「四期目の選挙を戦わせてくれ!」
先の1月26日、私は地元朝陽地区の後援会役員新年会に出席しました。
その席で私からは、御礼の挨拶を申し上げるとともに、地元で行っている国直轄事業や補助事業が、新政権が行った「事業仕分け」の対象とならなかったこと。政権が代わり中二階である県政では補助事業が多いため、従来の様に「あれもやれ、これもやれ」的な質問をすれば、逆に「政権与党の皆さんにお願いしたい。」と逆陳情が返って来てしまうため、質問スタイルを変えなければならないこと。そのため、県政の私の係わる課題について、政府や三党への要望活動が増えたこと。元衆議院議員がご逝去され、私が葬儀委員長を務めることになったこと。社民党県連合からは8年前から県連合代表となることを打診されて断り続けて来たが、断り切れない状況となっていること。等々を報告し、特に、清水氏の葬儀委員長や社民党県連委員長就任について率直なご意見をお願いしました。
その後の懇談では、私の地元後援会は国政選挙では支援する政党や候補者など立場が違う皆さんの集合体(地域住民党)であり、私が社民党県連合代表に付くことへは多少意見がありましたが、清水勇氏の葬儀委員長を務めることについては、皆さんにご賛同を頂いたと思います。
そして、懇談の中では清水勇さんの生年月日が話題となり、私が大正14年と答えると、パキパキ行動している方が「オレは大正12生まれだ。」と胸を張って答え、他の方も「私は大正15年生まれ。」と反応しました。
この会に出席された方は、後援会事務局や青年部を担って頂いている方もおりますが、今紹介した皆さんは、私が市議に立候補して以来のお付き合いであり、これまでの議員生活26年間ご一緒に年齢を重ねてこられた皆さんです。
するとこの会話の延長で、昭和初期生まれの朝陽地区後援会長さんが真面目な顔で私を見つめ「竹内さん四期目の選挙を戦わせてくれ。そして勝たせて私の花道にさせてくれ。」と言われました。
この突然の話に、私は驚くとともに、そこまで真剣に私のことを考えて頂いていることに感激しました。
私は、様々な皆さんに支えられて、これまで活動させて頂いていることや、立派な先輩方にめぐまれていることに改めて感謝しました。
会長さんの言葉を胸に刻みながら、私も今後の方向や人生を考えなければならない時期が近づいていることを実感しました。
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