ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ひょっこりひょうたん島オンステージ

2011-08-10 23:34:54 | 地域文化

 フレンドリープラザの運営委員会だった。

 プラザも開館当時の熱気はなくなったなぁ。客も少なくなったし、かかる舞台も質量ともに低下傾向だ。なんとかせにゃ!!みんなの思いだ。

 そんな中で会館の視察が増えているんだって。その狙いは、雪を利用した冷房施設。あじゃぁ!プラザは数年前から、夏場の冷房に冬場だっぷり降った雪を貯蔵して活用している。この設備が、今のエコライフの時代風潮にぴたっと合って、自治体や会館関係者の見学が大繁盛なんだって。

 まっ、みんなが見に来てくれるのは悪い話しじゃないが、文化ホールとしてはちょっと寂しい。中身じゃないわけだから。せっかく全国から人が来てくれるのに、エコ冷房だけかよ。

 そんな話しを聞いて、むらむらとアイディア湧いてきちまったよ。エコ冷房の視察者にプラザゆかりの軽い出し物を見てもらおう、なんてのはどうか?ひょっこりひょうたん島のダンス数曲のステージなんてどうだろうか。もちろん演じるのは置農演劇部だ。

 菜の花座とか他の町民グループがやれればそれにこしたことはない。でも、フットワークの軽快さ、ダンスの力量から言って置農演劇部以上の適任はいないだろうな。

 こんなことをちらりと思いついたのは、子どもミュージカルや演歌ショーの客出しでやっているひょっこりひょうたん島の歌と踊りがことの他の好評だからだ。とりわけ中年以上のお客様には絶大の感動効果を発揮している。僕自身、何度見ても涙わき上がってくるから。

 「海の向こうの水平線に 何かがきっと待っている。」この歌詞は今の時代にぴったりだって思わないか。これこそ、がんばろう東北だよ。この曲の他に何曲かピックアップして20分程度のダンスステージを作るんだ。

 それを視察とセットにする。最初から料金設定すると敬遠されるから、無料で見てもらうことにして、ただし投げ銭お構いなし!ってことにする。視察に来る人たちって慰安旅行気分だから金離れは悪くないと思う。上手にし向ければそこそこ投げ銭集まるんじゃないか?

 いや、金にならなくてもいいんだ。井上ひさしゆかりのホールでひょうたん島のショー見てきた、なんてちょっと土産話にいいんじゃない?しかも演じてるのは地元の高校生!これはなかなかの企画だと思うな。

 このセットで視察を終えてもらえば、川西町が井上さんのふるさとで、その遺産を町なりに継承しているってこともわかってもらえると思うんだ。こんな提案を口から出任せに放り出してきた。

 あと、こんことも提案したかった。それは置農演劇部員と作る子供ミュージカル!っていうの。プラザには子ども演劇教室っていう素晴らしい取り組みがあるのだけど、その発展形式として、高校生が相手して子ども達とミュージカルを創るって試みだ。歳の近い高校生が一緒に指導してくれるって、大人がやるのとは大違いだって思うんだけど、どうだろう。

 アイディアはいろいろある。で、そのポイントは、地域の力を最大限活用するってことなんだ。置農演劇部だけじゃない。踊りの先生やカラオケの名人、合唱団、カメラクラブ、そういう熱中人を巧みにプログラムの中に引き込めばいい。設定の仕方一つで、喜んで加わってくれると思う。外部の先生も大切だし必要だ。でも、文化は都市から来るものって常識にそろそろおさらばする時期じゃないだろうか。

 

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握手もいいなぁ!

