たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

年越し蕎麦

2019年12月31日 | 私生活

 大晦日は、我が家での年越しの料理のメインは毎年、カニ鍋でしたが、若干2人のカニ嫌いからブーイングが出されたため、今回は、あん肝鍋にしてみました。
 大晦日は、次男夫婦と孫1人、同居する長男夫婦と孫3人と私達夫婦の計10人で、私が作った鍋を囲みました。
 今年は、選挙での人との関係や台風19号災害、同居する孫の病気や入院、妻のインフルを煩わしての入院など、余り良い年とは言えませんでしたが、この日の夕方妻が5日ぶりに退院し、妻の退院祝いとともに、家族それぞれの近況を語り合う楽しい一時となりました。
 鍋等の料理を食べ終わり、紅白歌合戦が中盤になった頃、我が家では孫達の寝る時間前にあわせ年越し蕎麦を頂きます。
 こも年越し蕎麦は、私の住む石渡の隣地域の北尾張部の「ぞば打ち会」の皆さんが、大晦日の早朝から公民館に集まり、希望する地域の皆さんのために打って頂いているものす。

 私は、この情報を知り、9年位前からお願いして来ましたが、我が家一同、一度食べたら「美味しくて、止められなくなり」毎年の年越し蕎麦として、お願いしてきました。
 そして、今回の年越しぞばも、皆んな「このそばを食べてしまえば、他のそばは食べられない。」と言って、感激しながら完食しました。

 それにしても、こうして、美味しい年越し蕎麦を大晦日の朝早くから作業をし提供して頂いている北尾張部の「そば打ち会」の皆さんに感謝するとともに、末長く活動を続けて欲しいと改めて願いました。


孫達への贈り物

2019年12月24日 | 私生活
 12月24日はクリスマス・イブ。
 我が家では毎年この日に、同居する孫達3人に、クリスマス・プレゼントの替わりに1年間一緒に生活しているなかで、感じた良いことを簡単な文書にまとめ「表彰状」として、僅かな「金一封」を添えて1人ひとり手渡しています。
 孫達は、今年も「金一封」くれると1ヵ月前位から騒ぎ出し、「今回は金額上げて」と攻めて来ますが、私の目的は1年間の締めくくりとして、孫一人ひとりの良いことを、ほめることで、もっと良い方向に成長して欲しいという思いを説明し、「金一封」の金額は値上げしていません。
 でも、孫達は頂いた「表彰状」を過去のものの上に重ね額に入れて飾り大切にしてくれています。
 同居する孫達は、上が小学5年生の女の子、2番目が小学3年の男の子、下が小学1年の男の子ですが、小学生である孫には続けたいと思っています。 下に、紹介するのは、病気等で今年一番苦労した一番下の孫への「表彰状」です。

年内の災害ボランティア最終日

2019年12月22日 | 活 動
 12月22日(日)は、台風19号による被災地でのボランティア活動で長野市社協が行っていた災害ボランティアセンターの受け入れが、年内の最終日を迎えました。
 家の近くの長野運動公園東側にボランティアの皆さんのために設置された臨時駐車場は、この日も県内外から多くの皆さんが利用していました。
 私も、この駐車場誘導のボランティアを朝陽地区住民自治協議会8区のローティーションを組んだ一員として参加してきましたが、約2ヵ月間で延べ400人に及んだと思われる活動は、これで終わることになります。
 この過程では、南堀区では駐車場誘導ボランティア募集のチラシを全戸に配布したところ「何かしなければ」と38人の希望があったそうです。

 市社協によれば、ボランティア募集をはじめた10月16日以降、県内外から約6万2千人の方が参加して頂いているとのことで、臨時駐車場でお迎えし見送った私達としても、その熱意に触れることができ、唯々感謝の気持ち一杯です。
 市社協のボランティアセンターでは、年明けは10日(金)から、受け入れを再開する予定としていますまで、被災地の完全復興に向け皆様のご協力をお願いします。
 

災害ボランティアの皆さんに感謝

2019年12月15日 | 社会生活
 12月13日(金)の午前中は、災害ボランティアを受け入れる駐車場管理のボランティアに参加しました。
 この日も、朝8時の集合時間に行くと、長野リネンサプライグループの皆さんによる、ボランティアの皆さんを激励するコーヒーや焼きたてパンの提供が行われていて、私もコーヒーを頂きましたが、大変美味しかったです。

