たけちゃん活動・生活日誌

日々県議としての活動に追われていますが、そのな生活でもたまには本音も言ってみたい・・・。

冬季国体の競技種目

2008年02月26日 | Weblog

冬季国体の競技種目について

 

 

 この私のブログで1月24日「国体冬季大会」「長野かがやき国体が26日開会します。」とお知らせした記事の中で、一番最後に追伸として、「かがやき国体で行われる競技や種目とスケジュールを見て、長野オリンピックと比較して、スキーでは、モーグルやフリースタイルアイスホッケーでは女子の部やカーリングが何で無いのでしょうか。やはり財政難が理由でしょうか。教えて下さい。」と発信しました。

 

 すると、2月9日にビックハットで開催された「長野オリンピック10周年記念式典」のおりに、何と国体を担当している県教育委員会のスポーツ課の方から、「遅くなって申し訳ありません。」と私がブログに記載した疑問への回答として「冬季国体におけるオリンピック競技、種目の実施について」と題する文書を頂きました

 

長野かがやき国体冬季大会の開会式(1.26)

 

 私はこの疑問について教育委員会に調査を依頼していませんし、ブログを見て頂いていることに感謝するとともに、この対応には驚きました。

 それ故に、ブログでは疑問に終わっている以上、皆さんにもその主な理由を報告することにしました。

 

 その主な内容は、冬季国体の実施競技及び参加人員については、今大会から「国民体育大会開催基準要項細則」により、スキーは選手監督1,660人以内、スケートは同858人以内、アイスホッケーは同663人以内と競技人員の上限が示されており、冬季大会の開催期間も各競技5日以内(基準要項)とされている。

 正式競技は、日本体育協会に加盟する競技団体のうち、原則として40都道県体育協会以上に加盟している団体競技としており、カーリングは20都道府県、アイスホッケー女子は14都道府県の加入であり開催は困難であり、また、開催地の競技施設が確保出来るのかが課題。都道府県対抗得点を争わない「公開競技」の開催は認められている。

 但し、冬季国体の開催地の決定に、ここ数年苦慮している状況の中で、公開競技とはいえ、競技数が増えれば当然地元財政負担も増すので、現状は厳しいものと思われる。

 というものです。

 

 ご親切に教えて頂いた内容の一部をカットしたことを申し訳なく思いますが、冬季国体がもっと国内の世界的な選手を育成し、なおかつ世界的に活躍している選手にとって、魅力のある大会となるような「改革」は出来ないのか、長野オリンピックを開催した県としての今後の在り方を求めたいと私は思っています。  

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長野オリンピックから10年(最終回)

2008年02月25日 | Weblog

大会開催を生かした街づくり

 

 

 大会開催から10年が経過した今日、県政をめぐっても様々な経過があり、その経過を教訓としながら、あらためて今後の県政や市政の在り方、オリンピックを開催した都市の責任として、今後の在り方を検証する必要があると思います。

 

 その一つは、開催都市の「責務」としての冬季スポーツの振興策です。
 確かに、冬季スポーツの各種大会は五輪基金の支援も受け、大会終了以降今日まで、毎年開催された大会は、全日本スピードスケート距離別選手権大会、長野オリンピック記念国際アイスホッケー大会長野カップ、軽井沢国際カーリング大会、長野オリンピック記念マラソン等が行われています。

 

札幌大会と同じ様に長野でもNHKが移転改築されました。

 

 また、毎年ではありませんが、長野市内では他にスピードスケートワールドカップ長野大会にはじまり、リュージュやスケルトンのワールドカップ、世界スピードスケート距離別選手権大会、世界フィギアスケート選手権大会、FISワールドカップフリースタイルスキーモーグル飯綱大会、長野オリンピック5周年記念フイギュアスケートエキシビジョン長野大会、2004世界スプリントスピード選手権大会、リュージュ世界選手権等々が開催されました。


 これらの取り組みは、他の各種大会やコンサート、会議等を招致(コンベンション)し、五輪施設の有効利用を図って来たことも含め、ホテル利用やお土産品、観光など多くの経済波及効果があったと思います。


 でも、冬季スポーツの各種大会が開催される度に、長野オリンピック記念マラソンや2006年に長野で開催されたNHK杯国際フィギュアスケート競技大会以外、年々観客数も減り、感心が薄れて来たような気がします。


 また、「長野オリンピックムーベント推進協議会」は、一方で長野五輪記念基金を活用し、選手育成事業に取り組んで来ましたが、大会開催前に盛んとなったアイスホッケー少年少女チームの育成や、下がり続けるスケートやスキー人口の減少に対し、底辺からの対応が出来たのかと考えると疑問が残ります。


 つまり、開催都市として施設等の後利用(活用)について、コンベンション施設としての活用と観光などその経済波及効果への取り組みに重点が置かれ、開催都市の責務としての冬季スポーツ振興策については、「冬季スポーツの街ながの」としてイメージされる戦略が不足していたのではないかと思います。

 

 

 長野オリンピック開催が決まって以降、私は施設の後利用や大会開催を生かした街づくりについて、国内では札幌とアジア大会を開催した広島市を視察しました。


 広島市はアジア大会であり、施設の後利用は市の今後の進むべき方向を定める中期計画により、開閉開式場と陸上競技の会場はJリーグチームのホームグランド、水泳競技場やバスケット、バレーボール競技会場は、市民の健康増進のための施設と位置付ければすむのかも知れません。(但し、新交通システムのその後が気になりますが。)


