 演劇
 シニア4期生稽古、今回は「朗読講習会」に参加だ。以前からプラザが力を入れている「朗読講習会」に生徒も講師の僕もまるこど加えてもらった。シニアに教えてるってことは内緒にして。講師はNHK放送研修センターの高橋淳之さん。

 うっかり開始時間を間違えて、開始後15分に到着したら、なんと、舞台全面にしつらえたコの字のテーブルが満席!お断りもあって定員30名きっかりの参加者、驚いた。こんなに沢山の人たちが朗読に興味もってるなんて!凄い!朗読に関心あるなら、シニア演劇はどう?菜の花座の芝居見に来てくれてもいい、なんて、ついつい我が家の事情に引きつけて妄想してしまう。



 講座の内容は、前半がアクセントとイントネーションについてのお話し。日本語でアクセントとは、音の高低にあるって内容は、すでに僕らにとってはお馴染み。初めて教わってのは、イントネーションについて。文章全体としてのアクセントってことで、単語が文章に組み込まれると、アクセントが単語独自の時とは違ってくる場合もあるってことだった。無意識に実践していることなので、例文を読まされても正しいイントネーションで読むことができたが、理屈についてはこれまでまったく意識していなかった。

 あと、関西方言は母音を省くことなく丁寧に発音するので、単語が文章に組み込まれてもアクセントがそのまま残るが、共通語の関東地方では、母音が省略されやすくアクセントよりイントネーションが大切になっている、なんて話しも、なーるほど!の新知識だ。

 休憩の後、芥川龍之介の「トロッコ」をテキストにして朗読の研修。1人2文程度読んで録音し、講師がそれを批評しながら朗読の要点を教授していくというものだ。講習参加者1人1人の読み、なかなか興味深いものがあった。素直だけど、声に力がない人、アクセントがかなり苦手そうな人、自己流の上手さにはまり込んでる人、人前で読むのが苦手な人、・・・本当に十人十色だなぁ。ただ、朗読に入る前に朗読コツのコツみたいな話しを簡単にしておいてもらうと、それぞれの人が気持ちを込めて読めたのじゃないかな。最初に読まされた人たちはちょっと可哀想、アクセントなどの話しの続きってこともあって、正確に読むことを心がけてたみたいだったから。

 端から単文の朗読が続いて、おおーっ、僕まで来そうじゃない。これはやばいぞ。演劇学校の講師が下手な朗読したりしたら、この先お役ご免になっちまう。生徒たちも聞いてることだし、違いしっかり見せつけなくちゃ、と構えていたら、直前で、終了。ほっとしたのも束の間、じゃあ、もう一度最後の部分読んで貰いましょう、だって。

 こういうの苦手なんだよね、実を言うと。極度の人見知りの上がり症、で、なんで演劇指導できるんだ?!まぁ、それはそれとして。何度も稽古したりその場に慣れてしまうまでは、緊張感半端じゃないんだ。でも、読まないわけに行かない。で、まぁ、トロッコで走り下る少年の高揚感をできるだけ表現しようと必死で読んだ。
 
 講師の評言は、なかなか雰囲気出てますねぇ。ただ、力んでる、だった。力が入った理由は上の通り。文の情景を少しでも表せてたと評価されたから、まずは、ほっ!でも、録音を聞いてみると、下手!ズブ素人!力んでるだけじゃない。全体に走っていて間が短すぎ。読みの感情表現も不十分。恥ずかしくなるような出来だった。当然、厳しくダメだしするよ、僕だって、こんな朗読。

 講習の最後に、良き朗読に向けて注意する点三つ。(1)頭は高く出る。(2)息を吐ききる(3)名詞は明瞭に発声する。いずれも演劇でも有効、役に立つ指摘だ。でも、(1)は必ずしも当てはまらないだろうな。実際、低く語り始める人も何人か居たってことは、現実の会話では低く入るってこともリアルなわけだ。文を読み聞かせる朗読とは自ずと異なるせりふ術が求められるってことだろう。

 最後に講師が強調していたことは、良く聞きましょう、耳を鋭敏にしましょう、ってことで、これはいっつも僕がくどくどと言い続けていることでもあった。
 
 
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芝居は衣装から入る?

2015-06-17 08:36:47 | 演劇
 菜の花座次回公演『お遍路颪』、3回目の稽古。出演者は女性だけ10人。中心になるのは若手3人だが、シニア7人が脇をしっかり固める。と言っても、脇役なんかではない。かなり大切な役回りだし、1人3役!ってこともありかなり難易度は高い。しかも、ある意味とても美味しい役だ。人によっては、1000字~1200字という長ぜりふもある。シニアに長ぜりふ?それ無理無理!と口では言っていても、内心は、やてっやる!任せなさい!と気合い十分のはずだ。

 気合いが入ってる証拠に、集まりがとても良い。山形市や福島市からのメンバーも時間を違えず来ている。刺激されて若手の集合時間も早めになった。常に全員で稽古ができる、とてもいい雰囲気だ。

 やる気満点は、衣装決めにも表れている。お遍路の白衣もすでに2着届いていて、そのうち1着は、実際に最上33観音巡礼に着たものだという。さすが、シニア!お遍路は芝居の世界だけの話しじゃなかった。


 
 菅笠も幾つかそろい、そのうち、花笠踊り用の傘から花を外して転用することになった。



 下に履くタッツキは置農演劇部から大量に借用。



 首から下げる和袈裟は、メンバーの畳屋母ちゃんから、畳の縁地を安く譲ってもらえないか、交渉することになった。手っ甲脚絆もすでに型紙ができている。わらじも1足あったが、残りの分は、川西町のわら細工名人に作ってもらえるかどうか、問い合わせ中。



