たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

収穫祭

2009年08月18日 | Weblog

「収穫祭」を行いました。


 今年は例年にない異常気象と言われていますが、その影響を受けて野菜の値段が高騰していると報道されています。
 我が家の家庭菜園も序盤の玉ネギは豊作でしたし、なす、キュウリ、ししとう、枝豆等はそれなりに収穫出来ています
 しかし、馬鈴薯、ピーマン、トマト、大根、かぶ、ニンジン等は収穫出来ても人に誇れるような代物でなく、何かやりがいを感じませんし、総選挙の準備など日程が多忙なこともあり、畑は草だらけで耕作放棄地の様相になっています。
 そんな中、例年、7月末頃には我が家の庭に家庭菜園の仲間が集まって「収穫祭」を行って来ましたが、今年は日程調整が出来ずお盆になってしまいました。
 すると14日夕に友人から電話があり、15日夜、今年はもう一人の友人宅でやりたいとのこと。急遽の「収穫祭」が行われました。


 そんな訳で、「我が家の庭で収穫祭を行う折には、お誘いします。」と申し上げて来た皆さんには、次回の機会までお許し下さい。
 急遽の「収穫祭」には、それぞれ自慢の野菜や漬け物を持ち寄り、味わいながら夜遅くまで家庭菜園談議に花が咲きました。  

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夏休み返上

2009年08月17日 | Weblog

いよいよ衆議院選


 例年、私にとって一年間の内で自由に使える日や時間が多いのは、お盆の時期でした。
 しかし、今年は衆議院の解散により公示日が8月18日、投票日が8月30日となったため、選挙準備等に追われ好きな読書などが出来ませんでした。
 行事の合間での「県政情報」の発送業務や社民党のチラシの配布など、公示までにやっておかなければならない対応に追われました。
 そして、いよいよ18日(明日)には、第45回衆議院議員選挙の公示日を迎えます。
 この選挙は、何といっても今後の我が国の政治が生活者重視の政府を樹立することが出来るかが問われています。
 そのため、私の所属する社民党も、民主党、国民新党との連立政権も視野に入れながら、全力を尽くさなければなりません。
 しかし、これまでの様々な世論調査結果を見ると、社民党は二大政党の政権闘争の波に飲み込まれ、比例代表への投票先が通常の政党支持率よりも低い傾向となっており、厳しい情勢が続いています。
 これは例えば、全国知事会が行ったマニフェスト評価でも評価の対象から外すなど、片寄ったやり方や二大政党に注目したマスコミ報道の在り方にも起因していると思います。
 しかし、この選挙で政権交替が実現したとしても、社民党の議席が減ってしまった場合、私はその後の憲法問題や安全保障問題、派遣労働者への対応などで、不安を感じてなりません。
 何れにしても、そんなことにならないよう、この総選挙では比例代表北信越ブロックでの社民党一議席の奪還に向けて全力を尽くしたいと思います。
 
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終戦記念日

2009年08月16日 | Weblog

平和の鐘をつきました。


 8月15日は、終戦記念日。
 この日は、毎年、長野市吉田の善教寺の住職さんの御協力を賜り、午前11時から「平和の鐘をつく会」を開催しています。
 開会行事では、この会の呼びかけ人を代表し私から参加頂いた皆さんへの御礼を述べるとともに、「終戦後64年が経過したとはいえ、先の広島・長崎での平和式典で子供達の『平和への誓い』や『被爆者代表挨拶』の内容をお聞きしていても、被爆された方々が今なお苦しんでおられること。また、被爆者の二世・三世の問題など、『今なお戦争は終わっていない。』(我が国の戦後は終わっていない。)。ことを認識させられました。


 しかし、今年は、戦後64年がたってオバマ大統領がプラハで核兵器の廃絶の方向を演説したことにより、来年見直しが行われる核拡散防止条約での核兵器廃絶への具体的な動きが高まることへの期待。また、原爆を投下したアメリカのオバマ大統領が、広島・長崎を近い内に訪れるのではないか。その場合、日本の総理もいち早く真珠湾を訪問し過去の重い歴史的を謝罪し恒久平和への誓いを行うべきではないか。今年の『平和式典』の様子からは、そんな雰囲気が伝わって来ました。
 近く総選挙が行われますが、麻生総理が発言した「核の傘」の下に日本が守られているという古い意識を改革し、こうした流れを受けて平和外交を確実に前に進める政府を創るべき時です。
 是非今日は、そんな思いを込めて平和の鐘をならして頂きたいと思います。」と挨拶させて頂きました。 


