たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

次世代を創る大革命の一歩

2014-05-21 02:06:43 | Weblog
 自分の生と死を意味のあるものとして残したい気持ちは、誰にでもあると思う。
 もちろんレベルと範囲は人それぞれだけど、自分がこの世にいたアカシみたいなもんは、どこかには残していたいと、誰もが思うんじゃないだろうか。

 今の時代、インターネットで誰でも文字を残すことができる。ブログでもいいし、ツイッターでもいいし、フェイスブックでもいい。とにかく自分の想いを文字として永久に残しておく、ということは、誰でも簡単に、今すぐできる。
 こういうこと言うとよく思うんだけど、叩かれる可能性が一切ないよーな無難な何かを発しても、それは何も言っていないのと同じだ。世に残しておきたくて、何かの反響を得たいなら、誰かしら他人に嫌われる覚悟が無ければいけない。そして、その分だけ、、いやその分以上に、誰かしらからは好かれる、ということも、きちんと理解していなくてはいけないかもね。じゃなきゃ行動できないし。

 別に、世界に向けて発信しなくても、普通とは違うと感じる自分の一部に目をやった時に、それがありふれた優しさの中から生まれたのだとすれば、立派な個性であり、必ず後世に残る。むしろ、こういうことにこそ価値がある。

 本当の意味で何かを変えたり(ものづくり)、何かのムーブメントを起こすということ(研究)は、決まりきっているルールや慣習の中でありきたりに成功することでも、自分たちが昔から持っていた価値観を現実に体現することでもない。何か間違っていたとしても、なるべく全力でちょっとでも自分や自分たちを世に出してみて、そこで受けた逆風を自分の中に宿しながら、また次の一歩を進めようとした時に、誰か思いもよらない相手に、新たな価値観が宿ることこそが、本当の意味で「より良く変える」ということだと俺は思う。

 それは、小さな個人から小さな個人への、小さな小さな革命であるが「明らかな一歩」であり、それだけが次世代を形成していく。

 このような経験は、少なくとも今、これを読んでいる人は、もうすでに経験していることだと思う。
 あなたは、もう、誰かにとっては、かけがえのない存在であり、必要不可欠な存在でありつづけるのだ。そして俺と会って話したことがある人には、全員に適応される因果律。好きな人も、嫌いな人も、どうでもいい人も。

 相手に新たな価値観を宿すことは、どんなに小さいことであっても、とてもとても意味のあることだ。
 だからこれから、もっともっと自信を持って、自分らしさを発揮したらイイのだと俺は思う。
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