 しかし、同じ冬季五輪を開催した札幌市では、気候、人口、地形等の違いはありますが、私が一月末に視察した時、市役所で様々説明を受けた後、「定期観光バス」に乗りそのコースを視察した時、大倉山のジャンプ台では大会が開かれ、その脇に札幌オリンピックを記念した展示場、大会主会場となった公園では市民の方がクロスカントリーをしている姿、その公園の近くにあった札幌五輪記念館等々を見学しながら、私は、長野市等の地方都市がオリンピックを開催したことを最大限に生かした街づくりとは、オリンピックという世界最大のスポーツ大会を開催した都市であることに市民一人一人が誇りを持つとともに、実生活の中に冬季スポーツの振興策を位置づけることが、都市のイメージを高まると実感しました。


 また、北海道帯広市のアイスホッケー用の屋内スケートリンクでは、市内にプロから小学生まで数多くのアイスホッケーチームがあることから、朝6時から夜12時まで施設がフル活用されていたことに驚き、長野も大会開催を期にこうした底辺からの選手の育成とスケート人口の増加を創造しました。

 

 大会開催から10年。私達は招致や大会開催に係わり、施設の後利用等を心配した者として、あらためて、冬季スポーツの「聖地」として都市のイメージを再構築するとともに、選手育成や各種大会の開催により冬季観光の拠点を目指すべきではないでしょうか。

 

中核市へ移行記念式典のスローガンは。

 

 しかし、これまで各種大会や選手育成を支援して来た「長野オリンピックムーベント推進協議会」も10周年を向かえたと同時に、後残る基金も14億円となり、後3年位で基金は無くなると言われており、新たに克服しなければならない課題もあります。
 しかし、冬季国体の開催の在り方も含めて、県の支援や民間からの支援策等も早急に検討し方向を示さなければ、今後、オリンピック開催を生かした街づくりは失速し、開催都市としての責任が問われます。

 

 こうした中で、今年長野市は五輪施設を活用し全国中学校スケート大会を長野市で開催しました。
 この大会は、国の「スポーツ拠点づくり推進事業」制度を活用し、各種スポーツの全国大会を同じ場所で継続的に開催することによって、それぞれの種目のメッカを各地につくることを目指し、いろいろな種目のメッカを日本中のいろいろな地域に展開し、スポーツの振興と地域の活性化を図ろうというもので、10年間は財政支援を受けることができるというものです。


 長野市では「さらにスケートのメッカというからには、中学生、高校生、大学生、社会人とすべての種目に立候補したいと考えたのですが・・あまり欲張ってはいけないというアドバイスをいただき、全国中学校スケート大会を選択し、認められた」(市長のメルマガより)のだそうです。
 私は、こうした取り組みを歓迎するとともに、出来れば高校~高校まで立候補し、長野をスピートスケートとフィギュアスケートの「聖地」について頂きたいと思います。


 なぜなら、「聖地」になれば参加した選手の皆さんも将来思い出の地として、長野に再び訪れて頂けると思うからです。

 


 また、今年は冬季国体も長野で開催されました。
 この国体の開催をめぐっては、「曲がり角を迎えた冬季国体」と言われ、自治体の財政難等からスキー競技は最後まで受けてがなく、簡素で効率的な運営や3つの競技会の開閉会式を一本化して経費を減らしたり、今回はじめて企業協賛制度が導入されるなど、今後の国体の在り方が問われました。


 私は、県としても国の支援策の充実などこの冬季国体の在り方を検証し、来年の青森県に次いで、出来れば毎年受け入れる方法(スケート競技だけでも)を検討し文字通り冬季スポーツ或いはスケートの「聖地」にして欲しいと思います。

 

長野で開催されたスペシャルオリンピック大会

 


 この「長野オリンピック開催から10年」のしめくくりとして、「長野オリンピック記念館」について考えを述べたいと思いのす。

 それは2月14日(木)の信濃毎日新聞に「長野オリンピック記念館廃止へ 入場者数低迷 」との見出しで、次の記事が掲載されていたからです。


 
 「長野市は、同市北長池のエムウェーブの館内に市が設置する『長野オリンピック記念館』を、入場者数低迷を理由に4月にも廃止する方針だ。長野五輪の名場面を上映する「立体ハイビジョンシアター」などの機能をやめ、写真や選手が使った用具など資料の紹介を中心に無料の展示コーナーとして活用する。


 記念館は、長野五輪、長野パラリンピックを機に1998年4月に設けた記念展示室を充実する形で、翌年2月に開館。『立体ハイビジョンシアター』や写真のほか、ボブスレーの疑似体験ができる装置、2005年に県内で開いた知的障害者のスポーツ大会「スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会」の資料などがある。入場料は大人700円(小中学生350円)。


 指定管理者の第三セクターエムウェーブによると、最初の1年間に12万8950人(記念展示室を含む)だった入場者は、06年度は約1割の1万2863人に減少。人件費や光熱費、補修に年間約100万円かかるハイビジョンシアターの管理費など、維持には年間1900万円ほどかかるのに対し、同年度の入場料と売店の売上高は1350万円余で、約560万円の赤字だった。


 現在はエムウェーブ休館日(定休火曜日)以外は開いているが、今後は基本的に開放日を土、日曜日と祝日に限定。ただ、イベントや団体の見学要請などがあった場合は平日も対応するという。


 エムウェーブの土橋文行社長は「多くの人に感動を味わってもらえた。以前から利用者は減っており、五輪開催10年の今年を節目としたい」と話している。」というものです。

 

