泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

「反社会的」は「反体制的」とは限らない

2024-08-13 17:18:56 | 丹下一の泡盛日記
仕事を終えて空を見上げたら、なんだか「秋」を感じてしまった。
まだまだ暑くて、というか熱さに倒れそうになっているというのに。
若い頃、新宿育ちだったので毎週土曜日の夜半には集会の音が、聞こえてきたし「行ってみない?」と誘われたこともある。
集会の先頭を切っていた先輩の就職先が警察だった時には本当に驚いた。
毎週末にパトカーと怒鳴り合いをしていた「反社会的」な人たちは、当然「反体制的」なのだと思い込んでいたからだ。
それが、反社会的だけど体制側に立ちたい人たち、と気がついた時には本当に残念だった。
福祉行政に携わっていた知人がいて。10年くらい前だったか、彼と話していて自民党+公明党の政府を批判したことがある。
彼が担当しているような高齢者たちが政府から「見捨てられている」と感じていると話したのだ。
そして彼の回答が「でも僕の給料は上がったんだよ」だったことにも驚いた。
その時のいいようのない不快感が今では説明できる。
彼は「僕は体勢(政権)側の人間。君は違うから」とマウントをとりたかったのだろう。
自分が「権力側」「体制側」にいると「自覚」することで何かを安心させようとしているのだ。実際は体制側の「使用人」にすぎないと思うのだけど。
その後定年退職した彼は、どちらかといえば「見捨てられた」側にいるように見えるが、その心中を聞いてみる気にはなれない。
ポーランドで教わった小話を思い出す。
「知性」「愛国者」「ナチ」の3つは同居できない。
「愛国者」であって「知性」があるならば、その人は「ナチ」ではない。
「愛国者」であって「ナチ」ならば、その人は「知性」がない。
「知性」があって「ナチ」ならば、その人は「愛国者」ではない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「先の事」ばかりが気になっ... | トップ | 母、午前3時まで話し続ける »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

丹下一の泡盛日記」カテゴリの最新記事