 この日は、平日ということもあり、駐車された台数は約70台でしたが、ナンバーを見ていると遠くは北九州、広島、倉敷、姫路、神戸、大阪、京都、滋賀等々があり、本当に全国から多くの皆様が心配して頂き支援に来て頂いていることに感謝しました。
 また、若い女性のボランティアの方が増えている一方で、県内ナンバーの方が減っている傾向にあることを感じました。
 私が係わっている長野運動公園東の臨時駐車場は、12月22日で役割を終え、その後は柳原市民センターに設置されている北部ボランティアセンターを拠点として対応するようですが、私としては今後も被災地支援のため出来うることをして行く決意です。

 そして、参加したボランティアの皆さんから口々に「復興は道半ばで、まだまだやることは沢山ある」と言われていることを踏まえ、市長はじめ長野市の幹部職員が年内のボランティア活動を終了とする22日までに、ボランティアの皆さんと一緒に参加し、今後の取組みを判断すべきであると思います。
 と言うのは、心配して全国から善意で来て頂いているボランティアの皆さんの気持ちと、受け入れる側の皆さんの対応に気持ちのズレが生じていると思うからです。
 「初心忘れるべからず」と言いますが、ボランティアの皆さんには、はじめて来てくれた方もおり、その対応を被災から2ヵ月経た今、マンネリ化し、通常の役所勤務をしている感覚で対応されたら、誰でも気分が悪くなります。 今回の災害に関し他に市や県、社協に対する苦情を様々お聞きしていますが、当面、被災地へのボランティア受け入れを縮小するにあたって、ボランティア活動を続けたいと思っている皆さんに、今後の方向を明確に示して欲しいと思います。

旧親友の訃報にショック【追悼の言葉】

2019年12月13日 | 私生活
 師走となり、年賀状を作成する時期を迎え、今年、身内に不幸があった場合の「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます。」とする葉書が多く届くようになりました。
 
 そんな中、ふと見ると東京都杉並区の方から、「本年六月 夫 林 正孝 儀 永眠いたしました」との葉書を奥さんから送られて来ました。
 私は、突然のこの葉書にビックリし、信じられませんでした。
 というのも、林正孝さんは、私の高校の同級生で一番親しくしていた方であるとともに、私の青春時代に一番影響を受けた方だったからです。
 
 林さんは一浪をして私と同じ高校に入学し、同じクラスとなりましたが、成績優秀で歳も一つ上ということもあり、クラスのみんなに尊敬される存在でした。
 特に、高校のクラス内には男子生徒間で様々な派閥が出来、時には争いごとがありましたが、彼はニヒリズムでありながら、人をまとめる力があり一歩上を行く哲学的な人でした。
 
 彼はエレキギターが趣味で、大変高度な技術があり、私は当時流行していたジミ・ヘンドリックスやエリッククラプトンについて好みが一致し、ロックグループを結成することになり、私はギターを教えてもらうため、泊りがけで上田市材木町にあった彼の自宅2階で夜遅くまで練習したことを覚えてます。
 この目的としたバンドは4人で結成され、高校の文化祭でジミ・ヘンドリックスの紫の煙や、エリッククラプトンの曲(不明)、ビートルズのレットイットビーの演奏をし、この時私はベースギターを担当し、レットイットビーはボーカルをしましたが、私が苦手とする英語の担任教師が会場に来たのを目撃して緊張してしまったことを忘れません。
 
 高校を卒業し、彼は法政大学、私は拓殖大学に入学しましたが、時を経て家賃月9千円のアパートの1・2階に住み、彼が学生結婚するまで生活を共にして来ました。
 しかし、お互いに大学卒業後、お互いに仕事に追われ疎遠となり、彼の住所も不明となっていましたが、5年ほど前に突然年賀状を頂き、その後は賀状のやりとりをしていました。

  私としては、この賀状を見る度に、引退し余裕が出来たら彼と一杯飲みながら、昔の思い出話しをしながら、彼の「哲学」を知る機会を作りたいと考えていただけに、今回の彼の訃報は残念でなりません。
 大変悲しいことですが、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
 

日々の散歩コースは柔軟に変更しています。

2019年12月11日 | 私生活
 私は健康増進のため日々出来るだけ散歩することに努めていますが、最近少しずつ足腰が丈夫になってきた気がしています。
 基本的に私の散歩コースは、近くの長野運動公園の外周を一周する約45分間のコースですが、毎日同じコースでは、さすがにあきてしまうので、買い物や「焼き鳥ほたる」に行く時は徒歩で行ったり、先日は眼科に通院するのに行きは妻に送ってもらい、帰りは信濃吉田駅近くから徒歩で帰りました。