2011-08-08 20:46:27 | 地域文化

 今日は午後から南陽市やすらぎ荘で演歌ショー『夢芝居』の公演だった。南陽市のピンクのバスのお迎えで会場到着。中川小学校での子どもミュージカル公演といい今日といい、南陽市のフットワークの軽快さに感動する。市町村が気軽に動かせれるバスなどを持っていると、ボランティアはもちろん、いろんな活動の幅が広がるよなぁぁ。

 今日の老人ホームは特別養護の老人ホームではなかった。てことは、比較的元気なお年寄りの入所者多いってこと。なるほど今まで出かけた所とは随分雰囲気が違う。うーん、勉強になるなぁ。一人で勝手に動き回ってる人も多くて、一瞬スタッフの人かと勘違いするほど活動的な人もいた。

 そういう元気なお年寄りなので、反応は老人クラブに近いかって思ったが、意外と控えめでおとなしい反応だった。時に「上手だねぇぇ」って声も聞こえるが、おおかたのお年寄りは静かに鑑賞?手拍子もほとんどなかった。なんだろうな?我々の踊り程度じゃ満足してもらえないか?うーん、男性が多いてのも、原因かな?など半ば落胆しつつ公演を終えた。

 ところが、挨拶が終わった後、司会者からお年寄りと握手をと求められ、部員達が会場に入り込んだら、一気に盛り上がったのには驚いた。どのお年寄りも次々に高校生の手を握り、しきり何か話しかけている。掴んだまま離さないお年寄りもいる。会場の一番奥でちょっと皮肉ぼく?見ていた男性陣も女生徒が近寄っていったら、もう、嬉しそうに握手、握手だった。

 そうか、スキンシップとか、個人との接触って言うのが大事なんだ。客席と舞台では、お年寄りは観客の一人に過ぎない。でも、一人一人声を掛けて欲しいんだ。一人の人間としてつながりを作りたいってことなんだ。

 これまで、握手するってことに、こちらはちょっと尻込みしがちだった。そんなこと、馬鹿にするなって怒られるんじゃないかって。でも、考えて見るとスタッフ以外の人間と手を握り合うなんて体験は、本当に少ないに違いないんだ。まして、高校生だ。

 玄関まで見送りにきてくれた何人ものお年寄り、ここでもまた、いつまでも握手、握手が続いていた。そんな光景にちょっとうるうるとしてしまった。

 これからは、こちらから、公演終了後に握手交流っていかがですか?と提案してみることにしよう。今日もまた、新しいことを学んだ公演だったなぁぁぁぁ。

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『漂流』台本完成

2011-08-07 23:14:56 | 演劇

 大会作品『漂流』の台本が完成した。

 まさか、こんなにスムーズに行くとは思わなかった。書き始めて一週間だ。これは記録的な速さだ。

 この作品のことを考え始めたのは、4月頃か。それからずーっと考え続けていた。津波のこと、その行方不明者のこと。でも、書き始められなかった。そんなこと僕が書いていいのかどうか、迷った。書けるかどうかも自信がなかった。ミュージカルにしたらと思いついたのはいつ頃だろう。僕なりのレクイエムにしたいと思った。

 ぐすぐずと悩みつつ、ずるずると日が経過して、どう考えても今の状況では他の題材など書けるわけがないと気づいて踏み切れた。

 こんなに早く書けたのは、楽曲先行で取りかかったからだ。作曲をお願いする以上、歌詞を上げなくてはならない。台本は出来ていないので、せめてあらすじを丁寧に作る必要がある。歌がどんなシーンでどのような役によって、どんな気持ちで歌われるのか、作曲の知野さんに伝えなくちゃならなかったから。

 歌詞を渡し、あらすじを何度かメールで送ったら、思いがけず早く楽曲が上がってきた。内容から言ってどうしても難しい曲になってしまうから、1日でも早く練習に入ってほしいという要望だった。

 これで尻に火がついた。すでに歌詞は出来ている。それをはめ込む流れもほぼ完成形だ。とすれば、後はその合間を埋めていく操作だけ。でも、これがきっと難しいと感じていた。

 漂流する漁船、そこに乗り合わせた死者の魂たち。せりふのある登場人物だけで17役(役者15人)。そこには明治29年の津波の死者もいれば、昭和8年の死者もいる。さらに一説に津波で竜宮城にたどり着いたという浦島太郎。太郎が出れば当然乙姫や鯛や蛸の侍女たちもいて、ついには南海の普陀洛浄土を目指す渡海上人もいるなんて突拍子のなさなのだ。すんなり書けるはずがないって思っていた。

