日曜日は朝からホールのお仕事へ。
夕方までずっと三味線を聞いていた。
「春琴抄」で藤田祥子さんたちの地唄の箏三味線を聴いているので、
長唄がものすごく新鮮に響く。
それにしても、台湾のコアヒのリャオ・キンキさんはすごかった、と思い出す。
たった1秒、歌いだしのこえを聴いた/触れたその瞬間に、自分の両目から、
それこそ、どぴゅっと音を立てるように涙が溢れ出した。
それは長い間一人で夫を待ち続け老いてしまった姫が「神様、わたしはもうだめです」と訴える「うた」。
その出だしの声だけで、心だけでなく身体も「即時反応」。
後で聞いたら観客の多くが同じ体験をして驚いたのだそうで。
それを単純に「芸の力」などと言いたくない。
その一瞬のために長く苦しい時間を修業に使う人生。
「春琴抄」を読んでいると、そんなことばかり思い出している。
夕方、珍しくお外で晩ご飯。
夜は、がらりと雰囲気が変わって洋楽を聞き続けるのだった。
ポップスは無邪気で楽しいなあ。
夕方までずっと三味線を聞いていた。
「春琴抄」で藤田祥子さんたちの地唄の箏三味線を聴いているので、
長唄がものすごく新鮮に響く。
それにしても、台湾のコアヒのリャオ・キンキさんはすごかった、と思い出す。
たった1秒、歌いだしのこえを聴いた/触れたその瞬間に、自分の両目から、
それこそ、どぴゅっと音を立てるように涙が溢れ出した。
それは長い間一人で夫を待ち続け老いてしまった姫が「神様、わたしはもうだめです」と訴える「うた」。
その出だしの声だけで、心だけでなく身体も「即時反応」。
後で聞いたら観客の多くが同じ体験をして驚いたのだそうで。
それを単純に「芸の力」などと言いたくない。
その一瞬のために長く苦しい時間を修業に使う人生。
「春琴抄」を読んでいると、そんなことばかり思い出している。
夕方、珍しくお外で晩ご飯。
夜は、がらりと雰囲気が変わって洋楽を聞き続けるのだった。
ポップスは無邪気で楽しいなあ。