阿部守一氏の政策が発表されました。
知事選へ阿部守一氏の政策が発表されました。
7月22日告示、8月8日投票の日程で行われる長野県知事選挙に立候補表明している阿部守一氏の政策発表が6月18日に行われました。
私は、前回の知事選挙で村井氏を応援しましたが、それは脱田中県政への政権闘争であり、少しでも良い県政を築くための選択でした。
そして誕生した村井知事は、議会が求めていた中期総合計画を策定し計画的な県政運営を行うなど、期待以上の県政運営を行って頂いたと思っています。
しかし、村井知事は選挙で公約していない自らの退職金を廃止する条例案を提案し可決されるなど出場の経過や年齢も含め、一期目で引退する決意は固いと私は確信していました。
なぜなら、「頑固」な村井知事が自らの退職金を廃止する条例案を提案するということは、「一期で辞める」という「頑固」な意志表示と私は受け止めたからです。 そして、村井知事が次の知事選挙に立候補しないことを明らかにした時、私は「この人は『頑固』さを貫き、権力に溺れることなく政治家として立派に引退表明をされた。」と敬意とともに感動を覚えました。
一方、村井知事再選を期待していた皆さんは、この表明にショックを受け再考を求めた様ですが、前回の知事選挙での村井知事擁立への苦難な道どりを教訓としていれば、4年前から次期知事選候補を考えていなければならないことは必然的な成りゆきであり、ここに来てなぜという思いを感じました。
本来、二元代表制のもとで議会側が知事候補擁立に関与すべきでは無いとは原則ですが、県政に責任を負う議員個々の立場として、次期知事候補の擁立について何らかの対応がなければ、県政運営に責任を負うことにならないと思います。
私は、このことについて前回の知事選挙で、いつまで立っても候補者が決まらないという状況に苦しめられ、「空を見上げてはため息を付き」ながら、脱田中県政のため党派を越えた県議会有志で候補に相応しい人の名をあげあい、最終的に田中県政のもとで副知事を務め自ら身を引いた阿部守一氏への立候補を何度も求めた経過があります。
なぜなら、田中知事の副知事を務めて来た阿部氏が対立候補として出場し争うことが争点を県民に一番分かりやすく示すことになると考えたからです。
この要請に阿部氏は前向きに検討いただきましたが、職場の先輩の名が有力視された経過の中で決断出来ず、最後は村井氏に決まった経過があります。
しかし、阿部氏は前回の知事選後も、副知事時代に知事に使えた結果、県職員等に自分が誤解されていることや、信州の自然や人間性など長野県への思いが強く、副知事辞任後や横浜市の副市長になってからも何度も連絡を頂き意見交換して来ました。
私は、阿部氏についてとやかく様々なことを言う人がおりますが、その内容の多くは知事に仕えた時の批判であり、田中知事のもとで苦しめられた県職員などの皆さんにとっては当然の気持ちかと思います。
しかし、何よりもこの4年間の阿部氏の長野県への思いと、今回なぜ知事選への立候補を決意したのか、その勇気を私は評価するとともに、皆さんにもその思いを考えて頂きたいと思います。
今のところ次期知事選には、阿部氏と前知事の支援者や共産党系の団体が推す松本氏の二氏が立候補表明しており、新たな候補擁立に向けて「結成」された自民党をはじめとする県議会議員有志や経済団体等で構成する「信濃会」が努力されていますが、この状況は前回の知事選挙前の状況と似ています。
しかし、決定的に前回と違うのは、前回は私も含め反田中候補で一致結束して政権闘争を行うために反田中議員が結束して燃えていたことですが、今回は新人の争いとなるため、そんな気運がないことです。
新たな候補擁立を目指す「信濃会」は、最悪の場合には県議会議員の中から擁立すべきとの方向を確認したようですが、私は4年前の「空を見上げながら悩んだ」時と違い今回は、今となってはそんなに無理をすれば返って焼けどすることになると心配しています。
また、県庁内やOBの方等から、阿部氏への批判があり、新たな候補擁立待望論があるようですが、それは身勝手な思いであり逆に意図しない結果を招くことになりかねません。
むしろ現在名乗りを上げている方の内、どちらを選択すれば今後、堅実でより良い良い県政を築くことが出来るかを考える時期に来ているのではないでしょうか。
そんなことを考えている時、阿部氏が6月18日、「信州底力全開宣言」と題する政策を発表しました。
http://shuichi.jp/policy
私は、この政策を良く検証して対応を検討したいと思います。
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