 オリンピック記念館の整備は、市議時代、札幌市等を視察し大会開催を生かした街づくりとして、私が本来は中心市街地への整備も含め強く求めて来たものです。


 そして、エムウェーブへの整備が決まった時、清水選手等が活躍した五輪開催会場としての知名度が年月が経つにつれ薄れ、訪れる方が減ることは予想していました。


 その意味で、大会開催から10年目の2月14日という10年前、エムウェーブでスピードスケート500m決勝で岡崎朋美選手が銅メダルを獲得した日に、あえて新聞報道されるということには、その後施設の後利用について重責を担って来た、指定管理者の第三セクターエムウェーブの、これまでの我慢と現実的な対応への思いがあると受け止めています。


 しかし、私はこれまで10年間も踏ん張って頂いたその意向を受けて、民間では対応出来なかった課題を、こんどは行政の役割として行政がどの様に継承するのかかが問われていると思っています。
 それは、採算性のみで判断してはならない民間(事業者のみでなく)への経済波及効果を考えながらも、市民や県民、ボランティアに参加した皆さんの思い出の場所としての「聖地」の場を整備することです。


 そこで、私は次のことを提案します。
 それは、私が長野オリンピック大会開催直前の1997年12議会での会派の代表質問で、「新幹線開業後の活性化対策と観光振興計画の見直し」について質問し、当時の塚田佐市長は「新幹線開業後、長野駅が県内の玄関口になるので広域観光を推進したい。また、市内の滞留時間を延ばすため街角ミニ博物館を増やすなど物語性のあるものを増やしたい。」としていることからも、現在ウムウーブ内ある長野オリンピック記念館」を善光寺周辺の中心市街地の空き店舗に移し、『街角ミニ博物館』へのルートも含め、観光客誘致のための新たな戦略を確立すべきと思います。

 

 長野オリンピック開催から10年。
 私は、私のこれまでの人生にとって特別な思いがありますが、それ故に、今後の県政運営や市政運営にって、オリンピック長野冬季大会を開催した長野市・長野県・関係市町村が、その様々な問題や教訓を糧として、今後進むべき方向やその過去を継承し、その特性を生かし今後の行政運営に継承されることを願い、この連載を行いました。
 皆様からの積極的なご意見をお待ちしています。

長野オリンピックから10年 完

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長野オリンピック開催から10年(9)

2008年02月23日 | Weblog

後世に残ったもの

 

 

 オリンピック冬季大会とパラリンピック終了後、大会開催を生かした街づくりや施設の後利用等、「後世に残すものは何か。」市議会では論議が続きました。


 特に、施設の後利用ではスパイラル(ボブスレーリュジュ会場)とエムウェーブが多額な維持管理費を要するため、将来的には国の援助が受けられるよう要請し続ける確認が行われました。(その後、最近になって国のナショナルトレーニング施設に位置付けられました。)


 また、大会開催を生かした街づくりとして、各種世界冬季大会の開催やコンベンション施設としての役割、オリンピック記念館の整備や定期観光バスの運行、冬季スポーツの振興策とビッグハットのアイスリンクの存続等々が活発に論議されました。


 私も、オリンピック記念館の整備や札幌五輪で残った雪祭りの様に、観光の目玉として例えば閉会式の花火を毎年2月7日に打ち上げる祭りは出来ないか、子供達のためのリンクの存続、開閉開式へのプロ野球の招致、等々を質問した記憶があります。

 

アクアウイングにて

 

 こうした検討を通じて、後世に残ったものは、大会開催後に残った収益金の46円を基金として設立された「長野オリンピックムーベント推進協会」による各種スポーツ大会への援助、大会開催を記念して行われることになった「長野オリンピックマラソン」、「オリンピック記念館」(エムウェーブ内)、「ながの観光コンベンションビューロー」、「一校一国運動の存続」、「ボランティア団体の存続」、「プロ野球の招致」、最近では「スペシャルオリンピックの開催」、「長野オリンピックメモリアル灯明まつり」(2004年から)等々です。

 

 また、何と言っても長野新幹線のフル企画での開業や高速道路網の整備、五輪関連道路の整備は大会開催をしなければ今日がなかったと言えます。
 五輪関連道路整備では長野市内だけで、国道が12km、県道が11路線26km、市道(幹線)が17路線15km、その他市道が55O路線46km、合計580路線約100kmが整備されたとされています。(市議会議事録)

 

 


祭りの後の淋しさは。

 

 長野オリンピック、パラリンピックが終了して月日が経過し年を重ねるごとに、何となく「祭りの後の淋しさ」が県民の中に漂って来たことも事実です。
 長野市でも大会開催や準備のために膨らんで来た一般会計を年々抑制し、公債費比率も年々高くなりました。また、施設整備当時ピークだった地価も下降を続け、施設整備や道路整備によって盛んであった公共事業や住宅建設も当然のこととして減少しました。
 特に、建設業、建築業、ホテル業等は今でも大変な過当競争の中にあると思います。

 

 そんな中、大会開催2年後の平成12年10月15日に知事選挙が執行され、田中康夫589,324票、池田ふみたか473,717票、中野さなえ122,615票、草間しげお14,770票という結果で、田中康夫氏が当選しました。

 

 この選挙結果は、一般的にはオリンピック開催前や大会中の県の官僚的体質と五輪帳簿消却問題、吉村県政のもとでの人事や権限をめぐるファミリー的体質に対し、田中候補が「閉塞感溢れる長野県政を改革する」として、「改革」を主張したことが県民の支持を得たとされています。

 