 その後、先の戦争から64年が経過し戦争体験をしている方が減少していることから、戦争の悲惨さを語り継ぐため体験者の方からお話しをお聞きしました。
 そして、12時から大戦で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、世界の恒久平和を願い「平和の鐘」をつきました。
 「平和の鐘」をついた後は、戦時中食べたとされる「すいとん」を食べ、解散しました。
 

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長野電鉄屋代線

2009年08月15日 | Weblog

長野電鉄・県・市に要望を行いました。


 8月12日、長野電鉄屋代線存続問題で、先に開催されたシンポジュウムや長野地区公共交通対策会議が行った沿線アンケートに寄せられた意見を踏まえ、同会議として長野電鉄・県・市に要請を行いました。 


 まず、長野電鉄へは営業努力とともに、活性化協議会等の場で屋代線の厳しい経営状況を公開し沿線住民との共通認識を確立する中で、存続に向けた上下分離方式など様々なスキームを検討するよう電鉄側からも積極的に働きかけること。
 また、シンポジュウムや沿線アンケートに寄せられたサービスの向上策について、出来うる内容は協議会の結果を待たず実施して欲しい等々を要望しました。
 この要望に、笠原社長は「要望は重く受け止めたい。」とした上で、長野電鉄の電車部門の厳しい経営環境等について話されました。


 県に対しては、長野電鉄屋代線のみならず県内の鉄路を守るための新たな支援策を検討することや、法定協議会への積極的な係わり、「エコ通勤」の推進とノーマイカーデーの取り組み等について要望しました。
 この要望に、小林公共交通対策課長は「県が先に支援策を示すべきでなく、まずは利用促進策を先に取り組むべきと考えている。」、「当然、検討の結果、国の制度を活用することになれば決まった支援策は行うことになる。」、マイカーから公共交通機関への利用促進については、「10月中の一週間、ノーマイカー通勤ウィークとして取り組む準備をしている。」等々としました。


 長野市に対しては、屋代線の存続に向けて国の支援策や上下分離方式など様々なスキームを示し市がリーダーシップを発揮することや、沿線住民とともに屋代線の将来を創りうる検討・討議を行うこと。総合連携計画をまとめるにあたり、素案作成以前の段階で沿線住民への説明会を行い反映させること等々を要望しました。


 この要望に、鷲沢市長は「電鉄単独での存続は無理であり、別の経営形態の検討は必要と思っている。試行の後、見込みがあれば踏み込んで行く。今、観光面での活性化対策や経営状況の調査をしているが、存続の場合、市費がどの位必要となるか数字が出なければ、どの経営形態や方式が良いのか今は分からない。」、「総合連携計画は、9月末に骨子案、11月に素案、12月パブコメ、2月頃に策定を考えている。策定過程では関係者別に意見を聞きたい。」等々としました。

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住民自治協議会

2009年08月15日 | Weblog

住民自治協議会とは何か。


 8月11日の夜、私の住む区の緊急役員会があり出席しました。 
 この会の議題は、朝陽住民自治協議会の進捗状況、住民自治協加入保険、地上デジタルテレビビジョン放送の住民説明会、地区の福祉アンケートについて等々でした。
 緊急役員会の「緊急」とは、朝陽地区の住民自治協議会で審議が行われている状況について、その支部を区に立ちあげるか等々、この間の動きや当面の課題を報告し、区役の意見を聞き、区長として当面する対応をしたいということでした。
 審議では、住民自治協議会の区支部設立は当面見送るとともに、提案された課題については、区として対応することを確認しました。


