たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

自分さえ良ければイイ、にならないで

2012-09-21 02:53:26 | Weblog
 どうしても仕方がない物理現象に対して、いかにして解決策を探るか?ということが誰にでも降りかかっている。
 日々の生活の中では、取り返しがつかなくなる前に、その問題に気がつき、意識を持って解決しなくちゃいけないということが、山ほどある。あのとき、ああすればよかった、ということの繰り返しを避けなきゃいけないし、未来に、なるべくそのようなことが起こらないように、先回りして行動していかなきゃいけないのだ。

 後悔しない準備が出来ているか?
 大きな行動をする前はもちろん、行動するかどうかすら迷っている、選択肢が自分に降ってきている時には、必ず考えなきゃいけないことだ。未来の自分が後悔しないように、行動しないことが正解なのか?、行動することが正解なのか?、だとしたら、どう行動すれば未来の自分は後悔しないのか?、ずっとずっと考え続けなきゃいけない。

 それは、実は、大きな分岐点以外でも、日常でも同様なのだ。後悔しないかどうかを考え続けることができないから、重要だとは予測できなかった、でも実際はめちゃくちゃ重要なシーンで選択を失敗して、後悔して、ああすればよかったのに、って思っている頃には、実質的に、取り返しがつかない。
 っで、他人依存になっていく。自分では何一つ行動を起こせないし、どんどん諦めていく。受け身だし、行動できたとしても、確実に得られるときだけ。

 そして、自分が確実に勝てる表面的なモノだけで、相手にオフェンスを仕掛けて、自分のが上にいるのだと虚勢を張る。
 もしくは、自分の方がしっかりしているんだ、自分の方がきちんと真面目でいる人間なんだ、ってアピールしたりして、、何ひとつ、自分で行動も実行も思考もできないのに。

 でもね、、そういうくだらない部分に逃げられる人間は、まだイイ。
 そこにくだらなさがある、ってわかってしまっている、諦めきってしまっている賢い人に比べれば、、こいつらはバカなだけだから。バカなぶん、幸せなんだよね。

 後悔を繰り返していけば、いつしか、不幸であることに気がつき、諦めが先立つのと同時に、不幸であること、後悔しないような行動がいつもできないことの罪悪感や能力の無さに、居心地の良さを感じ始める。
 上手く行かないことが普通になって、習慣化されていく。結果が出ない、努力が報われない、ツライ、そんなことが自分にとっては普通だし、それで満足出来ていってしまう自分にも気がつかない。だから、努力なんて報われないもんだ、って、他人にも押し付ける。

 きっと、「自分さえ良ければそれでイイ」、そんな想いが、どこかで邪魔をしている。

 『ここでね、自分が置かれている現状に気がついて、心では実はそんな風に思っているんだ!、ってことに気がついたんだから、難しいけど、少し周りを観てみようよ。あなたのすぐ隣には、全然上手く行っていなくて、全然行動しないし、そもそも全然来ない人がいるよね。なんでだろ?どういう心情なんだろ?って、ほんのちょっとでイイから、考えてあげて欲しい。
 それをすることが、あなた自身も、完全に救われることだし、どれだけの気持ちが働く中で、自分がいま立っていられるのかということに気がつけたら、おっけーなんだけどね。』

 俺が大口を叩くとき、未来の自分へのメッセージだったりして、ちゃんとやりつづけろよ!、ってことを周りに聞いといてもらうためであったりする。自分への戒めの効果。
 でも実は、それだけじゃなくって、逃げ場が無い人にとっても、攻撃しやすいように、と思っていたりもする。

 出来もしない大きいことや、ぶっちゃけこうでしょーってホントのことを言ったりして、自分が言ったことのくせに適度に俺も出来なければ、なーんにも取り柄も無い、能力が何も無い人でも、突っ込みやすいし、攻撃しやすいでしょ?
 例えばそうしていくことによって、ちょっとでも、今できることの中での自信を保っていければイイのだと思う。あとは、持ち前の賢さと優しさで、居心地の良くなってしまった不幸感を脱することができて、どうにかなる、、はず?

 …って、ただのMだったりして(笑)。
 でも、俺を利用してはいけない人には、俺からの痛烈なオフェンスが待っているから、それだけじゃねーし。
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