ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

山形新聞日曜随想第5回『一丁前の顔して米作り』

2015-06-19 06:27:26 | 農業
 山形新聞日曜随想の第5回。いよいよ?米作りの登場だ。今や農業についての興味関心はいや増しに増している。本当だよ。農家の息子が家業をひた隠したり、農業高校が蔑まれた時代は終わったね。不定期雇用なんかの所為もあって、他産業への幻影は急速に薄れつつある。変わって農業が一気に注目株になってきた。そんな様子を、身近な例から書いてみた。


 田植えが終わった。東京からこの置賜に移り住んで33年、32回目の田植えということになる。うーん、なかなかに経験を積んだもんじゃないか!なのに、なのにだ、さっぱり技術は上がらない。毎年、毎年、失敗、惨敗、悪戦苦闘の連続だ。今出来の新米農家だし、兼業の米作りだから無理もないが、ここ数年に関して言えば、超中古農業機械に翻弄されたことが大きい。種がスムーズに落ちず苗箱もつっかえる種まき機とか、土が詰まってぼとぼとと田に苗を置き去りにする田植機とか、あり得ない事態の波状攻撃を気力と体力で乗り切ってきた田植えだった。10aの田を機械植えした後、なんとまる一日掛けて補植をするって、これ手植えじゃね?
 古い機械を大切に!その心には、資源は無駄使いしちゃわかんね!の、しみったれエコ精神とともに、譲ってくれた方への感謝の気持ちも大きかった。せっかくいただいた機械だ、とことん使い尽くそうじゃないか、それが仁義ってもんだ、って、おいおい、どこの世界の話しだ?
30年間の米作り、いろんな人たちから、貴重な援助と助言をもらって乗り越えてきた。農地の取得や有機農業技術はたかはた共生塾の恩人、友人、知人、にお世話になった。今ここで曲がりなりにも、一丁前の顔して米作りできるのも、寄ってたかって面倒見てくれた人たちのお陰なのだ。
我が家の田植えに戻って言えば、田んぼは3カ所37aほどを耕作している。うち大きな2枚、10aと12aについては、我が家で作り、残り15aについては、3人の人たちと手分けして米作りしている。そう、山間のとっても小さくかわいい田んぼたちなのだ。共同耕作ってことじゃない。それぞれが1~2枚の田を分担する個別営農だ。
一人は、都会から福島川俣町に移住して農家暮らしを目指したものの、原発事故に追われてここに移り住んできた青年。彼は、耕さず肥料もやらない自然農法を実践して3年になる。山間のざる田ゆえ収量は思うに任せないようだが、一人黙々と指掘り!手植えを実践している。
次は、公務員を退職してますます農業へのやる気を滾(たぎ)らせつつある男性。すでにここの田を作って20年近くになる。独自に株間、畝間を工夫したり、洗濯ホースを使って取水したりと、思いがけない工夫が光る。
もう一人は高畠移住数十年になる“新まほろば人” (都会から高畠への移住者をこう呼んでいる)だが、篤農家の有機農業技術を丁寧に守って、いつも草一本ない美しい!田を作り続けている。三者三様、農法に違いはあるが、水田耕作の狙いは一つ、自分で米作りたいじゃない!だって主食だもの!これだ。
今や家庭菜園は一大ブーム。季節となれば、ホームセンターには多種多様大量の野菜苗が、売り場を占拠し、駐車場にまではみ出す勢いだ。私の友人たちも、退職後、野菜作りに生き甲斐を見いだしている人間がとても多い。燦々と降り注ぐ太陽のもと、土に働きかけ、汗を流し、日々作物の顔を見ながら丹精し、新鮮で美味しい手作り野菜を収穫する、第二の人生の過ごし方として、なんと健康ではつらつとした趣味悠々だろう!
そんなにわか農民たちが心に秘める究極の願望、それは米作りなんじゃないか。なんと言っても米は主食、日本人の生命の源だ。消費量減ったって、食卓での重みが違う。毎日のごはんが手作り米!素晴らしい!そんなことできるのか?できれば最高!そんな潜在欲求は広く浸透しているって思うんだけど。
高齢化と後継者不足の今、貸し菜園ならぬ、貸し水田、いけるんじゃないか、知恵出し合ってみても悪くはないと思う。越えるべき難問は多々あるけれど、荒らして原野に戻すよりいいさね。なっ、そう思わねか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シニア演劇講師で朗読講習会... | トップ | 新しい体験は感謝して受ける... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農業」カテゴリの最新記事