泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

大きな船になったプレイバッカーズ

2009-08-17 08:45:29 | 丹下一の泡盛日記
 昨日はプレイバッカーズの稽古とミーティング。
 台湾の後でもあるのだが、グループが突っ走りだすと内部にきしみが生じる。それをあつかうミーティング。
 そしてその後のストーリーもよかったこと、しんどかったことの幅が大きい。
 プレイバッカーズという船がこの10年でとても大きなものになったことがわかる。クルーは10人足らずだが最強のメンバーだと信じている。

 10年前の日本のプレイバックシアターのグループは、演劇人の自分からみるとただ楽しむだけの同好会で、このスキルの「使い方」をきちんと理解してビジョンを持っているのはかよさん(宗像佳代)とうちのかみさん(元メンバーなのだ)くらいだった。
 ま、今も国内ではそう変わりはないと思っている。
 というのもこの強烈なスキルは、もちろんすべての道具と同じく諸刃の面があり、平等や合議制を説きながら結局は小グループの中での小権力が欲しいだけの人々にとって非常に使いやすかったりするからだ。
 10年前「日本で人前で手を挙げるひとなんかいない。だから日本式のプレイバックシアターがあってもよい」と言っていた人たちがいたが、例によって共同体が崩壊している現代では「日本式」とは「自分式」を意味していて、プレイバックシアターの根幹をなすリチュアルとは相容れないものだ。
 
 リチュアルは人間の身体感覚と密接になつながりを持っていて、すべてのプレイバック人はまずこの身体感覚を取り戻すところから始めなければならないのだろう。(実はプレイバックシアターのスタートは常にここから始まっているが、たいていの人がそれを感じていても意識的に見つめていない)

 ならばほかの現代演劇のメソッドなどを学ぶ必要があるかと言えば、もちろん様々な体験をすることは必要だし楽しいこと。その上で、別になくてもいいと思っている。というのも、子供の頃習い事として日本舞踊に触れたくらいで、あとは40歳までまったく演劇とかかわってこなかったかよさん(宗像佳代)の今に立ち会っているからだ。
 彼女は、自分と出会うまで現代演劇も知らなかった。いわゆるミュージカルなどのエンターテイメントしか観ていなかったし、ほかのメンバーも(自分が演劇人なので)舞台を観に行った話をしてくれたが、出演者の歌唱力がすばらしかった、などという話ばかりで、その舞台に現れている現代社会のある一面、などといった話題がでたことは一度もない。

 03年にモスクワのタガンカ劇場の「マラー/サド」をかよさんと観たが、そのとき彼女が受けた衝撃は大変なものであったらしい。
 彼女はシェアリングの場で「翌日になっても忘れられない舞台をはじめてみた。そして、一晩考えて、自分はこの舞台と同じことをしたいからプレイバックシアターをやっている」と言った。
 それから6年。長くて深くて濃い時間が続いている。
 プレイバッカーズは大小に関わらずソーシャルチェンジの場へと踏み出していて、それは自分が子供の頃夢見た現場でもある。
 タイの現場も金沢文庫のお母さんたちとの現場も、毎回、精一杯の気合いを持って向かい合いたい。
 
 
コメント
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