泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

「R.U.R」で見た茅根利安さんの“毒”

2016-08-16 13:20:02 | 丹下一の泡盛日記
先日仙台でみた茅根利安さん出演の短距離男道ミサイル「R.U.R」(原作:カレル・チャペック 総合演出:澤野正樹)のことを考え続けている。
ロボットたちが人間に反旗を翻し最後の一人をのぞいて全ての人類が滅ぶ、という第2〜3幕を見ながら、こういったストーリーを踏まえてアシモフが提示した「ロボット工学三原則」を思い出していた。
というのも先だってアメリカの警察が容疑者をロボットを使って殺害した事件を思い起こしたからで。
中東で悪名高い無人機による攻撃も含め、「ロボット」たちは現在の戦闘に数多く使用され多くの人命を奪っている。
戦場だけでなく国内でも殺人のためにロボットを使い出したアメリカの行く先が恐ろしい。
そして、アメリカを追随し続ける日本の未来がそこにあるかと思うとぞっとする。
そんな現在にこの作品が上演されたことに大きな意味があると思う。
そして、この提言は仙台拠点の若い演劇人たちによって発せられた。
こういった提言が「東北」からなされてくる時、宮沢賢治やそれに繋がる石川裕人などを思い起こし、地下水脈のように流れ続ける「東北人」のDNAを感じる。
そのDNAを出演した茅根利安さんにも強く感じた。
1982年、東京池袋のスタジオ200での「東北」をテーマにしたシンポジウムで、パネリストの三浦雅士さん(青森出身)が「俺たち東北人は征服者の子孫。元はと言えば差別する側だった」と発言して東北出身の他のパネリストから怒号にも近い反発の声があがった現場にいた。
三浦さんの言わんとすることは理解できたし、異論を唱えた人の気持ちもわかる。
その光景は稲作が持ち込まれた弥生時代以降のこの島国の姿と言ってもいい。
東北は1200年前(平安時代)に軍事的に支配されるまで「日本」ではなかった。
軍事的に制圧したのは新羅出身の将軍。
そんな時代に、いくつもの民族が持ち込んだそれぞれの信仰を「神道」という器に一緒盛りにした。
それ以前の「信仰」も形を変え「神道」の一部として共存させた。
仏教という大波は受け入れつつも「共存」を目指した。
「共存」しつつも、常に中央に「同調」することが求められる。
中央の認可があるからこその「共存」。
その渦に比較的最近巻き込まれた「周辺」の国々の中に東北はいる。
そんな1200年の時間の奥底で、闇の毒が熟成されてきた。
その毒を、茅根さんの身体は、抱え込んでいる。
茅根さんが「自分の中に意地悪なところがある」と話してくれたことがある。
それを吐露してくれるところに、むしろ彼の中にある東北の健全なおおらかさを感じた。
今回の舞台では、ロボット会社のトップという役を演じる中で、日常ではあまり姿を現さないその「毒」が生き生きと居場所を見つけているようで、俳優・茅根利安は素晴らしい存在感を発揮していた。
そして、彼の中に共存する深い「存在」たちとどう向き合うか、が次回の作品に向けて自分に問われている。

コメント
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