 そして最近は、寒くなってきましたので途中休憩を入れる新たなコースを確立しました。
 それは、長野運動公園を通り、六ヶ郷用水添えの歩道を平林街道まで進み、平安堂東和田店のほぼ反対側にある「コメダ珈琲店」の喫煙コーナーで美味しいコーヒーを飲みながら約30分ほど読書をし、また歩いて家に帰るコースで、その日の気候や体調により帰るコースを変えています。
 【上の写真】は、六ヶ郷用水にいたカルガモと思われる写真です。
 これまでの私の生活の中で、喫茶店に一人で行って読書をする時間などなかったのですが、結構この喫茶店は混んでおり、平日でも若いサラリーマンぽい人が多く、何か、これまで私が見てこなかった社会を見ているような気がして新鮮で、読書以上に勉強になっています。

 私は、自由な時間ができ散歩するようになり、散歩する度に我が家が長野運動公園や商店街、飲食店のすぐであることを、良かったと実感し続けています。
 特に長野運動公園は、様々な樹木が植わっていて、春夏秋冬散歩コースの景色が変化し、その光景を鑑賞するのが楽しみです。

 ところで、先日散歩した時、土日には10面あるテニスコートが満杯で汗を流している皆さんが沢山いました。【下写真】

 これから積雪があると利用できなくなりますが、運動公園の散歩は、年間を通じ、こうした各種スポーツ練習や大会の様子も見ることが出来るのも楽しみの一つです。

 先日の散歩の時、陸上競技場のサブトラックの外周を通った時、見事な桜並木の下を通過しました。【写真上】
 そして、来春この桜が満開の頃、妻と一緒にこの散歩コースを歩きたいと思い楽しみになりました。
 【上の写真】は、昨年のその場所の写真です。
 

近況報告

2019年12月10日 | 私生活
 県議引退から8ヵ月が過ぎ、早いもので師走に入りました。
 引退後、徐々に各種行事への案内が減り、何よりも議会行事に拘束されることがなくなったことから、日程に余裕が出て、マイペースで生活出来る様になりました。
 何よりも、郵便物や電話が極端に減り日々のスケジュール管理に追われることがなくなったことが、幸福感を実感しています。

 また、現役中は県から提供される資料や、自分で集めた資料を読み込む時間確保に追われて来ましたが、台風19号災害以降は復興状況や今後の対策等の情報を知るため、県・市・長野市社協等のHPを毎日確認する日々を送っています。
 
 ところで、引退後この8ヵ月間は、行事が徐々に少なくなり、私のスケジュールは、各種行事、内科や眼科の通院、葬儀、車の点検やタイヤ交換等々平温な日程でしたが、それでも妻の指示により日々を過ごしていると、あっと言う間の期間でした。
 それは、朝起きて渋いお茶を飲んだ後、顔を洗い血圧測定後、新聞を読みながら朝食、その後インターネットで情報収集、午後は散歩した後に好きなテレビ番組を見て夕飯の支度をすることが基本的生活となっています。
 
 こうした日程の中で、台風19号の被災により復旧・復興へのボランティア活動参加者への長野運動公園臨時駐車場の駐車場誘導ボランティアに参加しましたが、今後のボランティアの皆さんの参加動向が気になり、私がボランティアの日以外の散歩コースに入れ観察していますが、寒さが増す中で日に日に参加する方が減っていることが心配です。

 こうした状況に、市社協では積雪の前に農地の復興など、まだまだ多くの作業があるとして、今後は12月14日までは毎日活動を行い、長沼地区については、住民集会が行われる12月15日は休止するものの、その後は、当面12月22日まで活動日を週末型(金曜日・土曜日・日曜日) とし、活動を続けるとしており、 多くの皆さんの参加を呼びかけています。
 年明けの対応は未定ですが、私も長野運動公園臨時駐車場が必要なくなるまで、駐車場誘導ボランティアを続けて行く決意です。
 上の写真は、私が散歩している長野運動公園陸上競技場サブトラック脇に咲いている寒椿です。 

災害ボランティア長野運動公園東臨時駐車場の状況

2019年12月02日 | 私の日常生活
 今週の平日は、災害ボランティアの方々の長野運動公園東臨時駐車場の状況は、日に日に駐車する台数が減り心配していましたが、11月30日(土)は、ほぼ満杯となり安心しました。【写真】
 また、12月1日(日)は、その約半分の状況でしたが、これまでと比較し県内ナンバーの車の比率が増え、今後問われる農地の復興等、県内の自治体関係者や各種団体、企業、学校、県民の皆さん等の、最後まで復興をやりとげる意気込みを感じました。
 ところで、長野市は被災者の避難所を12月1日から長野運動公園のサブ体育館1箇所に統合し、仮設住宅への入居も開始、県も自衛隊派遣撤退を要請しましたが、これらの措置により、もうボランティアの皆さんが必要なくなるとの印象を与えかねないと危惧しています。
 県が自衛隊の撤退要請を表明した翌日の12月1日に長野運動公園避難所西側に設置されていた自衛隊の入浴施設は、最近、練馬駐屯地から霞ヶ浦駐屯地方面隊に換わったのに、撤去されていました。【写真】

