大会開催を生かした街づくり
大会開催から10年が経過した今日、県政をめぐっても様々な経過があり、その経過を教訓としながら、あらためて今後の県政や市政の在り方、オリンピックを開催した都市の責任として、今後の在り方を検証する必要があると思います。
その一つは、開催都市の「責務」としての冬季スポーツの振興策です。
確かに、冬季スポーツの各種大会は五輪基金の支援も受け、大会終了以降今日まで、毎年開催された大会は、全日本スピードスケート距離別選手権大会、長野オリンピック記念国際アイスホッケー大会長野カップ、軽井沢国際カーリング大会、長野オリンピック記念マラソン等が行われています。
札幌大会と同じ様に長野でもNHKが移転改築されました。
また、毎年ではありませんが、長野市内では他にスピードスケートワールドカップ長野大会にはじまり、リュージュやスケルトンのワールドカップ、世界スピードスケート距離別選手権大会、世界フィギアスケート選手権大会、FISワールドカップフリースタイルスキーモーグル飯綱大会、長野オリンピック5周年記念フイギュアスケートエキシビジョン長野大会、2004世界スプリントスピード選手権大会、リュージュ世界選手権等々が開催されました。
これらの取り組みは、他の各種大会やコンサート、会議等を招致(コンベンション)し、五輪施設の有効利用を図って来たことも含め、ホテル利用やお土産品、観光など多くの経済波及効果があったと思います。
でも、冬季スポーツの各種大会が開催される度に、長野オリンピック記念マラソンや2006年に長野で開催されたNHK杯国際フィギュアスケート競技大会以外、年々観客数も減り、感心が薄れて来たような気がします。
また、「長野オリンピックムーベント推進協議会」は、一方で長野五輪記念基金を活用し、選手育成事業に取り組んで来ましたが、大会開催前に盛んとなったアイスホッケー少年少女チームの育成や、下がり続けるスケートやスキー人口の減少に対し、底辺からの対応が出来たのかと考えると疑問が残ります。
つまり、開催都市として施設等の後利用(活用)について、コンベンション施設としての活用と観光などその経済波及効果への取り組みに重点が置かれ、開催都市の責務としての冬季スポーツ振興策については、「冬季スポーツの街ながの」としてイメージされる戦略が不足していたのではないかと思います。
長野オリンピック開催が決まって以降、私は施設の後利用や大会開催を生かした街づくりについて、国内では札幌とアジア大会を開催した広島市を視察しました。
広島市はアジア大会であり、施設の後利用は市の今後の進むべき方向を定める中期計画により、開閉開式場と陸上競技の会場はJリーグチームのホームグランド、水泳競技場やバスケット、バレーボール競技会場は、市民の健康増進のための施設と位置付ければすむのかも知れません。(但し、新交通システムのその後が気になりますが。)
しかし、同じ冬季五輪を開催した札幌市では、気候、人口、地形等の違いはありますが、私が一月末に視察した時、市役所で様々説明を受けた後、「定期観光バス」に乗りそのコースを視察した時、大倉山のジャンプ台では大会が開かれ、その脇に札幌オリンピックを記念した展示場、大会主会場となった公園では市民の方がクロスカントリーをしている姿、その公園の近くにあった札幌五輪記念館等々を見学しながら、私は、長野市等の地方都市がオリンピックを開催したことを最大限に生かした街づくりとは、オリンピックという世界最大のスポーツ大会を開催した都市であることに市民一人一人が誇りを持つとともに、実生活の中に冬季スポーツの振興策を位置づけることが、都市のイメージを高まると実感しました。
また、北海道帯広市のアイスホッケー用の屋内スケートリンクでは、市内にプロから小学生まで数多くのアイスホッケーチームがあることから、朝6時から夜12時まで施設がフル活用されていたことに驚き、長野も大会開催を期にこうした底辺からの選手の育成とスケート人口の増加を創造しました。
大会開催から10年。私達は招致や大会開催に係わり、施設の後利用等を心配した者として、あらためて、冬季スポーツの「聖地」として都市のイメージを再構築するとともに、選手育成や各種大会の開催により冬季観光の拠点を目指すべきではないでしょうか。
中核市へ移行記念式典のスローガンは。
しかし、これまで各種大会や選手育成を支援して来た「長野オリンピックムーベント推進協議会」も10周年を向かえたと同時に、後残る基金も14億円となり、後3年位で基金は無くなると言われており、新たに克服しなければならない課題もあります。
しかし、冬季国体の開催の在り方も含めて、県の支援や民間からの支援策等も早急に検討し方向を示さなければ、今後、オリンピック開催を生かした街づくりは失速し、開催都市としての責任が問われます。
こうした中で、今年長野市は五輪施設を活用し全国中学校スケート大会を長野市で開催しました。
この大会は、国の「スポーツ拠点づくり推進事業」制度を活用し、各種スポーツの全国大会を同じ場所で継続的に開催することによって、それぞれの種目のメッカを各地につくることを目指し、いろいろな種目のメッカを日本中のいろいろな地域に展開し、スポーツの振興と地域の活性化を図ろうというもので、10年間は財政支援を受けることができるというものです。
