集歌3955 奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴
訓読 ぬばたまの夜は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山に月傾(かたぶ)きぬ
私訳 漆黒の夜は更けていくようだ。美しい櫛笥の蓋、その言葉のひびきのような二上山に月が傾く。
右一首、史生土師宿祢道良
左注 右の一首は、史生(ししやう)土師宿祢道良
大目秦忌寸八千嶋之館宴謌一首
標訓 大目(だいさくわん)秦忌寸八千嶋の館にして宴(うたげ)せし謌一首
集歌3956 奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氏 安倍弖許藝泥米
訓読 奈呉(なご)の海人(あま)の釣する舟は今こそば為(し)成(な)棚(たな)打ちしあへて漕ぎ出め
私訳 奈呉の海人が釣りをする舟は、今、この潮時に取り付ける船べりを船に取り付けた。さあ、進んで漕ぎ出しなさい。
注意 原文の「敷奈太那宇知氏」は、「為成す」+「(舟)棚」+「打ちし」の言葉と解釈しています。一般には「船棚打ちて」と訓みますので歌意が違います。ここで「為成す棚」を簡単な波除けの船べりと考えています。
右、館之客屋、居望蒼海。仍主人八千嶋作此謌也
左注 右は、館(やかた)の客屋(きゃくおく)にして、居ながら蒼海(おほうみ)を望む。仍りて主人(あるじ)八千嶋の此の謌を作れり
哀傷長逝之弟謌一首(并短謌)
標訓 長逝(ちょうせい)し弟(おと)を哀傷(かな)びたる謌一首(并せて短謌)
集歌3957 安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氏 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氏待登 可多良比氏 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氏安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多婆許登等可毛 婆之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之婆安良牟乎 婆太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 (言斯人為性好愛花草花樹而多値於寝院之庭 故謂之花薫庭也) 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 (佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐力乎由吉須疑)
訓読 天離る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 出でて来し 吾(われ)を送ると 青丹(あをに)よし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に 真幸(まさき)くて 吾(われ)帰り来む 平(たひ)らけく 斎(いは)ひて待てと 語らひて 来(こ)し日の極(きは)み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔(へな)りてあれば 恋しけく 日(け)長きものを 見まく欲(ほ)り 思ふ間(あひだ)に 玉梓の 使の来(け)れば 嬉しみと 吾(あ)が待ち問ふに 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも 愛(は)しきよし 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだ薄(すすき) 穂に出(づ)る秋の 萩の花 にほへる屋戸(やと)を (言ふところは、その人、性、花草・花樹を好愛(め)でて、多く寝院の庭に植る。故に花(はな)薫(にほ)へる庭といへり) 朝庭に 出で立ち平(なら)し 夕庭に 踏み平(たいら)げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ち棚引くと 吾(あれ)に告げつる (佐保山に火葬(ほふむ)れり。 故に佐保の内の里を行き過ぎと謂ふ)
私訳 都から遠く離れた鄙を治めなさいと大王の御任命に従って出発してきた私を送ると、青葉が美しい奈良の山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留め、別れた時に「無事に私は帰って来よう、元気で私の無事を祈って待ちなさい」と語らって、この越中国にやって来た日を最後として、立派な鉾を立てる官道をはるか遠く、山川の隔てがあると、恋しく思う日々も長く、会いたいと思っている間に、立派な梓の杖を持つ官の使いがやって来ると、「嬉しい便りでしょう」と私が使いを待って問うと、逆言でしょうか、狂言でしょうか、愛しい私の弟の貴方が、どうしたのでしょうか、そのような時でもないのに、はだ薄の穂が出る秋の、萩の花が咲き誇る家を(語るところは、その人、性格は花草・花樹を愛して、多くを寝院の庭に植える。そのため、花薫る庭と云われた)朝の庭に出て立ち尽くし、夕べの庭に足を踏み立つこともせず、「佐保の内の里を通り過ぎ、葦や檜の生える山の梢に、その人は白雲に立ち、棚引く」と私に告げました。(佐保山に火葬をした。それで「佐保の内の里を行き過ぎ」と云う)
集歌3958 麻佐吉久登 伊比氏之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
訓読 真幸(まさき)くと云ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
私訳 「無事でいて下さい」と云っていたのに、その貴方が白雲に立ち、棚引くと聞くと悲しいことです。
集歌3959 可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物乎
訓読 かからむとかねて知りせば越の海の荒礒(ありそ)の波も見せましものを
私訳 このようになると前から知っていたら、越の海の荒磯の波も見せたかったのですが。
右、天平十八年秋九月廿五日、越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪、感傷作之也