 なのに、なのにの一週間だった。少し遊びに走った部分はあるが、全体にたるみのない作品が書けたと思っている。もっと深刻に掘り下げて描写するという方法もあったのかもしれない。でも、ことの重大さなら、現実に起こったことにはかなわない。舞台には舞台の表現があるはずだと思った。テレビや新聞で取り上げられないシーンや言葉を書こうと思った。

 この作品が被災された方々にどう受け止められるのか、まったく自信がない。甘いの一言で終わるかもしれない。心に達しないと軽蔑されるかもしれない。でも、書いた。後は舞台を立ち上げていく。この舞台制作を通して、生徒ともども被災の意味を死者の心を辿っていきたいと思う。

 

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演歌ショー『夢芝居』ダブルヘッダー

2011-08-06 21:15:57 | 教育

 演歌ショー『夢芝居』1日2回公演だった。一回目は川西町の老人ホーム「そよ風の森」12時に集合して、2時からの公演。今日は昨日の会場と違い控え室に大きな部屋をいただけたので、きっちりストレッチをして、課題となっていた二曲と1年生の特訓ができた。

 課題は「浪花節だよ人生は」と「祝い酒」この二曲時間の都合で割愛されることが多いので、どうもそろわない。しかもどちらも難しい扇使いの曲。一人一人が自分の感覚で踊っているので、多数で踊るとてんでんばらばら。これを一つにまとめなくちゃとずっと思っていた。

 本当なら先生の踊りに合わせてまとめるのが筋なのだけど、なんせお師匠さんからは1日レッスン受けただけ、それも女踊りが主体だったってことで、男達の「浪花節・・・」はまったく悲惨な出来が続いていた。ともかく一つの踊りにしていこうという気持ちが少なすぎるのだ。求心力ってものが誰にもない。ここらでなんとかと思っていたので、今日の空いた時間を踊りの合わせに使った。

 合わせるとなると、誰か一人を基準にするしかない。たとえその人間の振りに間違った部分があったとしても、不自然でなければ、強引にでも統一するしかない。上手いとか下手とかの問題じゃない。一番、きちん踊れている人間を基準にすることにした。ちょっと踊れると思っている奴らには不満はあったようだが、往々にしてそういう連中は自己流の部分が多いので基準にならない。真面目で几帳面な副部長のノリオの踊りを基準にすることにし、全員がノリオと同じように踊れ!と厳命した。ここはもう、顧問の権威でまとめるしかない。さすがにメンバーも合わせる必要性は感じていたので、ほぼ同じ振りにまとめることができた。

 公演はいつもの通り、お年寄りから凄いよ~とか上手ねーーと声が飛び、終われば涙を浮かべて感激しきりの会場風景だった。公演を続けながら次の会場への移動準備をしてタクシーに分譲して本日2度目の公演会場川西町農村環境改善センターへ移動。

 ここが本日の大きな挑戦の場。何故って観客が中高生なんだから。中高生に演歌ショー?これって無理ないか?ボランティアセミナーの事例発表としてやってほしいって話しがあった時は、一瞬耳を疑ったね。で、大丈夫かって疑問が浮かんで、よし!面白い挑戦しようじゃないのって気持ちは固まった。

 参加者15名、少ない!チラシに事例発表:置農演劇部演歌ショーってあって参加取りやめた中高生かなりいるのじゃないかとちょっと申し訳ない気にもなったが、それはこちらの責任の及ばぬところ。多かろうと少なかろうとお客さんがいる限り精一杯舞台を務めるだけ。

 事例発表なので、始めに5分程度プレゼンで活動の紹介をした。これがまたなんと今朝までかかってようやく仕上がったパワーポイント!また出た!顧問Nの得意技、公演直前仕上げ!でも、ぎりぎり頑張っただけあって、置農演劇部の全体像が上手に紹介されていた。まとめの3項目、「高校生の能力は限りない」「挑戦し続ける大切さ」「忙しさが力」これはボランティアセミナーの参加者には感じるものか゜あったんじゃないかな。

 さて、演技の方は、やっぱり力入ってたねぇぇぇ。なんたって冷たい中高生だからね。下手したらしら~~~っと流し目送られかねない。精一杯やって圧倒するっきゃないって全員が気持ち固めていたようで、特に「愛ダンス」や「よさこいソーラン」なんかはど迫力の舞台になっていた。さっ、これでどうだ!?