 その後、行われた暑気払いでは、長野市長が提唱する「住民自治協議会」とは何かが話題となり論議をかわしました。
 例えば、市がマュアルを作って各地区に同一に押しつけうとしている。部会の組織づくりとか形にこだわり、住民自治協議会が行う活動が良く分からない。来年度から補助金が一括交付されるが使い切れなければ返すことになるため、無駄遣いが出るのではないか。区長会がなくなってしまえば、本来の住民自治が出来なくなってしまうのではないか等々、活発な意見が出されました。
 私からは、住民自治とは、本来、国・県・市町村が対応出来ない課題の狭間を、区・自治会が自主的に埋める行為であったり、地域の活性化のために自主的に行う行為であると考えているが、現在の市の取り組みは逆になっていると思う。
 もともと住民自治協議会は、合併特例法で吸収合併される側の自治を残すため位置づけられた「都市内分権」を旧市内の各行政区へも位置づけ様としたもので、無理があるのではないか。「住民自治」と言えば言葉の響きは良いが、協議会の位置付けについては、理解して取り組んでいる方はないのではないか。
 秋の市長選で大きな争点として、真の自治組織に改めないと今後、逆に自治が壊されて行く気がしてならないと申し上げました。

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議会基本条例

2009年08月14日 | Weblog

第5回制定調査会を開催。


 8月11日、5回目となる長野県議会議会基本条例制定調査会が開催され出席しました。 この調査会に先立ち、条例制定に向けた調査会の審議も終盤となっていることから、先に調査会が示した「条例(案)要綱」の知事部局の対応に踏み込んだ項目について執行部との意見交換を行いましたが、執行部側からは特に意見は出されませんでした。
 調査会では、「条例(案)要綱」について、7月6日~8月4日まで行ってきたパブリックコメントで寄せられた意見への調査会としての考え方を整理するとともに、「条例(案)解説」の具体的な案が示され、各会派に持ち帰り8月26日までに意見がある場合は文書で提出することになりました。
 私としては、先に開催した政策課題研修会の位置付けや、県民と県議会との緊密な関係を構築するための施策について盛り込むよう会派に諮り提案するつもりです。
 次回の調査会は衆議院選挙の9月2日に開催し「条例(案)要綱」と「条例(案)解説」を審議・決定し、9月7日には議長に対し9月議会で条例制定すべきことを報告することにしました。 

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広島・長崎の平和宣言

2009年08月13日 | Weblog

「核なき世界」へ「We Can」
     オバマ米大統領は広島・長崎へ


 今年で広島・長崎へ原爆が投下されから64年。
 6日には広島で、9日には長崎で、それぞれ「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)が開かれました。
 私は、毎年この平和式典で行う両市長の「平和宣言」の内容に注目しています。


 広島市の秋葉忠利市長は、「日本国政府は、『黒い雨降雨地域』や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、『こんな思いを他の誰にもさせてはならぬ』という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。
 今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、『核兵器を使った唯一の国として』、『核兵器のない世界』実現のために努力する『道義的責任』があることを明言しました。
 核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、『廃絶されることにしか意味のない核兵器』の位置付けを確固たるものにしました。
 それに応えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々高まる日本国憲法に凝縮されています。」(略)
 「被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。
 最後に、英語で世界に呼び掛けます。
We have the power.  We have the responsibility.  And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons.  Yes, we can.」との趣旨を呼びかけました。
 (私たちには力があります。私たちには責任があります。そして、私たちはオバマジョリティーです。力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。)