 しかし、私はこの選挙結果はオリンピックを開催した経過から考えると意外な面がありました。それは、長野オリンピックの開催が決定し五輪施設の竣工式がピークに達している平成8年10月20日に執行された知事選挙は、たまたま衆議院の解散により衆議院議員選挙と知事選挙の同日選挙となったことも投票率に反映したと思いますが、長野オリンピック開催への県民の期待を集めた吉村午良候補が905,272票を獲得し、二位の中野友貴候補219,842票、草間重男候補42,378票と大差を付けて当選した経過があるからです。

 


 つまり、長野五輪大会をはさんで行われた、この二つの知事選挙の結果は、「祭りの後の淋しさ」から「閉塞感漂う県政」を感じ「ハードからソフト」への「改革」を県民は選択したと言えるでしょう。

 

 

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長野オリンピック開催から10年(8)

2008年02月20日 | Weblog

長野オリンピックとパランリンピックを開催。

 

 

 1998年2月7日から22日までの日程で大会が、いよいよはじまりました。


 街は、これがオリンピックかと感心する日々で、全体がスポンサー広告で塗られたバスが走り、様々な場所に各国のハウスが置かれ、NAOCのFM放送が開局され、シャトルバスが行き交い、東口ではピンバッチを交換したり販売する露店が並び、日が経つにつれ、多くの人々が訪れる様になり、街全体がオリンピック会場という雰囲気になりました。

 

 長野オリンピック大会中盤以降のJR長野駅東口の情況

 

 また、清水宏保選手の金メダル獲得に続き里谷多英選手の金メダル獲得と、日本選手のメダルの活躍も、日に日に長野オリンピックを盛り上げました。
 さらに、ジャンプのラージヒル団体で原田、岡部、船木和喜、斉藤浩哉選手が金メダル、ラージヒル個人で船木が金メダル、原田が銅メダル、ノーマルヒル個人で船木が銀メダルを獲得した時には日本中が興奮した様でした。

 

 

 私も、開閉開式やアイスホッケー、スピードスケート、ショートトラックなど、多くの競技を観戦することが出来ましたが、清水選手のスピードスケート男子500m決勝での金メダルを獲得する瞬間や、ショートトラックの男子500mで西谷岳文選手が金メダルを獲得する瞬間を観戦出来たことは、一生の思い出です。

 

 

 また、私の友人からドイツの交流ハウスの設置場所を探して欲しいとお願いされた関係で、ハウスのオープンパーティに招待され、ドイツの黒ビールを頂きながら交流を深められたことも貴重な経験でした。

 

 

 大会中、そんな感動の日々を送る中で、一つ大きな課題が生まれ振りまわされたことがあります。
 それは、私のすぐ近くで行われているアイスホッケーB会場での女性大会等のチケットの販売です。
 それは、アイスホッケー女子の大会を見学に来たサマランチIOC会長が「観客が少ないので、チケットをもっと販売するように。」と指示したとれ、大会中NAOCとIOCの幹部は毎日早朝に、長野市内のホテルで打ち合わせをしており、早速、当時市議会のオリンピック局を所管する総務委員会の委員長であった私に、「何とかして欲しい。」との要請があったのです。
 
 私としては、大会開催後の財政負担問題への心配もあり、出来るだけチケットを販売することが使命と考え、前大会時やアクアウイングへのイルミネーション設置イベントでも、チケットの販売状況をチラシにして配布するなど努力して来ましたが、この要請を受け入れ販売活動に終始しました。

 

 

 しかし、その時に私が付けた条件は、IOCは勝手な条件を言うかも知れないが、チケットが完売している競技をテレビで見ていてもリップの席が空席となっており、販売するに付けても説明出来ないので、大会を盛り上げるため、そのチケットも販売して欲しいということでした。


 それ以来、大会期間中、私はチケット販売に終始することになりチケットは現金販売のため、私は販売しチケット代金を持って、ほぼ毎日、長野市のオリンピック局に通ったことを覚えています。

 

 この長野冬季オリンピック大会開催への招致活動や、取り組みについて様々な思いを述べてきましたが、私は、この大会開催は県民や国民の盛り上がりや開催によって提起された世界平和や環境問題への対応、冬季スポーツ振興、その後開催されたパラリンピックにより障害者への理解や社会参加等々、本県や開催都市長野市とともに競技を受けいけた町村にとっても大きな成果と遺産が残ったと思っています。
 この、内容と今後の対応については、次回に述べようと思います。

 

 オリンピック長野冬季が2月22日に閉会し、こんどは3月5日から14日間の日程で、パラリンピック(もうひとつのオリンピック)が開催されました。

 

 


 このパラリンピックも、32カ国の選手及び役員が参加し過去最大の大会となりました。また、長野冬季大会はヨーロッパ以外の地域で開催された初めての大会でもありました。
 長野市内では、開閉開式(エムウェーブ)やアイススレッチ・スピートスケート、アイスレッチ・ホッケー等が行われ、チケットは完売し連日の競技に歓声がおこりました。

 

 

 私は、アイスレッチ・ホッケーのチケットを入手し観戦しましたが、スポーツを通じ様々な障害を乗り越え、身体と身体がぶつかり合い激しい競技をしている姿に感動しました。

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長野オリンピックから10年(7)

2008年02月18日 | Weblog

施設の完成と前大会、そして平和・環境へのアピール

 

 

 施設の後利用や大会開催後の街づくり等について、様々な観点から検討が行われ一定の方向付けがなされた頃には、次々と施設や関連道路が整備され、1996年~7年には、世界スピードスケート選手権大会・世界ショートトラックスピードスケート選手権大会、フィギアスケートNHK杯、アイスホッケー日本リーグなどの大会テストも兼ねた前大会が開催されるようになりました。