長野市では「さらにスケートのメッカというからには、中学生、高校生、大学生、社会人とすべての種目に立候補したいと考えたのですが・・あまり欲張ってはいけないというアドバイスをいただき、全国中学校スケート大会を選択し、認められた」(市長のメルマガより)のだそうです。
私は、こうした取り組みを歓迎するとともに、出来れば高校~高校まで立候補し、長野をスピートスケートとフィギュアスケートの「聖地」について頂きたいと思います。
なぜなら、「聖地」になれば参加した選手の皆さんも将来思い出の地として、長野に再び訪れて頂けると思うからです。
また、今年は冬季国体も長野で開催されました。
この国体の開催をめぐっては、「曲がり角を迎えた冬季国体」と言われ、自治体の財政難等からスキー競技は最後まで受けてがなく、簡素で効率的な運営や3つの競技会の開閉会式を一本化して経費を減らしたり、今回はじめて企業協賛制度が導入されるなど、今後の国体の在り方が問われました。
私は、県としても国の支援策の充実などこの冬季国体の在り方を検証し、来年の青森県に次いで、出来れば毎年受け入れる方法(スケート競技だけでも)を検討し文字通り冬季スポーツ或いはスケートの「聖地」にして欲しいと思います。
長野で開催されたスペシャルオリンピック大会
この「長野オリンピック開催から10年」のしめくくりとして、「長野オリンピック記念館」について考えを述べたいと思いのす。
それは2月14日(木)の信濃毎日新聞に「長野オリンピック記念館廃止へ 入場者数低迷 」との見出しで、次の記事が掲載されていたからです。
「長野市は、同市北長池のエムウェーブの館内に市が設置する『長野オリンピック記念館』を、入場者数低迷を理由に4月にも廃止する方針だ。長野五輪の名場面を上映する「立体ハイビジョンシアター」などの機能をやめ、写真や選手が使った用具など資料の紹介を中心に無料の展示コーナーとして活用する。
記念館は、長野五輪、長野パラリンピックを機に1998年4月に設けた記念展示室を充実する形で、翌年2月に開館。『立体ハイビジョンシアター』や写真のほか、ボブスレーの疑似体験ができる装置、2005年に県内で開いた知的障害者のスポーツ大会「スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会」の資料などがある。入場料は大人700円(小中学生350円)。
指定管理者の第三セクターエムウェーブによると、最初の1年間に12万8950人(記念展示室を含む)だった入場者は、06年度は約1割の1万2863人に減少。人件費や光熱費、補修に年間約100万円かかるハイビジョンシアターの管理費など、維持には年間1900万円ほどかかるのに対し、同年度の入場料と売店の売上高は1350万円余で、約560万円の赤字だった。
現在はエムウェーブ休館日(定休火曜日)以外は開いているが、今後は基本的に開放日を土、日曜日と祝日に限定。ただ、イベントや団体の見学要請などがあった場合は平日も対応するという。
エムウェーブの土橋文行社長は「多くの人に感動を味わってもらえた。以前から利用者は減っており、五輪開催10年の今年を節目としたい」と話している。」というものです。
オリンピック記念館の整備は、市議時代、札幌市等を視察し大会開催を生かした街づくりとして、私が本来は中心市街地への整備も含め強く求めて来たものです。
そして、エムウェーブへの整備が決まった時、清水選手等が活躍した五輪開催会場としての知名度が年月が経つにつれ薄れ、訪れる方が減ることは予想していました。
その意味で、大会開催から10年目の2月14日という10年前、エムウェーブでスピードスケート500m決勝で岡崎朋美選手が銅メダルを獲得した日に、あえて新聞報道されるということには、その後施設の後利用について重責を担って来た、指定管理者の第三セクターエムウェーブの、これまでの我慢と現実的な対応への思いがあると受け止めています。
しかし、私はこれまで10年間も踏ん張って頂いたその意向を受けて、民間では対応出来なかった課題を、こんどは行政の役割として行政がどの様に継承するのかかが問われていると思っています。
それは、採算性のみで判断してはならない民間(事業者のみでなく)への経済波及効果を考えながらも、市民や県民、ボランティアに参加した皆さんの思い出の場所としての「聖地」の場を整備することです。
そこで、私は次のことを提案します。
それは、私が長野オリンピック大会開催直前の1997年12議会での会派の代表質問で、「新幹線開業後の活性化対策と観光振興計画の見直し」について質問し、当時の塚田佐市長は「新幹線開業後、長野駅が県内の玄関口になるので広域観光を推進したい。また、市内の滞留時間を延ばすため街角ミニ博物館を増やすなど物語性のあるものを増やしたい。」としていることからも、現在ウムウーブ内ある「長野オリンピック記念館」を善光寺周辺の中心市街地の空き店舗に移し、『街角ミニ博物館』へのルートも含め、観光客誘致のための新たな戦略を確立すべきと思います。
長野オリンピック開催から10年。
私は、私のこれまでの人生にとって特別な思いがありますが、それ故に、今後の県政運営や市政運営にって、オリンピック長野冬季大会を開催した長野市・長野県・関係市町村が、その様々な問題や教訓を糧として、今後進むべき方向やその過去を継承し、その特性を生かし今後の行政運営に継承されることを願い、この連載を行いました。
皆様からの積極的なご意見をお待ちしています。
【長野オリンピックから10年 完】