 また、長崎市の田上富久市長は、次の趣旨の平和宣言を行いました。


 「今、私たち人間の前にはふたつの道があります。
 ひとつは、「核兵器のない世界」への道であり、もうひとつは、64年前の広島と長崎の破壊をくりかえす滅亡の道です。
 今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。
 核超大国アメリカが、核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間でした。
 しかし、翌5月には、国連安全保障理事会の決議に違反して、北朝鮮が2回目の核実験を強行しました。世界が核抑止力に頼り、核兵器が存在するかぎり、こうした危険な国家やテロリストが現れる可能性はなくなりません。北朝鮮の核兵器を国際社会は断固として廃棄させるとともに、核保有5カ国は、自らの核兵器の削減も進めるべきです。アメリカとロシアはもちろん、イギリス、フランス、中国も、核不拡散条約(NPT)の核軍縮の責務を誠実に果たすべきです。」(略)
 「日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきです。
 オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。
 被爆地・長崎へ来てください。
 原爆資料館を訪れ、今も多くの遺骨が埋もれている被爆の跡地に立ってみてください。
 1945年8月9日11時2分の長崎。強力な放射線と、数千度もの熱線と、猛烈な爆風で破壊され、凄(すさ)まじい炎に焼き尽くされた廃墟(はいきょ)の静寂。7万4千人の死者の沈黙の叫び。7万5千人もの負傷者の呻(うめ)き。犠牲者の無念の思いに、だれもが心ふるえるでしょう。
 かろうじて生き残った被爆者にも、みなさんは出会うはずです。高齢となった今も、放射線の後障害に苦しみながら、自らの経験を語り伝えようとする彼らの声を聞くでしょう。被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動する若い世代の熱意にも心うごかされることでしょう。」(略)
 「今、長崎では「平和市長会議」を開催しています。来年2月には国内外のNGOが集まり、世界のみなさん、今こそ、それぞれの場所で、それぞれの暮らしの中で、プラハ演説への支持を表明する取り組みを始め、「核兵器のない世界」への道を共に歩んでいこうではありませんか。」(略)


 いつもこの平和宣言をお聞きし、私は広島の秋葉市長の宣言に感動していましたが、今年は、特に、長崎の田上市長の平和宣言に心うたれました。
 それは、来年の核拡散防止条約の見直しを前に、原爆を投下した国であるアメリカのオバマ大統領が、プラハでの演説で「核兵器廃絶」を目指すことを表明したことに対し、であるならば、その実践のため、オバマ大統領のみならず核保有国全ての指導者が、被爆した長崎(広島)に来て、実際に被爆者の声を聞き、残されいる原爆投下による悲惨さを実感して欲しいと呼びかけたからです。
 この背景には高校生が、当時原爆で被爆した方々が高齢化していることから、その記録を語りつぐことや、世界的な核兵器廃絶への呼びかけ、米オバマ大統領の長崎訪問要請の取り組みなど、市民活動に支えられた「平和宣言」であったと思います。


 一方、来賓として出席した麻生首相は、「改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。」とし、 被爆された皆さんの保障に関しは「極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、『国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること』を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。」趣旨を述べました。
 しかし、広島・長崎への原爆投下から64年経っても、国内においては全ての被爆者への保障すら先送りされ今日に至っている現実は、これまでの政府の責任が問われるとともに、政府の謝罪が先にあるべきと思いました。                、
 また、麻生首相が行った記者会見で、日本は「核の傘の下」で守られていいると発言したと報道されたことに関し、平和式典で発言した「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。」とする表明は、信用出来できないと私は思いました。


 総選挙を前に、日本の安全保障問題については様々論議のあるところですが、核兵器を世界から根絶するため、長崎市長の訴えたオパーマ大統領や全ての核保有国の指導者が、長崎・広島を今年中に訪問する取り組みを私は絶対的に支持し、その行動に積極的に参加したいと思います。
 但し、その場合、世界大戦の発端となったハワイ島の真珠湾攻撃への謝罪の意志を表すため、日本の総理も訪問し犠牲者への慶弔を行われなければ、ならないと思います。
 まだ、戦後は終わっていません。

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祝 長野日大一勝

2009年08月12日 | Weblog

打撃戦はハラハラドキドキでした。


 11日の甲子園、長野日大―作新学院の試合は打撃戦のすえ、10対8で長野日大が勝利しました。
 おめでとうございます。

 両チーム合わせて27安打。目まぐるしく流れが入れ替わった打撃戦を、初出場の長野日大が打撃で上回り制したことは、本県の高校野球界にとっても画期的なことであり、多くの県民にとっても元気を与えたと思います。
 この試合、私は家で衆議院選挙の事務的な準備をしながらテレビを見ていましたが、めまぐるしく点数の入る打撃戦にハラハラドキドキして仕事がはかどりませんでした。
 午後、1時からは県議会で議会基本条例制定調査会があり出席しましたが、この会議がはじまる直前までは、7回裏に長野日大が追いあげられ後8回、9回を残しており、日大エース加藤の不調から「もしかしたら逆転されるのでは?」と思いながら会議に挑みました。
 会議が終わり会派控室に帰ると、10対8で長野日大が勝ったとの知らせを聞き安堵しました。
 朝日新聞の報道によると、試合後の記者会見で長野日大の中原監督は「初出場で初勝利はうれしい。打線は力を出したが、投手の加藤は悪すぎた。ただ、素質はいい投手なので、次はがんばれるようにしたい」と語った様ですが、次の試合は富山の南砺福野を15―1で制した天理が相手だけに、気を引き締めて頑張って欲しいと思います。