左注 右は、天平十八年秋九月廿五日に、越中守大伴宿祢家持の遥かに弟(おと)の喪(も)を聞き、感傷(かな)しびて作れり。
訓読 ぬばたまの夜は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山に月傾(かたぶ)きぬ
私訳 漆黒の夜は更けていくようだ。美しい櫛笥の蓋、その言葉のひびきのような二上山に月が傾く。
右一首、史生土師宿祢道良
左注 右の一首は、史生(ししやう)土師宿祢道良
大目秦忌寸八千嶋之館宴謌一首
標訓 大目(だいさくわん)秦忌寸八千嶋の館にして宴(うたげ)せし謌一首
集歌3956 奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氏 安倍弖許藝泥米
訓読 奈呉(なご)の海人(あま)の釣する舟は今こそば為(し)成(な)棚(たな)打ちしあへて漕ぎ出め
私訳 奈呉の海人が釣りをする舟は、今、この潮時に取り付ける船べりを船に取り付けた。さあ、進んで漕ぎ出しなさい。
注意 原文の「敷奈太那宇知氏」は、「為成す」+「(舟)棚」+「打ちし」の言葉と解釈しています。一般には「船棚打ちて」と訓みますので歌意が違います。ここで「為成す棚」を簡単な波除けの船べりと考えています。
右、館之客屋、居望蒼海。仍主人八千嶋作此謌也
左注 右は、館(やかた)の客屋(きゃくおく)にして、居ながら蒼海(おほうみ)を望む。仍りて主人(あるじ)八千嶋の此の謌を作れり
哀傷長逝之弟謌一首(并短謌)
標訓 長逝(ちょうせい)し弟(おと)を哀傷(かな)びたる謌一首(并せて短謌)
集歌3957 安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氏 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氏待登 可多良比氏 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氏安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多婆許登等可毛 婆之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之婆安良牟乎 婆太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 (言斯人為性好愛花草花樹而多値於寝院之庭 故謂之花薫庭也) 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 (佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐力乎由吉須疑)
訓読 天離る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 出でて来し 吾(われ)を送ると 青丹(あをに)よし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に 真幸(まさき)くて 吾(われ)帰り来む 平(たひ)らけく 斎(いは)ひて待てと 語らひて 来(こ)し日の極(きは)み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔(へな)りてあれば 恋しけく 日(け)長きものを 見まく欲(ほ)り 思ふ間(あひだ)に 玉梓の 使の来(け)れば 嬉しみと 吾(あ)が待ち問ふに 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも 愛(は)しきよし 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだ薄(すすき) 穂に出(づ)る秋の 萩の花 にほへる屋戸(やと)を (言ふところは、その人、性、花草・花樹を好愛(め)でて、多く寝院の庭に植る。故に花(はな)薫(にほ)へる庭といへり) 朝庭に 出で立ち平(なら)し 夕庭に 踏み平(たいら)げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ち棚引くと 吾(あれ)に告げつる (佐保山に火葬(ほふむ)れり。 故に佐保の内の里を行き過ぎと謂ふ)
私訳 都から遠く離れた鄙を治めなさいと大王の御任命に従って出発してきた私を送ると、青葉が美しい奈良の山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留め、別れた時に「無事に私は帰って来よう、元気で私の無事を祈って待ちなさい」と語らって、この越中国にやって来た日を最後として、立派な鉾を立てる官道をはるか遠く、山川の隔てがあると、恋しく思う日々も長く、会いたいと思っている間に、立派な梓の杖を持つ官の使いがやって来ると、「嬉しい便りでしょう」と私が使いを待って問うと、逆言でしょうか、狂言でしょうか、愛しい私の弟の貴方が、どうしたのでしょうか、そのような時でもないのに、はだ薄の穂が出る秋の、萩の花が咲き誇る家を(語るところは、その人、性格は花草・花樹を愛して、多くを寝院の庭に植える。そのため、花薫る庭と云われた)朝の庭に出て立ち尽くし、夕べの庭に足を踏み立つこともせず、「佐保の内の里を通り過ぎ、葦や檜の生える山の梢に、その人は白雲に立ち、棚引く」と私に告げました。(佐保山に火葬をした。それで「佐保の内の里を行き過ぎ」と云う)
集歌3958 麻佐吉久登 伊比氏之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
訓読 真幸(まさき)くと云ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
私訳 「無事でいて下さい」と云っていたのに、その貴方が白雲に立ち、棚引くと聞くと悲しいことです。
集歌3959 可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物乎
訓読 かからむとかねて知りせば越の海の荒礒(ありそ)の波も見せましものを
私訳 このようになると前から知っていたら、越の海の荒磯の波も見せたかったのですが。
右、天平十八年秋九月廿五日、越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪、感傷作之也
左注 右は、天平十八年秋九月廿五日に、越中守大伴宿祢家持の遥かに弟(おと)の喪(も)を聞き、感傷(かな)しびて作れり。