泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

トネリコの木

2018-08-16 23:48:51 | 丹下一の泡盛日記
朝から玄関のチャイムで起こされる。
上の階の部屋を工事するのだという。
お盆で夏休みだから「もしかするといないかも♪」と思っていたのだろうか。
寝不足の不機嫌な声で(そんなつもりは無かったのだけど)「ふぁい?」なんてインターホンで応えちまったので。
なんだか向こうで青くなっている様子が。。。。
その後、階上から密やかな足音とぐあああ、というドリル音が(-_-;;;
その中で親戚の若い男子が今仕事でコロンビアに滞在中。
なんてメールを読みつつ。
彼の名前の由来になった人の娘さんに、そのことを伝えたことがあって。
「まあ!」と喜んでいただいた、なんて随分前の話を朝風呂の中で思い出した。
風呂上がりに体重を量ったら大変なことになっていたので、コーヒーだけにしよう、と思ったのだけど、いつの間にかトーストを焼いている(-_-;;;;
気になっていた手紙を書きあげる。
昨年冬に右手の親指が「バネ指」になり、半年以上かかって完治したのだけど、その間ペンで字を書くのが厳しかった。
以来、なんか感覚がおかしくて元々汚い字がますますひどいことになっている。
ので、手書きの手紙が苦手に。

さっき食べたばかりなのに、ひと仕事終えるといつの間にか台所で野菜刻んでたりする。
過食症になっているかもしれない。
酒飲んだ方がいいのかもねえ。。。。
今度のテキストになる「風土記」の原文を打ち直してみんなに送ったのだけど。
原文だけじゃちょっとわかりにくいかも、と現代語訳を作って送った。
物語の中に「槻の木」に寄りかかって哭いた、とある。
「泣いた」ではなく「哭いた」。
慟哭、の「哭」。
泣き叫んだ、と訳してもいいだろう。
その時に寄りかかった「槻」は、一般的には(室町以前の話なので)ケヤキだ。
だが、トネリコ、とする説もあって。
こちらの方ががぜん興味深い。
なんせ学者じゃないから、勝手に「誤読」、も有りなんだもん:)
トネリコ、は西洋では(西洋トネリコは別種、とはここでは言わない。誤読、誤読)、
ドラキュラを殺すために心臓に打ち込む杭を作る木だ。
英語では、この木をAsh/灰、とも言う。
実は早池峰流山伏神楽の太鼓を叩くバチはトネリコの木から作る。
太鼓の皮は馬だ。
トネリコからは呪術の匂いがするのだ。
またギリシャではトネリコは槍の木だった。
転じて槍そのものを「トネリコ」と呼ぶようになったという。
神楽太鼓のあの独特のバチの形を思い出す。
等々、興味は尽きない。
全部、「誤読」だけど:)
もちろん「寄りかかる」としたら木の大きさを考えれば「ケヤキ」なんだろうけど、大きなトネリコだったら面白いなあ、などと思いを巡らしているから、いつの間にか夕方になっちまってる。

晩ご飯は冷蔵庫の中にあった半端もので。
ついに部屋から一歩もでない日だった。
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