 

 そして、各地区でも「オリンピック協力会」が設立され、私の地元では競技大会周辺の歩道の除雪隊の編成や会場を「葉ボタン」で飾るための栽培等が準備されました。

 

 スピードスケートの世界選手権での「朝陽協力会」の皆さん


 また、五輪を盛り上げる自主的な動きも広まり、私の地域ではアイスホッケーB会場周辺の欅の並木をイメルネーションで飾ることが話題となり、私が呼びかけ人の一人となり「グループ・ザ・イルミネーション」を結成し個人や地元企業の皆さんに呼びかけ200万円を越える寄附を集め、アクアウイングやエムウェーブをイルミネーションで飾りました。
 (この時、現大町市長の牛越さんは、NAOCに出向していて、白馬のジャンプ台の所長でしたが、休日には必ず来られ、先頭に立ってイルミネーションを設置していたことに今でも頭が下がります。)

 

 エムウェーブ前を飾ったイルミネーション

 

 こんな頃、オリンピックの聖火長野に入り、市内のあちこちにはのぼり旗が飾られ、いよいよ街は、オリンピックを迎えるムードに包まれました。

 また、大会直前にはオリンピック開催都市や議会として開催後も問われる平和や環境問題等について、「決議」や「宣言」が行われました。
 五輪開催から10年を経て、今はこれらのことが、どの様になっているか検証する上で重要と思いますので、主な内容を掲載します。

 

 それは、1998年1月19日にIOCサマランチ会長が長野市議会の議場で演説を行った時、私から議長への提案で、「世界平和の実現に取り組む決議」を採択し、サマランチ会長へ手渡しました。
 その主な内容は、大会開催後も「オリンピックハーモニー運動の精神を継続し、平和の実現に向け、努力することを誓う。」として、「2月7日を長野オリンピック記念日と定め、毎年この日を市民挙げて全世界の恒久平和を願う日とし、次の世代へ平和の尊さを伝える行事を行う。」、「一校一国運動の灯を絶やすことなく、21世紀の世界を担う子どもたちがお互いに理解し合い、世界の平和と繁栄に貢献できるよう『子供たちの国際交流基金』の創設を行う。」というものです。

 

 私の地元にも聖火リレーが走った。

 

 また、1998年2月8日には、長野市長の呼びかけでカルガリー、アルベールビル、リレハンメル、ソルトレーク、札幌、オリンピアの各市長が長野に集まり、「冬季五輪開催都市市長会議」を開催し、「冬季五輪開催都市宣言」を採択し世界に発信しました。


 その内容は、「我々は世界の平和の実現、未来を担う世界中の子どもたちの健全育成のため、次大会以降もその都市にふさわしい具体的な取り組みを継続することを希望する。

 また、今、世界では環境問題がテーマとなっている。オゾン層の破壊、地球の温暖化など地球規模での生態系を脅かす環境問題が課題となっている。冬季オリンピックでは自然との調和が重要であり、今後の大会においても、IOC及び開催都市が『環境問題』をテーマの一つに据えて取り組みを継続することを望む。その具体的な取り組みとして、自然への負担を軽減するため、既存の競技施設の活用を提言する。」というものです。

 

 2月7日を「長野オリンピック記念日」とし、「毎年この日を市民挙げて全世界の恒久平和を願う日」とする「決議」は、平和への内容は検証する必要性はあると思いますが。現在も守られています。
 また、大会を環境問題をテーマとして取り組むことは、地球温暖化により冬季大会の開催が今後危ぶまれる事態の中で引き継がれていると思いますが、「既存の競技施設の活用」については、どうなっているのでしょうか。

 ともあれ、こうして長野オリンピック冬季競技大会は本番を迎えました。

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長野オリンピックから10年(6)

2008年02月17日 | Weblog

五輪施設の後利用問題への対応

 

 

 1994年2月の第17回冬季大会が、ノルウエーのリレハンメルで開催され閉会した数日後、五輪旗が塚田長野市長へ引き継がれ長野へ来ました。

 

 そして、長野大会開催に向けて準備して来た長野市も施設整備等について建設に着手し、1995年には、各種五輪施設の建設がはじまりました。
 私も同年9月に、市議会議員選挙が行われ4期目の当選をさせていただき、五輪大会開催と、その後の対応についての取り組みが最重点課題となりました。

 

 

 

 五輪施設整備の進捗状況は1995年10月12日にはアイスホッケーB会場安全祈願式、既に着工していたボブスレー・リュウージュ会場は11月9日に竣工式、スピードスケート会場は11月24日には大屋根リフトアップオープンセレモニー、翌年の1996年9月7日にはフィギアスケート会場竣工式と着々と準備が進められていました。

 

 

 建設中のエムウェーブ(スピートスケート会場)

 

 こうした中、私も参加した「オリンピック施設後利用計画検討市民会議」の答申が行われ、長野市はオリンピック局内に「施設活用推進室」を設置し、1997年の9月市議会を前に五輪施設の後利用について、管理運営形態も含め一定の方針を示しました。

 その内容は、次の通りです。

 

ホワイトリング(フィギヤスケート会場)=後利用=総合体育館。管理運営に対する考え方=スポーツの体系的な振興を図る。委託先=長野市体育協会。


アクアウイング(アイスホッケーB会場)=通年型屋内プール。後利用等=上記と同じ。


南長野運動公園(開閉会場)=野球を中心としたスポーツ施設。後利用等=上記と同じ。


ビックハット(アイスホッケーA会場)=スポーツやイベントなどの多目的ホール。管理運営形態=文化コンベンション施設と連携した有効的利用。効率性、民間サービス的な経営感覚が必要。委託先=商工振興公社。