 こうした措置は、総合的に国や県、市が判断しているとは思いますが、長野運動公園避難所に統合した直後のことであり、今後、避難者への他の入浴支援等が問われると思いました。
 災害発生から1ヵ月半以上が経過し、被災地は着実に復興に向かっていると思いますが、甚大な被害だっただけに、まだまだ、やるべきことが残っています。
 以下に、長野市災害ボランティアセンターが発信しているhttps://www.facebook.com/naganoshivc/から、最新の主な内容を報告します。
 
 【ボランティア活動実績】(北部・南部)
 昨日(30日)と本日(1日)の受付数は、下記のとおりとなります。
 30日(土) 1426名
 1日(日) 901名(速報値)
 本日は晴れ間が続き、比較的暖かい一日でした。本日も災害ボランティア活動へ御協力いただきありがとうございました。
 
 
【ボランティア活動実績】(北部・南部)
 昨日(29日)と本日(30日)の受付数は、下記のとおりとなります。
 29日(金) 484名
 30日(土) 1317名(速報値)
 本日も寒さの厳しい一日でしたが、災害ボランティア活動へ御協力いただきありがとうございました。

 
 北部災害ボランティアセンターで受け入れをしている長沼地域(赤沼・津野・りんごサテライト)では、発災直後から行っていた家屋の泥出しや災害廃棄物の除去がほぼ完了し、(技術系ボランティアによる)床板はがし、壁はがしの後に行う床下の泥出しや屋内の清掃作業に移行しているお宅が多くなっており、それらの作業も着実に進んでいます。
 
 現在は、各サテライトにおいて、全てのお宅がそれぞれ必要な作業を終えているかの確認作業を行うと共に、これからの生活再建に向けた調査を行い、被災された方々の今後の日常生活を支えるための準備も進めています。
 
 ボランティアの皆様には、屋内清掃など力のない方でも行える活動をしていただくことが増えており、こういった活動は女性でもやっていただくことが可能です。ぜひ被災地域の方がの再建のため、お力添えいただきますようお願い致します。
 トドロキ アヤ 29日に壁はがし後の清掃清拭をしました。表面に出る柱は傷つけないように雑巾で繰り返し拭きあげますが、壁の内に入る部材には「金属のブラシ」が一番有効でした。
 粒子の細かい泥が固く乾いて付着しているためです。
 土埃に「目の詰んだマスクとゴーグル」が必要です。私は自前ですが、両方とも拠点にありました。ゴーグルは休日には不足するかも?
 釘に引っかけやすいので、「ゴム手袋の替え」も要りました。
そのため「釘抜き道具」も必要です。
 北部災害ボランティアセンターで受け入れをしている長沼地域(赤沼・津野・りんごサテライト)では、発災直後から行っていた家屋の泥出しや災害廃棄物の除去がほぼ完了し、(技術系ボランティアによる)床板はがし、壁はがしの後に行う床下の泥出しや屋内の清掃作業に移行しているお宅が多くなっており、それらの作業も着実に進んでいます。
 
 現在は、各サテライトにおいて、全てのお宅がそれぞれ必要な作業を終えているかの確認作業を行うと共に、これからの生活再建に向けた調査を行い、被災された方々の今後の日常生活を支えるための準備も進めています。
 
 ボランティアの皆様には、屋内清掃など力のない方でも行える活動をしていただくことが増えており、こういった活動は女性でもやっていただくことが可能です。ぜひ被災地域の方がの再建のため、お力添えいただきますようお願い致します。
 
 
 【投稿】11/30に伺った赤沼のお宅でも、床下の泥だしは終わりましたが、庭先は手つかずの様子です。
 お家の片付けから、庭先、畑へと、支援のリレーが続くことを祈っております。
 昨日は農ボラに参加しましたが、被災された方の状況が変化する中、支援住宅への引っ越しなどをされながら、畑の泥出しまで手が回らず、先が見えないご様子。
 ボランティアの手伝いが入ることで、少しでも前を向ける後押しができれば、と思います。