 ところで、昨晩も長野日大周辺で応援団の皆さんのバスを見かけましたが、二日も雨や台風の影響で試合が順延となったことから、本日の試合が行われるまで様々な対応に追われたことをお察しし、関係者のご尽力に感謝しました。
 また、次の試合の対応に追われると思いますが頑張って下さい。

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安曇野市長選

2009年08月11日 | Weblog

宮澤宗弘議員が
   県議を辞任されました。


 10月4日告示、11日投票の日程で行われる安曇野市長選出場準備のため、私が所属する会派、改革・緑新の副代表である宮澤宗弘議員が、8月10日議長に辞表を提出し受理されました。


 宮澤宗弘議員は、平成3年4月の県議選で初当選されて以来、これまで5期18年間、県議会議員として活躍し、この間、県監査委員、副議長も務められました。
 私も、10年間ご一緒に同じ会派で活動をさせて頂きました。


 宮澤宗弘氏には、何としても市長選に当選され、経験と実績を生かし安曇野市の発展と市民生活の向上のために活躍していただきたいと思います。
 宮澤氏の辞任により改革・緑新の構成員は10名となり、長野県議会の欠員は3名となりました。 

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長野日大応援団は?

2009年08月10日 | Weblog

長野日大高校の甲子園
  での奮闘と勝利を祈念します。
 


 8月8日は、社民党公認で2区から衆議院選挙に出場予定の中川ひろじ氏と街頭演説を行うため、朝から夕方まで大岡、信州新町、三水村、中条村に行きました。
 なぜかと言うと、大岡は長野市に合併し信州新町と中条村は来年長野市に合併予定ですが、既に長野市と合併した豊野町、戸隠村、鬼無里村も含め旧上水内郡は、長野市に合併した町村があっても衆議院の選挙区は2区であるからです。
 増して私は衆議院選挙の長水地区(長野市と旧上水内郡)の選対委員長であり、社民党として1区では候補者を擁立する予定がないことから、1区では旧長野市内の社民党への比例代表への票の獲得とともに、旧上水内郡内での2区での中川氏と比例代表票の獲得と両方を受け待たざるを得ず、苦労しているというのが現実です。
 ところで、8日に中川ひろじ氏と街頭演説した折りには、はじめは私も真面目に中川氏を主体として演説していましたが、途中から私が訴えても中川氏の票には結び付かないと思い、周辺のご家庭へのチラシの配布に終始しました。
 でも、この日は気温が30度以上となり、持っていったハンカチが汗で何度もビショヌレで、中山間地の勾配や軒先の長さなど、私も本当に疲れました。


 夜は、定例の無尽の会があり出席しましたが、自宅に帰る途中夜9時頃に長野日大高校周辺や長野運動公園を通ると、甲子園で行われている全国高校野球大会で9日の第三試合に登場する長野日大の応援団を送迎するバスが高校沿線の道路や運動公園内に20台近くならんでいました。
 家に帰り、ニュースをみると雨の影響で高速道は塩尻から伊那間が通行止めとのこと。先ほど見たバスでの応援団は、何時に甲子園にたどり付くのか心配になりました。
 明けて9日、甲子園は雨の中試合は開始されましたが順延となり、長野日大の試合は10日の順延となりました。
 しかし、翌日への順延となった場合、何台ものバスをつらねて行った応援団の皆さんは一端帰って来るのか、バスの中で宿泊するのか、それとも急遽宿泊先を確保するのか心配になりました。
 そして、さらに最近の不安定な気候や新たに発生した台風9号の影響により、10日に順延された試合が、もし中止となった場合の、あのバスによる大応援団の対応がどうなるのかを心配しています。


 でも、日大長野高校には、甲子園での様々な試練を乗り越えて頑張って欲しいと期待しています。 

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