泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

はらぺこ青虫くんたち

2010-08-10 10:57:04 | 丹下一の泡盛日記
 家の外階段にパセリの鉢が置いてあった。
 先日、かみさんがアゲハの幼虫をみつけて大騒ぎ。で、1日で姿が消えて、かえって悲しんでいた。
 それが昨日、どうやら産みつけられた卵が孵っていたらしく、大小20以上のアゲハの幼虫がうようよ。
 小学校の頃、イチゴのプラスチックパックに入れて飼っていたのを思い出す。

 鉢のパセリが全滅したが(無農薬だしさぞ美味かったろうなあ)、かみさんは朝から飛び出して行き大量のパセリと水槽を購入。 
 たまたま今日会う義妹の子どもたちに連絡すると「欲しい!」と。
 紙箱にパセリをつめて渡すと子どもたち大興奮。

 この子たちが大人になる10年後はどんな日本になっているだろう、と思う。
 10年前、自分は携帯メール、ノートパソコンを使い始めていた。
 「原稿はワードで添付で送って下さい」と言われたのがきっかけだ。
 ノートパソコンを携帯電話からネットにつないだり、当時は公衆電話からつなぐことも。テレホンカードもクレジットのものを持っていた。
 「俺のまわりじゃそんなの全然使わずにすんでるぞ」と言う人も演劇村では多かった。
 「芝居者には機械は関係ない」と言う人もいたが、ただ本人が新しいものが苦手なだけなのだった。

 2000年にある経済人(アメリカ人)の本を出すプロジェクトに関わったが、彼のオフィスで初めて卓上に置かれた複数で同時に話せる電話をみた。(企業ではPCと同じくらい当たり前のアイテムだった)
 これで国際電話をかけて打ち合わせした。もちろん自分の横には通訳がついている。
 その経済人は携帯電話で「今JFKに降りた。リムジンからかけ直す」、てな感じで打ち合わせが続くのだった。

 2003年頃には衛星回線やネットを使ったテレビ電話で打ち合わせするようになり、あれは2006年だったか、大きなホールでの社員全体の会議をロンドンとシンガポールの支店にネット回線引いて同時中継した。
 もちろんそこにも同時通訳者がいた。

 そんな企業も今では、通訳者無しで直接メールやテレビ電話で打ち合わせしている。誰か一人を飛行機に乗せて出張させるよりはるかに安上がりだからだ。
 前述の会社、英語が話せなかった幹部はすでに一人も残っていない。

 こんな体験を重ねて来ているので、いくつかの会社が「社内会議を英語で」と発表しても驚かない。だって10年前からそんな会社いくつも見てきたもの。
 外資系はもちろんだが外国の会社と取引がある日本の会社だって、いちいち通訳入れるより話せる人材を見つけた方が安くて早い。
 
 10年後、もっと「便利」になるのだろうけど、駅のアナウンスのようにも手取り足取りな日本社会ではついていけない人も多くなっているのだろうか。
コメント
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