 凄い!まだ3回目の稽古でだよ。まぁ、普通この段階なら、まずは芝居をよく理解するとか役柄を肉付けするとかだと思うのだけど、衣装から入るってとこが、女性、しかもシニアらしい。白衣は何人分必要か?とか、聞かれても咄嗟に応えられない。正直、まだ演出プラン固まってないから、お遍路として登場する6人以外の衣装をどうするか、決めていない。

 しかし、彼女たちにはこれがとても不安で不満。手作りするなら早めに枚数と作り手の割り当てを決めて、ちゃっちゃと終わらせてしまいたいのだ。稽古も終盤の追い上げになれば、衣装作りなどかまっていられない。舞台の仕上げに集中したい、だから、さっさと持ち寄り、てきぱき決めて、どんどん縫い上げてしまいたいということなのだ。早く衣装が揃えば、実際に身にまとって稽古もできる。そうすれば、気持ちの入り方も違ってくる。

 う~ん、その通り!この考え方、まったく正しい!これまでの菜の花座のやり方、最終段階まですべてを引きずる、こっちの方がが間違っているのだ。芝居が見えてくるのを待つ、なんて言い訳に過ぎない。初期の段階から、どしどし可視化していかなくてはならないんだ。特に、演出は!事前に綿密なプランを立てて役者をリードしていく、理想の有り様だ。最近の僕はこの部分、ちょっと怠けてる感がたしかにあった。

 ただ、役者が動くことで見えてくる部分や、閃いてくるものも少なくないわけで、稽古しながら考えていくって所も大切にしていきたい。作者だからって、演出だからって、最初から何からなにまで見えてるわけじゃない。書かれた台本は、稽古に入った段階からもはや独立の存在だ。書き手が意図した以上のものが読み取られることだって少なくはない。無意識に書いたことが、思わぬ広がりや転がり方をしていく場合だってある。役者にしてみれば、早く固めてよ、決めたら変えないで!って思いは強いと思う。それもわかる。でも、最後の最後まで自由度を留保しておきたくもあるのだね、演出としては。

 しかし、本番まで2ヶ月足らずの『お遍路颪』公演、どんなに急いても、先走りなんてことはまったくない。最初から目一杯走って、走り抜ける、その気持ちで取り組まないと仕上がらないだろう。シニアたちの舞台慣れない故のせっかちも、この際、大きな駆動力だ。一気にアクセル踏み込んで、ダッシュしよう。よっしゃ、来週には立ち稽古に入るぞ!と、こっちも気合い十分だ。
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水見は夜の快楽?

2015-06-16 10:41:01 | 農業
 雨が降らない!連休の頃からだから、もう1ヶ月は軽く越えた。たまに降っても、お湿りにもならない。いい加減にしてくれよ!

 畑は毎日の水やりが日課になっている。午前中2時間近くかけて、水をやる。中でもブルーベリーは乾燥が大嫌い!ちょっと晴天が続くと、枝先がくたぁっと下を向き、身も世もないほどの萎れようだ。せっかく実がついていよいよ収穫が始まるっていうのに、ここで降参されちゃ、これまでの手厚い介護はなんだったんだ。だから、水やり欠かせない。

 田んぼの方も、やばやばの状況になってきた。水路の水、来るには来るが、圧倒的に足りない。夜通し引き込んでも、朝、田面が一部顔を覗かせている。上流の人も、下流の人もいるから、むやみやたらと引っ張ってきて、すべて我が家の田に流し込むなんて、そんな我田引水はできない。仕方なく、日中も水を入れ続ける。本当は、止めて田の水を温めたいんだけど。

 その点、地下水くみ上げの二つの田んぼは、たっぷりと水があるので気が楽だ。特に我が家だけで水を使ってる井戸は、いつ出そうと、どんだけ出そうと自由気まま、常にイネのお好み次第、気持ち良さそうぅぅな水位を保つことができる。

 日中、ちょうどいい湯加減、大袈裟じゃない本当にぬるま湯になる、にとどめて、蒸発と地下浸透で失われた分を夜間に補給する、これがもっとも望ましい形だ。ただ、夜通しポンプを回していると、水位が深すぎることになり、時には畦からあふれ出ることもある。これはもったいない!電気も水も。それ以上に、10時間以上も地下の冷水を浴び続けるイネの辛さを考えると、とても、そんな出し方で、イネの悲鳴を聞くのは忍びない。

 で、今年から、夜、仕事を上がる6時頃に出し、寝る前の11時前後に止める、そんな方法を実践している。幸い田んぼまでは100mほど、ほろ酔い加減で歩いたところで大した負担ではない。週のうち3日は、菜の花座とシニア演劇学校で帰りは夜11時近く、帰り際に止めてくればいいわけで、これまた好都合。と、いうことで、田植えからかれこれ1ヶ月、田んぼの夜回りを続けている。

 さて始めてみると、これが思いのほかの心地よ。時間は遅いが夕涼み気分がぴたりとはまった。星空を眺めながら、散歩気分で道をたどる。賑やかなカエルの大合唱。のどかだなぁ、って夜中に言うせりふじゃないか。そして、この夜の水見で、今、一番気に入っている風景が、これ。水面に整列したイネの隊列だ。



 神秘的な美しさ!なんか、宮沢賢治の世界のようじゃないか!「バナナン大将」とか「月夜の電信柱」とか。星空の下、きちっと整列したイネたち、これからどこかに向けて行進していくかのようだ。この不思議な光景を見るってことも、夜の水見の大きな喜びの一つになっている。さらにぐいぐいと育って行って、イネの軍隊はどうなって行くんだろう。あと1ヶ月もすれば、水面を覆うほどにおがって、また別の光景を見せてくれるに違いない。それも楽しみだ。

 そうそう、そのころにゃ、蛍の乱舞も楽しめることだしね。
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