 部員達の意気込み、さすがに伝わったようだった。中高生もかなり感心していたし、それ以上に主催者の教育事務所の先生方がいたく感動してくださった。社会教育課長さんからは、「これはもうお年寄り相手よりも、中学生にぜひ見せてほしい公演だ」とお褒めいただいた。さらに、「ぜひ、いろんな機会に出演をお願いしたい。」とも言っていただけた。

 そうか!!これ、もしかすっと、なかなかいいアイディアかもしれない。演歌ショーを中学生に。コントを中学生向きのものに変えてダンスのバランスを高くすれば、たしかにいいかもしれないな。そんなステージ持って回れたら、置農の志願者増えるかもしれないし。それ以上に、中学生がダンスや芝居に興味持ってもらえれば、これはもう素晴らしい成果だ。この方向性、真面目に検討してみることにしよう。ということで、無理したぶんだけ得たものも大きな超多忙だった。

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大会作品2011『漂流』

2011-08-03 20:49:19 | 演劇

 ここに書くってことになかなか踏み切れなかった。

 本当にやるのか?本当に書けるのか?これをやってもいいのか?

 ずっと気持ちが定まらぬままでいた。東日本大震災のこと。今でも、いいのか?疑問はしつこく迫ってくる。どうあがいてみたところで、被災した人たちの心に同化することなんてできない。まして、亡くなった人たちのことなど。

 寄り添うなどと言うのは簡単だ。でも、それはこちらでそう思っているだけのこと。被災者にしてみれば、ありがた迷惑の部分もきっと多いことだろう。わかっちゃいないよ、遭遇した者にしかわからないよ、そんな声が聞こえてくる。その通りだと思う。

 でも、今、これを書くしかないと感じている僕も事実なのだ。で、書き始めた。ミュージカルだ。作曲は知野さんにお願いしすでに数曲が上がってきた。台本も数日前から書き始め、思いがけずスムーズに進んでいる。もはや賽は振られた。

 この大震災での行方不明者4600人余、その多くは海に連れ去られた人たちだろう。今も身の置き所なくさまよっているに違いない。港から流れ去り太平洋を無人でさまよう船も多いと聞く。大海を漂う漁船に身を寄せる人々の魂を描いた。

 今日は、送られてきた音源を使って稽古をした。漁師たちの歌う民謡演歌がある。、コミカルソングがある。そして、ご詠歌を今に生かした詠唱がある。こちらの狙いをしっかり掴んだ素晴らしい曲が届いた。

 とりわけ詠唱だ。歌詞を紹介しよう。

SONG8『詠唱』(御詠歌を新しいセンスで)

人は死ぬ いつかは果てる 何人も

避け得ぬ

運命を頷きつつも

なぜ私 怒り突き上げ なぜに今

心残りは 身をば苛む

野も山も 魂魄あふれ 海原を

漂う命 さすらう思い

声かすか 波路を渡り 届く声

愛しき人の 悼む思いは

いつまでも あなたとともに 祈りつつ

涙くれつつ 思い馳せつつ

いつまでも あなたとともに

涙くれつつ

いつまでも あなたとともに

思い馳せつつ

祈りつつ

祈りつつ

 劇の最後でご詠歌の鐘の音だけのバックでアカペラで歌われる。拙い稽古だった。

ろうじてメロディをたどるだけの稽古だった。なのに、最後の部分はこみ上げる涙

歌いきることができなかった。僕が舞台に立つのでなくて本当によかった。

 哀悼の曲だ。夜の海に輝くいくつも灯、夜光虫なのか、ひと霊なのか、静かに浮か

上がる漁船、そしてそこに魂を寄せた人々を、この詠唱が包み込む。そんなラスト

ーンを考えている。

(

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