泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

連休は走り回ってました

2009-01-12 23:51:17 | 丹下一の泡盛日記
 9日夜、美味しい晩ご飯を食べた。
 10日、大阪のホテルの中のN万で朝ご飯食べちまったぜ。
 そして9時半から夕方までかかりワークショップを2本連続で。終了後、さすがにちょっとへばった。
 日帰りで別講座を担当していたかみさんと合流し、お好み焼き食べて一緒に帰る。新幹線の中はもちろん爆睡。

 11日、Cちゃんの帰国近づきAFSの送別会。他の留学生たちとはじめて会う。チェコ、マレーシア、ドイツ、スウェーデン、そしてCちゃんはアメリカから。
 チェコの留学生の前でポーランド語使ってみた。3分の1は共通というので。通じた♪
 マレーシアの子の前で久しぶりにマレー語使った。通じた。喜んでた。「マレー語聞いたの久しぶりです」彼はタミール系で大野晋さんの日本語タミール起源説も知っていて話が弾んだ。

 その後、表参道でかみさんと体のケアを受けたあと学院(高校)の同窓会へ。3年間同じクラスだったのでいくつになっても一緒になると盛り上がる。
 卒業以来の顔もいたり、話してみると意外な共通の知人がいたりで世間は狭い。
 16時集合で(自分たちが行ったのは18時ごろ)、延々と飲み続けるという企画。さすがというかなんと言おうか。。。

 べおべろになって解散後、酒豪のKが「うちに来い」。Kの自宅は表参道ですぐそこなのだ。
 自分は大阪の疲れもあって途中で寝てしまった。かみさんはぐいぐい飲んでいたのだが、中途半端な気持ちで自分をひきずってタクシーに乗せ逗子まで戻る。
 帰宅してそのままベッドに倒れこんだ。

 12日、さすがに二日酔いのまま、6日に急逝したこれも学院の美術部の友人Sのお別れの会へ。4~50人を想定していたそうだがものすごい人で座れない。Sの人徳だな。
 散骨プロジェクト主催のNも夫妻で。
 どこかで見た顔が多いなと思っていたらSのクラスメートたちで高校の同期になる。
 アメリカ留学中だった息子さんがステージでギターを弾いていた。2人の娘さんは受付。息子が生まれた時の喜びがはじけているような彼の年賀状を思い出す。

 昔の写真の中に散骨しているAさんが写っているものがありいただいて帰る。お母様に送ろうと思う。
 そして彼の蔵書を形見に3冊ほどいただく。大学でデザインも教えていたS。さすがの本たちが並ぶ。中にベケット辞典があり驚く。これは自分が預からねばと思う。

 年が明けてから訃報が続いてちときつい。だから思いっきり好きなことをやんないとね。
 S、ありがとう。そのうち向こうでまた飲もうね。
 合掌。
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