エムウーブ(スピードスケート会場)=冬季はアイスアリーナ。他のシーズンは定常的に集客が図れる利用を検討。経営に関する考え方=民間の経営感覚を生かし、施設全体を一体化として効率的な運営が必要。国・県の財政援助を働きかける。


スパイラル(ボブ・リージュ会場)=冬季は競技大会や選手育成に利用。レジャー用のソリ等を導入し有効利用を図る。周辺施設を含めた利用を検討する。

 

 建設中のビッグハット(アイスホッケー会場)

 

 また、この検討の過程では市議会としても全国の様々な施設の視察を行い、後利用後の施設の活用について、開閉開式場(オリンピックスタジアム)に毎年プロ野球が呼べる施設整備や、エムウェーブやビックハットへ各種コンサートや大相撲が呼べ、各種展示場として使い安い条件整備等々について提案し実現させました。


 (私は、エムウェーブの屋根の南斜面を活用した太陽光発電を提案し費用を試算して頂きましたが、当時は費用対効果面から採用されませんでした。)

 

 この五輪後の施設の後利用方針を受け、スケートリンクの維持がエムウェーブのみに止まっていたことから、当時五輪招致を契機に盛んになって来ていた少年のアイスホッケーチーム保護者等から、もう一つスケートリンクを残すべきとの要望が相次ぎ、市では後になって一定期間、ビックハットを開放するとともに、エムウェーブの400mリンク内に、必要に応じて新たにリンクを設置しました。

 

 また、これらの876億円(国322・県54・起債427億円・市一般財源69億円)の施設整備費の内、市の起債が177億円となることから、その内約50%が、当時盛んに使われた「有利な起債」によって国から交付税措置されるのかが論議となりました。
 さらに、五輪大会開催により施設整備や関連道路整備、大会運営費等、長野市がオリンピック大会開催により借金した金額により、将来、財政再建団体にならないよう真剣な論議が行われました。
 そして、長野市が五輪開催により借金返済(公債費)は、平成14~15年でピークを迎えるが15%台に抑えたい、それ以降は減少するとの市のシュミレーションによる説明がなされました。

 

建設中のホワイトリンク(フィギュアスケート会場)

 

 五輪大会開催前の12月定例市議会で、私は会派を代表して質問し、次の様なやりとりをしています。
 当時のことが良く分かると思いますので主な項目を若干紹介します。

 

■ オリンピック・パラリンピック開催を通じ後世に残すものらついて


竹内質問


(1)「一校一国運動」と子ども達の国際交流基金
(2)開催都市として世界平和への貢献
(3)環境に対する取り組み
(4)ボランティアの活動
(5)パラリンピックを通じて後世に何を残すか。


 

塚田市長答弁


(1)世界の子ども達との交流、友好親善のため「子ども達のための国際協力基金」を設置したい。


(2)国連での停戦決議、NAOCでの対人地雷被害者の救済とピースアピールなどの取り組みが行われているが、一過性のものに終わらせることなく、毎年2月7日をオリンピック記念平和の日として集会を行いアピールをして行きたい。


(3)環境については、環境調和都市を目指していきたい。

(4)ボランティアは、今後いろいろな分野で活躍頂けると思う。今後開催される大きなイベントや災害時での対応等、大きな遺産として残ると思う。

(5)パラリンピックを通じて人に優しい街づくりに積極的に取り組んで行きたい。また、障害者スポーツの普及に努めたい。

 

建設中のスパイラル(ボブスレーリュージュ会場)

 

■ オリンピック後の施設運営について


竹内質問


(1)エムウェーブ以外にもアイスホッケーやフィギュアの国際大会が呼べるリンクを残すべき。
(2)残した場合の経済波及効果は。
(3)大会後の各種スポーツイベント等の招致状況は。
(4)新幹線開業後の活性化対策と観光振興計画の見通し。


 

塚田市長答弁

(1)市内アイスホッケーチームは平成3年の10チームから28チームに増加している。もう一つのリンクを残すことについては、今後のアイスホッケー人口の動向、リンクの維持管理費も含め検討を進めたい。

(2)大会開催による経済波及効果は、冬季スポーツに限らず1.5倍から1.7倍あると言われている。

(3)大会後のイベントが確定しているのは、平成10年にリュージュのワールドカップ。ボブスレーの全国大会。ワールドスプリント・スピードスケート世界選手権大会。11年には、スピードスケートとフィニアの国体。12年には、スピードスケートとホッケーの中学生全国大会。世界種目別スピード選手権大会が予定されている。

(4)新幹線開業後、長野駅が県内の玄関口になって来たので広域観光を推進したい。また、市内の滞留時間を延ばすため街角ミニ博物館を増やすなど物語性のあるものを増やしたい。各種イベントの招致についても、今のところ2003年までに約90団体、約20万人の国際大会や全国大会が予定されている。

 

■ 選手村・メディア村の大会後の対応について


竹内質問


 (1)選手村の分譲計画は。
 (2)選手村・メディア村等の通学区域は。

 


塚田市長答弁

(1)選手村の後利用は、国に70戸、県の職員住宅に290戸、民間住宅に124戸の484戸を10月ぐらいまでに、それぞれ売却する。一般市民への売却については、5階建てで3DKが100戸、土地造成による戸建て分譲住宅が80戸あり、平成10年5月頃にはモデルルームを作り分譲受付をしたい。


