さすがに太ってきて着るものの選択に困るようになってきた。
元の体重に戻したいのだけど、食べちまう。
この欲求不満はどこから来るんだろう。
って答えは明確。
料理する番組を見ているとつくりたくなる。
こうやって「創作」のエネルギーを小出しに消費しているのだ(-_-;;;
それにしても「演劇」が義務教育に入る日は来ないのかなあ。
実は切に願っている。
「演劇」と「芝居」は違う。
「文学」と同様にお金にならない/商品化されるものではない。
能は、農民の「祈り」がもっと大きな深い祈りと触れ合い融合したときに「芸能」から「演劇」に昇華した。
本来は「芸能」と「技芸」は別物だ。
「技芸」はショーやエンターテイメント、と置き換えてもいい。
ただ日本では歌手のことを「芸術家/アーティスト」といい「芸人」のことを「才能/タレント」と和製英語に置き換えて読んだりするので、ややこしい。
なんで「歌手/シンガー」じゃいけないのかなあ。
「アングラ」の時代、早稲田小劇場にならって「なんちゃら小劇場」が林立した。
中身は、それこそ未知座小劇場のように尖っているものから、ごくふつうの新劇のお芝居まで幅広過ぎで。
アングラ劇団の「小劇場」という名前が持つ「新しい」雰囲気に引かれたのだろうか。
新劇は新劇で、商業演劇は商業演劇で自分の道を全うすればいいのではないかと思う。
もちろん今では「アングラ」の先へ先へと進む道を歩んでいる人は、ごく少数で。
様々なアイデアや実験は、あっという間に「新劇」やエンターテイメントにも取り込まれてしまった。
もちろん少数の演劇人が今も闘い続けているのが嬉しい。
元の体重に戻したいのだけど、食べちまう。
この欲求不満はどこから来るんだろう。
って答えは明確。
料理する番組を見ているとつくりたくなる。
こうやって「創作」のエネルギーを小出しに消費しているのだ(-_-;;;
それにしても「演劇」が義務教育に入る日は来ないのかなあ。
実は切に願っている。
「演劇」と「芝居」は違う。
「文学」と同様にお金にならない/商品化されるものではない。
能は、農民の「祈り」がもっと大きな深い祈りと触れ合い融合したときに「芸能」から「演劇」に昇華した。
本来は「芸能」と「技芸」は別物だ。
「技芸」はショーやエンターテイメント、と置き換えてもいい。
ただ日本では歌手のことを「芸術家/アーティスト」といい「芸人」のことを「才能/タレント」と和製英語に置き換えて読んだりするので、ややこしい。
なんで「歌手/シンガー」じゃいけないのかなあ。
「アングラ」の時代、早稲田小劇場にならって「なんちゃら小劇場」が林立した。
中身は、それこそ未知座小劇場のように尖っているものから、ごくふつうの新劇のお芝居まで幅広過ぎで。
アングラ劇団の「小劇場」という名前が持つ「新しい」雰囲気に引かれたのだろうか。
新劇は新劇で、商業演劇は商業演劇で自分の道を全うすればいいのではないかと思う。
もちろん今では「アングラ」の先へ先へと進む道を歩んでいる人は、ごく少数で。
様々なアイデアや実験は、あっという間に「新劇」やエンターテイメントにも取り込まれてしまった。
もちろん少数の演劇人が今も闘い続けているのが嬉しい。