 

教育長答弁

(2)選手村後の今井ニュータウンに入居する児童は過去の実績を基に試算すると小学生児童が245人程度、中学生徒が122人程度予想される。通学区域は昭和小、川中島中が該当するが昭和小については今年度学級数25学級であり今井ニュータウンによりさらに増加することから、川中島地区小学校通学区域等研究協議会で検討し早急に結論を出したい。朝陽メディア村と柳町メディア村については、朝陽小、城山小、柳町中が通学区域となるが、現時点では受入可能と考えている。

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淡路島野島断層

2008年02月15日 | Weblog

「北淡震記災念公園」

 

 

 2月15日の午前中は、兵庫県淡路市にある国指定 天然記念物 野島断層「北淡震災記念公園」を視察しました。

 

 平成7年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災は、最大震度7を記録し、死者6,434人という戦後最大の被害をもたらしました。

 淡路島北淡町(現淡路市)でも、長さ10kmの地震断層が出現。なかでも小倉地区は断層による道路、生け垣、畑の畦などの破壊状況が各所に見られ、今なお地震エネルギーの巨大さと、断層運動による複雑な地表面の変形に見られる自然の脅威を如実に示しています。

 

 北淡震災記念公園は、地震で出現した10kmの地震断層の内、学術的にも貴重とされる140mを、ありのままに保存・展示し、阪神・淡路大震災の記録を後世に伝えています。

 

 

 

 また、災害体験館では、阪神・淡路大震災と同じ震度7の揺れを40秒間体験しましたが、それはものすごいものでした。

 そして、映像シアターでは災害の記録を生々しく映し出し、最後に「地震列島日本では、いつ地震が来てもおかしくありません。地震に備えるために防災について考えましょう。」と呼びかけていました。

 

 長野県でも北部地域にお住まいの多くの皆さんは、新潟県中越沖地震や能登半島地震の時の揺れのすさまじさと怖さを体験しています。

 しかし、今回体験した震度7の揺れは、そんなものではありませんでした。

 行政としても、各家庭でも、何時起こるか分からない大きな地震に備え、出来うることを行う必要性を痛感させられました。 

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徳島県視察

2008年02月14日 | Weblog

徳島県の森林再生から「飛躍」プロジェクト事業。

 

 

 今日は会派の県外調査2日目で、徳島県の調査を行いました。

 その調査内容は、以下の通りです。

 

(1)徳島滞納整理機構について

(2)がんばる市町村応援事業について

(3)森林再生プロジェクトについて

(4)とくしまあんしん農産物認証制度構築事業について

(5)新鮮とくしまブランド戦略事業について

 

 この内、徳島県の担当職員の方の説明では、森林再生プロジェクトは、森林・林業に係わる最重要施策として、間伐材の有効利用を図る「川上から川下に至る一貫したシステム」の構築を目指し、平成17年度から取り組み、高性能林業機械と作業道を組み合わせた「新間伐システム」による「効率的な間伐材生産」や「低質な間伐材の合板への新たな利用」などを進めて来たとのこと。

 

 徳島県議会での視察の様子(2月14日)

 

 その結果、平成18年度にはプロジェクト開始前の3倍となる「約6万立方メートルの間伐材」が、生産され住宅部材や合板原料として安定的に流通し、森林所有者にも間伐材による収益(1立方当たり3,000円)が還元されるなど、効果が出ている。

 

 こうした経過を踏まえ、平成19年度からは森林を再生から飛躍へとステップさせるため、間伐材の更なる増産とそれに見合う流通・加工体制の充実・強化、木材の利用拡大を図る「林業飛躍プロジェクト」を推進しているとのことでした。

 

 中でも、これらの取り組みにより、84名の若い担い手(雇用)が育成されたとの説明には感心するとともに、長野県においても、この取り組みに学び、生かすべきと実感しました。

 

 また、他の調査内容の説明も県の担当者が熱心で、特に「新鮮とくしまブランド戦略事業」については、中国産「手作り餃子」等の問題により食の安心・安全が問われ、また、消費者の感心が高まる中、徳島県や他県に負けない取り組みが問われていると思います。

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追 伸

 

 昨日・今日と、四国地方も大変寒い日が続きました。

 そんな中、昼食会場の庭に目を向けると、やはり四国、既に梅の花が咲きはじめていました。【写真

 

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高知の森林税

2008年02月13日 | Weblog

環境保全(CO2削減)で協定の時代。

 

 2月13日から15日は会派の県外調査で、今日は高知県に来ています。

 このブログで連載している「長野五輪から10年」も、後3回ほどで連載を終わる予定で記事は出来ているのですが、掲載予定の写真が我が家のランの中にあり、忘れて来ましたので、今回の出張先からは連載が出来なくなりました。

 

 そこで、今回は今日視察しました高知県の森林環境税のその後についてお伝えします。

 

 高知県の調査目的は、次の通りです。

(1)就学前の幼保一元化の県の取り組みについて。

(2)一時保護所を退所するDV被害者等に対する自立支援策について

(3)森林環境税による県民参加の森づくりについて

(4)「こうち山の日」の制定と推進について

(5)風力発電の取り組みについて

 

 

 この内、高知県は森林環境税を平成15年度から、全国で真っ先に導入した県であり、課税期間の5年が今年3月で切れることから、その後、どうするか大変興味がありました。

 

 担当者の方の説明では5年間、県民参加による森づくり推進事業等を行って来たことにより、県民の関心が高まり、税を続けるかどうかのアンケート調査で80%越える県民が継続に賛成し、反対は1.6%しかなかった。

 森林整備に関するボランティアも27団体900人を越えた。

 こうした経過を踏まえ、昨年の12月議会で、森林環境税の5年間の延長が議決されたが、議会の中に反対はなかった。

 とのことでした。

 

 また、企業と市町村が森林整備について協定を結び、その成果を県が調査してCO2の削減量を認定する、企業が参加する協働の森事業も30社を越えているとのことでした。

 

 さらに、香川県の水源地は高知県内にあるダムからによるところが多く、その水源を守るための森林整備等の支援予算として毎年、香川県から高知県へ約3億円の補助金が出されているとのことでした。

 

 高知県議会での会派の視察の様子

 

 そう言えば、2月6日の新聞で、「環境保全で協定 友好提携の伊那市と東京・新宿区」との見出しで、下記の内容の記事があったことを思い出しました。


 
 「伊那市と東京都新宿区は10日、市有林の間伐整備費を区が補助したり、区民が森林整備を体験したりする内容の「地球環境保全協定」を結ぶ。伊那市側は、森林整備の促進や区民の来訪による地域活性化にも期待。新宿区側は、独自の指針で定めた二酸化炭素(CO2)排出量の削減を実現する手段に位置付けている。

 伊那市や新宿区によると、協定締結を経て、区立環境学習情報センターが市有林での間伐・枝打ち体験と、住民同士の交流イベントを開く予定。区は間伐材を街路樹の支柱や公園の遊具などに有効活用していく。間伐整備の補助額は今後検討する。」

 「指針は、区内のCO2排出量を、現状のペースで推移した量に対し2010年度で約10万トン、20年度で約34万トン削減する目標を掲げている。区の試算では、40年生カラマツ林を年間30ヘクタール整備すると、その年のCO2吸収量が約2000トン増えるといい、増加分と排出削減分を相殺する考えだ

 伊那市は毎年、約2000万円かけて約2800ヘクタールの市有林で間伐などを進めている。市農林振興課は協定について「自然や風景をPRするチャンスにもなる」と期待。新宿区環境保全課は「伊那市との取り組みが順調にいけば、他の自治体とも同様の協定を結びたい」としている。」

 

 高知県の企業との連携や香川県の他県への支援、そして、伊那市と東京都新宿区との関係の様に、これからは、地球温暖化防止対策でのCO2の削減や水源・水環境の保全のために、こうした地方自治体からの多様な取り組みの提案が問われていると実感しました。

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長野オリンピックから10年(5)

2008年02月11日 | Weblog

オリンピック開催準備

 

 1991年のIOC総会での冬季大会開催都市決定後、9月の市議選を経て、五輪施設整備等に向けて各地域での取り組みがはじまりました。

 

 私の地元の朝陽地区ではまずスピードスケート会場等について同年、11月28日から地権者への説明会が、翌年の1992年2月26日にはメディア村建設事業説明会が行われ、この頃から施設整備については本格的な取り組みがはじまりました。

 

メディア村の地元朝陽地区説明会(1992年2月26日)

 

 そして、私は特にメディア村等の地元五輪施設予定地の地権者会の顧問となり、用地交渉の度に会議に出席することや、地元朝陽地区が五輪開催後の「より良い街づくりを目指し」取り組んで来た「活性化対策委員会」の対応や、大会をボランティアとして陰で支える地区の「オリンピック協力会」の結成と活動におわれる日々が続きました。

 

 でも、今思えば、地元地区での議員活動として当時整備がはじまった下水道整備等の課題も含め、こんなに充実していた時期はないと思い、その時、市議であったことを感謝しています
 なお、スピードスケート会場の用地調印式は1993年の5月12日、メディア村は1994年10月22日に行われました。

 

 また、市議会では「オリンピック特別委員会」に所属させて頂き、国によって異なる財政負担や施設の後利用問題、大会開催後の状況、環境問題等々について、1992年4月13日~27日までの9日間、同年2月に第16回大会を開催したフランスのアルベールビル、1994年に第17回大会を開催するノルウェーのリレハンメルの状況を調査する「市議会オリンピック施設等調査団」(12名で構成)の一員として参加できたことは、地元の対応も含め全体の五輪施設の後利用問題や大会開催を生かした街づくりについて、大変勉強になりました。

 

リレハンメル大会開催市・トロン市長と

 

 この調査帰国後の同年5月30日には市が設置した「オリンピック施設後利用計画検討市民会議」の第1回の会議が開催され、私も委員となりました。
 そして、この「市民会議」へも大会の成功と施設等の後利用について多くの団体や市民の皆さんから提言が行われ、開催都市後の主な方向が位置付けられました。

 

 さらに、市議会の特別委員会でも、国内の先進的なドーム施設やスポーツ振興等について調査を行うともに、大会準備の進捗状況を審議しました。

 

 こうした長野大会を準備している時、1994年2月の第17回冬季大会が、ノルウエーのリレハンメルで開催されました。
 この時、多くの市議がこの大会を視察しましたが、私は、オリンピック開催後の施設の後利用について、冬季スポーツの振興策を探るため北海道の帯広市等を視察していました。
 その訳は、リレハンメルまで行く費用が不足したことや、五輪開催後の冬季スポーツを生かした街づくりにいて先進地から学びたかったからです。

 そして、リレハンメル大会の閉会式で、五輪旗が長野へ引き継がれ、いよいよ、本格的な大会準備がはじまりました。

 

リレハンメルからオリンピック旗が長野へ(長野駅前)

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